天才剣士の憂鬱

文字数 9,470文字

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「悔しい気持ちは私も君と同じだ」
 ヨリスは机の向こうにセントル軍曹を立たせていた。まだ三十にもなっていない若い下士官で、教育係にするには早すぎたかもしれない、と、ヨリスは心の片隅で思った。軍曹は相変わらず緊張していたが、指揮所に連れてきた時ほどではない。目が真っ赤になっているのは、ヨリスに思いのたけをぶちまけるあまり興奮しすぎたからだ。
「少佐殿! あの一等兵は訓練の時に従順ではなかったばかりか、死んだヤガル二等兵のことを侮辱しました! 自分たちの裏切りで死に追いやっておきながら、運が悪かったなどと言ったのです! しかも彼は知らずに裏切りに付き合わされたのではありません。知っていて、キャトリン少佐の親衛隊に入ったのです!」
 言い終えるなり、軍曹の両目から涙が溢れ出た。ヨリスは彼が落ち着くまで待った。ようやく涙が止まってから言った。
「ならば君のしたことは私刑だ。体罰よりなお悪い」
 その上で言ったのだ。悔しい気持ちは私も同じだ、と。
 この軍曹が教育していた新兵の内六名が、北トレブレンで落命していた。
「特に君は私と違い、毎日毎時間彼らと接していた。悲しむのも、怒り狂うのも、当然のことだ。私はそのことで君を責めているのではない」
 はい、と軍曹は蒼白な顔で返事をした。
「それでもなお、歩兵を虐待する歩兵部隊などあってはならない。虐待というのがどういう行為か、わかるな?」
「……暴力を振るうことです」
「弱い立場にある相手に、だ。階級を暴力のために使ってはならない。それは憎しみしか生まない上、誓って言うが、暴力を受けた側には暴力を受けたという記憶しか残らない。これほど馬鹿げた話はない」
 軍曹は、再び「はい」と言いながら、今度は頷いた。
「このような事態となった原因は、私の配慮不足もある。しかし彼らも徴集から半年以内であり、教育係の指導が必要だ。セントル軍曹、本日からまた教育係を続けられるか。もしも何かあるのなら、今ここで吐き出すが良い」
「いいえ」軍曹は背筋を伸ばした。「教育係を続けさせていただきます」
「覚悟はあるのだな?」
「はい、大隊長殿」
「もし再び、亡くなった新兵たちへの侮辱と受け取れる発言が元第一、第二大隊の兵士たちからされた場合、君はどうする」
「……今の立場をわきまえろと諫めます。万一、言っても聞かない場合には、上官に報告いたします」
「よかろう」
 ヨリスは若い軍曹を解放してやった。テントの外ではリッカード中尉とユン上級大尉が待っていた。事態を把握していたという小隊長の中尉には諄々と同じことを言い聞かせ、把握していなかったという中隊長の上級大尉には、もう少し部下の様子に目を配るよう言って、中隊に帰らせた。そろそろ書類仕事を片付けなければならないが、徒労感に襲われて、もう書類と向き合う気になれなかった。
 これと同じようなことは、他の大隊や連隊で起きる恐れがある。もう起きているかもしれない。
 連隊長に話を通すべきだろう。
 だがヨリスは思い直す。あのすぐ下痢になるハゲのことだ、握り潰すに違いない、と。
 連隊長モリステン・コーネルピン大佐。愛妻家として知られ、子煩悩。部下たちにも家族的な親愛の情を持って接する。その温厚な人柄を慕う者も多いが、彼が余裕を持って振る舞えるのは、強いストレスにさらされていない時だけだ。何かあればすぐに無気力、そして下痢で行動不能になる。ヨリスは開戦直前に北トレブレンの連隊指揮所で連隊長から受けた恥辱を忘れていない。
 ヨリスはいいことを思いついた。
 第三大隊のリャン・ミルト中佐に相談すればいい。彼は自分より十年も経験が長く、しかも連隊副長だ。ミルトのもとに話を持ちこんだ所で不自然ではあるまい。
