第43話  竹田製薬工業の再生~不正の摘発

文字数 8,096文字

 ---- 警察との連携 ----

 竹田製薬工業の不正の摘発については、通常の企業内犯罪にとどまらず、産業スパイ防止法違反容疑も含めた大量検挙であった。
 それにも関わらず、警察の捜査、証拠固め、検察の起訴、裁判による判決まで異常なほどの迅速さであった。
 これには、諸外国の司法機関も瞠目し、これらの一連の事件は日本国民、マスコミを初め、多方面から注目され、後々まで日本の犯罪史上、語り草になるほどであった。

 企業内犯罪の発覚は、通常、内部告発から始まる。

 竹田製薬工業研究開発部門第1分野統括である近藤康平、研究員の高田裕次と妻の里帆を中心とした生え抜きの社長派は、10年前合流し、山崎弥太郎の竹田製薬工業再生のための新プロジェクトのメンバーとなった。

 新しい生え抜きの社長派は、やがて自らを武闘派と呼ぶようになった。
 当初は、近藤康平の同志たちが30名、高田裕次の仲間が20名の総勢50名ほどであったが、その情報収集能力は、格段に向上した。

 敵対派閥の不正に関する証拠収集も着実に進んだ。
 敵対派閥の不正は広範に亘っていたため、年月をかけてその証拠を集め、不正を行っている者たちを一網打尽にするため、ある程度まとめて告発する予定であった。

 新プロジェクトの始動から7年が経ち、証拠集めも大詰めに来た頃、産業スパイ防止法が施行された。

 それと時を同じくして、外国へ企業技術を流そうと云う敵対派閥の密談が行われた。
 彼らは早速行動を起こし、1か月後にはサンプルとして、少し古いが幾つかの企業機密を外国の企業へ売り渡した。
 それだけでなく、竹田製薬工業の最新技術までも根こそぎ売り渡すための暗躍を始めたのだ。

 それまでも、敵対派閥は、国内の同業他社へ技術を流していたが、それらは産業スパイ防止法施行以前であり、他の法律で裁くしかなかったが、今回は正に産業スパイ防止法の適用事案であった。

 弥太郎たちは、警察への通報をいつ行うかについて悩むことになった。

 新プロジェクトの最終目的は、竹田製薬工業の再生であり、それは最重要事項である。
 そのためには、竹田製薬工業は、解散による廃業をしなければならない。
 資本関係が全く無く、竹田社長の影響力も全く無い、全く別の会社に技術や施設設備を売却し、その資金で債務を清算し、従業員に退職金を支払って廃業するのだ。

 技術や施設を買い取った会社と竹田製薬工業は、従業員の採用については、何ら取り決めも契約も無い。
 だが、その別会社は、新たな技術設備を運用するために、従業員を増員する必要があり、最小限に抑えた新規採用の募集をする。
 当然、竹田製薬工業の技術設備の運用に最適な人材として、旧竹田製薬工業の社員は、優先的に採用されるだろう。
 その際、犯罪に関わった者やその仲間は除外されて当然だ。
 結果として、主に、竹田製薬工業で社長派と目されていた人が多く採用されても、不誠実な社員の募集とは言えない。
 そもそも、従業員の採用は会社の自由裁量だ。

 弥太郎たちの計画は、ぎりぎりまで出来るだけ多くの敵対派閥の不正の証拠を掴み、竹田製薬工業が取締役会で解散を決定した後、時を置かずに産業スパイ防止法以外の違反について一斉検挙を行う。
 最初の一斉検挙を(まぬが)れた敵対派閥の領袖たちの動きを見ながら、二週間後の株主総会までの最も効果的と思われる時に、産業スパイ防止法違反で逮捕し、警察発表が行われた後に株主総会が開催されると云う流れを理想としていた。

