運命が導くなら

文字数 5,477文字

 2.

 舗道に塗るタールの精製技術はまだ退化させられていない。
 タール精製所からは、シオネビュラ西部の地下にガス管が張り巡らされていた。地球人統治時代の金属を加工してできたガス管で、技術退化によって二度と同じ物は作れない。
 精製所が稼働を始めると、点灯夫(てんとうふ)が運河沿いの小道に現れる。
 小道の終端は広場になっている。ガス管と同じ素材で作られた街灯には絶えず炎が宿り、黒く煤けたレンガの庇によって風雨から守られている。長い棒の先にその火を移し、点灯夫の仕事が始まる。
 火の由来は定かではないが、言い表す呼び名は幾つもある。〈怒りの火〉〈罰の火〉〈戒めの火〉〈聖者の火〉〈殉教の火〉〈永劫の火〉〈悔悟の火〉〈火の日の火〉。
〈地の底の光〉と呼ぶ者もいる。
 または〈神の青い光〉と。
 もっとも、そのような呼び名を知っているのはシオネビュラで生まれ育ち、町の古老たちと親しんだ経験のある者だけだ。その火が青く見えた事はなく、何故青い光と呼ばれるのかは古老たちも知らない。一般には〈聖者の火〉、または〈戒めの火〉として知られている。
 火は天球儀建造時代からこの地で燃え続けていると聞く。言い伝えによれば、聖地〈南西領言語の塔〉で都が栄えていた頃、神すなわち地球人の怒りによって皮膚病が蔓延し、都の民は全身に火傷のような症状が広がり死んだという。または髪が抜け、血を吐き、痩せ細りながら死んだとも。どちらが正しいかは知らないが、とにかく死の都から一人の聖職者が都から火を持ち出し、遺した。そんなおとぎ話だ。
 点灯夫は火を移した棒を手に、運河沿いに歩き始めた。遊歩道には運河に向かって張り出すテラスが所々にあり、それぞれに一本ずつの街灯が立っている。点灯夫はガスを調整する弁を開き、街灯に火を近付けた。ボッ、という音を立てて、噴きだすガスを浴びながら、街灯に火が宿る。
 街灯は橙色の光を運河の黒い水面に落とした。
 その細長い光を櫂が叩き、砕く。
 小舟がずるりと滑り、櫂が引き上げられた。光は揺らめきながら元の形に戻る。
 カルナデル・ロックハートは再び櫂を黒い水に沈めた。小舟には彼の父親と、妹、そしてリアンセ・ホーリーバーチが座りこんでいた。ちょっとした観光客のようだとカルナデルは思った。だとしたら自分が案内人という事になる。
 今のシオネビュラは観光に適した街であるとは言い難い。 町全体が殺気立っているのを、水上のカルナデルは感じていた。遊歩道を行く点灯夫とすれ違い、二人一組の民兵が早足でどこかに向かっている。武装した民兵の姿を見るのはこの一時間で五回目だ。
「ものものしいな」カルナデルは仏頂面の父親に尋ねた。「何かあったのか?」
 大規模な神殿と神官団を擁する都市の民兵たちは、神官団によって規格化された装備が与えられ、訓練が行われる。普段は都市の保安に努め、有事には歩兵として神官団に加わるのだ。金のある神官団は、民兵の中に騎兵部隊を作る事もあった。シオネビュラ神官団は金があるので、歩兵も騎兵も持っていた。
 正に騎馬の民兵が一人、吹き流しのついた槍を携えて点灯夫とすれ違う。石畳を打つ蹄の音が、軽やかに後ろに遠ざかっていった。
「ダーシェルナキ夫人の娘さんが今シオネビュラに来てるんだよ。その護衛部隊がこの地区に駐留してる。それでじゃないかな」
 答えたのは妹のナリスだった。
「そうなのか?」
「ええ」と、リアンセが補足する。「ダーシェルナキ元夫人ね。シオネビュラに公式訪問中なのは次女のエーリカ・ラウプトラ。あの有名なシルヴェリア・ダーシェルナキの二歳下の妹よ。彼女が滞在するラウプトラ家の別邸が、シオネビュラ市内にあるわ」
 シルヴェリア。権力者の直系、しかも第一子の特権で買官(ばいかん)によって少将の階級と一個師団長の役職を得た弱冠(じゃっかん)二十歳の娘。買官によって上に立つ者に対する部下の反応は通常冷ややかだが、シルヴェリアは卓抜したカリスマ性と統率力でそれを覆した。お目にかかった事はないが、さぞや立派な人物なのだろう。その妹という人物に、カルナデルは興味を抱いた。
「でも、ラウプトラの姓を名乗ってるって事は元夫人方についたんだな」
「ええ。シオネビュラ神官団に連合側につくよう口説き落としたいのよ。それは誰もが同じ。大抵は門前払いを食らうけど、エーリカはうまくやっているようね」
「それだけじゃねえ」
