トレブ高地の戦い

文字数 4,294文字

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 今まさに迫り来る神官兵団の騎兵たちには、起伏を繰り返しながらも全体に上り斜面となっている丘の先に、シルヴェリア師団陣地正面を防御する土塁が見えている。陣地左翼、すなわち騎兵たちから見た右手には、サリナ・グレン連隊から奪った荷車で作られた障壁が黒くそびえていた。陣地右翼には天然の大きな窪地があるもののがら空きで、密集した矢来(やらい)が並ぶだけだ。
 騎兵。次から次へと押し寄せて、射撃の嵐を突破する。歩兵の陣地へなだれこみ、隊列を切り裂いて、槍やサーベルを振りかざし歩兵を殺戮する。それが戦いの光景だ。馬の重量、高みから見下ろす敵意に満ちた目、きらめく刃の殺意。人馬一体の戦士の乱入は、たやすく歩兵を混乱に陥れる。
 地響きをたてながら、重い壁となって騎兵隊が迫ってくる。土塁の内側で、第一列の弓射連隊が、連隊長の号令一下一斉に弓を引く。射手に頑強な肉体と精緻な技量を要求する長弓だ。地響きにかき消されぬよう、連隊長は腹の底から声を響かせた。
 各個、前方の目標狙い曲射用意!
 その号令の通り、射手たちは射角をあげる。極限まで弦を引き、腕と肩が震えている。連隊長・バードランド大佐の副官が再前列から後方に駆け戻り、指揮官に射程を耳打ちする。バードランド大佐は陽気で誇り高い指揮官だ。ずば抜けて背が高く、なめらかな筋肉と黒い肌を持ち、彼自身もまた長弓の優れた使い手だった。彼は優れた視力を誇る目を細めた。もうもうたる土埃の向こう、馬上の騎兵一人一人の鎧の作りさえ見て取れるよう……。
「斉射開始! 放て!」
 長く延びた号令は、長弓の弦の唸りと矢の風切り音に掻き消された。
「曲射続け! 各自連射せよ!」
 矢の黒雲が、天球儀の光を覆い隠した。弧を描いて降り注ぐ矢は、再前列の騎兵の鎧や兜を打ち破り、馬から射落とした。馬を殺された騎兵は馬体と共に土に倒れ、その下敷きにもならなければ仲間に踏みつぶされもしなかった幸運な騎兵は、サーベルを掲げて突進を続けた。
 連射を続ける弓射手たちは、敵対する神官団の横隊が右方向に長く延び、中央で二つに割れるのを見た。
 守りの薄い陣地右翼へ回りこむつもりだ。
 弓射連隊は敵の機動を意に介さず、正面への射撃を続けた。動揺して手をゆるめれば、たちまち突破されるだろう。
 シルヴェリア師団右翼の矢来の影には、第二歩兵連隊の四つの弓射中隊が身を潜めていた。矢来の手前側には、天然の土塁とも言える急斜面が連続している。人を載せた馬に対しては有効な障壁だ。
 サーベルを掲げた軽騎兵と徒歩の弩兵の姿が、少しの間斜面の陰に消えた。跪射(きしゃ)の姿勢を取る弩兵たちは、見えねども、膝に伝わる大地の振動で、間もなく自分たちを殺戮に来る騎兵の接近を感じた。
 その姿が斜面の上に現れる。
 そして、最後の斜面にさしかかり、速度が鈍った瞬間、各大隊長が射撃の号令を発した。
 高地から降り注ぐ矢は、騎兵隊の前進に深刻な停滞を与えた。
 シルヴェリアは中央、右翼、いずれの戦局からも目をそらさず、低い声で伝令を呼んだ。ひざまずく伝令兵に目もくれずに命じる。
「第一歩兵連隊、第三大隊、第四大隊、左翼障壁より各自作戦地点へと移動せよ」
