サリナ・グレン連隊を撃て

文字数 3,689文字

 ※

 偵察連隊の各分隊は、次々と師団に情報を持ち帰った。
 主道から追跡をかける神官連合兵団は動きが鈍重で、シルヴェリアは順調に距離を空けていると確信できた。神官連合兵団は騎兵を主力に構成されている。馬糧という、およそ最も確保困難な物資なくしては騎兵など意味がなく、従って彼らは長い補給線を引きずっての行軍を余儀なくされ、路上でしばしば停滞した。馬たちは血で汚された沢の水に嫌悪を示し、シルヴェリアの師団の工兵隊が荒らした道を歩むのを拒んだ。距離は空くばかりだ。
 一方、支道のサリナ・グレン連隊は数が少ない分身軽で、機動力が高く、狭い谷を挟んだ向こうから常に師団の姿を補足していた。だが、この先の支道と主動の合流地点に急ぎ、先回りするような動きは見せない。
「恐らくは、攻撃許可がおりていないものと見られます」
 いかめしい顔と穏やかな声といういつものアンバランスな組み合わせで、参謀長モーム大佐がシルヴェリアに囁く。シルヴェリアは師団本部の椅子に深く腰掛けていた。傍らには副官のフェン・アルドロスが控えている。
 シルヴェリアは一言、
「根拠は?」
「連隊指揮官サリナ・グレンは政治家としての教育を受けており、本来軍事に携わるべき人物ではありません。彼女は士気高揚のために近衛連隊長の座についておりますが、それにあたり連隊本部の人員を刷新。軍部でも特に政治色の強い武官に置き換えております。彼女たちは命令に基き我々を捕捉し続けておりますが、責任追及をおそれ、正規の手続きを踏まずして武力を行使する事には抵抗しております。こうしたロラン及びサリナ・グレン親子のやり方に対する近衛連隊の反発は大きく、統制に欠けており、将兵とも自主的に動こうとはしません」
「何故内部の状況がわかる?」
「私の元部下である、信用のおける情報部の諜報員からの報告です。具体例を述べる必要はございますか?」
 シルヴェリアは片手をひらひら振った。
「更に補足しますと、サリナ・グレンは協力して作戦遂行すべき西方領神官連合兵団の総指揮官・ザナリス神官団正位神官将スレイ・ホーリーバーチと折り合いが悪く、北トレブレンの戦いの直前には、サリナがこの神官将を口論から肥だめに突き落とす場面が目撃されております」
 肩を揺すり、シルヴェリアは短く嘲笑し、長い脚を組んだ。もちろん軍服を着替えてはいない。万一の事態に備え、寝る時にも着替えは許されないのだ。ナイトガウンを着ていれば、美しくしなやかな褐色の腿、膝、臑、ふくらはぎや踝にお目にかかれたことだろう。だが想像で十分に補えた。フェンはいやらしい目つきになって、黙って立ったまま内心で舌なめずりした。
 シルヴェリアは好色な同性の部下の視線に気付き、自分の太腿を撫でて挑発しながらモーム大佐に満足げに頷いた。シルヴェリアは、抜き差しならぬ状況下で発揮される己の幸運に自信があった。この場合はサリナ・グレンが愚かである事、そしてもう一組の追っ手が鈍重である事だ。
「サリナ・グレン連隊を叩くぞ。お嬢に戦争を見せつけてやれ」
 合流される前にな、と、付け加える。次いでニタリと笑った。己の残忍さを発揮できるのが嬉しいのだ。
「そして、犬のように首に縄をつけて私の前に引きずり出せ。直接殺してやる」
 すぐに作戦が立てられた。概要を取りまとめ、各連隊長を集めて実行可能性を検討する作戦会議を開き、詳細計画を発行し、攻撃命令書を公布する。連隊長から大隊長へ、大隊長から中隊・小隊長へ、小隊長から分隊長へ、そして兵士一人一人へと指示が行き渡り、各部隊内で調整が行われる。
 作戦会議より九時間後、全ての部隊から師団長へと応答が揃った。
『準備よし』
 来たる零刻、新総督近衛連隊の斥候が、行く手の隘路(あいろ)で立ち往生する第一師団の輸送部隊を発見した。支道と主道が合流するその地点でぬかるみに荷車がはまりこみ、進退窮まっている。彼らは息を潜めて観察し、ゆっくり音もなく後ずさると、一目散に連隊本部に帰っていった。
 サリナ・グレンは痩せた背の高い体と砂色の髪、勝ち気というよりは我の強そうな茶色の目をした不人気の指揮官だった。士気高揚、新総督の人気獲得の為に現在の地位に据えられたものの、軍事に携わるべき人間ではないとのモーム大佐の見立ては正しく、「攻撃許可が下りていない以上動く事はできない。むしろ後退し距離を置くべきだ」と主張する彼女を説得するのに、一時間もの無駄な時間と将校たちの精神力が費やされた。その間にもシルヴェリア師団の輜重(しちょう)隊は、じわじわとぬかるみを前進しつつあった。
