去りし天球儀の乙女

文字数 5,654文字

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《我々は消え去る》
〈どこへ?〉
 退歴一九七年二月、今からおよそ八百年前に交わされたこのやりとりが、非対面ながら言語生命体と地球人の間で最後に行われた会話となる。
 どこへ、と問うのはキシャ・ウィングボウ。
 消え去る、と語るのは地球人。
 地球人に名はない。
 便宜上の番号はついているのだが、三十桁以上の文字と数字の組み合わせであり、およそ名前の代わりに呼べるものではなかった。
「仮にX氏としよう」
 アセルが、そう言いながら顎に指をかけた。
「X氏とキシャがこのやりとりを行ったのはどこだ?」
「コブレンですね。アクセスコードにそう記されています」
 と、レーニール。
「アクセスコード?」
 神官と二人の神学生は、揃って沈黙した。失われた科学について解説をしていたら、終わるまでの間に夜が明けきってしまうだろう。結局、レーニールが簡単に答えた。
「どこでこの文字を入力したかとか、そういうことも一緒に記録されるようになっているんです」
「コブレンには、ウィングボウ家の別邸がありましたね」
 レーンシーの言葉のあとをシンクルスが引き継いだ。
「ああ、地下の聖遺物を隠匿するべく建てられた。戦争で焼失したが……」
「だが聖遺物はどこかの神官組織の組合が管理しているはずだ」
「ああ、中佐殿」
 頷いた直後、何かに気付いたようにシンクルスが表情を強ばらせたので、アセルは続けて尋ねた。
「どこが管理しているか知っているな?」
「……『叡智と恩恵を司る神の手の組合』。薬事関係の組合だ」
 言語活性剤を製造したとされる組合だ。レーンシーとレーニールによれば、今はそれに勝る物を作ろうとしているという。
 会話の記録を調べてたレーンシーが手を止めた。困惑の気配を感じ、シンクルスは彼女のほうへと向き直った。
「如何した」
「キシャとこのX氏の交流の記録が、これの他には一件しかなく……もっとあるはずと思ったのですが」
「見せてほしい」
 退歴一九六年五月。
 文章はなく、神官たちの禁識保存にかかる記録番号が二十ばかり羅列されているばかりだった。また、キシャから相手への返事もない。
 地球人との意志交換を行ったのは誰だろう。シンクルスは何とも言えない、嫌な気分になった。
 ろくに会話もせず、または許されず、キシャ・ウィングボウは何かをさせられただけではないのか。当時吹き荒れた革命の嵐、その指導者の一人に仕立てあげられた傀儡(かいらい)に過ぎず、その挙げ句、処刑されたのだろうか。
 が、いずれにせよキシャ・ウィングボウを処刑したのはシンクルスの先祖である。
 レーンシーが記録番号を指で押した。
 だが、閲覧に制限がかかっており、見ることはできないというメッセージが表示されるに終わった、
「資料番号D‐5761~5775か」何か思い出せそうな気がして、シンクルスは自分の頭の中で行われていることに集中した。「資料番号D‐5761~5775……」
 そして、思い出した。
「なんだ、強制離散のアレか」
「アレって何だ」
「中佐殿、船上にて強制離散の話をしたであろう。家族という単位さえ引き裂かれ、この夜の領域にばらばらに送り込まれたと」
「ああ」
「何故家族単位の離散が行われなかったかというと、言語生命体を職業ごとに管理し、できる限り引き離す方針がとられたからだ。彼らが団結し、知識を集合させぬよう。この資料番号は、強制離散当時の就労していた言語生命体を管理するD資料の一部であるな」
「では、何か特定の職業に就いていた言語生命体の血筋に関するデータというこだな。何故そんなものをキシャが入手しなければならなかった」
「Dの4000番台以降は医療、薬事に携わっていた者……薬事」シンクルスは閃きをそのまま口にした。「薬事……今作られている言語生命体……何かそのような……薬事に関する記憶や作法などを口伝された者が、リストをもとに集められ……そして、神官の薬事組合が後ろ盾となっていたなら」
「キシャはこの時代に言語活性剤のようなものをつくろうとしていたのかもしれません」レーニールが言った。「もし言語子を体内から排斥、少なくとも働きを止めることができれば、直射日光を浴び続けても言語崩壊は起きず、言語生命体が夜の領域にとどまる理由はなくなるのですから」
