砂の書記官

文字数 4,331文字

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 シルヴェリアはモーム大佐の長女と同い年だった。
 モーム大佐は夫を義務感で愛していた。そうしなければならないと思う一方で、そんなのは間違っているとも思っていた。恋をしたことはない。いつまでも独り身ではいられないと思ったから、出会いを求める若い男女を集めたパーティーに出向き、妥当な相手を見つけた。両親を安心させて孫を見せなければならないという、これまた義務感であった。他人に恋愛感情を抱いたことはない。毎日一緒にいても苦痛でない相手がほしかった。夫は正にそうだった。無口で控えめで、高圧的なところは一つもない。ただ、お互いにとって心地よい家庭を維持できるよう、無理のない範囲で愛の努力を続けた。
 夫は陸軍省の役人で、長女がごく幼い頃から物騒な会話が一家の食卓を飛び交っていた。
 今にして思えば、長女の話を真剣に聞いてやったことなど一度もない。
 仕事に関係ない私的な話題に関しても、シルヴェリアの言うことに耳を傾けるのは、罪滅ぼしのつもりだろうか? モーム大佐は自虐的な気分になった。
(はよ)う、連中の口を割らせたいのじゃ」
 シルヴェリアは椅子の肘掛けに肘を置き、頬杖をついていた。
 偵察連帯の斥候が連合軍の斥候と接触したのは昨日の十二時。十三時には、三人を生け捕りにしたとの報告がシルヴェリアにもたらされていた。追っ手の神官連合兵団に、聖地〈南西領言語の塔〉への侵攻許可が下りているか、手がかりを引き出す努力が続けられていた。敵の斥候たちは口を開こうとしなかった。体に聞いてやるという手は除外するようシルヴェリアは命じていた。もし解放する流れになった場合、いずれ敵部隊の復讐感情を煽ることになる。ごく少量の幻覚作用のある薬をのませることができないかと、その相談でモーム大佐を呼んだのだ。
 それまではパンネラへの愚痴が続いていた。モーム大佐は自虐的な気分を胸から追いやった。
「既に軍医に確認いたしました。その手段をご検討されると思いましたので」モーム大佐は答える。「ですが、そうした種類の薬物は、北トレブレン脱出の際に置いてきたとの回答でした。全員の脱出を優先した結果、やむを得なかったとの回答です」
「ならば仕方がないな」
 シルヴェリアは不満げだ。
「しかし、奴らも神官兵と言ったところで、所詮寄せ集めの民兵じゃろうが。何故脅迫されながら沈黙を続ける? 忠誠心か?」
「郷土愛でしょう。そして恐怖。自分の失敗で、神官団によって家族に危害が与えられるかもしれないと恐れていても不思議ではありません。神官団のお膝元である町が、彼らの故郷なのですから」
「そこに訴えかけられんか?」
「懐柔せよということでございますね。そろそろ移行しても良い頃合いと存じます。既に十二時間以上も休みなく、入れ替わり立ち替わり現れる担当者に怒鳴られ続けておりますから」
 するとテントの外から声がかかった。
「師団長殿。フェン・アルドロス少佐でございます」
 シルヴェリアは頷いた。
「……では、この件はそなたに任せよう。アルドロス少佐! 入っていいぞ」
 モーム大佐はフェンと入れ違いで師団指揮所を出た。
 あの副官と師団長を二人きりにさせることについて、モーム大佐は苦い思いを抱いた。彼女たちがどういう関係かは知っている。だが決して口を挟むまいと心に決めていた。自分がいかに愛のない人間か、よく知っているからだ。
 義務感で家庭を築いた自分には、愛や快楽を追求する人間の心理はわかるまい。
 モーム大佐の長女は十五歳で妊娠した。それを知ったのはたまたま一週間ぶりに家に帰ったからで、夫と二人で話し合い、堕胎させることに決めた。長女はそれを激しく拒んだ。愛する人の子だから産む、学校はやめる、相手の男の子にも学校をやめて働いてもらう、愛があるから大丈夫、と。モーム大佐はこの時最もしてはいけない対応をした。長女の肩を掴んで優しく微笑みながら諭したのだ。
「いいこと? レライヤ、ママのお話をよく聞きなさい。世の中にはね、まだまだあなたの知らないことがたくさんあるの……」
 レライヤ・モームは十五歳であり、五歳ではなかった。母ピュエレットはそんなこともわからぬほど娘を見ていなかったのだ。彼女の中で、娘は小さな女の子の頃のまま止まっていた。そのことに、モーム大佐は自分で衝撃を受けた。四十五歳でおばあちゃんになること以上に衝撃は大きかった。
 長女は母親をぶん殴り出て行った。ガリ勉の次女は冷ややかな目で一部始終を見ていた。以降長女とは四年に亘って音信不通の状態が続き、やっと便りが来た頃には、長女は三人目の夫と同居していた。そして、便りの内容は、金の無心だった。次女はというとますます教科書と問題集以外に心を開かなくなり、哲学の最高学府の門を叩いたものの、この所精神が不安定らしい。
 わからぬことに口は出すまい。まして大人同士の関係には。
「私用でございますか? それとも公のお話で?」
 モーム大佐がいなくなったテントで、フェンは机の前に直立した。シルヴェリアは底意地の悪い笑みを口に浮かべた。
「両方じゃ」
「師団長殿、私は我慢できないたちでございます」
 フェンは机を迂回してシルヴェリアの横に行き、跪いて腿に口づけた。