 右翼では、騎兵たちを援護する敵の弓兵たちが射撃を開始した。木屑を飛ばしながら、矢来に続々と矢が突き刺さる。第二歩兵大隊の射手たちは伏せた姿勢で射撃を続けたが、その勢いは否応なく落ちる。敵第二列、プトラ神官団の重騎兵たちが、今とばかりに突撃を開始した。俄然、騎兵たちの士気が増す。シルヴェリア師団の歩兵指揮官たちは、前列の弓兵に射撃を続けるよう命じるが、竦んでしまい、従えない兵士たちが増えてきた。前列が交代される。白兵戦だ。騎兵たちは最後の斜面を駆け上がり、陣地手前で歩兵部隊と激突した。
 右翼に広がる四個の歩兵大隊は、戦いながら二個ずつ左右に分裂した。歩兵対騎兵、歩兵対落馬した騎兵、弩兵対騎兵、弩対弩兵の戦闘が個別に行われ、両軍とも統制を失いつつあった。中央では狂気じみた乱射が絶え間なく続けられ、左翼では第一歩兵連隊の二個大隊が、障壁の陰から丘の陰へ、戦闘の騒音に紛れて静かに展開していた。敵陣最右翼の間近で、第三大隊のリャン・ミルトは部隊を待機させた。背後を通り、ヨリスの強攻大隊が更に奥へと走り抜ける。今、重騎兵部隊に見つかれば為す術はない。遮蔽物のない地点でまともにぶつかれば、軽歩兵部隊など蹂躙されるがままだ。
 右翼でシルヴェリア師団第二歩兵連隊の喇叭が吹き鳴らされた。兵士たちは、個々の戦闘を切り上げるという最も難しい行為への対応を迫られた。が、どうにか大部分がそれを成し遂げた――成し遂げ、敵に背を向けずに後ずさり、大隊は再び大隊の体を為す。シルヴェリアには、そのダイナミックな動きが一望できた。四つの大隊が前後左右に延び、包囲する。だが、騎兵たちはそれを突破し、指揮部隊に乱入し、また弓射連隊の背後に回りこみ、かき回す事ができるはずだ。更には今にでもプトラ神官団が右翼に増援として合流しようとしている。まだ戦闘の帰趨はわからない。どちらかと言えば不利だ。シルヴェリアは汗をかきながら生唾を飲んだ。今、第三列のザナリス神官団が突撃をかければ勝機はない――。
 神官連合兵団中央では混乱が起きていた。長弓によって第一列マフェリカ神官団の騎兵隊は壊滅的な被害を受けており、再編のため後退しようとして二列目のプトラ神官団とぶつかり渋滞となっていた。その渋滞地点に、容赦なく曲射が続けられる。第三列のザナリス神官団は、渋滞の奥で立ち往生していた。
 ザナリス神官団は来ない。シルヴェリアは確かな手応えを感じた。中央の敵の被害はあまりにも大きい。西方領の神官どもには、南西領のためにこれ以上の損害を被るつもりはないはずだ。
 シルヴェリアは大きく息を吸い、目を大きく開いて吊り上げた。しなやかな腕をまっすぐ伸ばし、指揮杖を振りかざす。篝火を受けながら、先端の吹き流しが翻った。
 ――戦機あり。
「第一歩兵連隊! 突撃せよ!」
 指揮部隊の旗手が素早く、第一歩兵連隊の旗を高く上げた。それに呼応し、左翼左手へとなだらかに下る丘の斜面で同じ旗が上がる。ややあって、指揮部隊から更に離れた地点でも旗が上がる。そして、丘の下、コーネルピン大佐の連隊本部に最も近い地点で最後の旗があがった。
 旗を見たコーネルピン大佐は、ストレス性の腹痛で脂汗を流しながら声を張り上げた。
「第三大隊、第四大隊! 白兵戦開始! 進め!」
 喇叭手が突撃の奏でを吹き鳴らす。二つの大隊の大隊長たちは、横に長く広がった横隊の先頭にいた。後列には副官がいて、隊列を監督している。横隊一列目とニ列目は二分割された弓射中隊の射列で、三列目、四列目にその他の徒歩兵が控える。兵士たちの背中が放つひりつく戦意を、副官のミズルカは感じた。彼らは完全に統制がとれており、副官が監督する必要はほぼなかった。
