『マニュエル』の答え

文字数 5,576文字

 その『ゴッド』の言葉に、『マニュエル』

は、うつむきながらこう答えたのである。





 「いいえ。 受け取りません。」





 『マニュエル』の答えを聞き、導光の
思いは複雑だった。



 自分を敵の国に売ってしまったかつての
家族からの謝罪と贈り物。


 果たしてそれを『マニュエル』が受け取って
くれるのか。


 実は、導光の【龍の予言】が、すでにその
答えを導光に知らせていたのであった。




 しかし同時に、もしかしたら、
『マニュエル』であれば、すべてを理解し、
すべてを受け入れ、かつての家族からの贈り
物を受け取ってくれるのではないか。。。


 そう期待もしていた。


 だが、残念なことに、導光の【龍の予言】
は完全に的中し、恐れていた最悪の事態に
なってしまった。



 「受け取らぬと? 


 それはなぜですか?」


 「そんなもの、欲しくはないからです。」


 「欲しくはないと。。。?」


 「はい。


 みなさんは、私のことを《神》にも匹敵す

る高潔な魂の持ち主だとおっしゃいますが、

私は自分がそのような存在だとはまったく

思っておりません。


 今は鳥となってしまいましたが、

人間であった頃は、人を憎んだことも、

人を傷つけたことも、そして、人を(あや)めた

こともございます。


 自分が望まざる状況に知らぬ間に置かれた

とはいえ、自分が生きていくため、やむを得

ず犯したこととはいえ、私は、私は。。。

自分がしてきたことを許せない。。。


 ずっと後悔してきました。


 今も後悔しているんです。」





 その時。





 「『マニュエル』よ。


 汝は人を(あや)めてなどおらぬ。」


 その『マニュエル』の告白を否定するかの
ように『デスティニイ』が言った。


 「いいえ。 私は。。。」


 「いや、違う。


 相手を攻撃し、殺す剣術のみを(たた)き込まれ

てきた敵国で、汝は、独学で自らを剣から(まも)

る護身術を身につけた。


 人間が人間を殺すということを正当化し、

それを人間に強いるような世界で、汝は、

汝だけは。。。


 それに(あらが)った。


 それと戦った。


 殺せという命令に従うように装い、

けっして人間を殺さなかった。


 そうではないのか。。。?」


 「いいえ。 そうではありません。 


 私は。。。人を。。。


 人を殺しました。


 私の目の前で、何人もの人が。。。」







 人に(やいば)を向けることすら耐えられなかった
『マニュエル』。


 『マニュエル』は、常に単独で行動してい
たのだった。


 自らの素性がばれてしまった時も、
『マニュエル』は、ひたすら逃げることで
殺し合いを避けてきた。


 それでも()っ手は容赦なく『マニュエル』
を追いかけて来る。


 執拗(しつよう)に『マニュエル』を追い詰める。


 独学で身につけた剣を使った護身術。


 だが、それは、相手の攻撃をかわすのみ
で、相手を遠ざけられるものではなかった。


 もはや『マニュエル』を倒すことしか頭に
ない敵は、『マニュエル』をしとめるまで
『マニュエル』を追い続ける。


 周囲に、足元に注意を払わず()りかかって
来る。


 逃げる『マニュエル』を追いかけて、ある
者は(がけ)から転落し、ある者は森の中の大木に
激突して死んだ。





 無駄な戦い。


 意味のない殺し合い。


 毎日が、その繰り返しであった。


 だが、『マニュエル』は、けっして誰も傷
つけはしなかった。


 誰も(あや)めはしなかった。





 そう。



 あの悲惨な事件の日までは。。。





 ほどなくして、『マニュエル』に二人の部下
ができた。


 通称、『巨人(きょじん)』と『小人(こびと)』だ。


 彼らは、なかなか成果を上げることができ
ない落ちこぼれであった。


 売られた敵国で、無能の戦士という
最悪のレッテルを貼られた二人には、
もう(あと)がなかった。


 今度しくじれば、命がない。


 『マニュエル』は、そんな二人を(ほう)っては
おけなかった。


 自分が責任を持って必ず成果を上げさせると
いうことを条件に、『マニュエル』が二人の
リーダーとなったのだ。


 『マニュエル』は、二人の命を(つな)いだので
ある。





 キラッ。


 この時、導光の【龍の眼光】が光った。


 視えたのだ。


 導光には。


 司令官に厳しく叱責(しっせき)されている二人の部下
を、必死にかばう『マニュエル』の姿が。



 弱肉強食の世界。


 食うか食われるか。。。


 そんな殺伐(さつばつ)とした世界にあっても、
人を想う心をずっと持ち続けている
『マニュエル』。


 自分を守ることだけで精一杯の恐怖の
世界。


 『マニュエル』は、それでも人を救ってき
たのである。


 (なんという。。。


 なんという優しさ。。。


 『マニュエル』。。。


 君という人は。。。)