 聖地に着くまで、今日のような大休止はもうあるまい。ヨリスはそう判断し、早速一人でミルトのもとに向かった。
「やあ、ヨリス少佐。待っていたよ」
 リャン・ミルトはすっかり元気になった姿でヨリスを出迎えた。足の傷も良いらしく、歩行に支障があるようには見えない。第三大隊の指揮所に連れて行かれながら、ヨリスは尋ねた。
「待っておられたとは、どのような意味でしょうか」
「君のところでは、よそと違って何か問題が起きたという話は聞かないからね。起きるならそろそろだと思っていた。その場合君は連隊長よりも私に相談するだろうとね。結構歩いただろう。喉は渇いていないかい?」
 その歓迎ぶりに戸惑いながら飲み物を断った。
「君は実に遠慮深いな」
「以前ミルト中佐にお越し頂いた際、何もお構いできませんでしたから」
「何を言っているんだ。私がそんなことを気にするとでも思ったのかい?」
 ミルトはヨリスを大隊指揮所のテントに通し、肩を軽く叩いて座るよう促した。
「君は命の恩人だし、何より私の義兄弟のようなものじゃないか」
「義兄弟とは」
「前から気になっていたのだが、君は他人行儀すぎる。節度があるのはいいことだが、私に対してはもう少し打ち解けてくれてもいいんじゃないかい? いいや、そうすべきだ」
 ヨリスは無表情で困惑しながら向かいに座るミルトを見た。ミルトは大層上機嫌で、細い目を更に細めてにこにこ笑っている。口を開いて畳みかけた。
「そういうわけだ。私のことはリャンと呼んでくれ。私も君をファーストネームで呼ばせてもらうよ。構わないね、マグダリス?」
 ヨリスとて決してミルトを嫌ってはいない。むしろかなりの好感を抱き、信頼を寄せている。ただ、これまでは私的に接近する機会がなかった。ミルトの方も同じ思いでいるのなら、提案は妥当だと思われた。
「はい。構いません、ミルト中佐」
 ミルトはいたずらっぽく小首を傾げ、ヨリスを凝視した。予期せず変化してしまった距離感に戸惑いながら、ヨリスは言い直す。
「……構わない、リャン」
「結構」
 ミルトは返事が大いに気に入ったようで、二度大きく頷いた。
「君が受け入れてくれて嬉しいよ。私の方ではずっと君を弟のように思っていたからね」
「リャン、何故俺が弟なんだ?」
「君の方が年下なんだから当たり前だろう?」
「そうではなく……」
 ヨリスは頭を振った。この独特の大らかさと強引さの前では、自分の疑問が野暮で些細なことに思えてくる。
「ゆっくりしていく時間はあるかい?」
「少しなら」
「ならしていくといい。余裕のない顔をしているからね」ミルトは何の悪気もない様子で言った。「未来の奥さんとはどうだい?」
「特に何も」
「それは良い意味に受け取ってもいいんだろうね。私は君たちご夫婦を家内に紹介したいと思っている。宙梯で再会したらの話になるが」
「奥方は今どちらに」
「デナリさ。子供たちも一緒だ。ミナルタだと東部に近すぎるからね」
「デナリでしたら、まだ安全でございましょう」
「マグダリス?」
「……安全だろうな」
 ヨリスはあらぬ方を見て言い直した。
「それで、マグダリス。チェルナー中将との仲については私も聞いて知っているつもりだが、あれから進展はないのかい?」
「ああ。こんなことになるのなら、さっさと入籍しておけばよかったかもしれない」
「むしろ君がそうしなかったのは驚きだよ」
「それをすると、ユヴェンサをこれまでの環境からいきなり完全に切り離すことになる。彼女にとっていいことだとは思えない」
「チェルナー上級大尉はかなり情熱的な女性だそうだね。彼女の方から入籍の働きかけはなかったのかい? 成人同士が合意の上で結婚を希望しているんだ。親の反対には法的に何の拘束力もない」
