強攻大隊

文字数 4,370文字

 1.

 マグダリス・ヨリス少佐は大隊指揮所として借り上げた商館のテラスから模擬戦を見下ろしていた。大隊の四つの中隊の内、第一中隊と第二中隊、二分した一個支援小隊に加え、現地の農民たちまでもが模擬戦に参加していた。新総督軍の奇襲に度を失い逃げ惑う民間人、というのが農民たちの役であった。彼らは、今や反乱軍首領となり果てた前総督シグレイ・ダーシェルナキと共に海を渡るを望んだ。この模擬戦は、いずれ来る撤退に向けて必要だった。どのような形で撤退の時を迎える事になるかなど、読みきれるものではない。最悪の事態を想定し、何より戦闘の妨げにならぬよう、護送対象の民間人を慣らしておくのが目的だった。
 攻撃側の第一中隊はぶどう畑のある長い斜面を駆け上がると、たちまち各小隊を分隊ごとに散開させ、隙のない機動で広い農村の征圧領域を広め、村の中央に向けて第二中隊を包囲していった。
 対する防御側の第二中隊は、民間人の避難に手間取り苦戦を強いられていた。というのも、(したた)かな農民たちは彼らなりの流儀でこの模擬戦を楽しんでおり、寝たきりの病人のふりをする者や、腰が曲がってまともに歩けぬふりをする者、恐怖で頭がおかしくなったふりをして好き勝手に走り回る者などが多くおり、決して楽に避難させようとはしなかったからだ。
「嫌じゃ! じいさんの遺品じゃ! 一つも手放さんぞ!」
 ある一軒家の前で、老婆が大量の荷物を抱えて地面に座りこんでいた。その役にこだわりがあるらしく、彼女は模擬戦の度に同じ振舞いをした――二人の第二中隊の兵士は、攻撃側だった時と逆の運命をたどった。死角から飛び出してきた第一中隊の兵士二人の奇襲を受けたのだ。
 彼らは民間人を傷つけぬよう注意を払いながら防御側の兵士二人に木剣を振りかざし、斬り、刺すふりをした。兵士二人はしぶしぶ死亡判定の赤いたすきを身に纏った。
 ヨリスは溜め息をついた。三十代半ばのこの大隊長は、二十八歳で佐官昇級試験に合格した一年後からずっと、同じ大隊を率いてきた。シグレイ・ダーシェルナキの『反乱軍』、第一軍第三軍団第一軽歩兵師団第一歩兵連隊第四大隊=強行攻撃大隊、通称『強攻大隊』。高難度の攻撃戦に特化した歩兵の精鋭部隊で、攻撃性の高さと練度の高さ、恐るべき機動力と統率力をして、いつしか『スズメバチの大隊』の異名で呼ばれるようになった。
 大隊の顔とも言うべき指揮官のヨリスは、軍人として見ればそれほど大柄なほうではない。引き締まった体には無駄がなく、がっしりしているが細身で、実年齢よりずっと若く見える。知らなければ二十代後半と言われても通じるだろう。黄色(おうしょく)の肌。闇のような黒目黒髪。とりわけその髪は長く、一つに編んで背中に垂らしている。彼はいつでもあらゆる感情をその無表情の下に隠していた。模擬戦を見下ろす今もそうだ。一重まぶたの細長い目と、どこに瞳孔があるのかわからないほど黒い虹彩が、一層他者に感情を読み取りづらくさせていた。
 背中に視線を感じ、ヨリスは振り返った。テラスと廊下を隔てる戸が開いており、若い女と目が合った。女はテラスを横切って歩いて来た。茶褐色の肌と、しなやかな長身。薪に照らされる高く結い上げた髪は水色がかった銀髪で、女はその美しい色に由来する名を持っていた。シルヴェリア。
