人質の娘

文字数 3,665文字

 2.

 リレーネ・リリクレスト。十七歳。夜の王国、北方領〈()(すな)の天領地〉総督セヴァン・リリクレストの末女。リージェス・メリルクロウ少尉は事前に与えられた情報と照らし合わせながら眼前の少女を観察した。
 年頃の娘らしい、柔らかな曲線を描く頬。色白で、鼻は小さく尖っており、二重まぶたの大きな目には、オリーブ色の瞳が宝石のように収まっている。口には紅を差しており、身を包む農民の女の衣服にはいささか不釣合いであった。
 約束された平穏無事な人生などあるはずもなく、上級貴族の娘である自分がそんな平民の服を着て残り一生を過ごすなど、彼女は覚悟していなかったに違いない。
 二年前、ここ夜の王国の南西領〈(まが)()の天領地〉は、商業支配を強める西方領と紛争状態にあった。南西領は同じく西方領への反発を強める北方領と軍事協定を結び、締結の暁に人質を送りあった。
 南西領総督の末女と引き換えに送られてきたのが、この北方領総督の末女リレーネだった。
 王国全土が混迷を迎えるにあたり、形式上の人質が俄然意味と重みを増し始めると、この娘は要人付き護衛としてリージェス・メリルクロウ少尉の派遣を要請した。一週間前の話である。
 それまでリージェスは、この娘の名前は愚か、そういう人質が存在している事さえ知らなかった。上官に繰り返し確認され、また繰り返し説明したように、人質から名指しで指名される心当たりなど何一つなかった。
「リージェスさん」
 その初対面の人質から、不意に馴れ馴れしく名を呼ばれて、リージェスは身構えた。人質の娘は小走りで部屋を横切り、腕を広げたかと思うと、リージェスの首に両腕を回して抱きついた。
 隣で下士官が咳ばらいをした。
「やめてくれ」
 リージェスは娘の肩を掴み、強引に引き離した。
「馴れ馴れしくされる(いわ)れはない――」
「どうしてですの? リージェスさん。ようやくまた会えたのに……」
 娘は悲しげに目を逸らした。
「……私の事を覚えていらっしゃらないのね」
「覚えていないも何も、初対面のはずだ」
 場を仕切り直すべく、リージェスは語気を強くして言った。
「私はリージェス・メリルクロウ少尉だ。あなたの――」
「リージェス・メリルクロウ」娘が声をかぶせる。「二十二歳。もとの名はリージェス・アークライト。北方領〈凍り砂の天領地〉出身。元評議会議長の息子で――」
 リージェスはもう一度娘の肩を掴み、遮った。
「……どうして知っている? どこで知った?」
「私、あなたの事なら何でも存じておりますわ」
 と、娘はリージェスの背中に手を回し、左の肩口に触れる。
「ここには、古い火傷の痕が二つ――」
「火傷の痕なんかない。何を言ってるんだ」
 リージェスは呆れ、後退して娘の手から逃れた。オリーブ色の瞳がさも意外そうな様子でリージェスを凝視した。とにかく、娘が間違った情報を口にした事で、リージェスは安心した。必ずしも正しい知識を得ているわけではないようだった。
「答えていただきます、リリクレスト嬢。何故、護衛として私を指名したのか」
「堅苦しい言い方はおやめになって、リージェスさん。私の事はリレーネとお呼びになって」
「じゃあリレーネ」リージェスは捨て鉢な気分になって問い直した。「いつどこで俺の事を知った?」
「『太陽の王国』で」リレーネは応じた。「……永遠(とわ)なる真昼の王国で、あなたと私が共に暮らしていた頃に」

 ※

 アースフィアと名付けられたこの星は、三つの領域に分け隔てられている。
 一つは永遠の昼が支配する〈太陽の王国〉。
 昼と夜のあわいとなる〈夕闇の領域〉。
 そして、果てなき闇夜が続くはずの〈夜の王国〉である。

 太陽の王国には、遥かなる星〈地球(テラ・マーテル)〉よりやって来た神人(しんじん)たちが暮らしている。神人たちは地球において〈言語生命体〉と呼ばれる新人類を生み落とし、このアースフィアに連れてきた。やがて神人たちは、自らの被造物を疎み、自転が止まったこの星の、夜の領域へと追いやった。
 ここは言語生命体たちの暗闇。
 命の暗闇。

