物書きの自意識

文字数 4,652文字

 1.

『不条理な戦闘であった。
 逃げ惑い、追い詰められ、逆上しては襲いかかってくる敵兵。穴という穴、戸という戸、隠れられる場所には隠れ、泣き叫びながら引きずり出され、殺される敵兵。
 彼らはみな昨日までの友であった。それが、度を失って母を呼びながらのたうち、死んでいく。
 どこかで火災が起きる。熱風が悲鳴を巻き上げる。我々は一人でも多くの第三大隊の兵を救出すべく火の中を駆け回ったが、数え切れない遺体やけが人を、火にあぶられるがままに去らなければならなかった。第二大隊の兵の中には、我が大隊の兵に隙ありと見ると、たちまち襲いかかる者があった。彼らは彼らの指揮官に欺かれていたのだ。第三、第四大隊こそが裏切り者であると――』
 ここまで書いて、ミズルカ・ディンはペンを止め唸った。
 偉そうな文章だなあ。
 ミズルカは自分の書いた物に驚き、二度、三度と読み返して、再びうなった。
 それから、自分の図嚢から、一冊の本を抜き出した。書き方の参考になると思って持ってきた、お気に入りの戦記本だ。表紙が取れるほど読んだのだが、読むのと書くのはまるで違うと思い知らされてからは、更にページがばらばらになるまで読んだ。本の中の文章と違って、自分が書く文章はどうにもむず痒くて様にならず、書き方を参照する度に思い知らされた。
 自分が扱う文章は板についていないのだ。
 本と自分のノートを交互に見比べる。その両方に同じ言葉が記されていた。
『我が大隊』
 ミズルカは自分の言葉に嫌悪を覚えた。
 実戦闘の場では、ミズルカは全く役立たずで、それどころか意気地なしの腑抜けだった。
 北トレブレン脱出直後の出来事だ。逃げこんだ山中で、直ちに第一師団の点呼が行われた。
「ディン中尉、いつまで剣を握っている?」
 暗闇の中、唐突に真後ろから声をかけられてミズルカは飛び上がった。ヨリスだった。自分の指揮官だ。敵ではない。恐慌に陥りかけたミズルカは、心臓が激しく脈打つのを感じながらしばらく口をぱくつかせ、ようやく答えた。
「剣が……手から離れません……」
 ヨリスは剣を握りしめるミズルカの手に自分の手を重ね、何かを得心したように浅く頷いた。
 それからいきなり、ミズルカの鼻先に指を突きつけた。ミズルカは驚き、ヨリスの指に意識を集中する。
「三秒だ。三秒後に剣は君の手から離れる。三、二、一」
 ヨリスがパチンと指を鳴らした。すると、嘘か冗談のように剣がぱっと離れ、土の上に落ちた。ミズルカは理解する。剣が呪詛のような力で自分に吸いついていたのではない。ただ極度の緊張で、自覚なしに握りしめすぎていたのだ。肩がひどく凝っている。剣を拾いながら情けない気分になった。
 読むでも見るでもなくページをめくっていたミズルカは、栞代わりに挟まれた手紙に気がついて、ページを繰る手を止めた。二年前、強攻大隊の副官となった際に、フクシャにいる母方の祖父母から送られた手紙だった。故郷。地球人の為の高級墓所を取り囲むように作られた、どの季節にも花咲き乱れる美しい街だ。ミズルカは懐かしくなって手紙を読もうとしたが、居たたまれなくなってやめた。祖父母は、ひ弱だった孫が強くてかっこいい立派な将校になったと思っているのだ。
 ミズルカはため息をつき、戦記本を閉じた。元通り図嚢にしまいこみ、ペンを取り、ノートを広げる。
 それから、目を閉じ昨日の山中での戦闘を回想した。

