シルヴェリアの生還

文字数 1,753文字

 1.

 趣味ではないのに、リージェス・メリルクロウは大概いつも何かに困っていた。
 今回は何かというと、シオネビュラ開門のその日にリレーネがひどい熱を出したことから始まった。リージェスは金にものを言わせてホテルを取り、医者を呼んで薬を買ったが、熱はひかなかった。これまでひどい緊張状態にあったせいだろう。
 熱がひかぬ間に、シグレイの反乱軍の受け入れが発表された。受け入れが決定された部隊の中には、シルヴェリアの第一師団も含まれていた。宿営場所は難民受け入れ区画があるのと同じ、西神殿前。
 シルヴェリア師団の無事を喜ぶと同時に、これは幸運なのかもしれないと、リージェスは甘い期待を抱いた。庇護を頼もう。
 そして、その日の内に、連合軍の幾つかの部隊の受け入れも発表された。連合軍の宿営場所もまた、西神殿前だった。難民たちの受け入れ区画のすぐ東だ。ちなみに反乱軍の宿営地は、難民区画のすぐ西にある。
 何を考えているのだと、リージェスはシオネビュラ市議と神官団を呪った。このためだ。クッションにするために、難民を入れたのだ。
 やっぱり、何が何でもさっさとシオネビュラを出なければならない。しかし、リレーネは寝込んだままだ。
 リージェスは困りきり、あれこれ悩んだ末に諦めた。
 両軍受け入れの当日、速攻でヨリス少佐に会いに行こう。副官のミズルカ・ディンは、気に食わない来訪者にすぐ門前払いを食らわすことで有名だが、まさか事情を知って俺を追い返すようなことはするまい、と期待した。それから少し心配した。あいつ弱いけど生きてるかなあ。
 リレーネの熱は反乱軍・連合軍の受け入れ日にちょうど下がった。
「ちょっと出かけてくる」
 寝込んでいたリレーネとて、もちろん外の剣呑な空気に鈍感ではいられなかったし、何より医師から両軍の宿営について聞かされていた。
「どちらに行かれますの、リージェスさん」
「買い物だ。物騒になる前に済ませておかないとな」と、適当にはぐらかしつつズボンの中にナイフを仕込んだ。「ここで待ってろよ」
「どちらまで行かれますの? リージェスさん? いつ頃のお戻りですの?」
「できるだけすぐ帰るようにする。どうして今日はそんなに絡むんだ?」
「リージェスさん、私、すっかり元気になりましたの」
 と、明るく笑いかけるが、リージェスにはまだ少し具合が悪そうに見えた。ほっそりした体は一層痩せてしまったようで痛々しい。それでもリレーネは笑っていた。
「だからって、ついて来る必要はない。まだ寝てろ」
 リレーネは目線で縋りついてきた。
 リージェスは首を横に振る。
「……はい。わかりましたわ」
 果物があったらついでに買ってきてやろうとリージェスは思った。そんな精神的時間的余裕があればだが。
 部屋に残されたリレーネは、初めの内はごろんと横になっていたが、頭痛もめまいも吐き気も良くなったのに寝転がっているのは苦痛で、起きて服を着替えた。リンが選び、リージェスが買ってくれた新しい服と靴があるのだ。
「――団って」個室を出てホテル内をうろついていると、洗濯場から女の話し声が聞こえてきた。「あの有名なシルヴェリア・ダーシェルナキの第一師団かい? 最近陸軍機関誌が書き立ててる」
 リレーネはその場に釘付けになり、目と耳を洗濯場と廊下を隔てる厚いカーテンに集中させた 。
「そうそう! 北トレブレンから奇跡の山越えをしてきたって触れこみの」
「まあぁ。確かまだすごくお若いんでしょ? そろそろ入ってくる頃かしらね」
「そうねえ。予定ではもう開門してる時間だから、入ってきてると思うけどねえ」
「シルヴェリア様」
 リレーネは呟いた。シルヴェリア様がいらしゃるのね。リレーネはシルヴェリアが好きだった。ユヴェンサや、アイオラといった、強い女性が好きだった。会えるんだ。また会える。病み上がりの血色の悪い顔が瞬時に薔薇色に染まった。シルヴェリア様。シルヴェリア様。リージェスさんはご存じではないのかしら。すぐに教えて差し上げなくては。
 リレーネはニコニコしながら小躍りでホテルを飛び出した。リージェスはどこに行っただろう。わからない。
 わからないから、取りあえず、東のほうに向かった。

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