救出

文字数 9,455文字

 3.

 灌漑用水路に続く間道(かんどう)の扉が音もなく開いて、コブレン市内の細い路地へと、三つの人影が出てきた。
 一人目はアラク・オーサー師。二人目はアエリエ。最後に出てきたミスリルが、音もなく扉を閉ざした。
 右手に果樹園管理局、左手に果樹園を囲む塀があり、目的どおりの場所に着いたことをミスリルは確認した。
 コブレン内外の地下には、記録されることのない無数の地下道が存在する。暗殺者たちが掘ったものもあれば、遙か昔に攻城戦が行われた際掘られた物もあるし、更にそれよりずっと前、北方領から密売買されてきた奴隷の坑夫が脱出のために掘った物もある。暗殺者たちはそれを活用し、時に破壊する。時折下水路で死体を見つけるのは、遺棄されたか、または迷って力尽きたのだろう。
 三人は路地で向かい合った。
 オーサー師は連弩を手にしている。威力が弱く、鎧をまとった相手への効果は低いが、師は射撃の名手だ。相手が走っていようと飛び跳ねていようと、射程範囲に入ったならば、必ず鎧の急所を射抜く。
 アエリエは大鎌を背負っていた。黒塗りで、柄は彼女の身長と同じくらいの長さがあり、柄の中ほどからハンドルと呼ばれる握り棒が突き出ている。左手で柄尻の近くを、右手でハンドルを握って操作し、湾曲した鋭い刃で命を刈り取るのだ。大鎌は恐怖と苦痛の大きな武器だ。何よりかさばるため、通常の潜伏・調査・暗殺の任務で使われることはない。
 だが、今回ミスリルたちが担当するのは通常の暗殺任務ではなく、敵対組織の妨害だ。暗殺者たちは仕事中に目立つ真似をされたり、大きな音を立てられることを何より嫌う。ミスリルの最も得意とする武器も、大きな音がする物だ。
 他にも、三人とも補助武器としてダガーと投石紐(スリング)を持っていた。この二つはコブレン自警団の標準装備だ。足は、音のしにくい布の靴で固めている。
 そういえば何人かの靴が足りていなかったことを、ミスリルは思いだした。彼は手ぶらだった。さっきまでカンテラを下げていたが、間道に置いてきたのだ。元自警団本部に戻れば、装備品が残っているはずだ、とミスリルは虚しく考えた。それを回収するわけにはいかない。自警団員が回収に来るのを見越して、劇薬や細菌が塗りこまれている恐れがある。まさかとは思うが、やはり、そんなリスクを負うことはできない。
 金がなくて新規購入できないのが問題なのだ。
 これまでコブレン自警団は、別組織の拠点を襲って略奪したり、別組織に内通者を作って稼業の儲けを横流しさせたり、別組織の末端構成員を拉致して金の隠し場所を吐かせたり、別組織の上層部を拉致して身代金をたんまりせしめたりして、多大なる恨みとともに活動資金を得ていた。穏便な方法では、数ある鉱山業者のいくつかから資金提供を受けていた。困っている市民から金を受け取ったことはないし、一般人からの暗殺依頼などは決して受けなかった。
 だがもう、今までのやり方で金を得ることはできない。シグレイの元へと手紙を持たせて派遣した団員も、返事をもらってくるように、と言いつけて送り出したにも関わらず、それを果たせなかった。
 シグレイがコブレン自警団を信用しない、というのなら、それはそれで仕方がない。だが彼が放置している間にも、市内では子供たちが殺されている。そういうことを考える気すらないのではないか、と思えてしまうのが辛いのだ。反乱軍はいずれトレブレン地方を放棄する。そうなれば、大道路で南トレブレンと連結されたコブレンも、見放されることになる。加えてもし東のフクシャが陥落したら……南のシオネビュラが連合側に転んだら……。