「あった」ヨリスは少し黙ってから続けた。「むしろ彼女が実行してしまわなかったことを不思議に思う」
 ユヴェンサとの同居に至った経緯を思い返せば、彼女がそれくらい強引なことをしても全くおかしくはなかった。
 ひどい侮辱を受けたユヴェンサの両親との初顔合わせの後、ユヴェンサは一人で表まで見送ると申し出た。そして表通りに出ると、人目も憚らず抱きしめてきた。雨が降っていた。
『気遣いは無用だ』ヨリスはそう言ってユヴェンサの背に手を当てた。『あの程度で今更いちいち傷ついたりはしない』
『あれがあの程度ですって?』
 顔を上げたユヴェンサの目には鋭い光が宿っていたが、睨みつけているのではなく、深く悲しんでいるのだとわかった。
『あなたは……』目の周りが濡れていた。
『ユヴェンサ、何故君が泣く?』
『あなたは今まで、どういう目にあわされてきたというの?』
 それからヨリスの両肩を強く掴んで揺さぶった。
『怒って! あなたは自分のために怒ってよ!』
 そして、表までの見送りかと思いきや、そのまま家までついてきて、今日からここで暮らすと言った。
『必要な物なら今から買いに行くわ』
 集合住宅の一室で、ヨリスは困り果てた。
『日用品や消耗品ならそれでいいだろう。だがベッドや布団はどうする。今買ってきてすぐ搬入というわけにはいかない。君は俺に床で寝ろと言うのか?』
 ユヴェンサは全く情の深い女性だった。
『ベッドで一緒に寝ればいいじゃない!』
 ヨリスは諦めた。
『……そうだな』
 しかし、この同居はチェルナー中将との話しあいをより困難にさせた。彼は娘を奪われたと言ってヨリスを激しく罵った。
 一方、リサ・チェルナーはというと、驚いたことに頭を下げて謝りに来た。ユヴェンサと二人で話し合ったそうだ。狭い世間しか知らず、大変失礼なことを言ってしまった、と。それから、かつてユヴェンサを庇い負傷したことで何度も礼を言った。結局それが決め手になったらしい。
「まあ、あの中将だって孫ができれば気も変わるさ。マグダリス、そう気を揉む必要もない」
「孫」無感情に繰り返す。「子か」
「そうだ。君の子だ」
「俺の子」
 ヨリスは自分が馬鹿になった気がした。
「そうさ。どうして浮かない顔をする?」
「自分が父親になるというのがピンとこない」ヨリスは少しためらってから続けた。「俺の父親は性質の良い人間ではなかった。人は自分が親にされたことを子供にすると聞く。それが本当なら、俺が良い父親になれるとは思えない」
 するとミルトは声を上げて笑い飛ばし、遮った。
「驚いたよ。馬鹿にしているんじゃないんだ、気を悪くしないでくれ。本当に驚いたんだ。南西領の天才剣士と名高い君が、そんなことを気にしていたとはね」
「俺は天才などではない」と、眉を顰める。
 単に努力をしただけだ、とヨリスは心の中で続けた。士官学校の同級生たちが群れ集まり、やれ教師が嫌いだの、親がうざったいだの、女子がかわいいだの不細工だの、誰それのことをいじめようだの、そんなくだらない話をしている間に、ヨリスは陰口を叩かれながら一人で木の棒を振り回していた。彼らが休日いつまでも寝ている間に、大人用の剣術教本を読み耽った。孤児院にいた頃は、休みなく自分で勉強したし、どうすれば憎い奴を、せめて心の中だけでも殺せるかと考え続け、やはり剣に見立てた木の棒を振り回していた。
 体の大きな年上の孤児たちに殴られれば立ち向かったし、お前は士官学校などに行かず働いて、この孤児院に育ててもらった恩を返さなければならないと言われても沈黙を貫いた。とにかく諦めなかったのだ。
 自分に恵まれている点は、持病がなく、五体満足で生まれてきたことくらいだ。他には何もないからこそ、諦めず努力した。それを、自分ほど努力をしてこなかった奴らに「天才」などとおめでたい呼ばわれ方をされる筋合いはない。
