一騎討ち

文字数 5,852文字

 ※

 エーデリアは腰に錘付きの鞭を差していたが、それをすぐに抜こうとはしなかった。ミスリルもダガーを鞘に収め、左手をベルトの三節棍に置いたまま、エーデリアの反応を待った。
 十秒ほどが睨み合いで費やされた。
 エーデリアが男のように毒づいた。
「お前かよ。緑髪の子がよかったのに」
 ミスリルは軽く肩を竦めて応じた。
「やめてやれよ。テスにだって好みってものがあるんだぜ?」
「私、端正な顔の子が好きなの」エーデリアは意に介さずだ。「不細工は消えてくれない?」
「へぇ、たやすくソデにしてくれるなよ」ミスリルは喋りながら、ベルトから三節棍を引き抜いた。「こっちはお前に会いたくて、十区画も歩いてきたんだぜ?」
 それを受け、エーデリアが二階部分の手摺りに駆け寄った。手摺りに手を置き、床を蹴り、ひらりと下へ身を投げる。一階には、木箱が階段状に積み上げられていた。その最も高い部分に、ダン! と鋭い音を立て、エーデリアが着地する。
 音と同時に右手で鞭を抜いた。
 曲げた右肘を頭より高く上げ、振り回し始める。
 後を追い、ミスリルが、同じく積み上げられた木箱に飛び下りた。
 エーデリアの左手が動いたのはそのときだった。身につけていたケープの留め具を外す。その意図にミスリルが気付いたとき、ケープが彼の武器めがけて飛んできた。
 棍に布が絡まる。
 直後、鞭が振り下ろされた。
 使えなくなった武器を手に、ミスリルは左方向に大きく転がった。鞭が床代わりの木箱を砕き、破片をまき散らした。
「馬車も買えない貧乏な男はお断りよ!」エーデリアは肘を引き、獲物を逃がした鞭と錘を引き寄せた。「もっともあんたはニキビを治す薬すら買えないようだけど」
「資金難でね」ミスリルは髪に木屑をつけながら、片膝立ちの姿勢になった。「それに、金かけるほどの容姿じゃないさ」
「あら。よくまぁそれで最初に私にアプローチかける気になったわね」
「別に容姿で選んだわけじゃないさ。でも」
 片膝立ちの姿勢から、一気に木箱を蹴って走り出す。
「最初の見せしめには――」
 すぐに距離が縮まった。ケープが巻き付いたままの三節棍を左手に持ち、右手で拳を作り、それをエーデリアの顎へと突き出した。
 エーデリアは横に飛びのいて拳を躱した。
 今度はミスリルが素早く身を引き、手首を掴もうとするエーデリアの手を躱す。
 左足を軸に、エーデリアの脇腹を狙って右足で蹴りを繰り出す。前に出てそれを回避したエーデリアの隣で、左足を軸に、今度は体を回転させる。
 エーデリアの背後を取った。
「――頭の悪い嫌われ者を選ぶのが効果的だと思わないか?」
 ケープが絡んだ三節棍を、左端の棍を握ったままエーデリアの首に投げた。エーデリアの肩越しに手を伸ばし、右端の棍を右手で捕まえる。両端の棍をエーデリアの首の後ろで交差させ、締め上げた。絞め上げながら、エーデリアの体を背負い上げる。
 間もなく予期せぬ攻撃を膝裏に受け、膝が砕けて木箱の上に転がった。
 踵で膝の裏を蹴られたのだ。
 いきなり解放されたエーデリアもまた木箱の上を転がり、一階の床に転落する直前で体勢を立て直した。
「土臭ぇ顔で!」息を切らしながら、手放さずにいた鞭を手繰り寄せる。錘が木箱の上を引きずられ、重い音を立てた。「イキがってんじゃねぇぞ、童貞が!」
 ミスリルは二階部分の床へと飛び上がり、手摺りを掴んだ。そのまま体を持ち上げて手摺りを越え、二階に転がり込む。遅れてエーデリアの鞭の錘が手摺りを直撃し、それを粉砕した。
