それは奇行か真実か

文字数 6,548文字

 2.

 その頃、師団長シルヴェリア・ダーシェルナキも、ヨリスとは別の道を通ってトレブレニカに向かっていた。結い上げた銀髪と黒いマントを風になびかせて、都から連れてきた気に入りの白馬を疾駆させており、後ろには副官のフェン・アルドロス少佐が続いていた。シルヴェリアと対を為すように真っ黒い馬に跨り、黒髪を肩の上で切り揃え、愛嬌のある大きな目と爽やかな顔立ちをしたこの副官は、どことなく聡明な少年と言った雰囲気だが、三十代後半の女性である。成熟した体つきは、女性らしい甘やかさと軍人としての強靭さを見事に両立させており、鍛えられた剣の腕と経験が貫禄を与えていた。更に彼女は歴代の神官の家の出身であり、生まれながらに優れた知性と品格を備えている。
 性格を除いて非の打ちどころのない女性だった。フェンは、シルヴェリアの副官に選ばれるまでは司令部に勤務していたが、上官との不倫が発覚したため前線送りになった。が、フェンには簡単には死なない自信があった。
「のう、フェンや!」
 シルヴェリアの声が聞こえ、フェン・アルドロスは上官に馬を並べると、蕩たけた笑みを浮かべて首を傾げた。
「はい。何でしょう?」
「今日、憲兵隊はチェルナー中将の第二師団で手入れを始めたそうじゃ。何が出てくることかのう?」
「何も出てこないのが一番ですよ、シルヴェリア様」
「それはそうじゃが、私には連中がどうも間が抜けているように思えてならん」
「連中。親軍団の上級将校たちですね」
「そうじゃ。内通者がいるとして、果たして敵のどこに向けて情報を発したものかをまず特定すべきだと思うがな。王領軍か? 西方領軍か? 南東領軍か、新総督軍か、いずれかの神官団か、あるいは〈救世軍〉……此度の兵への手入れは、どこにも焦点があっておらん」
「我々に対応し真っ先に動いたのは、新総督軍ですよ」
「だからと言ってネズミが新総督軍に通じとるとは限らんじゃろうて。新総督など所詮は王領の王家の傀儡じゃ。フェンや」
「はい」
「そなたなら、どこに焦点を合わせてネズミのあぶり出しをかければ良いと思う?」
「元南西領総督夫人、パンネラ・ダーシェルナキに近しい者」
 シルヴェリアはフェンを横目で見、にやりとした。フェンのこういう勇気ある所が好きだった。パンネラはシルヴェリアの母で、黎明が始まるや、さっさと夫のシグレイを見限って王の愛人の一人になった。今はその手練手管で他の愛人たちを蹴り落とし、王宮内で地位を築いている事だろう。彼女は権力を愛していた。その愛は肉親への愛情などより遥かに勝る。
「元総督夫人は頻々に園遊会を開き、政治家や陸海軍の将校、その他領内の主要機関の人間を招いておられました。堂々と謀反の人脈作りをなさっていたようなものです」
 シルヴェリアは短く笑った。
「同じ事を軍団長にも言うてやったわ。だがあの石頭と来たら何もわかっておらぬ」
 疾駆する二頭の馬は畑に突入した。狭い農道を一列になって走り、シルヴェリアは後ろのフェンに、大声で叫んだ。
「パンネラがその気になれば、北方領を動かす事も難しくはあるまいて。総督の娘の返還がどれほど功を奏すかのう」
 フェンは遅れじと馬の腹を蹴った。
「なかなか面白い事を抜かす娘だそうじゃ、そのリレーネとか言うのは」
 強攻大隊の兵士たちは、シルヴェリアに敬礼し、何も言わずに通した。大隊の士官と兵が集まる食堂の前で、シルヴェリアとフェンは兵士に馬を預けた。
 食堂の戸を開け放つ。
 戸の近くにいた兵士たちが、シルヴェリアを見て固まった。
 緊張が広がり、兵士らは次々口をつぐむ。流れに乗り損ねた兵士の大声が食堂に響いた。
「伍長! 何度も言いますが耳ほじくった後洗ってない手で籠のパンを取らないでください!」
 それから静まり返った。