 ミスリルは呼吸を止め、同時に悪い想像を止めた。目を閉じ、続けてゆっくりと、冷たい空気を吸いこんだ。
『これより活動を開始する』目を開け、自警団内でのみ通用する形式の手話で二人に語りかけた。他の二組は、既に別ルートから市内に入っているはずだ。『オーサー師、離れた位置からの援護、及び偵察を頼む。アエリエは俺と来い』
『承知した』
『はい』
 オーサー師が音もなく走り去る。その姿は闇に紛れ、物音も聞こえず、どこに行ったかわからない。どの窓もカーテンや鎧戸で閉ざされ、路地に明かりが漏れてこない。それは仕事をやりやすくさせる。外出禁止令が出ていることに、ミスリルは安堵していた。どのような物音をたてようと、市民の気を引き、巻きこむ恐れがないからだ。
 ミスリルとアエリエは、近くの民家の塀から屋根によじ登った。連なる屋根の上を、耳を澄ませ、大気に意識を拡散させながら歩いた。感じ取れる気配はなかった。
 コブレン母市は二重の城壁によって二層に分かたれている。今ミスリルたちがいるのは、一層目、つまり内側の城壁の内部だ。今いる地点、一層目の北部の様子を、ミスリルは屋根の上から観察した。左手側は、兵器工場の大きな壁が視界を塞いでいた。正面には、破壊された派出神殿の黒い影が聳えていた。右手側は製粉所で、むろん明かりはない。
 自分の気配を消すために静かに保った精神が、ざわつき、余計な思念が生じかけた。ミスリルはまた息を止めた。
 一月以上も前、救世軍に目を付けられた人々が追い回されて、あの製粉所に立てこもった。コブレン自警団は盾となって人々を市外に逃がした。その時救世軍に助力したのが〈タターリス〉だった。市街で堂々とやりあうなど、初めての経験であり、暗殺者の流儀からしてあり得ないことだった。その抗争で自警団の主力がかなりやられた。製粉所での戦いは、コブレン自警団にとって組織規模のトラウマになっている。それを癒せるのはリーダーしかいない。
 アエリエが軽く二の腕をつついてきた。ミスリルの手に、指で文字を書く。
『伏せてください』
 二人は傾斜した屋根の上で、頭を下に向ける形で腹這いになった。
 真っ暗な路地を、アエリエが指し示した。ミスリルは路地をじっと見つめた。その内、戦闘の痕跡が次第に見えてきた。散らばる木箱。砕けた野菜。
 人の気配が迫ってくる。
 靴音が聞こえた。
 固い靴だ。鉄板入りの靴だとしたら、救世軍の誰かだろう。
 違った。
 カンテラを下げて路地に姿を見せた男は、西方領の軍服に身を包んでいた。
 イオルク・ハサだった。
 カンテラが、舗道を濡らす血溜まりを照らした。イオルクが息をのむ音。彼は硬直し、立ち尽くした。それからカンテラを振った。中の火が、左右の壁を映し出し、次いで壁際に積み上げられた死体を映し出した。イオルクは死体を見つけ、駆け寄り、膝をついた。死体は四人の男だった。制服を着ている。
 西方領の外交員二人と、その護衛武官二人だった。
『彼らは〈タターリス〉の実態と資金源について嗅ぎ回っていたはずです』
 アエリエがミスリルの手の甲に指で書いた。ミスリルはアエリエの手の甲に書く。
『知ってはいけないことを知ったんだろうな』
『傷口が鮮やかではありません。救世軍兵士の仕業でしょう』
 と、アエリエ。ミスリルは嫌な気分になった。救世軍の奴らはいつから暗殺者の真似事をするようになったんだ?