 二階の縁からエーデリアを見下ろして、ミスリルは三節棍からケープを外す。
 そして、それを積み上げられた木箱の上のエーデリアに投げた。
「返してやるよ」
 傲然と言い放つ。
 エーデリアは警戒し、ケープを受け取らなかった。足許に落ちたそれに目もくれず、同じくらい傲慢な調子で言い返した。
「女に甘いと早死にするって、お師匠さんから教わらなかったの?」
 呼吸はまだ荒いままだ。
「大層な物言いだな。自信があるならかかってこいよ」
 エーデリアは鼻を鳴らし、乱れた髪を背中に払った。そして挑発された通りに肘を上げ、頭の上で鞭を回し始めた。遅く。次第に早く。
 二階の床を、ミスリルはゆっくり後ずさり始めた。エーデリアなら、高低差をものともせずに、獲物の頭や顔面、首などを狙えるはずだった。
 だが、一撃を外した直後には、致命的に大きな隙が生じる。
 ミスリルは後退し、エーデリアは木箱の上をじりじりと前進する。
 ミスリルがガラスの破片を踏んだ。
 床が傷つく音がした。
 鞭が下方向から大きく伸びてきた。
 散乱するガラスの破片の上へ、ミスリルは跳びのいた。喉仏を熱い殺意が掠め、去る。鉄の錘が空を切り、ミスリルは再び手摺りから身を投げた。
 ミスリルが木箱の上で身を起こすのと、エーデリアが鞭の先端を左手で捕らえるのが同時。ミスリルが右端の棍を右手で持ち、威勢のいいかけ声とともにエーデリアへと駆けだしたときには、エーデリアは予備動作もなく鞭の第二撃をミスリルに放っていた。
 蛇のように鋭く、唸りをあげて鞭が飛んでくる。
 考えている暇はなかった。
 気付いたときには右腕が動き、三節棍を自ら鞭に絡みつかせていた。鉄の錘と鉄の棍がぶつかり合い、甲高い音と共に青白い火花が散る。
 エーデリアも、ミスリルも、己の武器を己の手許に引き寄せようとした。
 力が拮抗した。だがそれも少しの間のことだった。
 ミスリルが大きく息を吸う。
「ハラム!!」
 右手に鞭の絡んだ三節棍を握りしめたまま、エーデリアのもとへと更に駆け寄る。鞭がたわみ、床に垂れた。エーデリアは渾身の力で鞭を引いた。ミスリルは引かれた勢いで転びそうになったが、左手で抜いたダガーで鞭を切るほうが早かった。
 鞭を引き寄せるエーデリアと、引き寄せられるミスリル、二人ともがバランスを崩し、つんのめった。だがすぐに体勢を立て直し、互いの武器を振った。
 ミスリルの三節棍の錘が、エーデリアの左目を直撃した。エーデリアが悲鳴をあげ、顔を伏せると同時に、ミスリルは左目の下に鋭い衝撃を受けた。短くなったエーデリアの鞭に切られ、皮膚が裂け血が流れ出る。が、怪我の度合いはエーデリアのほうが深刻だった。
 ミスリルが、至近距離で左手のダガーを振りかざす。
 だが、エーデリアは右目までをも閉じたまま、怒りの咆哮と共に、拳を繰り出してきた。
 ミスリルは木箱を蹴り、一階部分の床に飛んだ。転がって着地し、積まれた木箱の上のエーデリアを見上げる。
 おっかないな、と、心の中で呟いた。あいつ目も見えてないくせに、まっすぐ肝臓狙ってきやがった。
 立ち上がったミスリルに、エーデリアの右目から放たれる殺意の針が飛んできた。左目を覆う手は血にまみれている。その血が木箱に滴る音が、二人の間に流れていた。
「どうした、ハラム」そのリズムに耳を傾けながら、ミスリルはエーデリアを見上げ口を開いた。「ジェノスの補佐官。お前の力はそんなもんじゃないはずだ」
「うるさい」低い声で、エーデリアも言い返す。「うるさいぞ、小僧!」
