第78話  遥~分かれと出会い

文字数 2,724文字

 拓馬が、東京メディシンの社長に就任して3年ほどが経った。
 拓馬はすでに社長を退いており、相談役、大株主として時折、新しく社長となった中島洋介の相談に乗っている。


■■■

 秋元遥、旧姓田島遥は、引っ越しのための荷造りをしていた。
 夫の秋元は、ソファーでふて寝をしている。
 もはや、夫には何の未練も無い。
 夫婦は、完全に冷え切っていた。

 整理中の荷物の中に、一冊の雑誌があった。
 3年ほど前の物だ。
 取って置くつもりはなかったが、偶々捨て忘れたのだろう。
 掲載されている記事は良く憶えている。
 若干28才で、五菱グループの竹田製薬工業の子会社ながら社長に就任した山科拓馬の記事だ。

 
 遥と拓馬は、高校3年の時から20才まで付き合っていた。
 
 拓馬が通う高校は、県立だが、県内でも有数の進学校だった。
 遥の通う高校も県立であったが、兄が大学に進学しなかったので父親の意向で大学には進学しないことになっていた。
 さらに父親のコネで五菱商事に就職も内定していた。
 だが、有名高校に憧れがあり、友達と拓馬の高校の文化祭に行ったのだ。
 そこで遥は友達とはぐれてしまった。
 実は、あの時何人かの男子高校生から声をかけられたのだが、最後に声を掛けた拓馬が最もイケメンだったし、頭も良さそうと思えたのが付き合い始めた理由だった。

 ところが、拓馬は大学に進学せず就職した。
 このとき、遥は落胆した。
 東京メディシンという名は聞いた事も無かった。
 それでも、遥も就職した頃までは拓馬に会うのが楽しみだった。
 新採研修での合宿中も合宿の様子とか研修の内容を拓馬にガラケーで話すのが楽しかった。

 3ヶ月の研修が終わると、遥は東京メディシンがある阿見浦市の南に隣接する東取手市にある五菱商事国内商事部門本部ビルに配属された。
 所属は、総務部総務課だった。
 内部事務もあったが、メインは一階フロントでの受付業務だった。
 
 彼女は、必死に業務を覚えた。
 受付スタッフの担当時間や並び順には序列がある。
 各担当部署の業務を広く把握していることは勿論、接客態度、受け答え、容姿などが考慮されるのだ。

 就職して1年も経つと、拓馬のことが(うと)ましくなってきていた。
 五菱商事国内商事部門本部ビルに出入りするのは、多くがビジネスマンだ。
 一流企業と言われる会社の社員が多い。
 皆、高級そうなスーツに身を包み、所作も洗練されている。
 そもそも五菱商事自体が超一流企業だ。
 毎日、そこで働くビジネスマンを見ているのだ。

 それに比べて拓馬の格好は、いつも同じ安物のスーツで代わり映えもせず、デートでも金を使うことは殆ど無かった。
 一度、
 
 「就職したら、移動は殆どタクシーになったわ」

 と言ってみたが、拓馬の反応は特になかった。
 その後も、移動は、バスか歩きだけだった。
 
 「好きになった人がいるけど、その人は妻帯者で全く見向きもしないのよ。失礼だわ」

 とも言ってみたが、拓馬は、驚きはしたが、冗談だと思ったのだった。
 そのころ、遥が社内の先輩男性に恋心を抱いていたのは本当だった。

 遥が就職して2年が経つ頃には、拓馬からデートの誘いがあっても、仕事か用事があると嘘を吐くこともあった。
 そのころ拓馬の年収を聞いたのだが、すでに遥よりかなり低かった。
 
 (こんなに低いんじゃ共働きをしないとやっていけないじゃない・・・)
 
 彼女は、もはやこれ以上付き合うのは自分にとって不利益しかないのではと思うようになっていた。

 女性も30才過ぎての結婚が普通であるし、共働きも一般的である。
 だが、五菱商事で受付をしている女性は皆、容姿端麗のためか、恋愛見合いを問わず、縁談が早く持ち込まれ、22才から24才で結婚する女性が多い。
 この時も、受付の最年長者は24才だった。
 しかも全員が、相手の男性は、一流企業の社員か企業経営者と言われる人であった。
 結婚すれば、家庭に入るケースが殆どである。
 もはや死語になっている「寿退社(ことぶきたいしゃ)」が、五菱商事の受付の女性には生きているのだ。

 彼女の中では拓馬と別れるのは既定のことだった。
 その日は、20才になってしばらくしてやってきた。
 拓馬から結婚の申し込みがあったのだ。
 結婚自体は数年先だが、婚約はきちんとしておきたいと云うのが、拓馬の考えだった。
 遥は、当たり障りのない回答をした。

 彼女は、帰宅すると両親に報告した。
 両親の反応は予想どうりだった。
 一言でいえば、

 「こんな貧乏な男は問題にならない」

 それだけだった。
 彼女もそのように考えていた。

 遥の父親は、金融業を営んでいた。
 いわゆる高利貸しだ。
 彼女は、就職するまで父親の職業が嫌だった。
 拓馬にも父親は資産家だとだけ伝えていた。
 だが、就職してからは、金のない生活の方がもっと嫌だと思うようになった。
 そのうち、自分でも気づかないうちに、金があるか無いかが価値判断の基準になっていた。

 翌朝、断りのメールを入れた。着信拒否にもした。
 ところが、遥が退社する時間に拓馬は会社の前に待っていたのだ。
 遥は、この時、怒りが込み上げてきた。
 
 (私の幸せを邪魔するつもりなの? これ以上、付きまとわないで!)

 遥は、罵るような気持ちで拓馬に拒否の意思と言葉をぶつけた。
 それ以来、拓馬からの連絡は無かった。
 清々したと云うのが、遥の正直な気持ちだった。

 それからさらに2年が経った。
 遥は22才になっていた。あと数ヶ月すると23才だ。
 受付の女性スタッフの中でも中心的な存在になっていた。
 縁談もあれから幾つもあったが、全て断った。
 少しでもいい条件の相手が良い。
 焦るつもりはなかった。

 そんな時、一人の青年が遥の前に現れた。
 青年は秋元康司、名刺には五菱自動車企画部デザイン課とあった。
 用件は、同じ出身大学の先輩に会いに来たと云うものだった。
 なんでも学生時代はセーリング部に所属していて、OBの先輩から指導を受けていたが、その先輩と同じ五菱グループ内の会社に就職したので挨拶に来たと云うことだった。
 その先輩は、遥たちの上司である総務課長だった。

 秋元は、背が高く、精悍であり、課長の話によるとデザインの才能があり、非常な優良株ということだった。
 秋元は、すぐに受付の未婚女性全員の注目の的になった。

 遥には勝算があった。
 秋元が、受付に向かって歩いて来た時、真っ直ぐに遥のもとへ来たのだ。
 秋元は、遥と話しながら終始、遥を見つめていた。
 課長は、
 「彼は、また来るから、その時はすぐに連絡してね」
 と遥たちに言った。

 (そのとき、彼が私に声を掛けたら私のものね)
 
 遥は、内心確信めいたものを感じていた。
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