 荷車を()く音が近付いてきた。軽い音なので、恐らく何も積んでいない。死体を運びにきたのだとミスリルは判断した。その判断は当たった。イオルクが顔を上げる。彼の前方から、五人の救世軍兵士が路地へと進入してきた。一人はこの町なかで、フルプレートアーマーに身を包んでいる。何かよほどの意味があるか、でなければ馬鹿なのだろう。イオルクは立ち上がり、逃げようとした。それより早く、兵士の一人が鋭く笛を鳴らした。路地の反対側から、新たに三人の兵士が駆けて来て、イオルクを取り囲んだ。
『あいつを助けるぞ。まだ使い道がある』
 アエリエが頷き、腰にかけたスリングを外してポケットから石を取り出した。卵形に磨きあげて、殺傷力を高めてある。それを作るのは見習いたちの仕事だった。
「君たちが」イオルクが震える声で尋ねた。「これは君たちがやったのか?」
 兵士たちは答えず、ニヤついているばかりだった。ミスリルは心の中で毒づいた。このろくでなし共め。今すぐぶっ殺してやる。イオルクは丸腰だった。彼の正面に位置する兵士が剣を抜き、振りかぶりながらイオルクに迫った。
 その兵士の側頭部を、卵形の石が直撃した。ちょうど頭蓋骨の継ぎ目にあたるもっとも弱い場所にのめりこみ、兵士はよろめいた。剣を落としながら、しばらくは立っていた。やがて跪き、倒れた。
「誰だ!」
 鎧の男がひっくり返った声で叫ぶのと同時に、ミスリルがイオルクの前へ、アエリエがイオルクの背後へ飛び降りた。
「誰だって?」
 手ぶらのままのミスリルが、鎧の男を睨みつけた。
「まずは自分から名乗るが礼儀ってもんだろ、鎧バカ」
「君は――」
 と、イオルク。
「黙ってろ!」
 黙らされたイオルクの後ろで、アエリエが背中の大鎌を外した。柄とハンドルを握りしめ、右足を踏みこみ、上から斬り下ろす構えを取った。彼女の相手は三人。ミスリルの前に残っているのは四人だ。その全員が剣を抜いた。
「鎧バカ!?」鎧の男、ノルルが言い返す。「誰に向かって言ってるんだ!」
 立ち方も剣の持ちかたも、全くなっていない男だった。徴兵経験がないのだとミスリルは見て取った。金持ちの長男ということで免除されたくちだろう。救世軍で偉ぶっている連中の中には、金持ちの息子が珍しくない。
「お前だ、鎧バカ」
「団長」
 アエリエの緊迫した声が、進展を促した。無駄話をやめ、ミスリルは左手を腰にやった。
 ベルトに、鉄製の警棒のような物が三本差されていた。ミスリルはそれらの棒をまとめて鷲掴みにし、抜いた。
 三本の棒は鎖で連結されていた。真ん中の棒を握り、左右の棒を垂らして腕を前に突き出した。
 これは、アースフィアにおいて決して広く知られてはいない武器だった。
 三節棍という。
 遙かな昔、地球(テラ・マーテル)の一部の地域で発祥した近接戦用の武器だ。廃れ、失われたその武器と戦闘法を、どこかの誰かが史料から発掘した。地球人と言語生命体が共存していた頃だ。その物好きの研究を、別の物好きが引き継いだ。これは歴史と文化の継承だという自負を、ミスリルは抱いていた。地球時代という古くから続く、数少ない歴史的な物の一つだ。
 敵対者たちは全員、それが何かわからずぽかんとしている。
 この武器は、演武に用いられるものではない。かつてはそのように使われていたようだが、ミスリルはフーケ師から、殺人術として伝授された。三節棍の両端には、威力を高めるための鉄の(おもり)が鎖で取り付けられていた。
「ハサ大尉」ミスリルは肘を引き、囁いた。「壁際に行ってしゃがんでろ」
 真ん中の棍に両手をかける。それをゆっくりと、縦方向に振り回し始めた。次第に加速をつけていく。
 間もなく、目にも止まらぬ回転となった。回転する鈍器だ。先端の錘が恐ろしい勢いで舗道を削り、小石を散らしていく。右に、左に、右にと、腕を動かした。兵士たちはようやくこの武器の恐ろしさを悟った。攻撃線が見えない。そして、迂闊に接近すれば必ずや錘で頭を叩き割られるだろう。