 しかし、警察や検察が一民間企業の思惑通りに動いてくれるのかは、疑問と不安があった。
 それに、産業スパイ防止法が施行された時点では、まだ竹田製薬工業の解散は、財務面の機が熟していなかった。
 また、今、不正を行った者たちを逮捕するとしたら、証拠不十分で取り逃がす者たちが相当数いるかもしれない。
 それでも、(うみ)を出したと云う認識になってしまい、中途半端なままで会社は自力更生を図ると云う流れになってしまえば、将来、敵対派閥の残党との抗争の火種を残したままと云う結果になりかねない。

 だが、弥太郎たちの結論は、産業スパイ防止法が施行された今、警察に通報すると云うものだった。
 武闘派が集めた証拠を警察に提出し、その指示に従うことにしたのだ。

 もし、早速、検挙が始まることになっても、それはそれで対応し、計画を変更することとした。
 産業スパイ防止法違反と云う経済犯罪での、初めての適用になるだろうこの事件の摘発を万全のものとすることを優先することにしたのだ。

 弥太郎や武闘派は、彼らが集めた証拠も専門家によって、その有効性をしっかりと判断してもらう必要があると考えた。
 もし、不十分な点があれば、警察の指導を受けて証拠の再収集もあるだろう。
 どのようになるにせよ、警察の指示を仰ぐことにしたのだった。

 警察への通報の前に、弥太郎は産業スパイ防止法の成立に長年尽力してくれた信頼できる政治家に接触して、敵対派閥の犯罪の摘発と竹田製薬工業の再生の協力を依頼した。
 その政治家は、快く引き受けたうえ、経済産業大臣、法務大臣、さらに首相、副総理、官房長官らとの懇談の席まで設けられることになった。

 その際は、弥太郎は、次期経団連会長として、経済問題についての一般的な懇談と云う形を()った。
 弥太郎は、この時、対外的に公表はされていなかったが、次期経団連会長として内定していた。
 だが、弥太郎は、未熟を理由に就任を延ばしてもらっていたのだ。
 このような経緯は、主要閣僚は皆知っており、実体は次期経団連会長として遇されていた。
 そのため、このような形での懇談は、年に数回行っており、対外的に何ら不審に思われることも無かった。
 ただ、今回の懇談には、国家公安委員長も参加していた。

 会談で弥太郎は、人数分のタブレットを持参し、敵対派閥の密談やその他幾つかの決定的な証拠を開示した。
 首相らは驚くとともに、この事件の摘発の成否が、この種の犯罪に今後大きな影響を与え、日本が将来的にも技術立国として立ちゆくためにも遺漏の無い対処が必要であると云う共通認識を持った。

 公安委員長は、警視庁警視総監、茨城県警本部長、茨城県警刑事部長、法務省刑事局長、検察庁長官らを招き、事の経緯と首相らの意向を伝え、弥太郎から預かった映像などの証拠を前に協議を行った。
 茨城県警だけでなく、警視庁が中に入ったのは、国内の技術の流出先の企業4社の本社が全て都内にあったからである。

 結論として、彼らは、竹田製薬工業との密接な連携により、技術流出の完全解明を行う方針を全会一致で決定したのだった。
 技術流出の方法、相手企業とのやり取り、仲介人との接触など犯罪の全体を掴むためには、現在の証拠でも、ほぼ立件は可能だったのだが、やはり、専門家の目から見れば、公判の維持を完璧にするには、さらに詳しい証拠の収集が望ましかった。

 また、武闘派の情報収集能力は、捜査の専門家である彼らも舌を巻くほどであったため、彼らが要求する証拠の収集は容易ではないかとの判断もあった。
 さらに、警察が会社に直接潜入しての捜査は、現実問題として困難であり、武闘派との連携が最も確実だとの判断があった。
 だが、もし、武闘派の人間に危害が及ぶ恐れが生じた場合は、直ちに検挙に踏み切ることとした。

 この頃、武闘派は、100人ほどに拡大していた。
 つまり、警察は、100人の捜査官を竹田製薬工業内に有することになったのだ。
 竹田製薬工業との警察の窓口は、主に茨城県警が担当し、敵対派閥に気付かれないように細心の注意を払いながら、捜査は進められることになったのだった。

