暗殺者を狩る暗殺者

文字数 4,984文字

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 ミスリルはアエリエを連れて、現在の拠点である隔離病院の職員宿舎を食堂へと向かっていた。長く寒い石造りの廊下には随所に窓が設けられており、今は鎧戸を外して風が通るようにしてある。窓の外は墓地で、一番新しいのはヴィン・コストナーの墓だ。彼は救世軍に(くみ)し、多くの人の死に加担したが、既に死によって清められている。墓越しの風が顔に吹いてきた。冷たい風だ。
「団長」後ろのアエリエが、柔らかい声で囁いた。「緊張しているのですね」
 足を早め、アエリエがミスリルの隣に並んだ。ミスリルは横目でアエリエを見た。目が合った。
 アエリエは、仕事前なので、髪を高く結い上げていた。下ろせば腰まであるその髪は、一見黒髪に見えるが、天籃石の白色光にさらせば、実は濃い青色なのだとわかる。穏やかな瞳はどこまでも透き通る藍色で、左目の下には泣きぼくろが三つ並んでいる。二十七歳。いつも歌を歌っている。詩歌と数学を愛し、この二つを同一視している。
 アエリエはミスリルの妹弟子だった。彼女のほうが二歳年上なのに妹弟子というのも不思議なものだが、ミスリルが赤子の頃からコブレン自警団にいるのに対し、アエリエは九歳で拾われてきた。アエリエは、何かにつけて兄弟子のミスリルを弟扱いした。今でもそうだ。もうすっかりミスリルのほうが背が高いのに。力も強いのに。だが、それが嫌味にならないのは、アエリエにはどこか人を癒すところがあるからだ。
 青いトルマリンが嵌められたような目を見ていると、その色の深さに緊張が吸い取られていった。
「ああ」
 ミスリルは認めて頷いた。
 何せこれから、自分が団長を継いでから初の大仕事だ。成功も、失敗も、指名した仲間……共に育ち、幼い頃からあらゆる苦楽を分かちあってきた仲間の死傷も、全て自分が責任を負う。緊張しないわけがなかった。自然と顔が強ばり、口数も少なくなる。だが、歴代の団長は皆、この重圧と戦ってきたのだ。
 アエリエは何も言わなかったが、にっこり微笑んだ。
 食堂に着いた。
 大扉の向こうでは、既に七人の暗殺者がテーブルについていた。無言のままテーブルにつく団長と副団長を合わせて九人。
 この九人で仕事に当たる。
 ミスリルは身震いしそうになった。何かリーダーらしいことを言ったほうがいいのかもしれない。だが、緊張ぶりを隠すために、余計なことは言わないことにした。
「始めよう」
 その一言で、固い空気が若干和らいだ。
 暗殺者たちはめいめい、この大地、この天球の恵みに対する感謝の句を口にした。それが彼らの作法だった。彼らは本当に必要な分しか食べなかった。調理し過ぎたり、屠殺し過ぎることはなく、食事を残して捨てるということもしない。そして、食事が終わるまで、直接的な殺しの話はしなかった。
 ミスリルは皿に目をやった。一人につき、くるみ入りのパンが一個。キャベツの葉の酢漬け。羊肉のソテーが一切れ。これだけでも十分なのだが、今日は特別に、新鮮な羊の脳のスープがついていた。自分たちのために一頭しめたようだ。家畜の体から迸る血、悲鳴のような声で鳴きながら逃げ惑う姿、その諦めと哀願の相半ばする目、もがくのを取り押さえるときに感じる、生を希求する動物の激しい筋肉の動き、肉を切り骨を断つ感触、といったものに慣れさせるため、屠殺は子供たちの仕事とされていた。ミスリルも、少し遅れて感謝と祈りの句を呟いた。食事が始まった。
 仲間たちの様子を見れば、十五歳のラザイが一番緊張しているようだった。青ざめた顔で下を向き、あまり食も進まないようだ。彼は今日が初実戦なのだ。年齢と訓練の様子を鑑みて、そろそろ実戦経験をさせる頃だと判断した。
 逆に、いつもと全く様子の変わらない人物が、最年長のアラク・オーサー師。コブレン自警団で生き残っている三人の武術指導者の一人で、歳は七十になる。暗殺者としてベテラン中のベテランだ。ミスリルはオーサー師が団長を継ぐと思っていたのだが、彼は年齢的に将来性がないから、と言って辞退した。他の二人の指導者もそれに倣った。代わりに前線への復帰を約束してくれた。
「怖いのか」
 オーサー師が、彼の弟子であるラザイに鋭い目を向けた。睨みつけているわけではなく、生き様によってそういう目つきになったのだ。ラザイは消え入りそうな声で呟いた。
「はい」
「力を抜け」オーサー師はスープで濡れた髭を光らせながら唇を動かした。「訓練通りにやれば、お前が足を引っ張ることはない。自信を持て」
 ラザイはまた、「はい」と答えてから、隣に座る兄弟子と、ミスリル、そしてアエリエを窺った。
 緊張するのも無理はない、とミスリルは同情した。俺だって怖いのに。
「ですが、きっと強いですよね、〈タターリス〉って」
「そりゃ強いさ」と、ミスリル。「あいつらはベテラン層を何十人と揃えてる」
「だがお前は体力では負けん」
 と、オーサー師。ミスリルは頷いた。
「そうさ。奴らが経験と熟練度で向かってくるなら、お前は体力と俊敏さで勝負すればいい。でも、中には五十過ぎになっても二十代と変わらない膂力(りょりょく)を持つ超人みたいな奴もいるから気をつけろ。そういうのにぶつかっちまったら、ま、経験の乏しいほうが不利だな」