 ミスリルは、後ずさる兵士たちへと少しずつ近付いていった。石畳の削れる音が、それに合わせて移動する。
 三節棍は強力な武器だが、使用者に対しても恐怖を与える。棍の先端が、敵を殴り殺したその勢いで自分に跳ね返ってくるからだ。ミスリルの弟弟子は、跳ね返ってきた三節棍を顔面に受けて眼球破裂の大怪我をし、その傷から入りこんだ悪い細菌に脳をやられて気が狂って死んだ。尊厳死が与えられたのだ。ミスリルはもう、その末路を恐れはしなかった。己を殺すつもりで人を殺すのだ。死ぬるなら、それまでのこと。
「死の恐怖と苦痛によりて彼らを清めたまえ」
 唱えるや、大きく地を蹴って前に踏み出した。
 回転によって十分なエネルギーを得た棍を、一人目の兵士の顎を目がけて右下から叩きつけた。錘が兵士の顎を砕き、その一撃で意識を奪った。錘と棍の先端が、兵士の頭の左上方向へ抜ける。ミスリルは右足を右方向へターンさせながら、その勢いで錘を兵士の側頭部に叩きつけ、とどめをさした。
 あと三人。
 今度は両端の棍を両手で握って先端を触れあわせ、中心の棍を底辺とする三角形の構えを取った。回転が止まったことで、兵士たちは剣を構え直す余裕を得た。彼らは敵前逃亡を許されていない。ここでミスリルから逃げおおせても、今度は幹部に殺される。戦うしかないのだ。
 正面から片手剣の突きが来た。それを右手の棍で右方向に払う。それと同時に二人目の兵士が左手側から踏みこみ、斬りかかってきた。それを左手の棍で払う。たちまち体勢を直した正面の兵士が斬りかかり、それを右手の棍で払っている間に、左手側兵士が突きを繰り出す構えを見せた。
 ミスリルは大きく後ろに跳びのいた。一番左側の棍を左手から右手に持ち替える。そして、自由になった中央と右の棍を、右から左へ大きく振り回した。正面の兵は、急激に伸びた間合いに全く対応できなかった。右下から左上方向へ、側頭部を叩いた。ぐしゃっ、という感触が掌に伝わった。右足で踏みこみながら、腰を捩り、頭上で大きく円を描いてもう一度同じ場所に叩きつけた。兵士は地に伏せるより早く、完全に絶命した。
 右腕を左腰へ下ろし、回転の勢いを残したままの棍を腰に巻き付け、動きを止めた。右の腰へ回ってきた棍の先を左手で握る。右手の棍を離し、左手の棍を左方向に引く。体の正面に来た中央の棍を右手でつかんだ。再び両手を中央の棍にかけ、体の右側で振り回して縦の円を描く。
 左の脇腹を狙い、兵士が突いてきた。
 ミスリルはそれより早く、額につきそうなほど高く右足を上げた。同時に左手を棍から離す。右足の下に棍を潜らせ、左側の棍を左手で掴んだ。そのまま右から左へ振る。中央の棍が剣を払いのけると同時に、右の棍が兵士の顔面を叩いた。
 そのまま左足を軸に体を回転させ、錘を額めがけて上から下に振り下ろす。兵士の額に直撃し、打ち砕いた。
 ミスリルの前にはノルルが残るのみとなった。
「忠告してやる」
 左手で左端の、右手で中央の棍を握りしめながら、ミスリルは三節棍を最後の一人に突きつけた。右端の棍が垂れ下がり、それに取り付けられた錘には血と髪の毛がこびりついている。ミスリルはその錘をこれ見よがしに揺らした。
「その鎧は、むしろお前の死を苦痛に満ちたものにするだろう。今すぐ脱げ」
 最後の敵は、一人では何も考えられぬとばかりに空しく左右を見回した。援軍は来そうにない。ミスリルはもう待たなかった。石畳を削りながら、三節棍で大きく縦の円を描く。立ち尽くしたまま逃げることもできない男の首に、錘を叩きつけた。
 一撃で首の骨が折れた。間合いを詰め、右手で中央の棍を握り、強く左右に振る。頭と顔を覆う兜は何ら意味をなさなかった。跡形もなくへこみ、衝撃をそれに覆われた頭部に伝える。
 こいつは意識を失えただろうかと、ミスリルは倒れた相手の兜をなお叩きながら思った。そうでなければ悲惨だ。防具のせいで即死できないのだから。