「怒ったのかい?」
「リャン、君にではない。勝手な噂をする奴らに、だ」
「努力したことだろう」リャンの声に思いやりがこもる。「誰よりね。私には想像もつかないほど。私が言いたいのはね、君は既に自分自身を克服しているということだ。ひたすら自分を鍛えてね。君の幼い時代がどんなだったか、私は知らない。だが、君は子供の頃の自分を思いだして、今の自分とすぐに結びつけられるかい?」
「……いいや」
 ミルトは頷く。
「それは、君が弱者の自己イメージを捨てることができたからだろう。自分が自分であることへのひねくれた思いこみを捨てれば、思いもよらぬことができる。君はそれを知っているはずだ。そうだろう?」
 ミルトの言うことはもっともだ。だがヨリスには何とも返事ができなかった。ミルトはその様子を見て強く言い切る。
「大丈夫だ。君はいい父親になる」
 ヨリスが態度を決めかねている間に、誰かが外を歩いて来て、テントの前に立った。
「失礼します。ミルト中佐、第四大隊のヨリス少佐へと、師団本部より伝令が来ておりますのでお連れしました」
 第三大隊の副官の声だ。ミルトはさも申し訳なさそうに眉を垂らした。
「すまないね、ヨリス少佐。本来の用件を聞きそびれてしまった」
「いいえ。また後ほど伺います」
 ヨリスはテントの外に出た。
「ヨリス少佐殿、探しました」伝令兵は額に汗をかき、ほっとした様子で告げた。「師団本部より伝令です。師団長ダーシェルナキ少将のもとへと、お一人でお向かいください」
 何用だろうかとヨリスは訝しむが、わかるはずもない。せいぜいこの先の聖地に関する話だろうと予測できる程度だ。
「わかった。すぐに向かう」
「少佐殿、よろしければ私の馬をお使いください」
 伝令はヨリスを探し回ったそうで、時間が経ってしまっているからとの理由だった。その言葉に甘えて、ヨリスは伝令用の馬を借り、師団本部へと急いだ。
 シルヴェリアは、待たされたことで苛立ったりはしていなかった。何かが面白くて仕方がない、という笑みを顔に満たし、余裕に満ちた様子でヨリスを待っていた。傍らにはその副官もいる。到着に時間がかかったことを手短に謝罪しても、笑みを消さずに「ふむ」と言うだけだ。機嫌がいいのが薄気味悪かった。
「では、早速話に入るかの」
 シルヴェリアは足組みを解き、机の上に両腕を置いて身を乗り出してきた。ヨリスは立ったままだ。
「今から二十四時間後に、我が師団は聖地〈南西領言語の塔〉にたどり着く。太陽の王国との交信機能を具えた巨大な聖遺物だ。そこに侵入し、地球人どもの動向を知りたい」
「師団長直々に行かれるということでございますか?」
「そうじゃ」
 ヨリスは表情を変えなかった。
「そこで、そなたに護衛を願いたい」
「ご命令でございますか?」
「そうじゃ」
「申し訳ございませんが、お受けできかねます」
 ヨリスは丁寧に、だがきっぱりと断り首を横に振った。
「伺ったお話では、敵の追跡を受けている我々が、今、言語の塔に行かなければいけない理由がわかりかねます。また、その任に師団長・大隊長といった部隊指揮官が当たるのが妥当であるとは思えません」
 こう言われるのは想定内だったはずだ。シルヴェリアは余裕に満ちた態度を変えない。
「我々しか、そして今しか、これはできぬ。ヨリスや、南西領言語の塔の聖遺物としての存在意義は、アースフィア全域で起きていることの情報を、毎日太陽の王国に送信することだ。他の天領地の言語の塔には存在し得ぬ様々な情報があり、太陽の王国からしてみても、最も注目される施設だ。他の領地の神官どもには得られぬ情報があるやもしれぬ」
「南西領言語の塔は既に何度も、南西領の神官たちによって地球人との交信が試みられたかと存じます。黎明現象が観測された初期に」