 ヨリスがサーベルを抜く。剣と人とが完全に一体になった立ち姿で、剣を振りかざし、よく通る声を張り上げる。
「抜剣!」
 傷ついた姿のミルトも、包帯で覆われた手で剣を抜き、同じ号令を放った。そして続ける。
「構え!」
 兵士たちは一斉に脇を締め、胸に引き寄せるように剣を構えた。
 そして、別々の地点にいる二人の大隊長は、全く同時に同じ号令を放った。
「弓射中隊、突撃!」
 鬨の声が上がった。弓射中隊は大隊長を後ろに残して丘の上へと踊り出る。混乱を極める陣地中央の軽騎兵、そして重騎兵の一番外側の者達が、伏撃に気付いた。
「第一列、放て!」
 ユヴェンサの号令の下、前列の射手たちが一斉に弩の引き金を引いた。女性中隊長の朗々たる声が更に響く。
「第二列、そのまま左へ展開! 包囲に備えよ!」
 射手たちが構える弩は、貫通力の弱い連弩だ。空を切り襲い掛かる矢は、騎兵たちの足許の土に刺さった瞬間、激しく爆発した。轟音と共に炎が上がり、土と小石を撒き散らす。
 黒色火薬がついているのだ。
「第二列、放て! 連射を続けろ!」
 殺傷力は低くとも、馬を驚かせて制御を失わせるには十分だった。立て続けに火薬が炸裂し、土煙が立ち上る。炎は陣地中央を通り越し、右翼の騎兵たちにも見えた。
 新手の敵が現れて、背後や側面から包囲・攻撃される。
 それは、どの陣営でも共通して抱く恐怖だった。たとえ実際には僅かな兵力であっても、奇襲は混乱をもたらす。混乱は恐怖を増幅し、恐怖は統制を破壊する。そして、いかに物量で勝ろうとも、衝撃力で勝ろうとも、ひとたび統制を失った部隊からは、勝機は永遠に喪われる。
 そして、最も戦死者が出る時――どちらかの指揮官が己の部下の犠牲の大きさに恐れをなし、敗走を決する時。敵に背を向け、人間が持つ獣としての追跡本能を刺激し、士気を最高に盛り上げる時――その時が来る。
 白刃に炎を、目には殺意をぎらつかせながら、第一から第三中隊が弓射中隊を追い抜いて、潰走する騎兵部隊に斬りこんでいく。鈍重な鎧に拘束され、死傷した馬や仲間に足を取られながら逃げ惑う騎兵たちに間もなく追いつき、膝の後ろ、腋の下、股間、あらゆる鎧の急所に斬りつける。
 土塁を乗り越えて、弓を置いた弓射連隊の兵士達が剣をかざし突進をかけて来た。
 第三列のザナリス神官団は、ほぼ無傷のまま森の中に逃げこんでいく。ザナリス神官団が受けた僅かな損害は全て、我先にと逃げ惑う味方の神官団によって受けたものだった。第一歩兵連隊のみが、森の中まで追撃を行った。
 戦闘は終わった。

 ※

 トレブ高地の戦いは、第二弓射連隊の活躍により敵に甚大な損害を与え、再編のための足止めを強要し、時間を稼いだ。神官連合兵団のおよそ二千の戦死者は、大部分が長弓によって殺害されたものであった。対するシルヴェリア師団は右翼の第二歩兵連隊に三百の戦死者とその倍以上の戦傷者を出し、捕虜を取らずに高地の奥へ撤退。放牧民の為の大道路を用いての逃走を続けた。
 トレブ高地の戦闘終了後の第一師団の構成は以下の通り。

 第一歩兵連隊 約八〇〇名  (二個大隊)
 第二歩兵連隊 約一二〇〇名 (四個大隊)
 第二弓射連隊 約一七〇〇名 (三個大隊)
 偵察連隊   約一二〇〇名 (二個大隊)

 以上、戦闘部隊。その他の非戦闘部隊、及び傷病兵を合わせれば、その数は一万を僅かに切っていた。


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