 完全に絶命した手応えを得られるまで叩き続け、手を止めた。原型を留めない兜から赤黒い血を流しながら、男はうつ伏せに倒れ伏している。兜は潰れた頭と同化しており、もはやはじめから彼自身の頭の一部だったかのようにも見えた。
 アエリエもまた、一人で三人の敵と戦っていた。
 彼らはあまり一般的とはいえない種類の長柄武器に戸惑いを見せたものの、まずは路地いっぱいに広がって、側面から背後への包囲を試みた。
 左右の二人が動き出した。アエリエは大鎌を振り下ろして、その湾曲した刃を正面の兵士の首にかけた。刃の付け根を相手の肩に置き、優しくなでるように手前に引くと、首筋が切れて血が噴き出した。
 倒れこむ相手の動きに引きずられないよう、すぐに鎌を敵の体から離す。仲間の血を浴びて怯んだ右側の兵士の胴体を狙った。相手は慌てて剣で払いのけようとした。槍ならばそれで払えたかもしれないが、大鎌には巨大な刃がついている。体全体に刃を回しこむことには失敗したが、刃の先端が右の脇腹を斬った。それだけでも致命的な深手だが、更に刃を振り上げて、肩の後ろを突き刺した。
 三人目の兵士は剣を構えたまま、完全に恐怖で硬直していた。彼らは民間人を相手に弱い者いじめをしたり、集団で少数の相手を殺すのは得意だが、実力ある相手への対応はわかっていないのだ。
「吾が与う恐怖によりて()の罪を赦したまえ」
 穏やかに呟き、足を狙って大鎌を振るった。相手がそれを回避できたのは、意図してではなく、本能で素早く後ずさったからだった。アエリエはすぐに武器を体に引き寄せると、柄尻を左上に、刃を右下にやる下段の構えを取った。相手の剣の下をくぐり、腕を斬り上げる。兵士は悲鳴を上げようとした。アエリエはその首を刎ねて永遠に黙らせた。それから仕上げに、スリングで気絶させた兵士にとどめをさした。
 後ろでは、ミスリルが鎧の男を叩きのめしているところだった。アエリエはなめし革で大鎌の刃を拭いた。イオルク・ハサは強ばった顔で、アエリエとミスリルの姿を交互に見ている。
 ミスリルが攻撃を止め、腰をまっすぐ伸ばすと息をついた。手の甲で額を拭い、振り返る。アエリエとイオルクの無事を確かめると、ミスリルの雰囲気が和らいだ。
「怪我はないか」
「ええ、団長」
 二人がイオルクを見やる。
「君たちは」彼は極力平静な口調で尋ねた。「コブレン自警団だね」
「覚えててもらえて光栄だね。ハサ大尉、ここで何をしていた? あの外交員たちはどうして殺された?」
 ミスリルの言葉に、金属の触れあう音が重なった。ミスリルは振り向いた。
 鎧の男が、ゆっくり立ち上がろうとしていた。
 すぐには事態をのみこめず、ミスリルは瞬きを繰り返した。
 あれほどひどく頭を叩き潰されて、生きているはずがなかった。万一仕留め損ねていたとしても、動けるはずがない。
 天に背中を向け、その下に頭と両手足を畳みこむ亀のような姿勢で男はうずくまった。
「お前……」
 三節棍の両端を左右の手で握り、三角形の構えで鎧の男を警戒する。
「お前、何故死なない?」
 不意に絶叫し、男は立ち上がった。へこみ、歪み、形の変わってしまった鎧の中に無理に体を閉じこめられて、錯乱し、走りだして壁にぶつかった。
 ミスリルは男の背後から、三節棍の左端を投げた。男の首に巻き付け、もう一度左端の棍を握り、首の両側を左右の棍で挟みこむ。そして腰を曲げ、、背負い上げるようにして渾身の力で首を絞めあげた。殴って死なないならば絞め殺すまでだ。男はもがき、暴れ続けたが、じきに動かなくなった。背中に重みがのしかかる。ミスリルはそのまま一分以上も絞め続けた。ようやく棍を離して拘束を解くと、男は横向きに倒れた。ミスリルは激しく脈打つ心臓をなだめながら、半ばアエリエに話しかけ、半ば独り言を呟いた。
「こいつ、ホントに人間か?」
 すると、鎧の男は姿勢を仰向きに変え、激しく手足をばたつかせ、喚き始めた。