 ※

 シルヴェリア率いる第一師団には二組の追っ手が向けられていた。
 一つは新総督の十九歳の娘サリナ・グレンをお飾りの指揮官に戴く、ロラン・グレン近衛連隊。兵力約三千の歩兵部隊で、山道を支道から回りこんで追跡を行っている。
 もう一つは西方領南部神官連合兵団。重騎兵三千、軽騎兵五千、非戦闘部隊を含めれば二万を超す大部隊で、主道である山中の大道路を占有し出口を塞いでいる。
 第一師団は休止を取らずに山中の大道路を進み続けた。この先には、六年の夏の間放牧が営まれる高地がある。行軍のさなかも続々と追っ手の情報が入り、シルヴェリアはついぞ、このまま高地まで逃げきる事はできないと観念した。
 北トレブレン撤退から二十時間後、シルヴェリアは最初の攻撃命令書を発行した。
『第一歩兵連隊は神官連合兵団前衛部隊を粉砕せよ』
 第一歩兵連隊隊長モリステン・コーネルピン大佐はその一文以降をどうしても読めず、真っ青になって命令書から顔を上げた。
「私の連隊は」唇をわななかせて喋り出す。聞き手は連隊の参謀の少佐で、疲れて無表情だ。「二個大隊を失っている。残る二個大隊の内一つは壊滅的な打撃を受けている。師団長は連隊を消滅させるおつもりか?」
 裏切り者の第一・第二大隊に挟まれていた第三大隊は、兵士の三割近くを北トレブレン市内で失っていた。大隊長リャン・ミルトは討ち取られる直前に第四大隊隊長マグダリス・ヨリスの手によって救出されたが、重傷を負っており、指揮を執れる状態ではない。
 なお第四大隊は今、最も危険な縦隊の最後尾についている。あれほどの激戦にも関わらず損害は軽微で、未だに意気軒昂だ。カリスマ性のある指揮官が無傷で最前線に立っている。それだけで兵士たちの士気と統制は保たれる。では逆に、ヨリスが強攻大隊から失われたら……。
 コーネルピン大佐は身震いした。
 第三大隊をこれ以上消耗させたくない。第四大隊を今のまま残しておきたい。それが嘘偽らざる本音だった。
 何故未だ激戦していない第二歩兵連隊にさせないのか。
「だからこそです」だが参謀は言う。「裏切り者を二名も出した我が連隊が汚名を雪ぐ機会は今しかございません。連隊長、直ちにご準備を」
 こうして第一師団は追っ手主力の前衛部隊と最初の交戦を行った。コーネルピン大佐の第一連隊は峠に残された。谷を挟んだ向こうの山腹では、赤々と火を掲げた果つる事なき騎兵の列が、流れるように行軍している。
 沢が流れ落ちる崖に沿って大きく屈曲する進路を、沢を挟んだ高みから、二人の指揮官、第四大隊隊長と第三大隊副長が冷徹に見下ろしていた。木々に遮蔽された斜面に身を潜め、獣道には長々と、弩兵の二列横隊が広がっている。前列に伏せる兵士は十連発できる連弩を構え、後列で片膝をつく兵士は、高威力だがかさばる巻き上げ機付きの弩を構えている。
 第三大隊副長は敵進行方向である横隊の最右翼に、ヨリスは反対側の最左翼に立っていた。
 敵前衛の歩兵部隊が、本隊に先んじて沢の向こうの道に現れた。目と鼻の先だ。一糸乱れぬ行進で、第一連隊の眼前を通過しようとする。部隊は五列縦隊で延々続いた。二個大隊程度の兵力だ。その最後尾が見えてきた。
 ついに騎乗した最後尾の指揮官が、ヨリスの視界に入った。ヨリスは無言で手旗を副官に持たせた。ミズルカは横隊の後ろを、第三大隊副長のもとへと静かに走って行った。
 五分後、第三大隊の弓射中隊が一斉射撃を開始した。将校用の馬がいななき、右往左往する兵士たちの混乱した悪態と苦痛の叫び、鎧のぶつかり合う金属的な騒音が、道の先で沸き起こった。
 縦隊が乱れ、引き返そうとする敵部隊が渦のように屈曲点へと押し寄せてくる。
 ヨリスは適切なタイミングで号令を発した。
「第一、第二小隊、一斉射撃! 第三小隊、目標狙え!」
 号令の通りに一斉射撃が始まった。退路を矢の雨に遮られた敵部隊は渋滞を起こし、ひと塊になり、その状態が更に一斉射撃の効果を高めた。敵兵達は傷つき、あるいは本能で蹲る。十分に蹲る兵士が増えたところで、次なる号令を放った。
「第三小隊、放て!」
 まだ立っていた敵兵の半数以上が、強力な矢に装甲を射抜かれて倒れ伏した。
 この攻撃で使用許可された分の矢を、二つの大隊は撃ち尽くす構えでいた。連弩のレバー操作によって太矢が弾き出されるカシャカシャという音、弩本体の左右から突き出たクランク状の巻き上げ機で弦を引くギリギリという音が、射撃の合間に無情にこだまする。やがて敵部隊は進路前方で鬨の声をあげた。死を覚悟し第三大隊に突撃を開始したのだ。敵兵たちはてんでばらばらに逃げ道を求め、または果敢にも攻撃に加わろうと沢に転がりこむ。その間にも射撃は続く。第三大隊は正面から、第四大隊は側面から中隊を動かし、白兵戦によって敵を撃破した。
 後には血に染まった沢と、荒れた道、そして何百という死体が残された。

