リアンセの、いつもの手口

文字数 2,595文字

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 イオルク・ハサは親切そうな第一印象の通りの男だった。彼は転んだリアンセを気遣い、一番高い茶を振る舞った。喫茶室には個室はなかったが、客席ごとにパーテーションで区切られており、客も少なかった。
「リレーネお嬢様は単身南西領に向かわれたことになってはおりますが……」リアンセはふと、私はこの男のことも、深く関わりあえば嫌うのだろうかと考えた。「実際には非公式に世話役の同行が許されておりました」
「僕も彼女の境遇を不憫に思う」
 それを聞き、嫌いになるかもしれないと、リアンセは思った。例えばアセルのような、自分よりあらゆる面で強い相手を嫌うことはない。強い男は誰彼なく下心を抱くということがない。だが、甘いことを言う男は大抵、下心が生まれる余地があるものだ。
 リアンセは自分の出した結論に落胆し、目を伏せた。金色の瞳に睫毛の影が落ち、演技に説得力を与えた。
「ところで、君は何故コブレンにいるんだ?」
「北方領を目指すリレーネお嬢様のために、恥ずかしくない服をと思い南トレブレンに出かけておりました。トレブレン地方で一番裕福な都市ですから。ですが、そのさなかに開戦となってしまい、大道路が封鎖され戻るに戻れず……」
 ここで伏せていた目を上げ、切実な光を両目にこめる。
 リアンセは、イオルクの後ろの壁にかけられた彼の外套のポケットに、封書がしまわれているのを見つけた。頭の部分が飛び出している。
「……そういう事情ですから、コブレンに駐在していらっしゃる西方領大使に面談を求め、コブレンにやって参りました」
「彼女の行方は南西領の外交官と提携して全力で追っている。西方領を経由して、北方領に帰らせる手筈だからね。無事保護された場合には、西方領の威信に賭けて、無事北方領まで送り届ける」イオルクは頭を掻いた。「……この程度のことしか言えることはない。本当に申し訳ない」
「いいえ。そのお気持ちが、私にはどれほど心強いか」
 リアンセは声を震わせた。
「リレーネお嬢様が無事保護されました場合、北方領までは西方領の部隊のみが護衛くださいますのでしょうか」
「いいや。西方領軍が主体になるけれど、あくまで連合軍として護衛することになるね」
「ですが、連合軍は一枚岩ではないでしょう! 王領軍に南東領軍……それに救世軍。ああ、救世軍! 私には信用できません」額に手を当てる。「……ああ、申し訳ございません……。出すぎたことを」
「救世軍は軍じゃない」
 その発言に、リアンセは演技抜きで驚いた。
「彼らには軍規もなければ統制もとれていない。明確に統一された指揮系統もない。軍なんかじゃないんだ」
 それを言ってしまっていいのかと、無言の問いをこめてイオルクを凝視する。
 彼は続けた。
「このことを、僕は何度でも言うし、誰にでも言う。それが西方領のためになるならね。陸軍幹部や神官たちに聞き入れられなくとも」
 イオルクは言葉を切り、唾を飲むと、話題を変えた。
「南西領総督にも、こちらの言い分を聞いてほしかった」
「ハサ大尉――」
「第十七計画の発動は、南西領の民の守護者としては正しかったかも知れない。だけど、夜の王国の地方統治者としては絶対に間違っている。各天領地は実質独立国の有り様になってしまっているけど、法的にはあくまで一地方総督であることに変わりないんだ。ダーシェルナキ公はそれについて認めようとしなかった。これは明確な反逆行為だ」
「ええ……ええ、私もそう思いますわ」
「ダーシェルナキ前総督のしたことは抜け駆け行為だ。東方からの難民の割り当ても、王国中の居住可能な聖遺物の割り当ても、全て南西領前総督の非協力な態度で決裂した。今、王国中で多くの難民と餓死者と戦死者が出ている責任の一端は、ダーシェルナキ公にある」
 イオルクは辛そうに眉を顰めた。
「西方領は公式にも非公式にもダーシェルナキ公を諫めようとした。だが戦争は始まってしまった。ダーシェルナキ公が始めた戦争なんだ。許してはいけない」
 足並みを揃えている場合ではなかったのだ。リアンセは心の中だけでそう言った。そんなことをしている間に、みんなで仲良く滅亡してしまう。そのようなリスクを取るなどシグレイ・ダーシェルナキにはできなかった。
 リアンセとて前総督が善であるとは思っていない。
 だが、それでも前総督につくことを選んだ。
 南西領の人間としてだ。
 故郷を捨てたから。
「前総督公の裏切り……お嬢様は……」
 リアンセの両目から、美しい嘘の涙がぽろぽろ流れ落ちた。
「そのようなことで、お嬢様が苦しんでおられるなんて……」
 しゃべりながら、紅茶に砂糖を一匙入れてかき混ぜた。わざとスプーンを床に落とした。あっ、と声を上げる。
「ああ、いい。僕が拾おう」
 イオルクがテーブルの下に屈みこむと、今度はわざとポットを倒した。
「ああっ、どうしましょう――ハサ大尉、そのままじっとなさってください。お服が汚れてしまいますわ」
 リアンセは立ち上がり、右手でテーブルを拭きながら左手でイオルクの外套のポケットから封書を引き抜いた。袖口に隠し、ボタンをとめる。
「ハサ大尉、もう体を起こして頂いても大丈夫です。申し訳ございません……私ってばそそっかしくて」
 イオルクは屈めていた腰を伸ばし、テーブルの下から上半身を出した。
「動揺しているんだ、仕方ないさ」
 それから呼び鈴を鳴らし、テーブルの片付けを店員にさせた。
「黎明が……。今では北方領中東部でも観測されつつあるらしいんだ。闇が溶けるように……空が濃紺になって」
 店員が去ってから、イオルクは言った。
「リリクレスト公が推し進める冷凍睡眠技術の復活計画ですが、どのように進んでいるのでしょうか。私はお嬢様のゆく末が心配で……」
「それはわからないね」
 イオルクは何も言わなかった。
 リアンセは昼の世界を想像した。
 昼の世界では、天球儀は透明に見え、空は水色をしているのだと聞く。
 直射日光は、言語生命体たちを跡形もなく溶かし去る。
 この喫茶室の窓からは、水色の空が見え、この客席には、自分のワンピースとイオルク・ハサの軍服だけが残される。
 日の光が降り注ぎ、出入りする人間がいないから、残された衣服には埃が積もりさえしないのだ。


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