第101話 72年ぶりの蔵入り~体験談
文字数 1,603文字
更新が遅れており、すみません。
それなのに新作を投稿することにしました。
2020.10.8に投稿開始です。
題名は、「地球と異世界を渡る者」(ジャンル=ファンタジー)です。
(2020.10.14 タイトル変更 変更後『異世界へ渡る者』)
異世界転移や魔法が出てきますが、私、ブライアン・ヘストンのプロフィールにもあるとおり、大人の目線を軸にしていきたいと思っています。
よければ、こちらもご覧ください。
それから、「活動報告」も書き始めました。
作者名の「ブライアン・ヘストン」をクリックすると「プロフィール」や「活動報告」などへ進むことが出来ます。
時々ご覧いただければと思っています。
今後は、前書きや後書きであまりスペースを取らないようにとの配慮もあります。
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山崎四天王家の一つ、末延家の現当主末延道夫は、25年前から15年ほど五菱商事社長を務めていた。
五菱評定では、山崎弥一郎の教育係を買って出て、弥一郎に企業家としての心得を教えた。
五菱商事の社長時代には、五菱商事に就職したばかりの弥一郎を祇園のお座敷遊びに誘い、弥一郎と芸妓絢乃(皆藤三和子)が結ばれる切っ掛けを作った人物である。
現在75才であるが、矍鑠 として、五菱商事社長を経た後、五菱銀行頭取の重職を務めている。
五菱グループ代表である山崎弥太郎から昨日深夜に蔵入りの電話があった時は、本当かと驚きつつも慌てて弥太郎の指示通り、息子の道信(五菱化学常務)に電話をしたのだった。
蔵入りは、山崎四天王家においても、当主と次期当主のみに口伝で伝えることが許されていた。
道夫は、若い頃、父と祖父から伝え聞いたことを思い出していた。
それは、
1.五菱山崎家から『蔵入り』の指示があったときは、天下の大事についての参議であり、何を差し置いても土佐の山崎本家に馳せ参じること。
2.参集のための準備については、五菱山崎家の指示に従い、遺漏の無いこと。山崎本家に到着後は、山崎本家の指示に従うこと。
3.『蔵入り』で見聞したことは、各家の当主と次期当主、『蔵入り』の都度特に許された者のみに伝え、余人への口外は決してしないこと。
の三点であった。
若かった道夫が、これらのことを父と祖父から聞いた時、祖父が自分の体験を語った。
祖父は、日露戦争に出征した。
出征した日露戦争で祖父は、旅順攻囲戦での激烈だった203高地の攻略戦でも、続く奉天会戦でも何度も危機に陥ったが、九死に一生を得て傷一つ負わず日本に帰国することが出来たのだった。
それを祖父は、始祖様のお陰だと言った。
出征の前に祖父は、他の出征予定の山崎四天王家の若者たちと一緒に蔵入りをした。
蔵の中で彼らは、始祖様から、
『皇国の興廃が正にこのロシアとの戦に掛かっている。皆心して戦地に赴け。そして必ず帰国せよ。』
との命を受け、全員が白い光に包まれた。
ただそれだけだったが、戦地では、どんな些細な体の動きでも危険を察知し行動することが出来た。
祖父だけでなく、あの時蔵入りした若者たちは皆無事に帰国し、その後も国のために働くことが出来たというのだ。
帰国すると、その危険を察知する能力は、自然に消え通常に戻ったのだが、皆が無事だったのは、始祖様がご加護をお与えくださったからだと祖父は信じていた。
末延道夫は、実に72年ぶりに山崎一族とその家臣団ともいうべき我らに参集の指示が下ったというのは、それほど重要な事が、この日本国に起ころうとしているのだろう、と今まで感じた事が無いような緊張に包まれて土佐行きの準備をするのだった。
それは、この夜、参集の指示を受け準備を始めた者全員の共通した思いだった。
それなのに新作を投稿することにしました。
2020.10.8に投稿開始です。
題名は、「地球と異世界を渡る者」(ジャンル=ファンタジー)です。
(2020.10.14 タイトル変更 変更後『異世界へ渡る者』)
異世界転移や魔法が出てきますが、私、ブライアン・ヘストンのプロフィールにもあるとおり、大人の目線を軸にしていきたいと思っています。
よければ、こちらもご覧ください。
それから、「活動報告」も書き始めました。
作者名の「ブライアン・ヘストン」をクリックすると「プロフィール」や「活動報告」などへ進むことが出来ます。
時々ご覧いただければと思っています。
今後は、前書きや後書きであまりスペースを取らないようにとの配慮もあります。
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山崎四天王家の一つ、末延家の現当主末延道夫は、25年前から15年ほど五菱商事社長を務めていた。
五菱評定では、山崎弥一郎の教育係を買って出て、弥一郎に企業家としての心得を教えた。
五菱商事の社長時代には、五菱商事に就職したばかりの弥一郎を祇園のお座敷遊びに誘い、弥一郎と芸妓絢乃(皆藤三和子)が結ばれる切っ掛けを作った人物である。
現在75才であるが、
五菱グループ代表である山崎弥太郎から昨日深夜に蔵入りの電話があった時は、本当かと驚きつつも慌てて弥太郎の指示通り、息子の道信(五菱化学常務)に電話をしたのだった。
蔵入りは、山崎四天王家においても、当主と次期当主のみに口伝で伝えることが許されていた。
道夫は、若い頃、父と祖父から伝え聞いたことを思い出していた。
それは、
1.五菱山崎家から『蔵入り』の指示があったときは、天下の大事についての参議であり、何を差し置いても土佐の山崎本家に馳せ参じること。
2.参集のための準備については、五菱山崎家の指示に従い、遺漏の無いこと。山崎本家に到着後は、山崎本家の指示に従うこと。
3.『蔵入り』で見聞したことは、各家の当主と次期当主、『蔵入り』の都度特に許された者のみに伝え、余人への口外は決してしないこと。
の三点であった。
若かった道夫が、これらのことを父と祖父から聞いた時、祖父が自分の体験を語った。
祖父は、日露戦争に出征した。
出征した日露戦争で祖父は、旅順攻囲戦での激烈だった203高地の攻略戦でも、続く奉天会戦でも何度も危機に陥ったが、九死に一生を得て傷一つ負わず日本に帰国することが出来たのだった。
それを祖父は、始祖様のお陰だと言った。
出征の前に祖父は、他の出征予定の山崎四天王家の若者たちと一緒に蔵入りをした。
蔵の中で彼らは、始祖様から、
『皇国の興廃が正にこのロシアとの戦に掛かっている。皆心して戦地に赴け。そして必ず帰国せよ。』
との命を受け、全員が白い光に包まれた。
ただそれだけだったが、戦地では、どんな些細な体の動きでも危険を察知し行動することが出来た。
祖父だけでなく、あの時蔵入りした若者たちは皆無事に帰国し、その後も国のために働くことが出来たというのだ。
帰国すると、その危険を察知する能力は、自然に消え通常に戻ったのだが、皆が無事だったのは、始祖様がご加護をお与えくださったからだと祖父は信じていた。
末延道夫は、実に72年ぶりに山崎一族とその家臣団ともいうべき我らに参集の指示が下ったというのは、それほど重要な事が、この日本国に起ころうとしているのだろう、と今まで感じた事が無いような緊張に包まれて土佐行きの準備をするのだった。
それは、この夜、参集の指示を受け準備を始めた者全員の共通した思いだった。