難民キャンプ

文字数 4,147文字

 時は天球を生み落とし、天球を立ち去る。
 (タターリス・エルドバード『予言』)


 1.

 食糧を待つ人の列が短くなった。
 シオネビュラ門前に居座るいくつもの難民グループの中に、不思議なほど統制が取れている一団があった。そのグループには三人の統率者がいて、行く道々で食糧や衣料をかき集め、適切に管理してきた。
 彼らが率いる難民たちは七十五人。
 かつては中隊指揮官として百五十人前後を率いていた三人にとって、纏めあげるのに特に問題のない人数だった。
 彼らは一台だけの幌馬車の中にいた。幌を引く馬は途中で使い物にならなくなり、野生化しかけていたロバが代わりを務めていた。そのロバも痩せこけ、もう長生きしなさそうにみえる。幌が開放されている間、ロバはグループから少し離れた場所で休んでいた。そうして、難民たちを見ていた。
「あと何日分あるんだ? 食べ物」
 幌の前に立ち、厳正に等分されたベーグルとナッツを手渡しながら、ギゼル・シラー元大尉はおどけて眉を上げた。彼は笑みを絶やさぬまま、列の一番前に来た老人に答えた。
「まあ二日半ってとこだな」
 途中で立ち寄った、打ち捨てられた集落で、彼らは竈を使った。難民たちが持ち出してきた小麦粉をすべて使い、塩のたっぷり入った堅いベーグルをいくつも焼いた。
 ギゼルは肩を竦める。
「明日から一日一食にするかい?」
 行軍時の炊事の知恵は、難民たちを守り率いる旅には使えなかった。飢えた他のグループの難民たちを刺激するのは得策ではないし、何より食材がなかった。
 列の先頭が変わり、今度は老婆がギゼルの前に立った。
「子供たちにはちゃんと配ってやっておくれよ」
 途中で農作物を補給できれば、旅はもっと快適だっただろう。だが、放棄された村や集落の周囲では、あらゆる畑が焼き払われていた。敵の前進を妨げるために、反乱軍上層部が指示したことだ。難民たちは反乱軍の庇護を求めながら、反乱軍を呪った。
 老婆がどき、次は十歳前後の少年が先頭に立った。
「おれ、別にご飯減ってもいいよ」
 ギゼルは切り分けられたベーグルとナッツを手渡してから、右手で少年の頭を掴み、髪をかき回すように撫でた。
 難民の列は切れたが、ギゼルの手許には四人分の食糧が残った。
「おおい、トリル!」ギゼルは幌から離れ、適当な方向に呼びかけた。「それかリン!」
「なに?」
 幌の後ろから、鳥の巣のようなもじゃもじゃ頭の小柄な女が顔を見せた。リン・チェルキー、騎兵部隊に所属してた時の後輩だ。顔が煤けている。火の番をしていたらしい。
「おい、リン。あの二人来てないのか?」
「どっちの『あの二人』?」
「双子じゃないほう」
 リンは肩を竦めた。
「どっちも来てないよ」
「だろうな」
 ギゼルは四人分の食糧を手早くトレイに纏めながら、質問を重ねた。
「四人とも林か?」
「そうじゃないかな。出てくるところ見てないから」
「ふうん。じゃ、ちょっと行ってくる」
 リンは小首を傾げ、それから、すぐ近くの林に向かって歩きだすギゼルに返事をした。
「いってらっしゃい」
 シオネビュラの北の城門の付近には、淀んだ大きな池があり、池を取り囲むようにブナが植樹されていた。
「おおい!」
 木々を透かして天球儀の光が降る遊歩道を、ギゼルは池に沿って歩いた。
「飯持って来たぞ、どこだ?」
 返事代わりに、ごく間近で、木材を叩く音がした。
 ギゼルは音がしたほうを見た。歩道から少し離れた林の中に、木造のあずまやがある。人の姿は見えないが、音がそこからしたのは確かだった。
 飛び回る虫に辟易し、パンにつかないよう手で払いながら、ギゼルはあずまやに近付いた。
 あずまやには腰までの高さの壁が張り巡らされており、その壁に隠れるように、一組の男女が座りこんでいた。
 その男女、リージェスとリレーネが、警戒心丸出しの目をそれぞれギゼルに向けた。