 ラザイが更に気弱な顔になる。
「そういうのにぶつかってしまったら?」
「その時になってどうこうしたって遅い。いつも言ってるだろ、自分の世界を持てって」パンを手でちぎりながら、ミスリルはラザイの目を、できるだけ優しく見た。「自分の哲学と言ってもいい。もちろん実力をつけた上での話だけど、信念とか、思想性とか、案外そういう関係なさそうなのが物を言う場合もあるんだ。だから、色々本を読むんだな。歴史でも、文学でも」
「数学でも」と、アエリエ。
「馬鹿者」オーサー師が遮った。「まずは生き延びろ。大体ラザイ、お前の役は潜入工作だ。見つかって戦いになってはいかん」
 ミスリルはパンをのみこむ。
「……まあそうだ」
 コブレンの副市長がコブレン自警団に庇護を求めてこの隔離病院に駆けこんできたのは、昨日の二十三時、間もなく零刻を迎えるという頃だった。城壁の側塔の窓から飛び降りたそうで、全身を打ち、半ば這うように、二時間かけてたどり着いたという。彼が治療を受けながらミスリルに話した内容によると、本日二十時に、救世軍の別部隊がコブレン市内に入る予定だそうだ。今、連中は難民に紛れて南側の城壁の外にいる。そして、彼らを受け入れる区画がどこなのか、特に装備品や食料を蓄える倉庫としてどこが使われるかを、ミスリルとアエリエに詳しく語った。
 むろんミスリルには、救世軍が力を強めていく間、指をくわえて見ているつもりはなかった。直ちに作戦を立てた。今回の行動目的は三つ。一つはその別部隊が引き入れられる前に、宿営場所の備蓄倉庫に破壊工作を行うこと。ラザイは彼の兄弟子と共に、この活動に当たらせる。ついでに救世軍と、それに協力する暗殺組織〈タターリス〉の関係に不和を引き起こせれば儲けものだ。
 コブレン自警団と〈タターリス〉は、長い間敵対関係にあった。奴らは古い予言書を所持し、それを信奉する。その信仰の起源の大部分が地示天球派と重なるとはいえ、組織としての根底の思想や理念は何ら交わるところがない。ついでに言えば、奴らの狂信はおよそ信仰と呼べるものではないとミスリルは思っている。
 そして、指導者ジェノス。
 その称号を心の中で呟くと、激しい怒りがこみ上げてくる。あの男の弟子が、師であり育ての親である先代団長、フーケ師を殺したのだ。だが、今はまだ奴と決戦すべき時ではない。
 二つ目の目的は、コブレン市内に残っている副市長の家族を脱出させること。
 三つ目は、元コブレン自警団本部の現状確認だった。その敷地の地下から不気味な呻き声が聞こえる、と副市長は言った。同じ報告を、市内潜伏中の仲間からも受け取っている。元本部を利用して、よからぬ企てが進められているのかもしれない。ただ、これは団員をおびきよせるための罠である可能性が高かった。危険が大きいため、確認にはミスリルが直接当たる。
 コブレン自警団の団員たちは二人一組で行動するが、今回はそれに見張り・連絡役をつけ、三人一組の編成にした。ミスリルはアエリエ、そしてオーサー師と組む。
 食事が終わった。全員の目が自然と、団長のもとに集まった。
 ミスリルは口を開いた。
「今回の作戦は、救世軍によるコブレン市民への迫害強化を阻止する目的で行われる。このまま救世軍部隊の合流を許せば、更なる流血は免れないだろう」
 数時間前にも言ったことだ。全員の意思統一以上の目的で、しつこく繰り返すつもりはなかった。
 ミスリルは情けなくなった。先代なら、もっとみんなの心を勇気づける、気の利いたことが言えたはずだ。
「俺たちはコブレン母市を追われた。だが市民たちに対する義務、自警団が存在する意義まで失われたわけじゃない。そして俺たちは、暗殺者を狩る暗殺者だ。奴らと戦うのにこれ以上相応しい組織はない。みんな、自分のすることに自信を持ってほしい。他に言うことはない」
 言葉を一度切り、頷いた。
「一時間後の十六時、また食堂に集合だ。問題がある者は?」
 団員たちは声を出さず、めいめい強く頷いた。問題はないということだ。
 コブレン自警団には、間違った道を歩んだ歴史もある。ならず者の殺人集団だった時代へと逆行し、市民に害をなそうとする大きな流れも、かつてあった。だが強い決意とともに組織の意識と後継者教育の改革に踏み切った先人の努力のおかげで、今の自分たちがある。
 百五十年前、前身組織は名をコブレン自警団と改め、ただの犯罪組織から、公の治安維持組織を目指した。確かに権威者の理解と承認は得難いものだ。だが、コブレン自警団はこれまでの道のりと新規団員の確保方法、そして教練方法に強い独自性があるだけだ。独自性を手放してしまっては、他の暗殺組織に対抗できない。
 その組織を継いだのだ。
 ミスリルは食堂を出た。
 大股で歩きながら、首にかけた紐に右手をかけ、服の中から紐の通された陶片を引き出した。大地を信仰する者の証、信仰者に与えられた守護だ。ミスリルはその護符に軽く口づける。そして、誰にも聞こえない、微かな声で祈りを唱えた。
()が手を血に染むるがさだめによる(ことわり)ならば、生によりて吾を慈しみたまえ。さだめになき悪逆ならば、死によりて吾を慈しみたまえ……」

