第42話  竹田製薬工業の再生~マスコミ対策

文字数 5,481文字

 敵対派閥は、臨時株主総会の前に、攪乱(かくらん)を目的とした記者会見を行ったが、それに呼応したのは一部のメディアのみであり、大方のマスコミは、慎重な姿勢を取った。

 警察は、企業内の通常の犯罪のみならず、産業スパイ防止法違反容疑も含めた大量検挙を行った。
 これに対して、様々な憶測が流れたが、警察発表がされる前からマスコミの報道は、総じて竹田製薬工業に同情的であり、竹田製薬工業のこれまでの実績について称賛する論調が大勢を占めていた。
 また、今回の騒動についても、会社を立て直すために社内の不正を正すためのものであり、よくここまで明らかに出来たものだと肯定的に報道する姿勢が目立った。

 五菱が出資した新生薬品に関しても、竹田製薬工業とは完全に別会社であり、竹田製薬工業の窮地を救うナイト的会社として好意的に捉えられており、悪意のある報道は殆ど無かった。
 これらのマスコミの姿勢は、警察発表後はより明確になった。

 そのためか、竹田製薬工業の廃業を提案する臨時株主総会では、これらの犯罪を許した企業の管理責任を追及する声は殆ど無かった。

 では何故、大方のマスコミは竹田製薬工業ひいては五菱に好意的であり、敵対派閥の記者会見にも慎重な姿勢を取ったのか。

 これは、10年前に山崎弥太郎が五菱重工の社長に就任し、竹田製薬工業再生のプロジェクトが始まった時に遡る。


 戦前から五菱の広報宣伝は、原則として五菱重工の広報課が一括して担当していた。
 しかし、戦後の反軍国主義、反権力主義、反資本主義、反大企業の風潮の中で、戦前、国策会社として軍国主義を助長したと見做(みな)されていた五菱は、派手な宣伝はせず、五菱グループの各企業は、ひたすら、それぞれの社業のみに力を傾注していた。

 また、戦後の高度経済成長とバブル経済は、テレビをはじめマスコミに莫大な広告料、スポンサー料をもたらし、マスコミは潤沢な資金に恵まれていた。
 しかし、それはバブルの崩壊とともに終わった。

 テレビのドラマ制作は、下請けの企業に降ろされ、制作予算は年々減少した。
 ロケ地は近くなり、雨のシーンの撮影も無くなった。
 番組も安易に済ませるようになった。
 料理屋を巡るグルメものが多くなり、どのチャンネルもお笑い芸人のバラエティーばかりとなった。
 さらに、番組の途中で何度も流れるCMは、ドラマの本体部分よりも長いのではないかと思わせるほどだった。
 番組の質の低下は、長期的な視聴者離れを起こし、視聴率もそれに比例して低下していった。

 その中で、例外が一つだけあった。
 新プロジェクトの始動とともに、五菱グループが、スポンサーに名乗りを上げたのだ。
 新プロジェクトの始動とバブルの崩壊は、同時期であった。
 弥太郎は、それまでとは違い、積極的にスポンサーとなった。
 テレビに限らず、文化活動の支援を積極的に行ったのだ。

 ミュージカル、オペラ、映画製作、陶芸、小説などのさまざまな作家活動、古典芸能などの他にもネット上の小説投稿サイトやその他のネットニュースチャンネルなどのサイトに対しても、それが反日的でない限り支援を惜しまなかった。

 さらに、支援額は多額でありながら、スポンサー名を出すことには控え目であった。
 例えば、テレビドラマのスポンサーになる場合は、単独で引き受け、スポンサー料は、他社が目をむくほど高額であった。
 ところが、本番中のCMは一切なく、番組の最後に五菱グループの企業名がテロップで流れるだけである。
 それでも、広告会社には相場以上の広告料が支払われた。

 喜んだのは、視聴者だけではない。
 演出家を初め、現場の人間たちが一番喜んだ。
 良いものが作れる!!
 彼らは、砂漠の旅人がオアシスにたどり着いた時のように歓喜してドラマを作った。

 良いものが出来ない訳が無い。
 視聴率は上がり、テレビ会社の業績にも好影響を与えた。
 最早、テレビを初め新聞社、週刊誌、劇作家、映画製作会社、芸能人、文化人と称する人たちの五菱詣(いつびしもう)では、日常の光景となっていた。

 そんな中、今回、敵対派閥の領袖たちが主張する、竹田製薬工業の廃業と新生薬品、そして五菱との繋がりは、その狙いが善良な社員を排除するためと言うのが本当なら、マスコミにとってはスクープかもしれない。
 しかし、事実と異なる場合、拙速に動いては危険だ、十分な判断材料と真偽(しんぎ)を確かめる必要があるとマスコミ各社の経営者は判断した。
 ネット上のニュースや評論家のサイトは、各種報道の後に自らの主張をまとめて放送することが多く、これも慎重に推移を見守った。
 これについては、五菱が長年に亘って、マスコミ界やネットの放送界に貢献したことが影響したことは否定できなかった。