 シルヴェリア・ダーシェルナキ。前総督シグレイの長子で、十八歳で成人すると同時に第一師団長の座についた。二歳から帝王学、三歳から政治学、四歳から戦争学を受け始めたシルヴェリアは二か月前に二十歳を迎えたばかりだった。明晰な頭脳を持ち、西方の貴人の例にもれず古風な話し方をする。明るい水色の瞳はいつも、好奇心と自信と残忍さが綯い交ぜになった不思議な光を宿していた。実際、好奇心と自信と残忍さが、彼女の本質であった。ヨリスは若すぎる師団長に礼をした。
「のう、ヨリスや」
 シルヴェリアはヨリスと並んでテラスの縁に立ち、模擬戦を見下ろした。
「何でございましょう」
「斯様な混乱の内に撤退をせねばならぬ可能性があると、そなたは考えておるのかえ?」
「はい。前総督閣下の回答内容が明白である以上、敵が最後通牒の回答期限まで待つとは思えません。あらゆる事態を想定するべきと判断いたしました。遠からず第三軍団が北トレブレンから撤退すると決定している以上、無駄にはならぬでしょう」
 シルヴェリアはにやりとした。
 シグレイ・ダーシェルナキが王に背いて発動した、神人=地球人の遺物である『宙梯』を目指し航海する第十七計画。王領はロラン・グレン新総督軍をシグレイの喉許に突きつけて、計画放棄の最後通牒を起草した。回答期限は起草より十四日後。うち五日半がシグレイへと届くまでに費やされていた。
 シグレイは素早かった。既に南西領西部で予備兵を徴集し、支援、補給を行う部隊を作っていた。予備兵は徴兵期間を終えた二十四歳から三十四歳の男性だったが、最後通牒の起草を知るや、三十五歳から四十歳までに引き上げた。通牒が届く頃にはもう、二次動員の兵員をあらかた集結地点まで移動させていた。
 新総督軍、王領軍、西方領軍、南東領軍、更に王国各地の神官兵団で結成される連合軍に、シグレイの反乱軍――護民軍という、聞こえのいい呼び方もある――は、兵力でこそ大きく劣るものの、絶望的にならずに済むだけの利点もあった。
 航海を希望する者たちは、側面と背後を陸軍に守られながら、南西領南部の港湾を持つ各都市へ撤退し、船に乗りこむ。その途上には軍用馬や馬糧を生産する牧場や、地球文明の遺物である『古農場』が点在していた。
 夜の王国の農作物は、アースフィアの特殊な四季と環境に適応するようはるか昔に品種改良がくわえられ、その後も独自の進化を続けていた。『古農場』では、それでも栽培が難しい、特殊な環境下でしか安定して生産できない作物が生産される。カカオやコーヒーといった嗜好品が多いが、通常の農作物も作られている。『古農場』では概ね地下四層にわたって地球の技術で完全生産管理され、海底の輸送ラインを通って『宙梯』に渡り、月を経由し太陽の王国に輸送される。アースフィアに暮らす言語生命体たちがそれら作物を掠め取った件で、太陽の王国より咎めを受けた事はなかった。それゆえ、戦時に於いては補給の観点から決して無視できる存在ではなかった。
 これらの利点ゆえ、シグレイは海への撤退戦を悲観してはいなかった。地理の幸運――もっとも、幸運などではなく、(いにしえ)の昔にそうした立地を考慮して都が作られたからなのだが。
「それにしてもヨリスや、防御側は分が悪いのう。どの中隊じゃ?」
「第二中隊です。ですが、第二中隊が実力で劣っているのではございません。どの組み合わせ、どの条件で模擬戦を行っても、常に攻撃側が勝利します」
「必ずか?」
「必ずです」
 シルヴェリアは意地悪く笑った。
「それは頭の痛い課題よのう」
 結局、模擬戦は第一中隊の勝利で終わった。
「あんたら、未だに私のじいさんの遺品を動かせんのかのう!」
 あの老婆が肩を揺すって笑うと、周囲の農夫たちもつられて声を上げ笑った。
