第二軍団の風紀

文字数 4,610文字

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 陸軍史においては華々しい野戦や会戦ばかりが取りざたされるが、実際に行われる戦いのほとんどは攻城戦である。
 もともとトレブレン地方の都市は、南トレブレン、北トレブレンの二つしかなかった。南北の都市を繋ぐ大道路沿いに人間が住みつき村を(おこ)し、無法者たちがその村を乗っ取った。無法者たちを取り締まるべく、軍事施設が作られた。施設の周囲に町ができ、都市に発展した。百年後、軍事施設は山に移り要塞となった。
 トレブレン地方を北から南へと川が裂き、大道路は多くの部分、川の西に沿って敷かれていた。中トレブレンの周囲だけは数少ない例外の一つで、都市の北では自然の障害を避ける形で大道路が一旦川を跨いで東に渡り、やがて山塊にぶつかって、また川を跨ぎ西に渡る。その大道路の凹部を見下ろす形で、山肌に沿って城塞都市中トレブレンの城壁は聳えていた。
 七百年の昔から、中トレブレンは地の理を生かした難攻不落の城塞として知られていた。大道路から分岐する、つづら折りになった進入路を下りきると、多重環状城壁を備えた都市中トレブレンが、西の山肌まで扇形に広がっているのに出くわす。しかし外から見えるのは、要所に小塔や城塔を備えた高い城壁だけだ。しかもその城壁の向こうは、まだ中トレブレンの副市にすぎない。
 副市を取り囲むように水堀が引かれ、堀の中のバービカンから延びる石橋だけが、進入路の出口と副市を結ぶ唯一の通路だった。
 決して陥落しない城塞というものはない。攻囲側に与える被害の大きさで士気を挫くのだ。
 攻囲側の攻城兵器の組み立てを阻止し、また搬入を困難にするバービカンを攻囲軍が通過すれば、今度は副市を守る城壁から、狭い石橋の上で集中攻撃を受けることになる。副市に突入、そして通過すれば、その先は自然の川に隔てられた中トレブレンの母市だ。母市へいたる橋もまた一本しか存在せず、再び多大な犠牲を出しながら母市へ突入した攻囲軍は、いよいよ最後にして最大の難関にたどりつくことになる。険しい山肌に守られた中トレブレン要塞だ。
 幾重にも張り巡らされた城壁と城門。一人ずつしか通過できない箇所が複数存在する登山道と、罠の張り巡らされた中庭。渋滞を起こせばたちまち次に控える城壁からの恰好の標的になる。最後の城壁を破るには多大なる犠牲を支払わざるを得ず、それまでに攻囲側は力が尽きてしまうのだ。
 その城塞都市及び中トレブレン要塞は、たった一度だけ、内乱によって攻略された過去がある。
 三百年前に王家が交代した際、旧王家と新王家が激しく争い、旧王家とそれを支持する当時の南西領総督軍の主力部隊が中トレブレンに逃げこんだ。防御側は降伏を断固拒み、攻囲側の南西領新任総督及び新王家の軍隊は、二十七か月もかけて中トレブレンを攻め落とした。
 新任総督及び新王家の軍隊は、真っ先に攻め落としたバービカンの中で、副市の城壁を攻略するための攻城兵器を組み立てたと伝えられる。

