運命の地

文字数 3,540文字

 1.

 シンクルスは一人、闇の中で、ひどい揺れに耐えていた。およそ眠れそうにもなく、目を閉じて横たわっていれば、嫌でも船の揺ればかりに意識がいって酔いそうになる。だが天籃石のランプで船倉を見ていても、ぎっしり詰めこまれた貨物が圧迫感を与えるばかりで、ひどく気が滅入るのだ。
 ベッド代わりの並んだ木箱の上で、シンクルスは体を起こした。横になっていれば全身に揺れを受けるが、座った姿勢になれば、少しはましになった。天籃石のランプを覆う黒い布に手を伸ばした。だが、同じ船倉で息を潜めているはずの仲間を気遣い、手を引っこめた。
 この船に乗る際、船主との交渉はシンクルスが一人で行った。最も、実際には交渉ではなく、脅迫であったが。顔なじみの船主はシンクルスを目にし、大層驚いたのち、早くこの町から逃げるよう、シンクルスに警告した。タルジェン島は、今は新しい神官将によって治められている。シンクルスが足を踏みこめば、生きては出られない。そしてシンクルスをタルジェン島に引き入れた者もまた、同じ運命をたどるだろうと。
 その話が終わる前に、シンクルスはアセルから借りたダガーを船主の下腹部に突きつけた。
「もしもそなたが拒むのなら、今、命を落とすことになろう」
 一方で、シンクルスは甘い夢想をした。もしもの際は、俺に刃物で脅されたと証言すればよい、そうすれば見逃してもらえるのではないか、と。だが、それはあくまで夢想にすぎず、希望ではないとわかっていた。
「やらねばならぬのだ!」船主の目はダガーに釘付けになり、みるみる青褪め、震え始めた。シンクルスは心の中で囁いた。許せ……。
 必要に応じて冷酷になることは、アセルから教わった 
 アセルは親友だ。そして、それ以上に尊敬し、見習いたいと思っている。そのアセルに、旅の間に似たと思う。何故、そのことに自分が拒絶を覚えるのかシンクルスは自問した。甘さを克服し、アセルのように振る舞いたいと思っていたのに?
 ランプを覆う布の端を、少しだけ持ち上げた。
 すると、向かいの木箱に座るレーンシーの足が、木箱から垂れているのが見えた。もう少し布を持ち上げると、木箱に腰かける彼女の姿が白く照らされ、目があった。条件反射でハルジェニクへの憎悪と怒りが胸に起こり、目の前のレーンシーに投射された。シンクルスは顔を背けた。
「眠れないのですか?」
 レーンシーが、優しい声で尋ねた。
「ああ」
「そちらに行ってもいいですか、シンクルスさん」
 心を殺して頷いた。
「構わない」
 今は前だけを見ていなければならない。レーンシーに非はないと、そして今、非常な勇気を持っているのはレーニールとレーンシーだと知っているのだから、彼女を憎んでいいはずがなかった。
「言語活性剤がどこから来たのか考えていた」
 隣に来て座るレーンシーに、シンクルスから話しかけた。そうしなければ、ハルジェニクについての話をされるのではないか、という恐れがあった。低い声で話し続ける。
「まず言語活性剤についてだが、俺は未だその効能を目の当たりにしていない。適切に管理すればある程度長期間、死後も生き長らえるというのはまことか?」
「はい」レーンシーはひとまず頷いた。「ですが、乗船前に言いましたように、生き続ける限り言語子を補給し続けなければなりません。そのために、生きているか死後間もない言語生命体の動物や、人を……摂取しなければなりません。共食いが起こります。それに、そのやり方で何十年も生き、繁栄していけるとは思えません。あれは、そういう欠陥品です」
 ならば、それを体内に取りこんだ救世軍幹部や賛同者たちが、食糧として家畜のように人々を管理し始めていてもおかしくない。シンクルスはぞっとした。
「そのような薬剤は、今のアースフィアの文明レベルでは本来あり得ぬはずだ。神官の技術管理組合が関わっているはずだが……」
 文明退化以前の医学・薬学の技術と知識を保持し、その分野での発展を抑圧する『叡智と恩恵を司る神の手の組合』。その組合とは、シンクルスは関係を持ったことがない。そのような組合には、通常、五十歳前後で正位神官将を退任した者が幹部候補として迎えられる。それまでは、閉ざされた、馴染みの薄い組織だ。どの組合もそうだ。