 導光は、その『マニュエル』の《神》のよ
うな姿に感動した。


 (『マニュエル』。。。


 きっと。。。


 君の、人を救い続けてきたその崇高な魂

が、(きたな)い悪魔『サタン』の手によって

()じ曲げられた運命をぎりぎりのところで

食い止めていたんだろう。


 君は。。。なんて。。。


 なんて素晴らしい人なんだ。。。)


 導光は、改めて、崇高な魂を持つ
『マニュエル』に脱帽した。


 だが、同時に、二人を救うということは、
もはや単独行動は叶わず、もし命令に背く行動
を取れば、逆に彼らに密告されるという大き
なリスクを背負うことになる。


 それでも『マニュエル』は、二人を見捨て
はしなかったのだ。





 敵国の命令。


 それは、『マニュエル』が生まれた国に
侵入して資産家を殺害し、金品を根こそぎ
奪うこと。


 敵国は、その金品を回収し、それでまた人
を買い、スパイとして養成するという、まさ
に国家ぐるみで卑劣な犯行を繰り返してい
たのだった。


 金品を奪ったまま逃亡されぬように、
国内のあちこちに内通者を配置していた。


 常に包囲網を張り巡らせていたのだ。





 『マニュエル』は、敵国の命令を受けた
時、愕然(がくぜん)とした。


 そして、殺人を回避するためにあらゆる策
を練ったのであった。


 なんとか人を殺さずに済む方法はないもの
かと。


 二人の部下の手前、命令に従う振りをしな
ければならない。


 当初の計画では、二人に屋敷の外を見張ら
せて、『マニュエル』が金品を奪う予定で
あった。


 ところが、二人は、(がん)として自分たちが
この手で資産家を殺すと言って聞かなかった
のである。


 何としても手柄を立てるのだと。。。


 彼らが部屋に侵入する前に、資産家一家を
窓から避難させようとした『マニュエル』で
あったが。


 なぜかこの時だけ、ことごとく計画が失敗
に終わってしまったのである。


 何もかもが、まったく筋書き通りにいかな
かったのだ。



 そして。。。


 叫び声を聞いて、慌てて部屋に駆け付けた
時には、すべてが終っていた。





 遅かった。


 資産家一家は。。。


 『マニュエル』の家族は。。。


 彼らに殺されてしまった後だったので
ある。





 (なんということだ。。。


 とうとう人を。。。)




 血の海の部屋に立ち尽くす
『マニュエル』。




 そして、近づいて来る足音。


 『マニュエル』は、けっして向けたくは
ない(やいば)を相手に向けざるを得なかった。





 優しかった兄に。。。





 綿密に練ったはずの計画。


 分かるはずのない心の中のその計画を、
誰かに(のぞ)かれているように感じた
『マニュエル』。



 (あの時。。。


 まるで、この手を後ろに回され、足枷(あしかせ)

はめられているかのように手足が。。。


 体の自由を奪われたようにまったく体が

動かなかった。


 誰かに。。。


 いや、まるで何かに(はば)まれているような感覚

だった。



 運命が。。。


 あの『サタン』に塗り替えられた運命が、

自分の足を引っ張ったというのか。。。)


 『マニュエル』は、心の中で、あの時の
あの感覚を思い出していた。





 命の(とうと)さを誰よりも知っている
『マニュエル』。


 『マニュエル』にとっては、自分が手を
下そうと、そうでなかろうと、目の前で人が
死んでいくこと。


 それ自体が罪だったのであろう。


 自分は人殺し。。。


 ずっとそう思い続けてきた。


 ずっとそう責め続けてきた。



 「『マニュエル』よ。


 二人の部下は、汝に代わって汝の犯すはず

であった罪をあえて引き受けてくれたのだ。


 なぜか。


 それは、誰からも手を差し伸べてもらえな

かった二人が、汝に深く感謝していたからな

のだ。」





 キラッ。。。


 この時、再び導光の【龍の眼光】が
光った。


 導光の胸に、その時の二人の部下の心情
が、押し寄せる荒波のようにやって来たので
ある。


 肉体的に人を傷つけることも、精神的に人
を傷つけることも、けっしてしなかった
『マニュエル』。


 それは、そのような行為をされる側が(こうむ)
打撃を、痛いほど理解していたからに他なら
ない。


 一切の見返りを求めず、人としてあるべき
人であり続けた『マニュエル』の、この機然
とした清廉潔白の堂々とした姿勢は、(すさ)んで
しまった二人の部下の心を変えていった。