 ※

 そのバービカンの地下一階で、リージェスは三人の兵士を順に睨みつけた。二人は一等兵、一人は二等兵。
「身分証なら見せただろう」
 ニキビとニキビを潰した痕で顔面を真っ赤にした一等兵が、不機嫌に言い放つリージェスにニヤリとした。白い肌、黄色みの強い金髪で、背が高い。リージェスと同年代だった。その一等兵は癇に障る笑みを浮かべたまま、大げさに両腕を広げた。
「そんなのは幾らでも偽造できる。何の保証にもならないね」
「だからって吊るすことはないだろう!」リージェスは後ろ手に縛られて、梁からロープで吊されていた。「しかもこんな無駄に本格的な吊るし方」
 すると金髪の一等兵は心底から嬉しそうに目を輝かせ、
「先週習ったんだ!」
「試すな!」
「大道路を護民軍の守備隊に封鎖され、誰も近づけないはずの中トレブレン……」一等兵は余裕たっぷりに語り始める。「北トレブレンは陥落し、逃げこんだ第三軍団への追撃を追い払い、休む間もなく連合軍進撃阻止の準備だ。いいか? 第二軍団は非常に、非常に、非常〜に」最後の『非常に』を長く伸ばし、強調した。「緊迫している。そこに出入り口を封鎖されているはずの道路のど真ん中に女の子と男が現れたらどう思う? 怪しいだろ? 味方だって言われて信じるか? お前だったらどうするんだよ?」
「……拘束する」
「ほらみろ、おれ達が正しいじゃないか」
 金髪が腕を組んで胸を張るので、リージェスは腹が立ったが言い返せなかった。
「それにさ、ほら。おれ達感謝してもらってもいいんだぜ? ちゃんと少尉殿の無様な姿を見られないように、女の子とは別々にしてやったじゃないか」
 やたら賑やかな声が響いてくる廊下に、リージェスは目をやり、耳を澄ませた。
『えっ? じゃあリレーネちゃん何歳? 何歳?』ざわめきが少しやむ。それから『十七歳だって!』感動に満ちた声。『十七歳とか女の子じゃん!』『うおお、女の子!』
「……あっちは楽しそうだな」
「当たり前だろう? レディを君みたいな泥まみれの薄汚れた男と同列に扱うわけにはいかないじゃないか。それとも君はあんなにかわいらしい女の子が吊るしあげられたりしたら嬉しいのかい? 最低だね」
 と、二等兵。肩まで伸ばした薄紫の髪を持つ、いかにも女好きのする美男子だった。鏡の前の小卓を使って頬杖をつき、長い足を組んで座っている。頬杖をついていない方の手を首の後ろにやり、長い髪をさらさらさらと遊ばせた。
 リージェスは士官学生時代に、中トレブレン要塞に見学に来たことがある。その時の説明によれば、二等兵の前にある大きな鏡は五百年前の技術で作られたものだという。
 二等兵の後ろで褐色の肌の一等兵がおもむろに服を脱ぎ、上半身裸になった。素晴らしい筋肉の持ち主で、彼は二等兵の後ろで「ふんっ!」肩を力ませ、鏡に映る自分の上腕筋に熱い視線を注ぐ。二人の仲間とリージェスには全く注意を払わずに、ポーズを変えて「ふんぬっ……!」
 三人中二人がナルシストだ。
「気持ち悪い」
 リージェスの呟きが聞こえなかったのか、または無視して、二等兵は自分の髪をいじりながら喋り続ける。
「あんなに可憐な女の子を泥だらけにしてしまって、まさか山道を歩かせたのかい? かわいそうに。僕のパートナーであれば決してそんなことはさせなかったのに。大道路から外れた道なんてひどいものだろう? ぬかるみだらけ、でこぼこだらけ、棘の生えた伸び放題の草が道の上を這っていて、僕は両腕を広げて言うのさ。さあ、レディ、僕が君の足になろう。君の足が傷ついてしまうことを思えば、この程度のことは何でもないさ。そしてレディは僕の首に両腕を回し、僕は軽々抱き上げて茨の道を歩む。ああ、美しい僕……」
「はぁ? 無理無理。人を持ち上げるとかお前絶対無理」金髪の一等兵が遮る。「自分の訓練の成績考えろよ」
「君はわかっていないねぇ。訓練の時のダメな僕は世を忍ぶ仮の姿――」
「現実を見ろ! だからお前は万年二等兵なんだよ!」
