鵜の目鷹の目

文字数 3,799文字

 3.

 フクシャにて連合軍敗北のこととて、コブレンを取り巻く難民たちは数を減じていた。その分街道は混雑していた。希望を託すあてを前総督シグレイへと変じ、南へ下る難民たちの流れを遡ってコブレンへ行くには、ひどく高くついた上に時間もかかった。だが今こうしてリアンセとカルナデルはコブレンの城壁の外を歩いている。斜面を上り、林の中へ。コブレン自警団の現本部である隔離病院を目指す。
 病院を巡る塀に沿って歩いていると、向こうから一つの人影が駆けてきた。さすまたを手にしている。
「リアンセさんじゃありませんか」十歩の距離で立ち止まった。少年だった。「どうしてここに?」
 外見からして全くぱっとしない、冴えない少年だった。
 この少年には見覚えがあった。
「久しぶりね」だが名前は思い出せない。「少し、あなたたちの団長に用があって」
「そうですか。南部に向かわれたのかと……」
「それどころじゃなくなったのよ。ミスリルとアエリエに会わせてほしいの。案内してくれるわよね?」
 少年は迷っているようだが、致し方なしと判断したのか、結局頷いた。
「こちらです。ついて来てください」
 三人は向かい風の中を歩いた。風は強く、耳がちぎれそうなほど冷たい。南西領南部が既に汗ばむほどの陽気だったことを思えば、ここは季節に取り残されているようだ。まだ雪解け間もない頃の寒さである。標高差のせいもあるだろう。
 林に入った。林の中の小道の先に、隔離病院の入り口を守る、二階建ての門が見えてきた。
 その木造の門の二階では、一人の青年と一人の老人が見張りについていた。
 緑の髪の青年が、二階の部屋の壁際に片膝を立てて座り込み、熱心に鳥笛を吹いていた。その音色に誘われて、たくさんの小鳥たちが、部屋に押し寄せていた。その数は五十を下らない。スズメにウソにシジュウカラ。床に集う小鳥を見守る青年の茶色の目は優しく、鳥への愛情に満ちている。
「マリステス」
 瞰射(かんしゃ)用の小窓から、老人が声をかけた。鳥笛の調べが止まる。テスはそっと鳥笛を下ろし、師に敬意を込めて微笑みかけた。
「はい、オーサー師」
 オーサー師は温石を包んだ布を両手で挟み、窓際の壁のそばに立っていた。年を取ると寒さが厳しく感じられるものなのだろうか。テスはオーサー師を見つめた。テスの眼差しには鋭さがなく、ぼんやりしているようでさえあり、凝視をしても人に圧迫感を与えることは少なかった。
「この春はなかなか暖かくならんな」
「団長を冷ますには丁度良いくらいと存じます」
 弟子の軽口に、オーサー師は笑いもせず「ふん」と鼻を鳴らした。今はこのマリステスが一番弟子だった。他に二人、テスにとって兄弟子に当たる弟子たちがいたのだが、コブレン母市を脱出する直前に死んでしまったのだ。
「確かにあれは血の気の多いほうだが、近頃はどうも元気がないように思えんか?」
「落ち着きが出てきたのかと。それに、単に以前のようには皆と気楽に話をできなくなったからでしょう。血の気の多さは変わりません」
「お前が言うならそうだろうな」オーサー師はすっかり脂肪のなくなった手で温石をさすった。「何せお前は、あいつと一緒の揺り籠で育った仲だ。双子のようなものだ。あいつのことはお前がよく知っていよう」
 赤子のうちから、ミスリルとテスは互いの鼓動を聞き、互いの体温を感じて育ってきた。共にいるのが当たり前の間柄だった。
「ミスリルはお前を手放したがらんな」
 テスの目に暗い影がよぎったが、また微笑んだ。
「はい。私に対しては二人でいるときには団長と呼ぶことも許さないほどです」
「アエリエは副団長という立場上仕方がない。だが……」
 師の沈黙を引き取り、テスは頷いて答えた。
「今はもう立場が違うということに関してお話されているのでしたら、心得ております」
 オーサー師が何か言おうとしかけたとき、複数人の足音、そして静かな話し声が近付いてくるのに二人は気が付いた。
 壁に背をつけて外を窺ったオーサー師は、弟子のラザイが一組の男女の客を連れて小道を来る姿を見た。
「テス兄さん!」
 閉じた門の前でラザイが立ち止まり、呼びかけた。
 ラザイの後ろで、リアンセは二階建ての門を見上げた。
 門の二階の窓から、一斉に小鳥が飛び立った。その羽音がやむかやまぬかの内に、窓から一振りの長柄武器が飛び出してきた。リアンセとカルナデルは後ろに飛びのいたが、ラザイは動じなかった。
 武器はさすまただった。木の根もとの柔らかい土に刺さる。今度は人間が飛び出てきた。
 間近に着地したテスを、リアンセは観察した。
