破局を見よ

文字数 3,231文字

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 侵入者が迷いやすいように作られた、入り組んだ建物の西の端。一階の、外扉のついた部屋を、尋問部屋として使っていた。ミスリルはアエリエとジェスティを背後に従え、建物に沿って外を歩き、外扉を、あらかじめ決めておいたリズムで叩いた。閂が外され、おどおどした様子のラザイが顔を見せた。三人が無言で中に入ると、また閂が閉ざされた。
 石床の部屋の真ん中では、裸足の男が椅子に縛り付けられていた。火の入ったカンテラが、男の顔の前に吊り下げられていた。男は目隠しをされている。口の周りは血まみれだ。近くのサイドテーブルに、一本ずつ引っこ抜かれた歯が五本、転がっている。そして、空になった乳鉢が一つ。そして右足には、この男を捕らえたトラバサミが挟まったままだった。骨まで達しているのではないかと思うほど深くその足を噛んでいる。
 男の後ろにはオーサー師が立っている。十四時で尋問交代の時間だから、オーサー師とラザイは担当を代わったばかりだ。
「自白剤を使ったって?」
 ミスリルは男の前に立ち、椅子に縛られたその体を観察した。ミスリルの知らない男だが、太い二の腕の豪勢な火の入れ墨で、〈火線の一党〉幹部だとわかる。口の周りの血は、涎と混じりあい、白いシャツに滴り落ちていた。
 オーサー師は頷いた。
「効いてくる頃合いだ」
 自白剤の調合は難しい。少しでも配合を間違えると、完全に頭が馬鹿になってしまい、下手したらそのまま再起不能になる。
「さて」
 余計な刺激を与える必要はない。ミスリルは弟弟子に言い聞かせるように囁いた。
「いいか? あんたはもう、痛い目に遭う必要はないんだ。あんたはもう従順だ。俺たちの手下になったんだからな。俺の言うことには何でも従うんだから。そうだろ?」
 催眠術にかけられたように、口を開けたまま男が頷いた。赤い涎が糸を引き、垂れる。歯は奥の臼歯から抜かれたので、前歯は残っていた。
「さぁて。じゃ、教えてくれよな」
 緊張に満ちた沈黙が、尋問部屋を支配した。アエリエたちが、ミスリルがまず何を聞くだろうかと固唾をのんで見守っているのを感じる。
「まずは言語活性剤からだ」
 ミスリルは腕組みをする。男は、うー、と呻いた。
「あれを作ったのは誰だ?」
 あれは、と言う男は呂律が回っていない。
「あれ、は」
 ミスリルは辛抱強く待った。
「……あれは昔からあった」
「昔からあったのは、あれそのものじゃないだろう?」
 男は浅く頷く。更に涎が垂れ落ちる。
「じゃあ、昔からあったってあんたが言うものは何だ?」
「あれ……の作り方」
「それを知っていたのは誰だ?」
「神官……の」呂律が回らぬ上に、夢見るような口調だが、男は確かにこう告げた。「薬事組合」
 今度はミスリルが頷いた。
「そいつらから製法の開示を受けたのは誰だ? 実際に製造に着手したのは?」
「リジェクから来た神官……」
 やはり。ミスリルは暗澹たる気分になった。やはり神官を敵に回さぬことには済まされないようだ。ミスリルは再度頷いた。
「それを製造する設備はどこにある?」
「コブレンの聖地」
「どこだ?」
「ウィングボウ家別邸跡地……」
「あそこは廃墟だ」
「地下」
 鼓動が早まっていく。高まる全員の心臓の音が聞こえるようだった。
「そこには今、誰がいる?」
「リジェクの神官」
「それから?」
「薬事組合の連中」
「他には?」
 質問を続ける。
「それだけだ」
「〈タターリス〉の連中は? 救世軍は?」
「奴らは……聖遺物の中に入れない」
 どうやら、真の敵は〈タターリス〉などではないようだ。もっと大きい。
 アエリエが歩み寄り、腰を屈めて男の顔を覗き込んだ。
「そこでは、言語活性剤の他に何を作っているの?」
 その質問に、ミスリルはアエリエの顔を見た。アエリエは男の顔を見ている。
「化け物を……」