 『マニュエル』は、それほど人に影響を与
える存在であったのだ。


 導光には、二人の部下の決意が視えた。


 彼らにも分かっていたのである。


 人の命を奪うということが、どういうこと
なのか。


 だが、彼らの置かれた境遇が、彼らを
がんじがらめにした。


 何が正しく、何が間違っているのか判断す
る精神を(むしば)んでいった。


 『マニュエル』に救われた二人は、すでに
死を覚悟していたのだ。


 誰からも救われるはずのない戦慄(せんりつ)の世界
で、彼らは想像だにしなかった一筋の光を
視た。




 『マニュエル』だった。


 自暴自棄になっていた二人の心に(とも)った暖
かい光が、二人を突き動かした。


 (この人に、人を殺すことはできない。


 いや、この人に人を殺させてはならない。


 人を救うことに自らの命を懸ける人が、

人を殺せるはずがない。





 生まれてから一度も。。。


 誰からも。。。


 親にさえも優しい言葉を掛けてもらった

ことのない我々を。。。


 こんな状況の中で。。。


 この人は。。。


 我々のために。。。


 命を懸けて我々を救ってくれた。


 それだけで。。。


 こんな人に出会えただけで。。。


 もう悔いはない。





 すべて我々が背負って地獄に()ちればいい。





 ありがとう。。。隊長。。。



 あなたのことはけっして忘れない。





 どうか。。。生き延びてください。


 隊長。。。)





 そして。。。


 二人は駆け付けた憲兵隊の手によって
殺された。


 いや。。。 


 あえて抵抗せず、甘んじてその(やいば)を受け入
れたのだ。





 目を落とす瞬間。。。


 彼らが(つぶや)いた最後の言葉。



 それは。。。





 「「あなたに会えてよかった。


 ありがとう。。。隊長。。。」」

 であった。





 誰も信じられない世界で生きていかざるを
得なかった彼ら。


 その決断すらも他言することができない
ほど、常に追い詰められていた。


 周りは、みな敵だらけであった。


 『マニュエル』に、自らのその決意すら
言葉にすることが出来なかった彼ら。


 『マニュエル』の、その優しさに感謝の
言葉すら口に出来なかった彼ら。


 だが、『マニュエル』の人としての
在り方、安らぐような暖かい心は、二人に
しっかりと伝わっていたのだ。





 導光は、ぐっと涙をこらえた。


 その二人の想いが、雪崩(なだれ)となり、導光の
周囲を埋め尽くした。


 この惨劇を、なんとか回避することはでき
なかったのか。


 人の命を奪うということが、いったいどう
いうことなのか、


 誰もが知っているはずである。





 争いは。。。戦争は。。。人を変える。


 理性を失わせる。


 精神を麻痺(まひ)させ、善悪の区別をにぶらせて
しまう。


 何かを。。。


 誰かを標的に、集団でその標的に怒りや
憎しみをぶつけさせようとする。


 もはやその集団の心理の中には、命の尊さ
も人権も(いつく)しみも存在しない。


 殺人でさえもいとわなくなっていく。





 (恐ろしい。。殺人鬼へと人を変貌(へんぼう)させる

戦争が。。。)



 『マニュエル』を取り巻く人々が、悪しき
方向へと飲み込まれていく姿。


 導光には、それが、まるで嵐の海で荒れ狂
う高波に()まれ、ひたすらもがき続けながら
沈んでいく難破船のように視えた。


 導光は、()やまれてならなかった。


 そして、そんな(やみ)の世界で耐え続け、
多くの人々を暖かい光で照らしてきた
『マニュエル』を心から尊敬した。





 無言でずっとうつむいたままの
『マニュエル』。


 その『マニュエル』を『デスティニイ』が
再び説得し始めた。


 閉ざされてしまった『マニュエル』の
心を、なんとしても開きたかったのだ。



 「『マニュエル』よ。


 汝の兄もそうである。


 その兄もまた、過去に汝に助けられた。


 だから、兄は自ら死を選んだ。


 汝を救うために。


 汝が、兄を殺したのではないのだ。」




 この『デスティニイ』の語る真実で、
どんなに忘れたくても忘れられなかった
あの瞬間が、否応(いやおう)なく、また『マニュエル』
のその目に浮かんできたのであった。