 世間で反日マスコミの代表とも言われ、左翼がかったテレビ2社と新聞2社の経営者も、今回は慎重にすべきだろうと考えていたが、現場への指示はそう強いものではなかった。
 そのため現場は、経営陣の危惧を知りながら独断で(かたよ)った報道内容を編成した。
 経営者たちも、事前に報道内容を知り得たにも関わらず、語調には気を付けるように程度の注意しか与えなかった。
 今回の報道も、今まで長年報道し続けてきた論調の延長であり、自社の報道がどのような結果を招くかと云う認識に危機感が無かったのである。

 現場では、テレビ2社のフリーのニュースキャスターたちが、共に責任は自分が取ると言って、強硬な口調で竹田製薬工業や五菱を糾弾した。
 新聞2社でも、状況は同じであった。
 2社の編集長は、それぞれの編集局のスタッフの尻を叩いて、翌日の朝刊の経済面トップに、敵対派閥の領袖たちの主張をそのまま掲載した。

 だが、彼らが、狭窄(きょうさく)な正義感に酔っていられるのも、昼過ぎに行われた警察発表までだった。
 事が明らかになるにつれて、これらのテレビ局と新聞社は、国民の強いバッシングを受けることになった。
 当然だ。
 敵対派閥の領袖たちが行った機密の横流しは、売国行為と同じである。
 売国奴ともいえる人間たちの主張を何の検証もせず、そのまま放送し、あるいは新聞紙上にも掲載したのだ。

 この問題は、国会でも取り上げられ、反資本主義、反権力、反大企業の極左政党まで、今回の警察及び検察による産業スパイ防止法違反の迅速かつ正確、緻密(ちみつ)な捜査と検挙について賛辞を述べざるを得なかった。

 反竹田製薬工業、反五菱の報道を行ったテレビ2社と新聞2社の経営者は、警察発表があった直後、蒼い顔で五菱重工を訪れたが、門前払いをくらい、五菱は、これらのテレビ局と新聞社には一切の広告を中止し、今後もスポンサーになることはないと通告した。

 これらのテレビ局と新聞社は、国民のバッシングを受け、広告収入も大幅に減少した。
 テレビ局2社のフリーのニュースキャスターは、彼らが見栄を張ったとおり降板させられ、二度とテレビに復帰することは無く、やがて世間からも忘れられた。
 新聞2社の編集局長は、左遷され二度と本社に戻ることは無かった。
 トカゲの尻尾切りである。

 しかし、この事件以降、これらのテレビ会社は、他のテレビ会社に視聴率で大きく差をつけられ、経営が傾くこととなる。
 末期的状況になった時、五菱が経営支援に乗り出し、どうにか虎口を脱したのだった。
 新聞2社も購読者が一気に減り、経営の危機を迎えることになった。
 テレビ局と同じく、五菱が経営支援を申し出たが、2社のうち、支援を受け入れたのは1社のみであり、最も反日色が強い「旭日(きょくじつ)新聞」は、五菱の申し入れを断ったのだった。

 五菱は、経営支援を行ったマスコミ各社の経営が一段落すると、その後は、経営に口を出すことは一切無く、経営に何らかの影響力を残すこともしようとはしなかった。
 全国キー局のテレビ2社と、かつての大新聞社1社を救ったことは、国民に非常に好評であり、国会でも異例の感謝を表する決議がなされ、これには全与野党が賛同したのだった。

 しかし、弥太郎を中心とした五菱が、何の利益も目的も無く、これらのマスコミ各社の経営支援を行ったのでは無い。
 マスコミが、時の権力者に追従(ついしょう)し、大政翼賛会のような御用マスコミでは、当然、健全とは言えない。
 しかし、今回、特に経営危機に陥ったマスコミ4社は、外国のそれも反日国家の政治意思を忖度(そんたく)するような報道に終始し、国民世論を反日国家の意思に添うように誘導したり、意図的にフェイクニュースを流したりと、その報道姿勢は、健全とは言えないどころか異常なものであった。

 また、国会で議論すべき重要な事柄があっても、自分たちの政治信条に合わなければ、他のどうでもよいことや、事実でもないことをあたかも事実であるかのように針小棒大に騒ぎ立て、国民の目をそらすと云う事を繰り返していたのだ。