 ※

 リージェスがギゼル・シラーと合流したのは一週間前。増水した川の水門に引っかかっていたところを自力で脱出し、歩き続ける内に出会った。小舟が破壊されなかったのは幸運に過ぎず、護衛対象のリレーネが雨で肺炎になってしまわなかったのもやはり幸運で、また、最初に出会った難民グループが元軍人のギゼル達のグループであったことも、幸運以外の何物でもなかった。
 ギゼルは東部方面軍に所属する南部ルナリア独立騎兵大隊の将校だったが、連合軍への従軍を拒否し、仲間の将校たちと共に軍籍を抜けたという。そして、二人の元将校の仲間と共に、宙梯への疎開を希望する南部ルナリア地方の住民を連れてミナルタに向かっているとのことだった。
 ギゼルが他に誰も連れておらず、手には食料以外何もないことを確認し、片膝立ちになったリージェスは少しずつ体の力を抜いた。ゆっくりと息を吐き出す。そして、あずまやの床に座り直した。
「椅子に座ればいいだろ」ギゼルは木のベンチにトレイを置き、大袈裟に肩を竦めた。「ビクビクしてねえで食えよ」
 リージェスはのろのろ立ち上がってギゼルの隣に座り、リレーネはリージェスの隣に座った。二人は口を利かずにささやかな食事をした。ギゼルも黙っていた。池からは腐臭を含む風が吹いていた。湿った、生ぬるい風だった。
 食事を終え、リージェスは手の甲で口を拭った。
「世話になった」
 その一言でギゼルは察した。
「出ていくつもりじゃねえだろうな」
「長居はできない。ましてシオネビュラは連合軍を含む武装部隊を宿営させようとしている」
「都までに絶対に行き倒れる」
 ギゼルは厳しい声で告げた。彼にしては珍しいことだった。目は鋭く光り、眉間に皺を刻んでいる。
「お前はともかくこの子はどうする。金ならあるって言ってただろ? シオネビュラで買いこめよ」
「下手をしたらシオネビュラはトレブレン地方より危険だ。何て言うか、あそこは……」一度、口ごもった。「化け物なんだ。化け物じみた街だ。金次第で何でも引き受ける神官団もそうだし……シオネビュラにはいたくない。嫌なんだ」
 ギゼルはつい表情を和らげてしまった。
「お前、余裕なさすぎんだよ。この子のことも考えてやったらどうだ?」
「私はリージェスさんの判断に従います」リレーネは、静かな声で、だがきっぱりと告げた。「専門の訓練を受けてきた方ですから。私の下手な考えよりも確かなはずですわ」
 痛ましいものを見る目が自分に向けられるのを感じ、リレーネは居たたまれなくなって目を伏せた。
「……まあ、それはそれでお嬢ちゃんの覚悟かもしれないけどさ、俺はどうかと思うぜ? ちゃんと自分の意見を言えよ。そのほうがコイツのためになる場合もあるぜ?」
「明日ここを発つ」リージェスが割りこんだ。「もう行動を躊躇う理由はない」
「じゃあ明日の二時まで待て」と、ギゼル。「開門受付が通常、二時開始だからな。二時になっても開門の見込みがなければ俺はお前を引き留めない。だが万一開門したら、シオネビュラで今後の旅の支度をしろ。これは賭けだ」
「いいだろう」
 リージェスは、どうせ開門しないだろうと信じ即答した。
 それから、もう二人分の食糧が残っているトレイに目を移した。
「他に誰かいるのか? 二人?」
「いるぜ。お前も来い」
「何で」
「俺らの飯食ってるってことは、お前は俺らの仲間なんだよ。今だけでいいから打ち解けろ」
 リージェスは渋い顔をし、黙った。
「私は行きますわ」
 リレーネがその耳に囁く。
「この状況で食糧をいただけるというのは、とても凄いことだと思いますもの。壁を作っていては、お気持ちを踏みにじることになるのではないかしら、リージェスさん」
 深々と溜め息をつき、リージェスは立ち上がった。
「あんたが行くなら俺が行かないわけにいかない。連れてってくれ」
 途端に嬉しそうに、よし、とギゼルは立ち上がった。トレイを手にし、最後に立ち上がったリレーネに、唇を片方だけ吊り上げて笑いかけた。
「ほら、意見を言ったほうがいいこともあるだろ?」
 リレーネは気恥ずかしさを隠して微笑んだ。
 三人は池に沿って林の中を歩いた。ベーグルにたかる蠅をしきりに手で払うギゼルと並んで歩きながら、リージェスが尋ねた。
「どういう二人なんだ?」
「かなりの訳ありっぽいぜ、お前らみたいにな」
 遊歩道が終わり、林を出た。ギゼルが左右を見回す。
「入れ違いになったかね。いつもは林の中で会うんだ」
 食糧を持ち運ぶギゼルへと、物言いたげな視線が集まる。リージェスは警戒したが、ギゼルは全く意に介さない。ギゼルたちのグループの幌馬車を目指し、三人は歩いた。一人の男が、押し殺した声で吐き捨てるのをすれ違い様に聞いた。
「お偉い神官様方は、軍隊はどこでも通すくせに貧乏人は入れてくださらないってよ」
 ここから立ち去りたい。その思いが一層リージェスの中で募る。
 幌馬車にたどり着いた。
「おい、双子見なかったか」
 ギゼルが大声で呼びかけると、馬車の陰からリンが顔を覗かせた。
「いるよ」
 リンは小さな焚き火を起こし、暖をとっていた。暖をとる必要がないほどの春の陽気ではあるが、火を見ていれば、リージェスも心が落ち着いた。
 焚き火の周りには、リンと、一目で双子とわかる一組の若い男女がいた。
 細い体つきをした、端正な顔立ちの、男は短い、女は長い、焦げ茶色の髪を持つ双子。自分と同年代だとリージェスは見て取った。警戒と好奇心の入り交じった目で、座ったまま見上げてくる。
 リンが双子の女のほうに体をずらした。
「座りなよ」
 ああ、と生返事し、双子の男のほうの隣にリージェスは座った。リレーネが、リージェスとリンの間に座る。
 双子の女のほうが、肩に掛かる束ねた髪を後ろに払った。その指の動きだけで、育ちの良さがわかった。双子は互いに目配せしあう。それからリージェスとリレーネを順に見て、場違いなほど華やかな笑みを見せた。
「レーンシーと言います」微笑んだまま続けた。「こちらは弟のレーニール。よろしくお願いしますね」

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