 二人は膠着状態に陥った。ミスリルがエーデリアのもとへと向かうなら、階段状に積まれた木箱をよじ登る際に無防備にならざるを得ず、エーデリアがミスリルのもとへ飛び降りるなら、着地の瞬間に、やはり無防備にならざるを得ない。
「……私が」エーデリアが話を続けた。「実力だけで指導者の補佐官になり得たと思う?」
「どういうことだ?」
「昔……」
 短くなった鞭で、ぴしり、ぴしりと木箱を打つ。殺傷力の高い錘は失われたが、まだ首に巻きつけて絞め殺すために使えるはずだ。ミスリルはエーデリアから目を逸らさぬようにした。
「私より優秀だった子は、みんな死んじゃったわ。自殺した子もいた」
 ミスリルも、今度は意図を理解した。
 ただ気を逸らせたいだけだ。
「……死ぬ前の告解のつもりなら、もう少し素直に言えよ。どうせお前がいじめ殺したんだろ?」
「仕方がないじゃない。〈タターリス〉で成りあがる以外には生きていきようがないんだし。死んじゃった子だってそう。〈タターリス〉から逃げ出して、生きていけるはずないものね」
 再び鞭が、ぴしり、ぴしりと苛立ちの音を立てた。
「だって、所詮は捨て子じゃない。あんたも、私も、いらない子。必要とされない命。そうでしょう?」
「そんなことを認めないために、俺や俺の仲間たちは自分自身を高めてきた。ハラム、お前は違うのか?」
「私がしたいのはね、坊や、そんなお話じゃないのよ。成りあがった女なんて、しれっとした顔で裏で何人ツブしてるのかわからないってこと」
 睨みつけたまま沈黙を返す。
「……あら、人に物を教えてもらったら礼を言えって教わらなかったの? もっと教えてあげようかしら、女の嫌なとこ」
「女の嫌なとこじゃなくて、お前の嫌なとこだろ? 人類の半分がお前と同レベルとか、さすがに有り得ないから」
「あのアエリエって子」
 思わず息を止めた。
 ミスリルの動揺を受け止め、エーデリアは唇を吊り上げた。
「清純そうな顔して、裏で何人の男とヤりまくってるのかしら」
「アエリエはそんなことはしない!」
「あんたの腐ってカビの生えた宗教……」
奥歯を噛み、呼吸を整える。その間にも、エーデリアは落ち着きを取り戻しつつあるようだった。
「それはどうやら、人間の快楽を否定するようだけど」
「ただ過ぎた快楽を――」
「それとも」エーデリアが遮る。「あんたの宗教は、あの子そのものかしら?」
 ミスリルが両手を動かした。
 中央の棍に両手をかけ、縦方向に三節棍を回転させ始めた。
 次第に早くなる。
 両端の棍と錘が、倉庫の床を削っていく。
 これ以上は不可能というほど回転を速め、十分にエネルギーを蓄えさせたところで、ミスリルは掛け声と共に、棍を木箱に叩きつけた。音を立て、木っ端が散る。木箱の中は空だ。エーデリアを上に立っていられなくしてやるつもりだった。ミスリルは木箱を壊し続けた。
 破壊の音を聞きながら、エーデリアは冷ややかな目でミスリルを見下ろし続けた。
 コブレン自警団の戦闘員たちが扱う特殊な武器。剣術、槍術、杖術、弓術、弩術、格闘術。それらを一通り習得してから、彼らは特殊武器の習得を許される。厳しい道だ。だが、彼らの多くは十代半ばまでに特殊な武器を手にする。
 そのために、ただそのために、人間の三大欲求全てをただただ戦闘意欲に振り向けるよう、脳の回路ができているのだ。そういう回路ができるよう、幼い内から仕込まれるのだ。
 足許がぐらついた。木箱の崩落は時間の問題だった。
 眼下のミスリルに、彼女は本心を口にする。
