敵襲

文字数 2,891文字

 ※

 バシャ! 再度の水音に、ミスリルも、アエリエも、部屋の奥に控えるオーサー師とジェスティも、戸口のラザイも、全員が我に返った。ショック状態から立ち戻り、外扉から見て突き当たりの石壁に目を向ける。その先に井戸があるのだ。再び滑車がからから回り、水面に釣瓶を落とす音。
「……どういうことだ?」
 ミスリルが再び男に投げかけた声は、幾分上擦っていた。
「膨らみ、育つものがある……」一方、男の声からは、明瞭さが消えつつあった。「宇宙だ。成長が限界に達した」
「限界に達したらどうなる」
「縮む。空間は変質し、縮小に伴い時間も変質する。時が戻るのだ」
 時が戻る? じゃあ、なんで俺たちの体は変化しない? 俺たちの意識は変化しない? 時間は前に進んでいるようにしか感じられない。それに――。
 疑問は際限なく湧くかのようだ。ミスリルは頭を振り、雑事を追い払った。
「どうしたらそれを止められる?」続く質問には苛立ちの色が濃く、もはやそれを隠そうとも思わなかった。「止める方法は? 知ってんだろ? 教えろ!」
「この宇宙は終わる」男は呟く。「空間に依存する物質にすぎない我々には、止める方法はない」
「だったら、あんたたちはこの街で何をコソコソやってるんだ。何か手立てがあるから――」
 ザバ! また水の音だ。
「――手立てがあるから、聖遺物を守ってるんだろ? そこに何がある?」
 答えなければ、殴ってやろうと思った。八つ当たりだと自分でもわかっていた。そして男は答えなかった。
「知らない」
 バシャ!
 前髪をつかんで男を椅子ごと引き寄せるミスリルに、アエリエが右手を突きだして掌を見せ、制した。
 井戸の滑車が回る音。
 ミスリルは目を吊り上げ、呼吸を整えながら、苛立ちが収まらぬことそれ自体に苛立っていた。外の音がうるさい。いつまでも何をしてるのだろう?
「団長。他に聞くべきことがあります」
 アエリエもまた、必死になって冷静さを保っているのだと声の調子でわかった。
「私たちにとって大切なことです」ミスリルではなく、むしろ男に語りかける。「拉致されたコブレン市民は、みなどこに行ったのですか?」
「地下水路」
 そうか、とだけミスリルは思った。遅れて、そんな自分の鈍感さに愕然とした。あれほど市民を助けたいと思っていたはずなのに。
「タターリス拠点周辺に飼われている。奴らは実験台で、食料だ」
 今度は外からガリガリと、井戸の縁を引っ掻く音が僅かにした。微かで、しかもすぐに止んだが、ひどく癇に障った。
「うるさいな!」と、誰にともなく声を荒らげた。「何だっていうんだ!」
「お前たちは」それを質問と受け止めたのかどうなのか、男が口を動かした。「見落としている」
「何だって?」ミスリルの苛立ちが、椅子に縛られた男に向かう。「何を――」
 ミスリルが言葉を引き取ったのは、大勢の気配が石壁の向こうで動いたからだった。砂の音を立てて、複数人が井戸から離れた。外側の壁をぐるりと回り、部屋の右側の壁の向こうを足音を隠しもせず走り、角を曲がり、外に通じる戸がある壁面に沿ってなお走る。
「ラザイ!」オーサー師とミスリルが同時に叫んだ。ミスリルだけが続けた。「戸から離れろ! オーサー師のところに行け!」
 ラザイの顔は完全に強ばり、事態を把握しきれず困惑していたが、体は指示に従った。ラザイが部屋の奥のオーサー師のもとへ駆け寄ると、オーサー師は身振りで暗い階段を上るよう促した。
 直後、閂のかかった戸が外から蹴りつけられた。大きく撓む。鉄の閂が大きな音を立てた。
 アエリエが、部屋の隅に駆けていき、連弩を手に戻ってきた。
「貸せ!」それをミスリルが奪う。アエリエは息をのみ、目を見開いた。「お前は上に行け!」
「団長!」
「いいから!」
 二度目の衝撃。
 戸の上下についている蝶番の、上側が歪んだ。
「行けって! 俺とお前がまとめてやられたらどうなると思ってる!」
 アエリエは頷く。ジェスティが近寄ってきていた。カチリカチリと、腰に巻き付けた帯状の長剣の留め具を外していく。
「……はい。団長」
 アエリエが走り去る。
 三度目の衝撃。
 ジェスティの長剣が、ぴしりと床を打った。攻撃の前動作だ。ミスリルは飛びのき、ジェスティから離れた。
 閂は外れなかったが、蝶番(ちょうつがい)が弾け飛び、戸が本来とは逆側から勢いよく開いた。ジェスティの長剣が唸る。長剣は、椅子に縛り付けられた尋問相手の首を一撃した。
 くるりと椅子ごと回転し、男は傷口を戸に向けた。
「動っ」
 動くなと言おうとしたのだろう。まず三人見えた。弩を手に喋りかけた男は、顔面に血しぶきを浴びた。事態を把握できていない侵入者たちの胸へと、ミスリルは腰を落とし、正確に胸に矢を射かけた。
「下がるぞ!」
 戸の向こう、外の薄明かりの向こうに、予想以上の数の敵が見えた。何人かはずぶ濡れだ。井戸だ。井戸から上がってきたのだ。見落としていた……。
「はい、団長」
 だが、そこからだけではあるまい。気配は続々集まってくる。連射をしながら後ずさっていたミスリルは、後続が入り口を塞ぐ死体を引きずり出し、殺到した最初の一人が突入に成功すると、ジェスティに続いて部屋の奥の階段を駆けあがり始めた。階段に、敵の弩の矢が突き刺さり、木屑を散らす。足を狙っているのだ。生け捕りにしたいのだ、とミスリルは理解した。捕虜にするつもりだ。
 上がりきったところでは、オーサー師とラザイ、そしてアエリエが、大きな四人掛けのソファの肘掛けや背もたれに手をかけて待っていた。ミスリルが間一髪、足首を狙う矢から逃れてたどり着くと、三人が力を合わせてソファを階段下に落とした。
 二階の部屋は戸がなく、窓もなかった。どこにも通じていない、独立した部屋だ。
「早くしろ! 次だ!」
 オーサー師の口の端では、唾が泡立っている。部屋にはまだ、小さな机、一人掛けのソファが二つ、ミスリルの腰の高さ程度の横長のキャビネットがあった。ソファ、机、キャビネットの順で階下に落とす。階段はあっという間に埋まってしまった。
「縄を解いてやれ!」額の汗をぬぐい、一息つくと、下から声が聞こえてきた。「活性剤が効いてくるはずだ! 早く!」
 尋問対象が椅子ごと運び出されていくのが、物音でわかった。
「持ちこたえるぞ」
 ミスリルは四人の仲間の顔に、真剣な眼差しをくれた。
「あいつらは俺を……もしかしたらアエリエも、生け捕りにしたがってる」
「ですが」悲観的な考えに陥りやすいのがラザイだった。「敵が、すごく多かったらどうしましょう……総力でしかけて来てたら」
「ミスリル・フーケ!」家具で埋まった階段のすぐ下から、くぐもった男の声が呼ぶ。「出てこい! 今出てきたら、コブレン自警団の非戦闘員には情けをかけてやる!」
 ミスリルは舌打ちした。
「誰が信用するか」
 行くぞ、それ、という掛け声のもと、ずるずると、バリケードの家具が下へ動き始めた。

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