 曲がりくねった細い支道を、サリナを中央に置いた近衛連隊が縦隊をなして突進する。泥に残された(わだち)の後が生々しい。まもなく前衛部隊の前方に、シルヴェリア師団の姿が見えてきた。
 サリナ・グレン連隊は、輸送部隊を守るように立ちはだかるシルヴェリア師団の第二歩兵連隊と遭遇戦を戦った。
 両連隊とも、順々に前列を交代しながら戦い続けた。第二歩兵連隊はじりじりと後方に押しやられ、サリナ・グレン連隊は気をもみながら前進する。サリナには師団そのものを叩き潰す必要はない。輸送部隊が運ぶ物資を鹵獲(ろかく)してしまえば、補給を断たれたシルヴェリア師団は逃走を続けられなくなるはずだ。反乱軍首領の娘は有力な人質となり、うら若き指揮官サリナは武勲を称えられ、新総督への民衆支持の礎となる――。
 不意に後方で、狂騒が沸き起こった。サリナには何が起きたのかわからなかった。後方で戦闘が起きるはずがない。隘路の入り口に敵は存在しなかったはず。
「何事だ!」
 曲がりくねった隘路では、振り向いても何も見えなかった。ただ物音、混乱した怒鳴り声と悲鳴だけ返ってきた。敵襲を告げる喇叭がそれに加わった。
 サリナはようやく事態を把握した。どうやって敵が挟撃を成功させたかわからない。ただ、後方に敵が存在する事、自分たちが隘路に閉じこめられてしまった事だけは確かだ。
 指揮を執らなければならなかった。
 混乱する部下を鎮め、鼓舞し、激励し、建て直し、迎え撃たなければ。
 だが……だがどのように?
 くぐもった声を上げて、隣の副官がのけぞった。慌てて目をやれば、副官の胸には鎧を貫通して矢が刺さっている。次の矢が、また次の矢が、サリナの隣で連隊本部の人員を撃ち抜いていった。矢はたちまち小雨となり、雨となり、豪雨となった。敵の所在がようやくわかったが、遅かった。崖の上の茂みだ。どうやってあんな所に上ったのか、そして回りこんだのか――わからない。だがどうにかしてやったのだ。彼らは。兵士たちは指揮官に応えた。彼らにとってそれだけの価値がある指揮官なのだ、シルヴェリアというのは。サリナは敗北感に胸を引き裂かれながら馬を座らせ、その陰に蹲った。頭を抱えながら金切り声で叫ぶ。
「退け、退け!」
 だがその声に従い、血路を開こう者はなかった。前後から兵士たちが押し寄せて、サリナには目もくれず密集し、踏みつけ、のしかかって倒れ、圧殺する。
 生け捕りは叶わなかった。
 事後、第一師団の兵士達は、サリナ・グレン連隊の将兵の死体を押しのけ、道を開けた。彼らは携行食料、馬糧、ほとんど使われていない大量の矢と火薬を手に入れて、荷車を曳いた。戦闘の後の無感情に支配され、彼らは呆然としたような無表情で、着々と作業を進める。
「師団長殿、先を急ぎましょう。今休憩を許せば兵士たちはもう一歩も動けなくなる恐れがございます」
 収穫物を検分するシルヴェリアのもとに来て、モーム大佐が耳打ちする。
「鹵獲作業を終えたらば、直ちにトレブ高地へ向かい、もう一組の追っ手を迎え撃つ準備に取り掛かるべきです」
 そこは、トレブレン地方へと注ぐ豊かな川の源泉だ。夏の間に放牧を行う民の為の、ごく小さな村がある。今は春、雪解けが始まったばかり。無人で荒れているはずだ。
「ふぅむ」シルヴェリアは唸る。「やはり決戦は避けられぬかえ?」
「戦闘を避け、騎兵隊の追跡困難になる尾根への道を選ぶとなると、我々の装備では雪のため遠からず前進不可能となります」
 シルヴェリアは黙って頷いた。
「そして、決戦を避けてこのまま大道路を行軍し続けるとなると、敵は必ずトレブ高地を使って味方部隊と合流し、身軽な歩兵部隊を前衛に置いて追跡を続けるでしょう。強大な敵を背後に引き連れ、挟撃によって退路を断たれる恐怖に怯えながら逃走を続けるような選択は推奨できません。しかしながら高地の地形を味方につければ、我々は強力な正面と接近困難な側面を得、軽騎兵・重騎兵相手にも十分に戦う事が可能となります。師団長殿、ご判断を」
 シルヴェリアは顎に指をかける。続々と集結する戦利品、その内訳を計算する師団本部の主計兵たちの動きに目を注ぐ。
 その水色の目をモーム大佐にやった。口を開く。
 西方領神官連合兵団との行程差は一日半に縮まっていた。

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