 ※

 リージェスが村の食堂に足を運んだ時には、軍の関係者でもないくせに、リレーネが二階席の弓射中隊の士官たちの定位置についていて、ヴァン相手に楽しげに話していた。ヴァンも楽しそうなので、リージェスは面白くなかった。
「やあ」
 後ろから肩を叩かれた。ユヴェンサだった。食事のトレイを手に、二人は一緒にテーブルについた。リージェスは座るなりヴァンに尋ねた。
「何の話をしてたんだ?」
 答えたのはリレーネだった。
「太陽の王国のお話ですわ」
「そんな話に耳を貸すな!」
 リージェスはリレーネを見ずに、スプーンを手に取りながらヴァンに話し続けた。
「どうせ口から出まかせに決まってる」
「でもリージェス、この子の話すっごく面白いんだ。俺たちが太陽の王国で南東領と戦争した時の話でさ――」
「信じるつもりじゃないだろうな」
 リージェスの鋭い目と語気に、ヴァンはしょんぼりして口ごもった。
「そういうわけじゃないけどさ……」
「あなたにもお聞かせしますわ」リレーネが声をかけてきた。「信じていただけるまで」
「信じる時など来るものか。あなたは頭がおかしいんだ。だが同情はする。あんなおばけ屋敷に二年も閉じこめられてりゃ無理もない」
「リージェスさん」
 睨みつけたが怯まず、むしろリレーネは微笑みかけてきた。
「あなた、幽霊を信じていらっしゃるの?」
 目玉焼きを呑みこもうとしていたリージェスは、それを喉に詰まらせて噎せた。卵が鼻に上がって来て痛かった。それを見てヴァンが冷やかした。
「リージェス、お化けが怖いんだ」
「そんなわけないだろう!」
 ようやく咳が止まり、紙で口と鼻を拭いてから、リージェスは言い返した。
「いいか、お化けだの幽霊だのいうものは存在しないんだ。存在しないものが怖いわけがないだろう」
「そんなの、わかんないだろ?」
「じゃあ存在する証拠を見せろ」
「そっちこそ存在しない証拠を見せてよ」
「もうやめな」
 ユヴェンサが止めに入った。
「その話は不毛だ」
 ヴァンはばつが悪そうに呟いた。
「リージェスがそんな言い方するからさ……」
「当たり前だ。ああ、そうさ。死んでも会いたくない奴がいるのに、そいつが死んでからも存在するなんて心底ぞっとする」
 すると冷たい緊張が円周状に広がって来て、リージェスは食事の手を止めた。
 二階席の入り口に、師団長と副官が立っていた。
 リレーネがいきなり立ち上がり、叫んだ。
「シルヴェリア様!」
 全員がぎょっとしてリレーネを見た。リージェスは心臓が止まりそうになった。顔がさっと熱くなり、汗が噴き出す。
「よい、よい」
 シルヴェリアはにやにやしながら片手を振った。
「皆、賑わしゅうしておれ」
 軍靴を鳴らして食堂を横切り、まっすぐリージェスたちの席に歩いて来た。勘弁してくれ! と、リージェスは心の中で叫んだ。シルヴェリアとフェンは、いつもアウィンとアイオラが使っている椅子に座った。
「そなたがリレーネか?」
 シルヴェリアはさも親切そうに微笑みかけた。リレーネもにっこりして応じる。
「はい、シルヴェリア様」
 こいつが男で、かつ護衛対象でなかったら後で一発殴るのに。リージェスは残念に思いながら、低い声で耳打ちした。
「師団長殿だ。失礼にも程があるぞ」
「構わんぞ、メリルクロウ少尉や。ところで嬢や、何でも太陽の王国を見てきたと触れ回っておるそうだが、初対面の私を知っているのも太陽の王国で会ったせいか?」
「そうでございますわ」
 頼むから下手な事は言わないでくれとリージェスは祈った。
「面白い」シルヴェリアは唇を片側だけ吊り上げて笑う。「私に太陽の王国の話をしてみよ。どのような場所じゃ?」
「やはり、一番の特徴は」
 リレーネは嬉しそうに話した。