「その後は? 開戦の気運が高まるや、各神殿が聖地への立ち入りを牽制しあい、誰も近寄ってはおらん。少なくとも公式にはな」
 聖地であり聖遺物でもある言語の塔が地球技術の粋であるのなら、神官たちにしか立ち入れぬ領域であるはずだ。ヨリスは、師団長付き副官のアルドロス少佐が神官の家の出であることを思い出した。
 だが神官ではない。
「我々は言語の塔に立ち入ることができるのでしょうか?」
「明ら様に言うことではないがこの副官は神官になるために育てられた。正確な知識はかなりある上、実際に地球文明品に触れた経験もある。もちろん、聖地への入り方も心得ておる」
「禁識に関わることになるのでは」
「耳を塞げ。臨機応変にな」
 シルヴェリアはくすくす笑うが、本気で言っていることはわかった。
「確認いたしますが、南西領言語の塔だけに蓄積された大量のデータに有意な情報があるとしたら、それを追っ手に先取りされたくはないということでございましょうか。聖地が奴らの手に落ちれば、真偽のわからぬ情報を盾に降伏を迫られる恐れがあり、それを防ぎたいとお考えであると」
 万一「地球人の声明が出た」などと……まして「文明兵器を用いて不埒者に制裁を与える」などと公に発表されたら、誰も平静ではいられまい。大衆の動揺と怒りや憎悪の前に、冷静な真偽の判断を促すはたらきかけなど意味を持たない。
 シルヴェリアは満足げに頷いた。
 師団長は特別な手柄が欲しいのだろうと、ヨリスは推測を重ねた。裏切り者を二名も出した手前、おめおめと帰れないと思っている。
「師団長殿。大変失礼ながら、あなたは全てを正直にお話されてはいません。通常でしたら師団長殿は、そのお考えを師団本部にご相談されるはずです。ですがお考えが通ることはないとわかっていらっしゃる」ヨリスはシルヴェリアを観察した。微笑んだままだが、目はもう笑っていない。「その上でなお、行かれるご決断をなさった。私を呼んだのはそのためでございましょう。ご決断の根拠は、何か私的なご事情でしょうか?」
 そうだとしたら、シルヴェリアが腹を割って話さない限り、この場に居続けることはできない。
 シルヴェリアの目に笑みが戻った。
「真理の教団。我が母パンネラはそれにぞっこんでのう。知っておるじゃろう」
 厭というほど知っている。
「存じております。現在は救世軍の中核となっておりますが」
「一つ思い出したことがあっての」
 シルヴェリアはもったいぶって間を置いた。
「あの女は黎明現象が始まった直後に聖地へと巡礼に出ておる」
 ヨリスはシルヴェリアを見つめ返した。そのような話は噂にも聞いたことがない。
「全く非公式にな。巡礼にはあの女の園遊会の協賛者なども同行した」
「園遊会……」
 リャン・ミルトはそこで救世軍への誘いを受けたと言っていた。
「ヨリスや」
「はっ」
「言語生命体の人間を化生へと変貌させる技術」シルヴェリアは急に無表情になった。「……あれは今後広まっていくはずだ。だが変貌させられた人間と戦った経験がある者は、私の知る限りではまだそなた一人しかおらぬ。対抗手段は無いに等しい」
 それが悔しくてのう、と、シルヴェリアは呟いた。
「あれは生体兵器じゃ。ヨリスや、地球人は何故そのような技術を開発した? 実際にその生体兵器と戦った者としての意見を聞きたい」
「恐怖を与えるためかと存じます」ヨリスは即答した。「殺した者が起きあがる。それだけでも十分すぎるほどの衝撃を受ける光景ですが、更に二度、三度と致命傷を与えても倒れることはない。屠る方法がわからないのです。その上相手は言語子の操作により肉体強化されている。並みの人間であれば、常識はずれの事態に恐慌を来たし、背を向けた時点で殺されます。何より、地球人は人間を兵器化するという残酷な所行を、言語生命体に対し平気で行う。そのように知れ渡れば、全軍の士気の低下は免れないでしょう」