 さらに、反日国家の知られたくない国内事情は、意図的に報道せず、または自ら検証しようとせず、結果として、現実を隠して反日国家を礼賛するような記事を好んで掲載し、後に現実が異なることが明らかになっても、口をつぐんで無関心を装うかのように一切言及しなかった。
 このような報道で、一生苦しむ人が生じる事態になっても、その報道姿勢は変わらなかったのだ。

 旭日(きょくじつ)新聞社は、長年に亘り記事を捏造(ねつぞう)していたことが発覚し、大々的に謝罪文を掲載せざるを得なくなったときでさえ、木で鼻をくくったような文章で、真摯な謝罪とは言えないものであった。
 テレビ会社においても、近年は、番組制作会社の中にも反日国家との強い繋がりが推測できる会社があり、状況は一層深刻になっていた。

 弥太郎は、経営支援に当たっては、これらの事実を突きつけ、これの改善を強く要求したのだ。
 もし、これらの要求を呑まないのであれば支援を行うつもりは無かった。
 反日マスコミが、これらの要求を呑む可能性は低いのではないかとさえ思っていた。
 最終的には、新聞、テレビと云ったマスコミ界に進出し、反日報道を是正する報道によって、マスコミ界を改革することも念頭に置いていた。
 ところが、予想に反して経営危機に陥ったマスコミのうち3社が、最終的に弥太郎たちの要求を呑んだのだ。

 経営危機が回復困難な事態になったのは、何も今回の事件が原因の全てでは無かった。
 世は、すでにネットの時代になっていた。
 誰でも情報を発信でき、誰でも色々な情報を、すぐに得ることが出来るようになった。
 反日マスコミと言われる報道各社の欺瞞(ぎまん)にも、多くの人たちが気付くようになったのだ。

 また、ネット時代の到来とともに、広告宣伝についても、広告主は、広告の視聴状況がはっきりわかるネット広告へとシフトするようになった。

 今回の事件で、テレビの場合、視聴率はさらに低下した。
 新聞は、購読者が減少し、歯止めが利かなくなっていた。
 そうなると、広告主は、ますますネット広告へとシフトし、テレビと新聞の広告収入は、ますます減少することとなった。

 これに追い打ちをかけたのが、莫大な賠償金の支払い義務であった。
 これは、新聞社が販売部数を実体より多く見せかけ、その虚偽の数字に基づいて広告料を取っていたため、全国で詐欺罪の訴訟が起きたことによるものであった。

 今回、問題となったテレビ会社と新聞社は、不動産などの本業以外の他事業でかろうじて糊口を凌いでおり、最早、後が無い状況だったのだ。

 テレビ、新聞各社の上層部は一新された。
 新聞とテレビの系列関係も解消され、各種報道機関の独占という不健全な状態も改善された。
 これによって新聞は新聞の主張、テレビはテレビの報道をそれぞれが独立して行い、系列によって同じような主張が行われることが少なくなり、報道の健全化が進んだ。
 報道姿勢も大きく改善された。
 事実に基づく冷静な政権批判、政権運営の好成績には高評価をし、日本の国益を第一に考える報道姿勢に大きく近づいたのだ。

 マスコミの健全化は、日本国全体の繁栄に寄与するに違いない。
 企業活動も活発になり、五菱も発展するだろう。
 それこそが弥太郎と五菱グループが願ったことであり、弥太郎たちにとって最大の利益であり目的であった。


 最後まで、五菱の支援を受け入れなかった旭日新聞の事情は、少し違っていた。
 旭日新聞は、早くから本業以外の不動産収入が収益の大部分を占めていた。
 非正規雇用が大部分を占める不動産業の収益で、正規雇用が多い旭日新聞を養う形態が定着していたのだ。
 また、新聞社のトップから末端まで反日思想で統一されており、思想の柔軟性は著しく欠いていた。
 そのため、旭日新聞は、社員の賃金を抑制はしたものの、報道姿勢を変えようとはしなかった。

 五菱は、旭日新聞に対し、宣言通り広告を一切停止し、旭日新聞が主催したり協賛した文化活動やイベントだけでなく、旭日新聞が関わる全ての事業にも一切の支援を打ち切った。
 五菱は、これに(とど)まらず、全国で旭日新聞に対する損害賠償裁判の原告支援を強力に推し進め、ネットニュースの活用、識者の講演など広範に反旭日新聞キャンペーンを繰り広げた。
 十数年後、旭日新聞の購読者数は、一地方紙以下となっていたが、長年の第三国人のコネ採用で固めた人事体制のためか、その報道姿勢は変わらなかった。
 しかし、その影響力は、無視できるまでに凋落(ちょうらく)していたので、五菱としては、放置することとしたのだった。
 やがて、年月が経過し、北鮮と南鮮は消滅し、それに伴い旭日新聞も自然消滅を迎え、人々の記憶からも消えていくのだった。
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