「どうぞ、私用のほうからおっしゃってくださいませ。久々に床のお相手をご希望で?」
「それよりもっと面白いことを考えたぞ?」
「悪企みのお好きですこと。伺いましょう」
「なに、少ぅし、神官の家の者としての意見を聞きたくてのう」
「まあ」
「だがな、フェンや」シルヴェリアは笑みを口にしたまま、鋭く言い放った。「私は神官が嫌いじゃ」
 フェンは全く動じなかった。
「あら、意地悪」
 長い腕をシルヴェリアの首に絡ませ、顔を寄せる。二人は口づけあった。
 そうしながらも、シルヴェリアは神官と、神官組織と、その家系を嫌っていた。いかにフェン・アルドロスを気に入ろうとも、数回顔を合わせたことのあるシンクルス・ライトアローが好人物であろうとも、まだ見ぬリアンセ・ホーリーバーチとやらがいかに将来有望な情報士官であろうとも、それは変わらない。家柄とまやかしの聖性を重んじ、率先して文明退化を促してきた連中だ。
「文明退化に伴い……」フェンの口から舌を引き抜くや、シルヴェリアは低い声で話した。唇は唾液で覆われている。「……戦術や教練の手法までもが劣化していく。これに歯止めをかけるために、陸海軍がどれほど苦労をしてきたか。のう、フェン。神官どもの望みは何じゃ? 封建社会への逆戻りか? 好き勝手に農民を集めて、戦術もへったくれもなく捨て駒扱いで戦わせる。民間人は虐殺し、思うままに略奪する。そういう戦争が望みか?」
「どうでございましょうね」
「あるいは定期的な徴税が廃され、戦の度に自分の領土で略奪を行い、大量の餓死者を出す遠征をしたいと思うておるじゃろうか?」
「私には、わかりかねますね」
「だがしかし、そうなるぞ?」
 フェンは微笑みながら目を伏せ、肩を竦めた。
「そなたを苛めておるわけではない。このところ家柄がどうだの、伝統がどうだのうるさいのは一部の陸軍人のほうじゃからな。どうにもいらいらする。八つ当たりじゃ。すまなんだの」
 グラムト・チェルナーがそうだ。
 貴族階級から戦士が出ることは別に何とも思わないが、戦士階級が貴族化したり、貴族将校団が幅を利かせるのは我慢できない。それこそ文明社会の退化であり、地球人の思うつぼではないか。
 フェンにはシルヴェリアの苛立ちの理由がわかっていた。彼女は早くも、窮地を脱し親軍団と合流した後のことを考えているのだ。二人の将校の裏切りに気づけなかった釈明をしなければならない。
 ネス・アレンもダリル・キャトリンも貴族の出身だ。シルヴェリアもまたそうだ。貴族将校団がしゃしゃり出てこれば、紛糾は免れない。
 何か劇的な出来事が必要だ、とフェンは考えた。面倒くさい馬鹿どもの目と気をそらすような。
「まあよい。本題に入ろう」
 シルヴェリアは唇を舐めた。
「フェンや、南西領言語の塔について改めて説明せよ」
 相手が真顔になるのを受け、フェンは立ち上がった。再び机を迂回し、椅子にかける。着席の許可は必要なかった。フェンは、そうすることが許されていた。
「王領を除く五つの自治領には、それぞれ地球人統治時代に利用されていた施設があります。聖地、または言語の塔、と呼ばれるものがそれですね」
 シルヴェリアが頷くので、続ける。
「南西領言語の塔の役割は、宇宙空間上に隠匿された地球の戦列艦〈セト〉との情報交換です。〈砂の書記官〉と呼ばれるシステムによって管理され、そこから発される情報に不穏な要素があれば、戦列艦は宇宙から夜の王国を焦土に変えることになります」
「その不穏な要素とやらいう情報は、誰が〈砂の書記官〉に渡すのじゃ?」
「誰も。そのような者がなくとも、〈砂の書記官〉は各地の神殿から勝手に情報を収集します。空気中に含まれる物質や、ガスの濃度、各地の人口密度、気象の乱れ、そうしたものから文明レベルを推測し、文明の発展を関知したら……空から恐怖がくる、ということですよ」
 ふん、とシルヴェリアは鼻を鳴らす。
「交信できるのは宇宙空間だけではあるまい。この星の裏側、太陽の王国の地球人どもへの情報の送受信も可能か?」
「もちろんでございます」
「一つ気になることがあっての。あの自分は何もしないくせに見栄だけは張りたがる淫乱年増脳内お花畑無能クズ育児放棄女のパンネラが、本気で真理の教団だの地球文明の技術だのに入れこんでおるのなら、地球人そのものとの接触を夢見ずにはおれまい」
「口の悪いお方」
「そこでじゃ、記録は残るんじゃろう。非公式に地球人と接触した者はおらぬか、地球人が何と物申したか気にならんかえ?」
 フェンの目が輝き、ニヤリとするので、シルヴェリアは満足した。
「恐ろしい所と聞きますよ。巨大な罠で侵入者を丸飲みにする所だと」
「尚更じゃ。うまくやれば、追っ手の神官団を永遠に地上から消し去ることができるかもしれん」
 二人はくすくす笑いあう。
「未だ何の声明も出さぬ地球人どもの動向は、誰もが気にするところじゃ。手土産を持って父の軍に帰れるなら、それに越したことはないではないか」
「師団長ともあろうお方が、わざわざすべきことではございませんよ」
「では、せざるを得んな」
 再び笑い合い、シルヴェリアは真顔になって命じる。
「ヨリス少佐を呼べ」

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