神々はもういない

文字数 4,182文字

 4.

 戦闘後の疲弊により、自警団本部は静まり返っていた。非戦闘員たちの手によって、味方の亡骸は安置され、敵のそれは敷地の外の運河に放り出された。明日は葬儀を行うが、参加できる戦闘員がどれほどいるかはわからない。今は興奮が続いているせいで大部分が起きている。ミスリルもそうだ。だが零刻をすぎたら糸が切れた操り人形のようにパタリと伏してしまうだろう。
 アエリエは寝かせている。ミスリルが眠れそうになかったからだ。緊急時に団長も副団長も眠っていてはまずい。
 ミスリルはテスの部屋にいた。テスはリアンセやカルナデルを見張るために彼らと同室で生活していたが、それとは別に一部屋設けたのだ。テスは髪と体を清められ、真っ白な服に着替えさせられ深く眠っていた。呼吸しやすいように横向きに寝かせてある。何度か呼びかけたが、目を覚ましそうになかった。
 ミスリルは、この拠点で入手した古い版の教典を広げ、見ていたが、何かいい考えが浮かぶでもなかった。普及版にない記述がある箇所には栞が挟まっている。
 足音が廊下をやってくる。二人だ。顔を上げるのも億劫で、ミスリルは部屋の戸がノックされてから、重い口を開いた。
「誰だ?」
「ミスリル殿、こちらにいらっしゃると聞いて参った」
 シンクルスだ。
「ああ」教典を閉じた。「入っていいぞ」
 戸が開き、リアンセとシンクルスが姿を見せた。テスは入り口に背を向ける姿勢で眠っており、ミスリルはベッドの横、テスの顔が向いているほうに座っていた。ミスリルは二人に、入り口側に適当に座るよう指示した。リアンセは書き物机の椅子に座り、シンクルスは座る物を用意しようとせず、リアンセの隣に立った。
「テスは大丈夫なの?」
 リアンセは、ミスリルの目をじっと見て尋ねた。
「ああ。疲れてるだけさ。じきに正常な眠りに移る」
 ミスリルは椅子と教典を持ってベッドの向こう側に行き、寝ているテスと背を向けあう形で、リアンセの正面に座った。そしてもうテスを見ないようにした。
 テスやアエリエのような、共に育った仲間という存在を表現する言葉はない。仲間。友人。親友。ライバル。家族。兄弟。姉妹。その全てであると同時に、そのどれでもない。
 そんな相手が傷つけば、自分自身が深く傷つく。
 そのことをリアンセたちに悟られたくなかった。弱みを見せたくない。
 シンクルスが、ミスリルの膝の上の教典に目を留めた。
「その本は? 随分と年季が入っているようだが……」
「天示天球派の教典さ。どういうものかは知ってるな?」
「キシャ・ウィングボウの『亡国記』と、その高弟タターリス・エルドバードの『予言』の二部構成となる教典であるな」
「さすが神官様」
 その物言いに、シンクルスが苛立ちをまとって身を乗り出してくる。
「ミスリル殿、俺は――」
 ミスリルは顔の前で手をひらひら振り、黙らせた。
「そうさ。キシャとタターリス」ミスリルの顔を、苦い感情が走り抜ける。「タターリス」
「キシャの隠れ場所を密告した裏切り者として知られているわね」
「そうだ。じゃあ、何でそのタターリスがキシャに並ぶ聖人として扱われてるかわかるか?」
 リアンセもシンクルスは沈黙し、ミスリルは肩を竦めた。
「キシャの処刑の後、このしょうもないおっさんは、キシャの指示で汚れ役を負ったと語ったんだ。自己正当化のためにな。死人に口なしってやつさ。どうせ嘘っぱちに決まってる」
「あなた、他の宗派には厳しいのね」
「この名前が憎いだけさ。理由はわかるだろ? とにかくタターリスはキシャの処刑後、先頭に立ってキシャと『天球儀の乙女』の同一化を進めたんだ」
 そして、天示天球派と地示天球派が生まれた。
「何か、新しいことはわかりそう?」
「普及版からは削除されている記述によれば」ミスリルは目を、膝の上の教典に落とした。「タターリスはキシャの家庭教師だった」
「普及版では、キシャの旅の最初に出会った弟子ということになっているわね」
「ああ。だがどうも話が違うらしい。キシャは革命の寵児となるよう教育された……そのためにタターリスが教師として雇われたと」
「革命の寵児? 何故かしらね。キシャが頭角を現すのは、王が死んで世が乱れてからということになっているけど……そうなることを見越していたということかしら」
「ウィングボウ家は知っていたのだ」シンクルスが僅かに早口になった。「宇宙の終わりを」
「もう一度言ってくれ。宇宙の?」
「終わりだ。宇宙の収縮が始まることを知っていたのだ」
 リアンセが見上げたとき、シンクルスは顔を強ばらせていた。その顔の下を凄まじい早さで思考が流れているのがわかる。
「シンクルス……あなた、専攻何でしたっけ」
 思考の流れが途切れた。
「最後の専攻は地球戦術史だ。だが、地球博物史と地球科学史も修了した。それによれば――」
 再び自分の世界に入ってしまう。
 ミスリルが引き戻した。
「それによれば?」
「――それによれば、地球人はこの宇宙の終わり方を何種類か予測していた。もっとも有力な説が、宇宙の収縮説であった」