 ようやく家長が重い口を開いた。どこかうんざりしたような口調だった。
「前総督派の議員や貴族連中が次々殺されている。犯人は未だに一人も捕まってねえんだ」
「親父、ウィルグラム・サシャとララミディア・コストナーが殺されたって本当か? 人気の議員だったろう」
 リアンセが目を見開き、身を乗り出してくる。カルナデルは勝った気分になった。
「リェズで小耳に挟んだんだ」
「本当だ。サシャは運河に浮いた……コストナーは……コストナーの夫が救世軍の奴らと通じていた……。その連中がトリエスタで略奪を働いたらしい。今日、港で聞いた……」
「トリエスタで?」
「女学校を襲ったそうだ。何か地球人の……よくわからんが、とにかく何か大事な物を盗んだそうだ」
「それで、コブレンに行くんじゃないかなってみんなで噂してたの。だって、あそこならさ、ほら……評議会の人たちを殺したのだってコブレンの……」
「言うな」
 父親に遮られ、ナリスは一旦口を閉ざした。
「……うん、だからさ。コストナーさんを殺した救世軍の人たちがシオネビュラを通過するんじゃないかって。それで動き始めたってのもあるんじゃないかな」
「なるほどな」
 橋を潜り抜けると、行く手の運河の両脇に聳え立つ、真っ黒い影が見えてくる。天球儀の光を遮るその影は、二人の不吉な番人のようだ。いつ見ても、門には明かりが点っていなかった。門の奥には鐘楼があり、ちょうど始業の鐘が鳴らされた。
「あの建物は?」
 リアンセが尋ねた。カルナデルが答える。
「あれは海洋学校さ」十二歳から四十歳まで入学できる、軍事を除く洋上の仕事全般を教える学校だ。カルナデルは父親を振り向く。「なっ、親父」
 父親は無視した。彼は息子を海洋学校に入れるつもりで学資を積み立てていたのだ。その態度にカルナデルは気まずくなり、同時にふてくされた態度になった。ちぇっ、と舌を鳴らす。
「親父、そろそろ許してくれたっていいだろ?」
「実の息子に刃物で脅迫されちゃあな」
「昨日は悪かったよ。謝っただろ? 仕方なかったんだよ……」
「昨日のお兄ちゃん、怖かったよ?」ナリスが困ったように目尻を下げた。「別の人になったみたい。変わっちゃったなって思ったもん」
「そりゃ変わるさ。軍隊ってのはそういう場所なんだよ。別に言い訳じゃないけどさ」
「門、誰もいないみたいね。見張りも立っていないようだし」
 リアンセが話を変えた。
「あれじゃあ忍びこみ放題なんじゃないの?」
「西神殿前はどこの建物もそうさ。昔からそういう場所だ。西神殿自体がそうだし。ガキの頃はよく城壁の移動階段駆け上がる競争やったけど、見つかった事なんざ一度もないぜ」
「それはお前が子供だったからだ」父親の言に冷ややかなものが混じる。「忍びこむ奴はいる……。誰もが寝静まった頃、移動階段に取りかかり、城壁を上る奴が……。だが出て来た奴はいねえ……」
 カルナデルは思わず櫂を止めた。
「どうなるんだ?」
 父親は黙って左手を上げ、横向きに寝かせる。そして喉に当て、掻き切る仕草をした。カルナデルはぞっとして鳥肌を立てた。
「ここで下りろ」
 遊歩道に上がる階段が、壁に取り付けられていた。カルナデルは言われた通り小舟を岸につけた。岸におり、リアンセが続く。
「じゃあね、お兄ちゃん。今度はいつ会える?」
「さあなぁ。もしかしたら宙梯でって事になるかもな。早く疎開しろよ」
「うん」
「カルナデル」
 嗄れた声で呼ばれ、内心身構えながら父親に目を向けた。
「たまには家に帰って来い」
 その無精髭に覆われた、無愛想な顔を凝視する。次第に家族に対する緊張や後ろめたさがほぐれ、カルナデルは肩を揺すって笑った。
 遊歩道に上がり、遠ざかっていく小舟と手を振るナリスを見送ってリアンセが囁いた。
「家族っていいわね」
 その顔に、初めて目にする優しげな微笑が浮かんでいるのに気がつき、カルナデルは驚きながらも首を傾げた。
「そうかぁ?」
「そうよ。ええ」
 お前の家族はどうなんだ、とカルナデルは疑問に思ったが、言わなかった。何となく、言ってはいけない気がした。
 シオネビュラ西の港湾から西神殿の城壁にかけて、運河を中心に積み荷の受け入れ検査場が続く。品目によっては出荷検査場も兼ねており、魚市場の競りが終わった今、喧噪の中心は運河の両岸へと移りつつあった。
 黒い天幕の向こうから、大量のひよこのさえずりが聞こえてきた。