 ラザイが持つ天籃石のランプを浴びる、暗緑色の髪がまず目についた。後ろ髪を肩の下まで伸ばして一つ結びにしているが、顔を上げると、前髪は眉毛の上で短く切り揃えられていた。そのため顔がよく見えた。なかなかきれいな顔立ちの、優しそうな青年だった。もっとも、その手が既に何人の血で汚れているかは知らないが。だがそれはリアンセとて同じだ。首に白いチョーカーを巻き、耳には水鳥の羽根のピアスをつけている。テスが立ち上がるとピアスが揺れた。
 彼は先に下に投じたさすまたを手にした。
「前にも会ったな」
 不意に言われたが、リアンセがこの青年を目にするのは初めてだった。
 愛想笑いを浮かべて応じる。
「私たちは陸軍情報部……反乱軍側の士官よ」
「名前は?」
「リアンセ・ホーリーバーチ。彼はカルナデル・ロックハート。どうしてもあなた方の団長と副団長に会わなきゃいけないの。すぐによ」
 テスはリアンセを無表情でぼうっと眺めるばかり。リアンセは困惑し、ついで苛立った。予想していない反応だった。何かを考えているのかいないのか、黙って突っ立っているテスに言葉を重ねた。
「あなたは?」
「マリステス。テスでいい」
「そう、テスね。悪いけど、私たちを中に通してほしいの」
「その前に、ケープの下の武器を預けてもらえるか?」
 リアンセは一瞬で愛想笑いを消した。
 武器の形はゆったりしたケープによって隠されているはずだ。
「あと、お前たちが乗ってきた馬車がこの辺りにもういないか、確認させてほしい」
「……どうして私たちが馬車で来たと?」
「靴が汚れていないから」
 近くの村から馬車で乗り付ける前に、油を塗って手入れしたばかりだった。
 リアンセは不意に、テスのぼんやりした目が底知れぬものに感じられ、恐ろしく思った。
 凝視を返されるテスは、気まずそうな色を目に浮かべた。
「疑うようで悪いけど……」
「……いえ。いいえ。従うわ。ミスリルたちが会ってくれるなら……でも、できるだけ早いほうがいいわ。お願いね」
 二人はすっかり武器を外し、ラザイに預けた。リアンセはブーツの中に一振りだけダガーを残しておいた。だがこの隠し場所では、万一の際すぐに抜けない。
「なあ」ラザイの両手いっぱいに武器を持たせたテスは、自身はさすまただけを手に、まだ門を開けてくれない。ゆっくり、のんびり、自分のペースで話し続けた。「どうして嘘をつくんだ?」
「嘘ですって?」と、リアンセ。「何のこと?」
「お前はともかく、その男は情報士官じゃない」
 武器を持たぬ二人に対峙しながら、テスがさすまたの先を地面に向けた。
「騎兵だな。兵士か、士官か……」
 馬鹿みたいなバスタードソードのせいだ。リアンセはすぐにわかった。顔がさっと赤くなるのを止められない。かぶりを振った。
「騙すつもりじゃなかったの。ごめんなさい。ちゃんと説明するわ。話すと長いのよ……」
「長くても聞く」
「じゃあ、まずはあなたと話をさせてちょうだい。ちゃんと納得できるように話すわ。どこかに座らせてもらえる? 長旅で疲れてるのよ」
「その前に、ブーツの中の武器も預からせてくれ」
 何故わかったのかなど、詮索する気も失せてしまった。
 話をリアンセに任せていたカルナデルが、ようやく喋る。
「お前おっかねぇな」
 テスはその評を、肯定も否定もしなかった。
 ブーツの紐をほどくとき、靴紐の長さでわかったのだろうかとリアンセは思った。武器を隠すために、普通よりも長い紐を使っているのだ。だが、並の観察力で気付くものではない。
 結局、ミスリルとの面談を許されたのは、テスとの邂逅よりたっぷり二時間も経ってからだった。
 団長の部屋へは、テスが自ら案内した。天籃石が照らし出す職員宿舎の廊下を進み、一番奥の戸をテスが叩く。
「ミスリル、いるか?」
 すると中から、やる気のない、だらけきった声が答えた。
「いなーい」
 テスは勝手に戸を押し開けた。
 面会を待ち望んでいた相手がそこにいた。
 厚いカーテンのかかった窓を背に、机についている。事務仕事の途中だったらしい。だがその姿勢ときたらひどいもので、背中を丸め、両肘を机につけ、丸めた両手を両側の頬につけている。そして唇をめくりあげ、上唇と鼻の下の間に羽根ペンを挟み、貧乏ゆすりをし、羽根ペンをその振動でゆらゆら揺らしていた。
 リアンセを見て、ミスリルは硬直し真顔に戻った。羽根ペンが机に落ちる。
 彼は背筋を伸ばした。そして、今更真面目な空気をまとい、リアンセと目を合わせた。


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