「そこは常に昼であった、という事ですわ。このアースフィアとの一番の違いです。そのアースフィアでは、私たちは太陽の光を浴び続けていないと言語崩壊を起こすのですが、太陽の王国に夜が来て、私たちは夜から逃げなくてはなりませんでした――」ふとその顔に影が差し、少しの間黙った。「――次に大きく違うのは、太陽の王国は完全王政ではなかった事ですわ。歴史を背景に、神官たちの統治領域と、王や総督たちの統治領域がモザイクみたいに入り乱れておりました。国土はここより小さくて……夜の王国の方が二倍以上広いのではないかしら」
「夜の王国でも、神官どもは王から独立していると言えるな。神殿という極小の領土を持つ神官たちの国が、夜の王国と重なりあって点在していると言える」
 いつの間にか、食堂にはシルヴェリアが来る以前の賑やかさが戻っていた。シルヴェリアは周りの空気に同化して話していた。
「神官どもは地球人との盟約の守護者だ。だからこそ独立した軍事力の保持と、地球人との盟約履行に必要なあらゆる権限が認められておるのじゃ」
 それは時に王をも屈服させるほどの力であった。また、いかなる勢力も神官の独立を侵してはならない。神官の権力の背景には、この惑星の裏側に住む地球人の存在がある。言語生命体による独立統治は、同じ星に住む地球人たちに課せられた文明退化に支えられている。
 神官の独立を侵すという事は、言語生命体の独立統治を侵す事であり、ひいては、地球人による夜の王国とは比較にならない優れた文明兵器による滅亡を招くという事に繋がる。
 そのように強力かつ不可侵な神官という存在は、千年の王政に打ちこまれた巨大な楔だった。神官の存在によって王の権力が翳らされたばかりでなく、文明退化によって移動手段が大幅に制限された事で王の威光が及ぶ範囲は極端に小さくなり、総督に委ねられた各天領地は実質独立国家の様相を示している。王宮にはそうした鬱積から、倦怠と頽廃、弑逆(しぎゃく)の恐怖と不安が、いつの世にも渦巻いていた。
「他は? 何でも話してみよ」
「私が来た、こことは異なるアースフィアには、地球人はおりませんでしたわ。その代わり文明退化はここまで進められていませんでしたし、退化状態の維持を司る徒弟制の組合などもございませんでした」
「ねえ、今思ったんだけどさ」
 この流れに口を挟める人間はヴァン以外にいない。
「君が一週間くらい前に太陽の王国から来たんなら、どうして夜の王国の事をそんなによく知ってて、太陽の王国と比べて話せるの?」
 その質問を聞いて、リージェスはヴァンを見直す事にした。
「意識だけ、そのアースフィアから飛んできて、夜の王国にいる私の体に入ったから……」
 リレーネは自信なげな様子で呟いた。
「夜の王国に関する知識は、こちらの世界の私の中にあったものですわ」
「じゃあ今、記憶とか、人生とかが二重にある状態なの?」
「はい。私、太陽の王国での人生も、夜の王国でのこれまでの半生も、両方覚えておりますわ」
 シルヴェリアも、ここまで聞いてリレーネへの興味を強めていた。尋問には聞こえぬよう、気軽な口調で続けた。
「そなたの言う事は実に面白いのう。もっと聞かせよ。太陽の王国で我々に会ったと申したな。私の師団はどんなだったのだ?」
「銃や、いろいろな発達した兵器が存在していたので、それを扱っておられました。とりわけ護衛銃士と呼ばれる、その方たちだけに取り扱いを許された強力な熱を放射する銃がありまして、リージェスさんも、ヴァンさんも、それを扱っておられました。ユヴェンサさんは特殊銃戦部隊と呼ばれるその部隊の指揮官でしたわ。護衛銃士が五十名くらいいらして、銃士一人につき三人、兵がつき……」
 話すべき事を考えているのか、少し黙って宙を見つめた。
「……ええ、このように兵器が発達しておりましたから、軍隊の規模は小さかったように記憶しております」
「銃か。それはそれは……」
 シルヴェリアは乾いた声で笑い、隣のフェンを見た。
「フェンや? どう思う?」
「発達した武器と狭い国土が軍を縮小させた、という話は十分に考えられますね。逆に、夜の王国には軍が強大にならざるを得ない様々な要素がございますから」
「銃に劣る、剣や弓か?」