 今度はアエリエが、鎧を砕いて男の腹に大鎌を突き立てた。完全に動かなくなるまで腹と胸を刺し続ける。金属がぶつかり合う音。肉が潰れ、骨の砕ける音が無情に響いた。ミスリルはさすがに気分が悪くなってきた。アエリエと大鎌の動きは、大きな嘴を持つ鳥が、餌を探して何度も地面をつついているように見えた。そののどかな光景の連想が、ミスリルの中でグロテスクさを際だたせた。
 アエリエが、ふと手を止めて呟くいた。
「消えた……」
「何だって?」
「消えました、団長」
 アエリエが後ずさって死体から離れ、代わりにミスリルが死体の隣に片膝をつき、様子を観察した。壊れた鎧の中に、男の死体は入っていなかった。ただ、黒い砂のようなものが辺りに散っているだけだ。ミスリルは、一連の出来事の意味を把握しかねて困惑した。ただ、ひどく醜いことが起きたのだと感じられた。立ち上がり、鎧の残骸から離れた。
「……こんなのは間違ってる」
 イオルクも、おずおずと寄ってきて様子を伺った。
「あんた、どういうことかわかるか?」
「救世軍が――」イオルクが首を傾げながら応じる。「人の心を掴む方法……。秘技や奇蹟を見せると言っていた。それがどういうことなのか、彼らは……殺された彼らは」と、外交官たちの死体に目をやった。「調査していたんだ。救世軍は実際に何かができるんだ。死体を起き上がらせるようなことが」
「奇蹟?」ミスリルは顔にありありと嫌悪を浮かべ、吐き捨てた。「何度もこんな死を死ななきゃいけないのが奇蹟なもんか」
「そうだね」
 この男は何かを知っているのだとミスリルは確信した。はぐらかし、隠している。イオルクの顔を睨みつけ決意した。今日中に、絶対に聞き出してやる。
「で、あんたはここで何を?」
「いなくなった彼らを捜していたんだ。それともう一つ」イオルクは迷いを見せたが、今度は困惑するほどの正直さで打ち明けた。「コブレンの非常用食糧庫が、外の難民たちのために開放されている。君たちは知っていたか?」
 ミスリルも、警戒しながら正直に答えた。
「初耳だな」
「どういう事情か確認しに行こうと思っていた。救世軍らしくないからね。それと、君たちがいなくなってからの自警団本部に、どうも救世軍が出入りしているみたいなんだ」
 これに対してミスリルは、そしてアエリエも、何も言わず、頷いたりもしなかった。
「……俺たちの元本部に行けば、何かわかるかもな」
「それと、まだ僕は自分の責任で、あることをしなければならない」
「秘文書貼り出し事件の後始末か?」
 恥じ入るように、イオルクは目を伏せた。
「そうだ。あれを行ったのが救世軍なら、その証拠を掴んで正式に抗議文書を――」
「あれは俺がやった」
 アエリエが素早く目をくれたが、何も言わなかった。
「不要な要素は排除しておきたかったんだ。あんた方は救世軍の暴走を抑えてくれるかもしれないって期待もしてたけど、そうはならなかった。だからもうコブレンにいてもらう理由がなかった。でも――」
 怒れよ、とミスリルは思った。俺に対して。思ったというよりは、願った。だがイオルクは、どこか悲しそうな顔をしただけだった。ミスリルは苛立ち、それを隠した。
「だからって殺される必要はないだろ? それと、犯人が分かったんだからもうこの件で余計なリスクは冒さないって、俺と約束しろ」
「どうして君が僕の生死を気にかけるんだい?」
「さあな。でも、あんただって救世軍を野放しにしたくはないだろ? 協力してくれよ」
 優柔不断な態度で黙りこむイオルクに、ミスリルは首を横に振った。
「腹が立つのもわかるけど、助けてやったってことで大目に見ろよ」
 イオルクは小さな目の目尻を垂らした。
「君たちには参るよ……」
 そして、首を縦に振った。

 
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