 警察への通報をどの時点で行うかの弥太郎たちの判断は、結果的に正しかった。
 一斉検挙と竹田製薬工業の再生が決行されるまでの3年の間に、警察と武闘派の連携によって完璧な証拠の収集が出来たのだった。
 竹田製薬工業の再生は、弥太郎たちが司法当局に通報した時、成功が約束されたとも言える。


 ---- 武闘派 ----

 近藤康平、高田裕次と里帆らの武闘派は、当初50名ほどであった。
 彼らは、会社を立て直し、本来の竹田製薬工業を取り戻すと云う理想に燃え、強い結束力と行動力を示した。
 だが、彼らは決して猪突猛進ではなかった。
 特に新たに加わった高田裕次らの若いメンバーは、古くからの生え抜きの社長派と呼ばれ、敵対派閥との抗争を闘い、生き抜いた近藤康平らの助言により着実に成果を上げていった。

 武闘派は、最終的には100人ほどの勢力となったが、近藤のリーダーシップと高田裕次、里帆のフォローもあり、最後まで一人の脱落者も無く活動を続けることが出来た。

 彼ら武闘派の役目は、先ず、敵対派閥の情報の収集と、彼らの社内攪乱を阻止することであった。

 情報収集能力については、若い仲間が増えたことで格段に強化された。
 それまで会社機密のセキュリティー強化は、総務部が総合調整権を一手に握っていたのを社長室に引き上げた。
 社長室は、元々寄らば大樹の陰的社長派を含め、社長派が大勢を占めていたが、これを早いうちに全員を生え抜きの社長派に入れ替えた。


 ---- 井上修一を継ぐ者 ----

 竹田智之社長には近藤が進言をした。
 それまでは里帆の父親の井上修一が、度々、親友である智之に進言をしていた。
 これにより敵対派閥の意図を何度も(くじ)いたことがあり、智之は井上に絶大な信頼を寄せていた。
 井上に死期が近づいた時、井上は智之に自分が死んだ後は、第1分野統括の近藤康平の意見を聞いてくれ、彼は自分が最も信頼している人間であり同志だ、あなたのため、会社のためを思う気持ちは人後に落ちない、ただし、彼から連絡があると思うから、それまで待ってほしい。と、伝えていたのだ。

 井上は近藤とは、これからの抗争派閥との闘いについて意見を異にしていた。
 だが、自分はもう死ぬ。
 これからは生きている者が決めていくことだ。
 自分の遺志を誰かに伝えたかったが、思いついたのは娘の里帆だった。
 里帆は自分の娘ながら、後事を託すに足る才覚、いや人徳と云うかきっと良い結果をもたらすのではないかという予感があった。
 さらに、婚約者の高田裕次君も生え抜きの社長派であることは、とっくに把握していたし、会ってみると想像以上にしっかりした青年だった。
 近藤と高田君、それに里帆の間で今後のことを話し合えば、きっと良い方向に向かうのではないかと井上は思ったのだ。

 しかし、死ぬ直前、娘を前にした修一は、里帆に山崎弥太郎氏に連絡をと言ったものの、娘との楽しかった思い出が、走馬灯のように浮かび、とっさに娘に困難な道を歩ませたくない、と思い直した。
 そのため、修一は、里帆に「近藤にも連絡を」と言う代わりに、「無理はしなくてもいい」としか伝えなかった。

 このため、里帆が高田裕次とともに近藤と接触したのは1年後のこととなるが、結果としては、却って良かったのだろう。
 1年の間に、里帆と高田裕次の覚悟は固まり、山崎弥太郎の竹田製薬工業再生のための新プロジェクト発足にも参加することが出来、近藤康平らも覚悟を新たに闘いの火ぶたを再び切ることが出来たのだから。