「はい。退化した兵器がまず一つ目です。これにより兵士一人あたりの担当戦域が極めて狭くなりました。二つ目は広すぎる国土。三つ目は文明は退化しても、衛生観念はほぼ損なわれず持ちこされた事。これは疫病の流行による人口の大幅な減少を抑制しました。四つ目は六年の夏や冬、常に夜という独特の風土で育つよう改良された作物。加えて『古農場』の存在です。これらは飢饉による人口減少を抑制し、特に後者は戦時には無視する事のできない存在です」
 フェンは水の流れのように、淀みなく話し続けた。
「五つ目には王国中に張り巡らされた大道路、『古道』を挙げる事ができます。これらの道路は大規模な軍隊の行軍に十分に耐え、従って防衛する側も大規模にならざるを得ず、長きに渡る徴兵制度の維持を支えております」
 リレーネは感心したように、頷きながら聞いていた。それからまた話す事を考え、言葉を続けた。
「……シルヴェリア様の師団には、神官が同行しておりましたわ」
「ほう?」
「シンクルス・ライトアロー」
 シルヴェリアが目つきを変えた。リージェスはそれを見逃さなかったが、リレーネは気付いていなかった。
 ライトアロー家は千年の昔に、地球人によって盟約守護の御三家に指定された家の一つだった。神官たちの世界の中では絶大な支持と尊敬と権威を有していた。が、十年近くも前に滅亡した。当時の西方領神官大将オルドラス・ライトアローの息子夫婦に、国王暗殺を謀ったという嫌疑がかけられたのだ。息子夫婦は逃亡先で暗殺され、神官大将は自殺に追い込まれ、孫は獄卒によって尋問中に死亡させられた。直系以外の一族は、名を捨てるよう強要され、拒めば処刑された。
「あの方と一緒に、太陽を追って宇宙に出るために、宇宙港である南東領『言語の塔』を目指しました。そこで、地球の戦列艦セトを呼び出そうとし――」
 フェンはにこにこしながらリレーネを凝視していた。リレーネの表情、口ぶり、そこに化けの皮を剥すきっかけがあれば見逃すまいとばかりに。が、やはり、リレーネは気付いていなかった。口を噤んだ。表情がみるみる変わり、泣き出しそうになった。
「おお、おお、どうした。何じゃ? うまくいかなんだのかえ?」
 泣き笑いのような表情になり、かぶりを振った。
「いいえ、このお話はやめる事にしますわ。あとは、ええ……そうですわ、カルナデルさんの事を覚えています。東部方面の独立大隊の方で、シルヴェリア様の師団に同行されていました。気の良いお方でしたわ」
「何故東部方面の独立大隊が私の師団に同行したのだ?」
「私が南東領に入る時、合流されましたの」
「師団長、失礼します――カルナデルという人間は、実際に東部に存在します」
 聞き役に徹していたユヴェンサが、困惑も露わに口を開いた。
「カルナデル・ロックハート。独立騎兵大隊の将校で、役職は中隊長です」
「よく知っておるな」
「彼は士官学校の後輩でした。同じスポーツのクラブに属しておりましたゆえ――でも」
 最後の一言は、リレーネに向けられていた。
「彼の事まで知っているなんてね」
 リレーネは黙って紙で口を拭った。

 ※

 王に対する反乱軍たるダーシェルナキ軍では、将校の不足に加え、師団以上の規模を指揮しうる者は主に側面の第二、第三軍に回されていた。短期間での様々な折衝の結果、背後の第一軍には必要な戦力が各師団や軍団の規模を越えて詰めこまれる形となり、その状況がついぞ改善されぬまま続いていた。

 第一歩兵連隊 約二四〇〇名 (四個大隊)
 第二歩兵連隊 約二四〇〇名 (四個大隊)
 第一弓射連隊 約一八〇〇名 (三個大隊)
 第二弓射連隊 約一八〇〇名 (三個大隊)
 偵察連隊   約一一〇〇名 (二個大隊)

 以上、戦闘部隊。その他指揮部隊、輸送部隊、工兵部隊、衛生部隊、兵站部隊を合わせ約一八〇〇〇名。
 これが、開戦直前のシルヴェリアの第一師団の兵力だった。


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