 ※

 その戦闘をどこから書こうかとミズルカは思案する。攻撃命令が大隊に伝達されたところからか? それとも獣道に身を潜め、敵部隊を待ち伏せるところから? 後者の方がドラマチックになりそうだ。だが、それだと一つ前の段落、シルヴェリアが隊列を整えて山越えを表明するシーンから飛び過ぎてしまう。ミズルカは木の根本に座りこみ、しかめ面で頭を掻く。マントをひっかぶって露営する兵士たちの間を縫い、誰かがやって来る。ヨリスだ。ヨリスは自分のカンテラをミズルカのカンテラの横に置き、隣に腰を下ろした。さすがに少し疲れているようだ。
「君はいつも書き物をしているな」兵士たちを起こさぬよう、静かな声で訊く。「何を書いているんだ?」
「戦いの記録です。今は、昨日の戦闘の事を」ミズルカは上官に敬愛をこめて微笑んだ。「通常の報告書とは別に書き留めておきたいのです。個人的にです」
「変わった奴だな。戦記でも書くつもりか?」
 そのように尋ねられると、急に気恥ずかしくなって、ミズルカは目を泳がせた。ヨリスは質問を変えた。
「それで、筆は進むのか?」
「いいえ」
 と、ミズルカは視線をノートに定め、迷いを告白した。
「ヨリス少佐、私はとても……戦いについて書こうとするととても情けなくなります」
「何故だ?」
「私が勇敢ではないからです」
 ヨリスの顔を見ずに話しを続けた。
「少佐、私は戦場で人を殺した事はありません。それどころかまともに剣を交えた事もありません」
「誰しもが戦える人間になるわけではないし、職業軍人にしたところでその全てが戦場に立つわけでもない。だが、前線に立つ士官はそうも言ってられんな。ディン中尉――」ヨリスは副官を傷つけぬよう、できるだけ優しく尋ねた。「嫌味でも何でもなく純粋に疑問なのだが、何故それで前線を志願した?」
 ミズルカは傷ついた。
「憧れです。私は子供の頃から戦記物、とりわけ従軍記を好んで読んで育ちました」
「それで、いつか自分も書きたいと?」
「はい。その通りです」
 ノートから顔を上げ、ヨリスを見た。するといきなり視線がぶつかって、ミズルカは慌てて、また目を逸らした。ヨリスは恐い。目だけで強者だとわかる。実際に戦いぶりを目にするよりも、間近で視線を合わせる方が、何故だか強さがわかるのだ。
「ディン中尉」
「はい」
「自信をつけろ。今からでも遅くはない」
「自信でございますか?」
「そうだ。今の君では物を書くどころではない。戦場で真っ先に殺される。力をつけろ。力は自信だ。適切な自信があるだけで多少なりとも生存率は上がる」
 ヨリスは短く息をついた。それから不意に、絶えず身に纏うぴりぴりした空気を和らげた。ミズルカはヨリスの顔を見る。彼は口や頬を一切動かさず、目だけでニヤッとした。
「今はこの状況だが、余裕ができる事があったら稽古をつけてやる」

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