 智之は、井上の言う通り近藤からの連絡を一日千秋の思いで待った。
 だが、彼は、井上の言ったとおり近藤から連絡があるのを辛抱強く待ったのだ。

 過去に、智之は後悔しても後悔しきれない失敗をしたことがある。
 井上の止めるのも聞かずに井上の同志に接触したことがあったのだ。
 そのため、その同志は、その存在を抗争派閥に知られ、罠にはめられ、結果的に自殺に追い詰められたのだ。
 それは、里帆が、小学校に入学した頃であり、近藤は死んだ同志の遺族の行く末について相談するため井上の自宅を訪れ、それが、近藤が井上の自宅を訪れる最後となったのだ。
 これ以降、井上は、智之に同志の名を一切伝えることは無かった。
 智之も、自分の拙速と不注意によって招いたこの不幸な事件は、一生忘れられないものであり、思い出す度に後悔の念で胸がかきむしられるのであった。

 智之は、部長職である近藤とは仕事上、何度も話をしたことがあり、近藤に対して高い評価をしていた。
 しかし、近藤から連絡があるまでの1年の間に、智之は念のため、近藤のことを細心の注意を以って調べ、井上が言う通りの人間であることを確認していた。

 井上が死んで1年後、ある日の夕刻、近藤から智之に電話が入った。

 近藤
 「社長、新薬の開発について、ご相談したいことがあります。今から伺ってもよろしいでしょうか。」
 智之
 「いいよ。待っている。」

 日が落ちて、近藤は、智之の自宅を訪れた。
 智之は、黙って近藤を迎えた。
 近藤は、井上から自分が死んだ後は智之社長を自分に代わって支えてくれ、君のことは社長にも話して了解してもらっている。と、伝えられていた。
 智之と近藤は、簡単な挨拶をし、その後、近藤は邸内を隈なく調べた。
 探査機器を使って盗聴器が仕掛けられていないかを調べたのだ。
 盗聴器が無いことを確認した後、二人は、今後のことについて話を始めた。

 近藤
 「・・・そのような訳で、井上さんとは若い頃からの同志として共に活動して参りました。井上さんの死後、一年が経ってしまいましたが、社長さえよろしければ井上さんに代わって社長の相談相手になれればと思っております。」

 智之
 「あなたのことは、井上さんから聞いていました。さらに、この一年の間、あなたのことを抗争派閥に感づかれないよう調べさせてもらいました。やはり、井上さんの話どおりの方だった。 こちらこそよろしくお願いします。」

 近藤
 「私は、情報を自ら集める能力においては、残念ながら井上さんに劣ります。
 しかし、この一年の間に信頼できる有能な同志がさらに増えました。
 彼らからもたらされる情報に基づいて、社長に進言できることもあるかと思います。
 微力ではありますが、全力で社長を支えて参ります。」

 智之
 「こちらこそ、改めてよろしくお願いします。」

 近藤
 「・・ただ、誠に申し訳ありませんが、同志の名について今明かすことは出来ません。
 また、私たちの活動内容についても詳しくは話せません。
 ・・時期が来れば、必ず全てお話しいたしますので、どうぞお許しください。」

 智之
 「分かっています。私は、過去に取り返しのつかない過ちを犯しました。
 あのようなことを二度と繰り返すことは出来ません。
 私から尋ねることは決してしません。
 ただ、私の力が必要な時は、遠慮なく(おっしゃ)ってください。」

 近藤は、竹田製薬工業再生の新プロジェクトについて、智之に対して秘密にしている後ろめたさと、智之は、自分の過ちから部下を死なせてしまった後悔がよみがえり、二人は、それぞれが胸に痛む思いを抱えて、今後のことについて打ち合わせを行った。

 初打合わせの日だけでは、この一年間の会社の抗争派閥の動向について、共通認識を持つには時間が足りず、二人の話し合いは、この日を含めて3回行われた。
 その間に、二人は年齢が一つしか違わないこともあり、十分に打ち解けることが出来たので、初日の少しぎくしゃくとした感じは全く無くなっていた。