 ※

「〈太陽の王国〉に言語生命体は住めない」
 リージェスは突き放すように言った。
「俺たち言語生命体の体は、直射日光を浴び続けると言語崩壊を起こし溶け去ってしまう。神人たちによってそのように体を作り変えられたんだ。夜の王国に放逐される時にな。そんな事は子供でも知っている」
 リレーネの肩越しに、ふと窓の外を見た。空高くに天球儀が、白く輝いていた。アースフィアをすっぽり包む網状の天球儀は、太陽の王国に集中する光と熱を分散し、アースフィアを居住可能な空間に保つ役割を果たしていた。
 千年前、夜への放逐という形によって皮肉にも言語生命体が神人からの独立を果たした際、真っ先に封印された技術が空を飛ぶ技術であった。天球儀保護が名目だが、それを皮切りに、太陽の王国に暮らす神人たちの指導の下で、その後も着々と文明退化が押し進められた。
「それでも、私はあなたとそこにいました。あなたは護衛銃士でしたわ」
「銃士?」
 リージェスは目線をリレーネに戻した。
「銃は廃された。一千年の昔に。以来、再発明禁止条項によって夜の王国からは失われている」
 左手を腰のサーベルの柄にかけて、リレーネに見せつける。
「とにかく、無駄話は終わりだ。あなたはこれから前南西領総督シグレイ・ダーシェルナキ公の軍勢の庇護下に入って頂くが、貴人として遇するつもりはない。その事だけは予め伝えておく」
「人質としての私に何を期待してらっしゃるの?」
 リレーネはリージェスから目を離さずに質問した。
「お父様にとって私は手許(てもと)に取り戻したい存在ではございませんわ。この二年というもの、私が出した手紙についぞお返事は来ませんでした。お返事をくださったのはキリエルとララトリィ先生だけですわ。私、絵を学んでおりましたの。画院の友人と担当教師ですの」
「親子の個人的な情は関係ない。大事なのは、あなたが政治的に有力な人物と強い血縁関係にある、という事だ」
「そうでしょうね……ねえ、外の世界の情勢を教えて下さる? 私、この様な場所にこもりっきりで、必要な情報はあまり手にしておりませんの」
 では何故自分の事は知っていたのか。
 リージェスは不愉快になりながらも仕方なく口を開いた。
「黎明現象が起きている事くらいは知っているな?」
「ええ。夜の王国が東方から明け始めていると。自転の再開が原因だと聞きますわ。太陽の王国に(おわ)す神人たちからは、まだ何も声明は出ておりませんの?」
「出ていない。それに東方領東部は既に完全に夜が明けている。住める状態じゃない。南東領、王領、北方領、どこも大量の難民を押し戻すので手一杯だ」
「どこも難民に手を差し伸べようとはなさらないのね」
「明日は我が身だからな。よそに構っている余裕はない。それに連中は何としてでも神人たちとコンタクトを取ろうと躍起になっている。自転の再開と黎明現象を地球の技術によるものだと考えてるからだ。どうにかして慈悲に縋りたいんだ」
「北方領は、人間を冬眠させる、失われた地球技術の再興による生き残りを図っていると聞きますわ」
 と、リレーネ。
「ですが王領とその他の天領地は、神人の慈悲に縋るあまり、封印された文明を復活させようとする北方領に強く憤っていると」
「そうだ。じゃあ、南西領がどういう道を選んだかもわかってるな?」
「海を西に進み、神人たちが遺した月に至る『宙梯』がある島を目指すのでしょう? そこには地下に幾層にもわたる農場があり、宙梯から月を経由して太陽の王国に輸送される……」
「そうだ」
「ですが、計画を知った王領の王は大層お怒りになって総督閣下を罷免なさった」
 リージェスは重々しく頷いた。
 北方領前総督シグレイ・ダーシェルナキは王に背いて、大混乱に陥る陸海軍をまとめあげ、自分につくすべての軍勢を南西領西部に集めた。南西領東部では王の後ろ盾を得た新総督が、シグレイにはつかなかった南西領の軍勢を得て、前総督討伐軍を起こした。
 シグレイは王領、西方領、南東領の軍勢及び新総督軍、更には王国各地の神官兵団や救世軍を敵に回しながらも、着々と陸を放棄して海に出る準備を整えていた。
「敵はあまりにも強大だ。もし北方領までもが何らかの理由で南西領に軍を差し向ければ、持ちこたえられる時間は更に短くなる」
「北方領を怒らせないために、私をここで死なせてはならないという事ですわね。私は北方領に返却される事になるのかしら」
 リージェスは少しだけリレーネを見直した。少なくとも馬鹿ではないらしかった。
「そういう事だ。伍長!」
 廊下で耳をほじくっていた下士官が慌てて姿勢を正した。
「彼女を屋敷の外に出す。構わないな?」


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