 いかに厳しい内部監査が行われようと、かつて『武器・火器の改良および発明管理組合』が『真理の教団』を生み落とし、そこから救世軍が派生して今にいたるように、神官たちの暴走はいつでも起こり得る悲劇だ。
 レーンシーは浅く頷いた。
「組合については存じません。ですが王家と救世軍が、薬剤の究極の復活を目指しているのは確かです。ラウプトラ家の人間から伝え聞いた話によれば、従来品の言語活性剤は、言語子を活性化させて肉体を壊れた端から修復ないし強化することによって生命を維持します。そのために絶えず言語子を補給し続けなければなりません。ですが、言語子をそのように自由に刺激できるのなら、逆に鎮めることができるのではないか……つまり、直射日光を浴びても言語崩壊を起こさぬようにできるのではないか、という方向で研究をしているようです。その研究所が、南西領にあるそうです」
 シンクルスは素早く目を動かして、レーンシーの横顔を見た。レーンシーも首と目を少し動かして、シンクルスと視線を交わした。
「火刑に処せられる直前、キシャ・ウィングボウが匿われた場所……」地球人が最後に会話をした言語生命体だ。「キシャ・ウィングボウとその信奉者を聖女、そして予言者として崇める人々にとって、聖地のような場所だそうです」
 船倉の隅で、ごそごそと人の起きあがる音がした。アセルが歩いてきた。寝ていたようには見えないので、一睡もせずにいたのだろう。
 丸めた地図を手にしていた。アセルはそれを、レーンシーとシンクルスの間に広げた。二人は座る間隔を空けた。
「どこだ?」
 アセルが立ったまま、レーンシーに鋭い目を向けた。レーンシーは南西領地図に目を落とす。シンクルスも地図を確認した。精度は低いが、購入には認可のいる民間用の南西領全図だ。
 どうやらレーンシーはその場所を知らないようだと、困ったような顔を見てシンクルスは察した。
「彼女を崇めるのは、我々が異端宗派と呼ぶ人々であろう」
「ええ」
 レーンシーの声に安堵が滲む。
「キシャ・ウィングボウは天示天球派と、地示天球派において信仰されています。前者では『天球儀の乙女』、後者では『天球の乙女』と名を変えています。それぞれ天球儀と大地を崇め、乙女はその象徴であり御使いです」
「しかし、天示天球派が興ったのは南西領ではなく西方領……たしか、西方領スリロス」
「ええ」シンクルスの言葉を、レーンシーが肯定する。「かつてのウィングボウ家の根拠地です。この地で火刑にされ、天に昇り天球儀の乙女となったキシャは、自らの予言が成就される日まで、信奉者を守護すると言い伝えられます」
「南西領に伝わる天球儀の乙女の信仰は、そんなものじゃないぞ」アセルが地図上の聖地・南西領『言語の塔』を指し示す。「神人の娘が、ここ、南西領の古の都に信仰を説きにきた。だが結局愛想を尽かし、娘は天球儀へと昇っていった。そういう話だ」
「それとは異なるパターンの話が、地示天球派のベースになっているな」と、シンクルス。「灰となった神人の娘キシャは天に昇らず、言語生命体の罪を背負い、言語生命体を守るべく大地に溶けこまれた。その言い伝えが素朴な大地礼拝と結びついたものが地示天球派だ」
「天示天球派の信仰は、地示天球派より百五十年ほど古い。その百五十年の間に南西領に伝わったんです。西方領スリロスで興った天示天球派の信仰と、南西領の古の都の伝承が交わり、地示天球派の信仰が興る地点があるはずです。……南西領における、キシャ・ウィングボウの聖地と呼べる場所が」
 シンクルスは気がつかなかったが、いつの間にかレーニールがアセルの隣にいて、言った。シンクルスはレーニールを一瞥し、右手の指を、アセルと同じく聖地に置いた。
「ここは古の都……この地から、西方領の離島の街、スリロスを通過する古の交易路があった」
 そして、左手の指を、地図の外に置く。地図からはみ出ていても、そこに広がる海、西方領の離島群をシンクルスは想像した。
 かつて学んだ古の交易路を、右手は南西領から西方領へ、左手は西方領から南西領へ、ゆっくりなぞり始める。
 二つの指が交わる地点に、今なお続く都市がある。シンクルスはその都市の上で両手を止めた。
 鉱山街コブレンだった。


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