 今度はまたミスリルが尋ねる。
「あのでかすぎる剣はどこで作った?」
 沈黙。言葉を重ねる。
「コブレンのあちこちに隠してただろうが」
「知らない」それが返事だった。
「じゃあ、あの剣はどこにいった? いつの間にかコブレンからなくなってた、あの剣だ」
「フクシャ」
 シグレイの反乱軍が、フクシャの会戦で勝ち取った街だ。ミスリルの目が鋭くなっていく。
「フクシャに何がある?」
「知らない」
「何のために運んだ?」
 答えは同じだった。
「知らない。何も知らされていない」
 ミスリルが溜め息をつき、次はまたアエリエが尋ねる。
「言語活性剤は、いつから作られ始めたの?」
 この男の意識は、白を切れる状態ではない。
「知らない」
「黎明現象が始まってから作り始めても間に合わないだろう。それ以前からだな」
「そう……」
「じゃあ、黎明が始まることを前々から知ってた奴らがいるんだな?」つい語気が強くなる。「そうだな?」
「そう……思う……」
「誰だ、そいつらは」
 やはり、知らない。それが答えだった。
 またも質問の切れ目が訪れた。だが自白剤の効果が切れるまでの時間は十分にあった。
「話を変えよう」
 ミスリルはそう言うと、目を閉じ、呼吸を整えた。
「言語活性剤をのむと、白い花を探す乙女の幻覚が見えるようになるって話は聞いたことがあるか?」
 全員の目がミスリルに集まった。
 が、男が答えると、視線は男へと移った。
「ある」
 心臓が強く脈打ち、カッと顔が熱くなった。その興奮が去るまで、ミスリルは息を止めた。それから一際低い声で、囁くようになお尋ねた。
「見たのは誰だ?」
「見習いたちだ」
「見習いに活性剤を? 何故」
 男は頷く。
「実験……台」
 男の声は沈黙の中に消えた。
 男は呟く。
「青い髪……の乙女」
 偶然だ。自分たちがコブレン自警団に拾われて、実験台にされた者たちがこの男の組織に拾われたのは、偶然にすぎない。
「〈捕食者〉……陸軍広報部の男も、同じことを言った……」
 敵に同情を寄せたりはしない。そのようなことをしてはキリがない。いちいち痛ましさを感じたりしては、仕事にならないのだ。だが……。
「ラケルの世話をしていたのは、〈火線の一党〉なのね?」
「そうだ」
 アエリエは冷静だった。
「乙女の幻覚が見えるという症状について、救世軍やタターリスの幹部は知っているの?」
「ジェノスには……報告はあげていない」
 次はミスリルが尋ねる。
「症状が出たのは何人だ? 割合的には?」
「二人……七十人に一人」
 次の質問はアエリエだ。
「何故〈タターリス〉には報告をしなかったの?」
「自分たちで……」
 外で水の音がした。意識朦朧たる男以外の全員がびくりと震えた。井戸に落とした釣瓶を引き上げる音が続く。誰かが井戸を使っているのだ。それだけだ。
「研究を……したかった」
「対抗意識ってところか。次の質問だ。お前、世界で何が起きているのか知ってるか」続ける。「この世界が壊れていくのは何故だ? 言語生命体を滅ぼす青い光って何だ? そもそも……どうして黎明が始まった?」
 男は涎を垂らしながら、ぼんやり口を開けている。ミスリルはその肩を手で押した。
「おい」
「教典にある通りだ」
「教典に何て書いてある?」
「『恐るべき破局を見よ』」信仰心のなせる技だろうか。暗誦する口調が不意に明瞭になる。「『放たれし時の矢が最果てより戻りて汝に飛来するを』」
 確かにそれは、天示天球派の普及版の教典にある一節だ。因果応報を表す教えだと説かれている。
「一般の解釈は間違っている。これはその通りの意味なのだ」男は続けた。「時の矢が戻ってきた」
「どういう――」
「時間が巻き戻るのだ」機械的に、だがはっきりと、男は正解を与えた。「宇宙の時間が逆転し、アースフィアが自転をしていた頃に戻った。黎明は、始まったのではない……戻ったのだ」


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