 ※

 搬入作業に終わりが見えてきたので、ジェノスは機嫌を直しつつあった。後のことは救世軍の連中にさせて、作業区画を離れて〈タターリス〉本部へと一人歩いていた。
 機嫌を良くしつつある一方、補佐役のエーデリアがコブレン自警団の名を出したことで、心の片隅を騒がせてもいた。
 彼にとって、コブレン自警団は許せない存在だった。今は後回しにしているが、いずれ徹底的に破壊して、皆殺しにしてやるつもりでいた。公的機関を目指し、市内各組織のパワーバランスを崩すなど、同業者に対する裏切り行為だ。抜け駆けし、他の組織を制圧し、解体し、コブレンをほしいままにするつもりだったのだろう。その意志を、百五十年経った今でも保ち続けている。
 そんなことはさせるものか。
 松明で照らされた街路を歩きながら、割れた煉瓦のかけらを爪先で蹴った。どの家の塀だか壁だかが崩れたか知らないが、知ったことではない。
 この地区の住民など、もういないのだから。
 住民たちの顔を思い出したら、急に腹が減り始めた。
 捕食の時間が来たようだ。
 顔を上げた。明けゆく夜の星々が、最後の光を放っていた。
 コブレン自警団。来るなら来い。
 勝つのは俺だ、と言える根拠がジェノスにはあった。黎明と昼を拝み、新しい時代を支配するのは俺だ、その資格がある、と。
 燃える車輪が来る。日輪が昇り来る。新しい時代を支配しよう。火の時代を支配しよう。
 彼は心の中で囁いた。
 負け犬どもめが。
 新しい時代がどういうものかを教えてやろう。恐怖とともに。

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