「勘弁してくれよ、ばあさん! 頼むからもうちょっと減らしてくれって。あれなんか箪笥一個分あるじゃねえか! 日に日に増えてくってどういう事だよ」
 兵士も軽口で応じ、頭を掻く仕草で笑いを誘った。兵士たちは民間人の心を掴む努力を惜しまなかった。
「しかし、良い手を考えたな」シルヴェリアが呟いた。「こんなやり方で民間人を訓練に駆り出すとは。彼らから得る物も多かろう。現地に暮らす人間の知識と知恵をも地理の一部と見做す……誰の教えだったかな」
「コーネリアス元帥です、師団長」
 すると、なだらかな丘陵の向こうに聳える北トレブレンの城壁を背に、土埃を蹴立てて来る騎馬の一団が見えた。兵士たちも気付き、ぞよめく。ヨリスは目を細めた。同じ第三軍団の、第二師団の旗だった。
 ヨリスは先頭の男、鎧を纏った偉丈夫を知っていた。
 第二師団師団長、グラムト・チェルナー中将。ヨリスの強攻大隊には彼の娘が在籍していた。弓射中隊隊長ユヴェンサ・チェルナー上級大尉だ。
 チェルナー中将の隣には、副官のウルプ大佐がいる。後ろには護衛を七人連れていた。
 強攻大隊の二個中隊の兵士たちが、甜菜畑の手前で鮮やかに縦陣を組んで迎えた。両翼の弓射手たちは訓練用の弩を構える。
 第二師団の師団長たちは、甜菜畑に横たわる広い農道で停止を余儀なくされた。
「道を開けろ! 何の真似だ!」
 副官のウルプ大佐が叫んだ。
「ここが第一師団第一歩兵連隊、強攻大隊の宿営地である事はご存知でしょうね?」
 先の模擬戦ではいいところを見せられなかった第二中隊隊長が縦陣の前に出た。兵卒からの叩き上げで、下士官時代にヨリスから士官承認試験を勧められ、尉官の階級を得た。現在は中尉で、兵士たちからかなりの尊敬を集める人物だった。
「我が大隊に関わりのない方は、どなたであろうと通すわけには参りません」
「何だと? たかだか中隊長風情が。こちらにいらっしゃるは第二師団師団長、チェルナー中将であるぞ!」
「それはそれは」
 副官は、師団長の娘も中隊長である事を忘れているようだ。
「それほどご立派な役職のお方であれば、正式な話し合いとご用件の通し方にはさぞお詳しいのでしょうな」
 背後の将兵がどっと声を上げて笑った。
 シルヴェリアはヨリスの横顔を見上げた。
「止めぬのか?」
 このほぼ無表情の男から、正しく感情を読み取る方法をシルヴェリアは心得ていた。細い目に揺れる光を観察し、ヨリスは止めるどころか楽しんでいると判断を下した。
「……全く。グラムト・チェルナーはゆくゆくはそなたの舅となる人物ぞ。うまくやろうという気はないのかえ?」
「どうでしょう」ヨリスはうっすら微笑んだ。「この場をどう収めるか、手並みを拝見してから考えても遅くはございますまい」
 ヨリスは知っていた。強攻大隊の副官が、チェルナー中将を決して宿営地に入れるなと兵を煽っていた事を。それは、チェルナー中将がヨリスを憎んでいるからであり、ヨリスがチェルナー中将を嫌っているからだった。
「中将がそうした器でない事はそなたも知っておろうに。もうよい、あやつの目当ては私だ。私の副官からここにおる事を散々苦労して聞き出して来たんじゃろうて。おお、中将や、哀れ哀れ」
「では、密談の場所をご用意しましょう」
 ヨリスの言に、シルヴェリアはにやりとして応じ、結い上げた髪をゆらゆらさせながら、テラスから出て行った。


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