 これ以降、彼らは大事な話は、夜、携帯電話で行った。
 昼に会う時の会話の内容は、医薬品開発の苦労話や世界で求められている新薬の話や、まだ特効薬が無い感染症対策の医薬品の話などが殆どであった。
 医薬品以外の本題については、最小限の筆談を行った。
 本題の後は、また、医薬品の話に戻るのだが、医薬品については、常々彼らが最も興味を持っていることであり、二人とも心底、話を楽しんでいたのだった。


 ---- 近藤の進言 ----

 近藤は、高田裕次や里帆といった同志からの情報だけでなく、弥太郎らの新プロジェクトのメンバーとも協議をしながら智之に進言を行った。
 近藤の進言は、来るべく竹田製薬工業再生の決行に合わせて、10年をかけて多岐にわたって行われた。

 そのうちの一つに人事権があった。
 竹田製薬工業の人事権は、最終的には人事権を持つ代表取締役である智之にあるのだが、実務上は一般社員の人事については、一定部分は総務部が持っていた。
 これを社長室に引き上げたのだ。
 これによって、敵対派閥の分断を進めることが出来た。

 さらに、株主総会対策などについても総務部から社長室の所管にして、株主の情報を独占し、将来の株主対策を有利に進める布石を打った。

 中でも、企業機密を守るためのセキュリティーの強化は、特に不正の摘発に効果を発揮した。
 それまでセキュリティーの総合調整は、総務部が行っていたが、これも社長室に引き上げ、強化を図ったのだ。

 これらは、智之もかねてから実施したかったことなのだが、蛭川総務部長を初めとする敵対派閥の抵抗でなかなか進めることが出来なかったのだ。
 弥太郎たちから様々な効果的な対処法のアドバイスを受けた近藤の進言によって、着実に実行出来るようになったのだった。
 これには、智之は勿論、先頭に立って動いたが、社長室長である智之の娘婿、森山秀二の働きも大きかった。

 ちなみに、元々研究職であった森山が社長室長になったのは、竹田製薬工業の再生プロジェクトが始動し、生え抜きの社長派である近藤康平や高田裕次らが合流した頃だった。
 朴訥(ぼくとつ)でありながら常に真摯な態度であり、腹の座った性格と相まって、静かな決意を以って事に当たる森山の人柄は、多くの社員から支持を得て、次期社長として誰もが認めるようになったのだった。


 ---- 情報の収集と分析 ----

 高田裕次たちは、敵対派閥が会合をする幾つかの部屋に最新鋭の監視カメラと録音装置を全く目立たないように設置した。
 これによって、敵対派閥の重要な動きを事前に掴むことが出来、決定的な証拠を掴むことも出来た。
 また、セキュリティー強化によって敵対派閥の企業機密へのアクセスを把握できるようになり、その分析から様々な不正の直接証拠を掴むことにも成功した。
 敵対派閥が使用するPCの類は、殆ど高田裕次の仲間たちによって裸にされていたのだ。

 だが、武闘派は、これらの証拠を時が来るまで公表せず、敵対派閥のメンバーたちを泳がせていた。
 そのため、敵対派閥は、セキュリティーの強化は()われるほど恐れるには足りないと油断し、慢心して次々と尻尾を掴まれることとなった。

 また、敵対派閥の人間たちは、今まで攻めるのは自分たちであったため、社長派を()め切っていた。
 まさか、自分たちに攻勢の手が伸びているとは思ってもみなかったのだ。

 さらに、不正の証拠を掴んだ敵対派閥のメンバーのうち、何人かを逆スパイに仕立て敵対派閥の情報を提供させることに成功した。
 四派閥の水戸市での、中国へ仲介人を介して、竹田製薬工業の企業機密を600億円で売り渡す密談も、逆スパイの高山(第3分野チームリーダーの一人、蛭川の側近の一人)が、しっかり隠し撮りと録音をしていた。

 警察が逮捕、家宅捜索に踏み切った時は、証拠が既にほぼ揃っており、後は、派閥内の記録や抜き取った機密情報を収めたUSBなどを押収するだけであり、場所も全て把握していたのだった。
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