「君の目が節穴だなんてことはずっと前から知ってたけど、まさか脳みそまで穴ぼこだらけとはね。呆れたよ」と、両腕を広げかぶりを振る。「今はまだ、去りし日の英雄の末裔たる僕が本気を出すべき時じゃないだけさ。一族の血が目覚めれば、ふふ、君も思い知ることになる」
「いや、お前ただの金物屋の息子だから。知ってるから。お前の家の隣おれの家だから」
「信じられなくても無理はない。君はあまりに幼い頃から僕と一緒にいたからね。実のところ、あの悲劇のライトアロー家当主がとある伝手で隠し子であるこの僕を託したのがあの金物屋で――」
「お前の産湯(うぶゆ)用意したのおれのカーチャンだから」
 金髪が肩を竦める。
「凡人の精神でつい間違って美形に生まれると、こういう変なのができるんだよな」
 すると、廊下を慌ただしく走る足音が接近してきた。外から扉が勢いよく開く。
「ウルプ大佐が来たぞ!」
 ウルプ大佐は、チェルナー中将が師団長を務める第三軍団第二師団の副官だ。うんざりした気持ちが吹き飛び、リージェスは顔を上げた。金髪の一等兵とナルシストの二等兵が、驚くべき俊敏さで縄を切りリージェスを解放した。もう一人のナルシストの一等兵も筋肉の上に服を着る。走って知らせに来た兵士は隣室に飛びこみ、同じ言葉を叫んだ。「ウルプ大佐が来たぞ!」
 やがてその人、ウルプ大佐が部屋の戸口に立った。
 リージェスは着衣の乱れを整えて、部屋の真ん中で直立した。
 黒い肌に、鋭い眼光。ウルプ大佐の厚い唇が微笑んでいる様子を見たことは一度もない。体つきは縦にも横にも大きく、常に不機嫌な態度と相俟って、人を威圧する効果が大きい。リージェスはウルプ大佐が嫌いだし、ついでに言えばチェルナー中将のこともあまり好きではなかった。
「確かに」ウルプ大佐の唇が動いた。「君の顔には見覚えがある」リージェスの目から決し視線を逸らさず「第一師団にいたな」それから露骨に顔をしかめた。「強攻大隊に」
「私はリージェス・メリルクロウ、階級は少尉、要人付き護衛官です」できるだけ真摯な態度に見えるよう、目に力をこめて返事をする。「二年間の前線実習期間に第一師団に在籍いたしました。ウルプ大佐殿のご記憶の通り、第一連隊第四大隊でございます」
 ウルプ大佐は、ふん、と鼻を鳴らした。にこりともしないので、小馬鹿にしたようにも見える。じりじりと不快感がこみあげるのを隠しながら、リージェスはウルプ大佐が話すのを待った。
「識別票は精査させてもらった。たしかに偽造されたものではなかった。リリクレスト嬢についても把握している」短く溜め息をついた。「来たまえ」
 部屋を出る時、壁際に背筋をぴんと伸ばして立つ三人の兵士に、リージェスは小声で嫌味を言った。
「さっき俺を縛り上げた時とは結構な態度の違いだな」
 ウルプ大佐が聞き咎め、立ち止まる。
「何?」
 すると三人の兵士はぴたりと声をそろえて叫んだ。
「いいえ! 私どもは少尉殿に対してそのような無体はいたしません!」
「……もういい」
 隣室のリレーネを招く。
 リレーネはいつの間にやら、しみ一つない緑のワンピースに着替えていた。
 廊下で「その服……」と尋ねかけたら、彼女は先回りして答えた。
「女装がご趣味の方にいただきましたの!」
 リージェスは絶句した。リレーネは心底嬉しそうに「お菓子もいただきましたわ!」
 バービカンから副市の城門棟へ延びる石橋に出ると、姿が見えないのを良いことに、盾壁の歩廊から兵士が声をかけてきた。
「リレーネちゃん、また遊びに来てくれよ!」
 歩廊を見上げると、窓の向こうに幾つもカンテラの光が揺れている。リレーネが叫び返した。
「はい! 伺いますわ!」
「行くなっ!」
 リージェスの一言は兵士たちの喝采にかき消され、歩廊には届かなかった。ウルプ大佐が不機嫌に唸る。
「全く……第二軍団の風紀はどうなっているんだ。あれが我が師団の兵士だったら一体どうしてくれようか」
 前を行くウルプ大佐に見えないよう、リージェスは肩を竦めた。ウルプ大佐の大嫌いな、強攻大隊のヨリス少佐の癖だった。意図的に真似たのだ。


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