「みんな、急げよぉ。今日の十一時の便で出荷だからな!」と、現場責任者らしき男の威勢のいい掛け声。「今日はニワトリ、明日もニワトリ、あさってはガチョウ、しあさってはアイガモだ!」
 運河に架かる橋を渡った先は飲食街兼歓楽街で、魚市場の職員や遅い時間帯に勤務する労働者たちが仕事を終えて繰り出してきたところだった。
 ストリップ小屋の裏で、踊り子たちが指導員の手拍子にあわせて踊りの練習をしている。陸橋から見下ろしながら歩いていると、彼女たちの近くで木箱に座る老人が、カァー、ペッ、と痰を吐いた。それから大声でくしゃみを連発した。続けて大声で咳きこんだ。またカァー、ペッ、と痰を吐き、更に咳きこんだ。女の子たちに「大丈夫ですか?」と言ってもらえるまで続ける気らしい。踊り子の一人が練習をやめて歩み寄り、
「きったねぇな、ジジイ!」
 男のように罵倒して老人の背に回し蹴りを食らわし、木箱から転落させた。非情である。
 陸橋を渡って次の通りに入ると、他の天領地から入荷した雑貨を販売する商店が並ぶ。この時勢では厳しい商売であり、時間帯も手伝って、客の姿は見えない。
「まあ! 見て!」リアンセが嬌声を上げる。「かわいい!」
 彼女の視線の先には服屋があり、色とりどりのワンピースが並んでいた。
「ちょっと待ってて、カルナデル」
「おい」
「私は持ってる服を把握されてるかもしれないのよ?」唇を尖らせ、肩を竦める。「ぞっとしない状況でしょ?」そして、カルナデルを残して服屋に吸いこまれて行った。カルナデルは取り残されてぼやく。
「それただの口実だろ」
 整然と、というわけにはいかない街を眺めながら、カルナデルは待った。店から出てきたリアンセは確かに印象が全く違って見えた。
 チョコレート色のワンピース。
 上が深緑、下が深紅に染め分けられたケープ。
 その格好は、チョコレートに浸けられた苺のようだった。
 ピンクゴールドの髪はアップにし、額と耳をむき出しにしている。
「待った?」
 カルナデルはこの格好のどこに武器が隠されているのか考えた。おそらくケープの下だろう。
「待ってねぇよ。全然待ってねぇ。一時間くらいかな。立ちっぱなしで」
「服選びながら考えてたんだけど」
 嫌味を無視し、リアンセは真新しい髪飾りを髪に差しながら声を落とし、話し続けた。
「ララミディア・コストナーの夫が略奪したのは、トリエスタ女子修道学院の二重天球儀だと思うの」
「何だそれ」
「聖遺物よ。聖遺物はわかるでしょ?」
「馬鹿にするなよ?」
「シンクルスは私の上官とトリエスタ近郊で合流したわ」
 カルナデルは真顔に戻った。
「……お前、どこでそれを?」
「符丁、伝書鳩、野焼き。私たちが連絡を取り合う方法はいくらでもある」
「何だよ。孤立してるのかと思ったぜ」
「してるわ。私はどこの街の誰が他の諜報員か知らないし、知っていても危地に陥った仲間を助けることはできない。芋蔓式に捕まってしまうもの。私のほうから上官と連絡を取る手段はなくなってしまったし。それで私が自力で上官と合流し、本来の目的通りシンクルスと接触する方法だけど」水晶がついた髪飾りの角度を手で調節し、満足げに頷くと、リアンセはやっと頭から手を下ろした。
「コブレンに行くがいいと思うわ」
「何で?」
「コストナーの夫が聖遺物を盗んだ理由は大体想像がつくわ。恐らくだけど、その理由のためにコブレンに向かう。だとしたら途中でシオネビュラに寄るはずだけど、この大都市で人間一人を見つけだすなんて不可能だわ。そしてシンクルスは、ある目的からその男を追うはず」
「何だ、その目的って」
「ここではちょっとね。落ち着いて話したいわ」
 リアンセに言われ、カルナデルは肩を竦めて運河沿いに歩き始めた。
「……とにかく彼も同じ事を考えると思うの。出入り口がたくさんあるシオネビュラより、出口と入り口が分かれてて、それぞれ一カ所しかないコブレンの入り口近くで待ち伏せるほうがいいって。きっとそこでシンクルスに会える」
「そんなにうまくいくかぁ?」
「いくわ。運命が導くならね」
 その自信に満ちた一言が冗談なのか本気なのかわからず、カルナデルはせいぜい言ってやる。
「情報部って適当なんだな」
 リアンセは上機嫌にクスクス笑った。新しいワンピースがよほど気に入ったのだろう。


ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み