「説明を聞きたい」
「そもそもこの宇宙は、極めて高密度の極小の点であった」
「待て」早速ミスリルが声を上げる。「わからん」
「では水の入ったガラス瓶を想像してくだされ。そのガラス瓶を床に叩きつけたらどうなるであろうか?」
「割れるな」
「ガラス片や中の水はどうなるであろうか?」
「飛び散る」
「左様。そのように飛び散り広がったのが、我々が暮らすこの宇宙だ」
 ミスリルは、じっと床を見て首を傾げた。床の上の、見えない水とガラス片を凝視しているかのようだ。
 既に頭の中は疑問符でいっぱいなのだろう、シンクルスは考えたが、そうではなかった。ミスリルは頭の中で、先ほど尋問相手から聞き出した話しとシンクルスの話を照らし合わせていたのだ。
 話を進めさせた。
「じゃあ、収縮っていうのは?」
「広範囲に散らばった水とガラス片が広がるのをやめ、今度は中心に引き寄せられ、再び水の入ったガラス瓶の形に戻るということだ。おわかりであろうか」
「全然わからない。どういう力が割れたガラス瓶を元に――」と、口ごもる。閃きを得たようだ。ミスリルは幾分声を低くした。「そうか。時間か。時間の逆転だ。飛び散る前の状態に戻せば」
「そういうことがこの宇宙で起きるとしたら、もはや地球人も言語生命体も、敵も味方もないのだ。皆が皆、高密度の点に圧縮されるのであるから」
「じゃあ宇宙の外側に逃げればいいじゃないか」
 シンクルスは無表情でミスリルを凝視した。
「何だよ?」
「ミスリル殿、そのような発想はどこから。時間の逆転についても」
「天才なのさ。知らなかったのか?」
 荒唐無稽な夢の中でたまたま思いついたのだということは言わずにおくことにした。
「地球人は、宇宙の外側に逃げるということを考えていたのかしら」
「それはわからぬが……」
「わかった」と、ミスリル。「どういう終わりがくるにしろ、対抗できる方法は一つだけだ。文明力と科学力を向上させること。だろ? ウィングボウ家はそれを、八百年前の時点から始めなきゃとても間に合わないと思ったんだ。つまり、神たる地球人を凌駕すること。地球人はどうしたんだろうな」
「わからぬが、既にこのアースフィアには存在せぬものと思われる。そうでなければ、他にこの長い沈黙の理由は考えられぬ」
「滅んだのか?」
 その質問には、シンクルスには答えられなかった。
「だとしたら、ざまあみろだ」
 ならばそれは、地球人の自業自得にほかならない。差別主義を克服できなかったゆえの末路なのだ。もし地球人と言語生命体が手を取り合い、尊重しあい、知恵を出し合うことができていたのなら、滅びを乗り越えられたかもしれないのだ。
「……それで、一部の地球人は八百年前の時点では生きていて、言語生命体を生き延びさせようとしたってことだな」
「ああ。だが地球人が我々にしたことは変わらぬ。災厄の日には跡形もなく消えるよう、この身に言語子を組み込んだことには」
 シンクルスは自分の言葉に頷き、続けた。
「その言語子の働きを停止させる薬を、ウィングボウ家は聖遺物を用いて開発しようとした。地球人からの情報提供を得て」
「でも、不完全なものしかできなかったって?」
「あるいは、不完全なものしか残せなかったか」
「とにかくその時点では、キシャやタターリスには、地球人に対抗するという意識があったのね」
 ミスリルとシンクルスは、同時にリアンセの涼しげな顔を見た。
「地球人が組み込んだ言語子を無効化させようなんて、反乱以外の何物でもないんだから。でも、今の〈タターリス〉の連中は、地球人を崇めて取り入ろうとしているみたいね」
「世代を経て理念が歪んでいくなんて、よくある話さ」
 ミスリルは答えながら、頭の隅で、次の戦いの手立てを考え始めていた。
 次はこちらから仕掛けるつもりでいた。一にも二にも、聖遺物の状況確認をしなければならない。神官のシンクルスが合流したのは都合がよかった。
 今日の襲撃で戦闘員を失ったのはかなりの痛手だった。次は非戦闘員にも武器を取らせなければならないだろう。
「ミスリル殿、先ほど『宇宙の外側』と仰られたが、それはその教典から得た発想であろうか?」
 ミスリルは否定しようと思ったが、ふと引っかかることがあり、教典を開いた。

 また、私はかつて神と呼ばれた偽りの創造主らを見た
 綾織りの時は裂かれ その記述のはざまに
 太陽の国を統べた、青ざめし人らがいた。

「そうか」
 シンクルスの質問に答える以上に大切な閃きが、ミスリルの頭脳に訪れた。
 地球人には、宇宙の外側に逃げるという発想がなかったのかもしれない。それか、できなかったか。そのような技術を開発する余力がなかったか……とにかく、そうはしなかったのだ。
 彼らは時に身をゆだねるしかなかった。散り散りになったのだ。かつて言語生命体が夜の領域に撒き散らされたように、彼らは宇宙に散った。
「そうか」と、ミスリルは繰り返した。「地球人はもう、いないんだ」



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