「洗脳された、哀れな子……」
 そして、一階の床へ身を投げた。
「死んだ師匠に会わせてやるよ!」
 ミスリルは攻撃の手を止め、三節棍の両端を掴んでエーデリアと向き合った。それまでにエーデリアは立ち上がっていた。
「シケた童貞パラダイスに逝っちまいな!」
 鞭が首めがけて飛んでくる。ミスリルは咄嗟に左端の棍を離し、左腕を首の前にかざした。
 腕にきつく鞭が巻き付いた。
 三節棍を投げ捨てる。
 右手でダガーを抜き、自らエーデリアとの距離を詰めた。
 エーデリアの左目は潰れており、右目は驚いたように見開かれていた。
 ダガーを振り上げる。
 エーデリアの首へと振り下ろした。
 固い手応えがあった。
 金属製の軽い物体が落ちる音がした。それでミスリルは、エーデリアもまたダガーを手に取ったのだが、間に合わなかったらしいことを悟った。エーデリアの目玉が押し出され、呼吸が荒くなっていく。最後の呼吸が血と混ざり、ごぼっ、と音を立てた。ほぼ同時にエーデリアの唇から、真っ赤な血が流れ出た。
 もたれかかるエーデリアの体の重みを、ミスリルは全身で感じた。首からダガーを抜く。血が噴き出し、エーデリアの体がついぞ、床にくずおれた。
 血だまりが広がっていくのを、ミスリルは冷酷な目で見下ろした。唇を結び、飴色の髪を床に広げるエーデリアの遺体から後ずさって離れ、ダガーを持ったままの右手で、左腕に巻き付いた鞭を外していく。
 エーデリアからは目を離さなかった。
 三節棍が落ちている場所に行き、しゃがみ、拾い上げる。
 その間も目を離さない。
 三節棍をベルトに差した。ダガーは持ったままだ。斃れたエーデリアの周囲を、ごくゆっくり周り歩く。一周め。二周め。
 エーデリアは首の傷口を下にして倒れていた。
 爪先で蹴り、傷口の様子を確かめようとしたそのとき、閉じた瞼がぴくりと動いた。
 続いて指が。
 ミスリルは、己を奮い立たせる叫びと共にエーデリアに馬乗りになった。
「俺が!」
 その声で、エーデリアが勢いよく目を開けた。
 左目の傷も修復されていた。
「終わらせてやるよ!」
 衣服を血に染め、血だまりの中でエーデリアに馬乗りになり、ミスリルは横向きに倒れたままの彼女の側頭部を床に押しつけた。ダガーの刃を彼女の首に当て、食い込ませる。
 見る間に傷が修復されていき、ダガーの細い刃は、彼女の首に吸収されたような形となった。
 怖気(おぞけ)が走り、鳥肌が立つのを感じたが、首の中へと刃を押し進めるのを止めはしなかった。
「ハラム!」
 首の骨に当たり、ダガーの刃が止まる。
「最後に一つだけ言っておく!」
 ダガーを引き抜いた。言語活性剤の力がその傷をも修復していく。ミスリルはエーデリアの顔や目を、見たいとも思わなかった。ただ抵抗する力を感じながら、首筋だけを見て、もう一度ダガーを突き立てた。
 引き抜く。
 もう一度突き立てる。
 また引き抜きながら叫んだ。
「童貞じゃない! 純潔だ!!」
「そんな――」
 エーデリアの声が聞こえた。傷の修復が遅くなっていく。だがはっきり聞こえた。
「そんな――どう――でもいい――」
 ミスリルの体の下で、エーデリアの体が消えた。ミスリルはバランスを崩し、床に左手をついた。右手に持つダガーの刃が床に当たり、床板が削れた。
 エーデリアがいた場所には、砂のような灰のような粒だけが残った。


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