「早々に対抗手段を見つけたい」
 シルヴェリアが直ちに応じた。
「早々にな。誰も元同胞の化け物とは戦いたくあるまいよ。南西領言語の塔の大量の知識と情報は、それを可能にするかもしれん」
「対抗策を探すと」
「ところでヨリス少佐」
 じっとシルヴェリアの後ろに控えていたフェンが口を開いた。
「さっきのお話だけど、蘇生と肉体強化が言語子の操作によるものだと思ったのは何故?」
 すぐにシルヴェリアが言葉を継ぐ。
「何か知っておるな?」
「……不確かな情報であり、報告すべき段階ではございません」
「私は、知っておるか、と聞いておるのだ。何故まわりくどい返事をする」
 ヨリスは一度、面倒くさげにフェンを見た。
 それからシルヴェリアに視線を戻す。
「お願いがございます。この件につきましては師団長殿のみにお話させて頂きたく存じます」
「構わん。フェンや」
「かしこまりました」
 フェン・アルドロスはシルヴェリアから離れた。テントの出入り口に向かう。すれ違い様、反感のこもった目をヨリスにくれた。
「隠しても無駄ですことよ、秘密主義者の少佐殿」
 二人きりになると、シルヴェリアはようやくヨリスに椅子を勧めた。
 ヨリスはシルヴェリアに、北トレブレンの連隊指揮所でミルトから聞いた話を聞かせた。続けて北トレブレン脱出後の山中で話した内容を。
 シルヴェリアは何度も頷きながら聞いた。話が終わると一言だけ尋ねた。
「しかし何故、ミルトはそのような話をそなたにしたのじゃ?」
 それで、ヨリスは自分の身の上についても話さざるを得なくなった。
「私がかつて真理の教団と関わりがあったことについては、触れ回っている者がいるようです」
 ヨリスは極めて利己的な思いが胸に浮かぶのを感じた。救世軍にとって不利益な情報を持ち帰れば、大っぴらにそのようなことはしづらくなるのではないか? 心が僅かに、言語の塔に傾く。続けてコーネルピン大佐の顔が脳裏をよぎった。それにグラムト・チェルナー……。
「師団長殿であれば、とうに誰かの口からお聞きになったのではと思っておりましたが」
 シルヴェリアはゆっくり首を横に振った。
「……いいや。初めて聞いた」
 だが、ヨリスはシルヴェリアの返事を信じなかった。
「今は」シルヴェリアは続ける。「そなたは私の部下じゃ」
 俺はそう言われて嬉しい人間だろうか? ヨリスは自分の心に尋ねた。嬉しいからといって、本来の職能を越えたことをする人間だろうか?
「私の願いはな。私的な願い、人に言えぬのは、ヨリスや。あのパンネラの顔を潰してやることじゃ」
 なるほど。親子喧嘩に巻きこもうというわけだ。
「ついて来て、守って欲しい。来てくれるかえ」
「三時間が限度です」ヨリスは慎重に言葉を選んだ。「皆が寝静まっている間、歩哨が二度交代する間です。それ以上私が指揮所を不在にすると、兵士たちが不安に思います。それだけの時間でできることでしょうか? また、言語の塔内部で予測できる危険について伺いたく存じます」
「本日戻った斥候の報告によれば、南西領言語の塔の入り口にごく近い場所に、宿営可能な場所がある。往復にさほどの時間はかかるまい。かなり多めに見積もって片道一時間としても、三時間あればかなりのことができよう。予測できる危険についてはアルドロス少佐から説明させる」
 シルヴェリアは肩を揺すって短く笑った。
「ところでおぬし、私が言語の塔に行くこと自体は止めはしないのか?」
「言って聞くようなお方であれば言い聞かせております」
 その一言を聞くや、背を仰け反らせて声を上げ笑った。テントの外にいるフェンが、何事かと訝しむほどの大声だった。


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