 (兄さん。。。)





 (『マニュエル』。。。)


 兄鳥の目からこぼれ落ちる大粒の涙。


 兄鳥は、声を押し殺して泣いていた。





 「『マニュエル』よ。。。」


 「同じことです。


 二人の部下も、家族も、兄も。。。


 私が殺してしまったことに変わりあり

ません。


 私は。。。


 私は、自分が許せない。。。


 許せないんです。。。


 敵の国に行くことさえなければ。。。


 敵に売られさえしなければ。。。


 そんなことにはならなかった。



 私はずっと家族を信じていた。


 きっとあの仲介人に(だま)されたんだろうと。


 そう自分に言い聞かせながら、家族のこと

だけを支えに生きていたんです。


 父親に対してずっと不信感を抱きながらも、

いや、絶対にそんなことはない。


 父親が自分を。。。


 本当の子どもを敵の国の()(がね)だと

わかっていながら売るはずがない。


 いつも。。。いつも葛藤していた。


 でも五百年の時が過ぎ、今日この日、

その父親の口から真実を告げられ、私は

愕然(がくぜん)としました。


 衝撃でした。


 私の苦しみ。。。


 やるせない思い。


 すべて。。。


 すべて父親のせいです。


 敵の国に売られなければ、私は人を(あや)める

こともなかった。



 人を殺すということが、どんなに恐ろし

く、そして耐えられないことか。。。


 家族に裏切られ、家族の犠牲になったこと

が、どんなに(つら)く、苦しいことか。。。」




 その時。

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登場人物紹介

昇龍 導光《しょうりゅう どうこう》


代々続く祈祷師の家系に生まれた。昇龍家第四十八代当主。五十歳。

非常に高い霊能力を持つ。

ダンディで背が高く、スポーツマン。 

物腰柔らかで一見祈祷師には見えない。

導光が愛するものは何といっても龍と家族そしてスイーツ。

持って生まれた類まれなる霊能力と格の高い魂で、様々な視えざる存在と対峙しながら

迷える人々を幸福へ導くことを天命の職と自覚し、日々精進を重ねるまさに正統派の祈祷師。

昇龍 輝羽《しょうりゅう てるは》


導光の娘。ニ十歳。 

聖宝德学園大学 国際文化学部二年生。両親譲りの非常に高い霊能力の持ち主。

自分の霊能力をひけらかすこともなく、持って生まれたその力に感謝し、

将来は父のような祈祷師になりたいと思っている。

龍と月に縁がある。

龍を愛する気持ちは父の導光に劣らない。

穏やかな性格だが、我が道を行くタイプ。

自分の人生は自分で切り拓くがモットーで、誰の指図も受けないという頑固な面がある。 

浄魂鳥《じょうこんちょう》ケツァール   /   マニュエル


普通の人には見えない、いわゆる霊鳥。

五百年前、『マニュエル』という名の人間としてある国に生きた前世を持つ。

あまりにも壮絶な過去を背負ったがために転生できず、

ある想いを果たすため『浄魂鳥』としてこの世に存在し、

その時をずっと待ち続けてきた。

花畑 満《はなばたけ みちる》 / アレン


二十歳。『輝羽』と同じ大学で同じ学部の同級生。

日本人離れした端正な顔立ちの美男子。

五百年前、人間であった『浄魂鳥』と同じ村に住んでいた『アレン』という名の若者の前世を持つ。

十五年前に亡くなった叔母の遺言がすべてを明らかにするカギを握る。

野原 美咲《のばら みさき》/ 満の伯母 


十五歳。聖宝德学園大学付属中学三年バラ組。

十五年前に亡くなった『花畑 満』《はなばたけ みちる》の叔母の前世を持つ。

その時の記憶を持ったまま生まれてきた。

『満』《みちる》同様日本人離れした顔立ちの超美人。積極的な性格。

赤いバラの花の女神 マリア


とにかく美しいものが大好きな女神。

導光の元を訪れ、ある国にいる『浄魂鳥』を日本に連れて来てほしいと依頼する。

すべての出来事はこの依頼から始まった。

その『浄魂鳥』の想いを果たすことができれば、自分が見護っていたある人も

幸せになれるのだと導光に訴える。

白いバラの花の男神 ローマ


『赤いバラの花の女神 マリア』の許婚《いいなずけ》。

いつも『マリア』に振り回されている『マリア』一筋の男神。

ある事情で結婚を先延ばしにされてしまう。

天の神から頼まれ、導光の家に届け物をする。

それは『浄魂鳥』と深い関わりのあるものなのだが。。。

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