「そうかも知れぬな。断定はできぬが……」
 そしてシンクルスは、資料番号の羅列の中に、見落としていたものがあることに気付いた。
「D資料ではないものがあるな」
 一つだけ紛れた、Bで始まる資料番号『B‐10100』を指で示した。
「これは地球文字におけるBなのだが、B資料は神界戦争に関するもの。10000番台は局地、主に南西領にかかるものだ。奇遇だな、中佐殿。船上にて話題にした古の都の災禍についての真実も、このBの10000番台に記述される」
 レーニールが言った。
「もしかしたらこのX氏が、天球儀の乙女ではありませんか? 様々な情報を与えて、他に何をしたかは知りませんが……何か理由があって革命を煽ったか……」
「キシャの時代と天球儀の乙女が生きた時代は三百年も離れているだろう」
「いや、中佐殿。地球人の寿命は極めて長い。不可能ではない……レーニール、何故X氏が天球儀の乙女だと思う?」
「カンです。イメージがかぶるんです。かつて言語生命体の守護者を称していながらあっさり見殺しにした調停官と、安全な場所から情報を与えて革命を煽り、様々な人を死に追いやったX氏と、それに、古の都……」
「面白い発想であるな。嫌いではない」
 シンクルスは頷いた。アセルが繋ぐ。
「しかし、革命を煽って何になる?」
 少し黙り、無表情で首をかしげてから、シンクルスは話し始めた。
「……棄民の経緯についてだが、夜の領域への離散など誰も従いたくなかった。言語生命体との間に子をなした地球人もいた。棄民推進派の地球人たちは、言語生命体に対する経済支配によって土地や財産を奪い、棄民に同意せざるを得ない状況を作っていった」
「棄民反対派は? まさかかわいそうだから反対と言ったわけではなかろう」
「言語生命体は労働力になるから反対したのだ。進化しすぎた地球人は、極めてひ弱な体を持っていた。体が強くよく動く言語生命体は、ていのよい奴隷として飼うのに都合がよかったのだ」
「それで、言語生命体による反乱を煽ったと?」
「そこまででは……なかったのではあるまいか。反乱、となると、むしろ言語生命体の太陽の王国での立ち位置を更に危うくする。反対運動をさせる程度で……だが、いずれにせよ、太陽の王国内部において武力衝突が起きてしまった」
 その衝突は、棄民推進派の地球人たちに、言語生命体追放の大義名分を与えた。鎮圧の後、昼の領域に住む言語生命体たちはかき集められ、家族をばらばらに引き離された。夜の王国に送られ、体内に言語子を組み込まれた。
 直射日光を浴び続けることで崩壊してしまう体にし、二度と昼の領域に来られぬように。
「……キシャが革命指導者としての権威付け、こじつけの対象として『天球儀の乙女』を選んだのは、非常に長寿である地球人……または案外、レーニールの言う通り、乙女本人とやりとりがあったからかも知れぬな」
「自らが神ではなく、神の代理人か。謙虚だな。ウィングボウ家の娘なら、地球人の血を引いていることをもっと前面に押し出しても良さそうな気もするが」
「当時溢れ返っていた預言は、どれもこれも救世主は人間として現れると説かれていた。それに、血筋自慢は反発しか招かぬ。ウィングボウ家が掲げた地球人崇拝廃止の理想にもそぐわぬ」
 視界の隅に、何か動く物が入った。
 白銀に輝く拳大ほどの球体が二個、エントランスの四人が歩いたあとを転がっている。靴底についていた土などを掃除しているものと思われた。
「懲罰的で、思いやりの欠如した地球人への憎悪……」地球文明品を前にして、シンクルスは続ける。「それに追従する神官階級への反感……『創造主の前の平等』という理想……貧困、疫病の蔓延や大規模な自然災害の度に叫ばれる、かつての高度な文明への渇望……そうしたストレスから、救世主や預言者といった存在を人々は待ち望むようになった。今より文明退化の深度が浅かった当時は、ある面ではむしろ今よりずっと不安定だったのだ」
 次々と現れる自称救世主たちは、隠匿された歴史を自分に都合のいいように曲解し、教典を拡大解釈し、日毎に新しい異端宗派が生まれた。
 キシャが生きたのは、シンクルスが学んだ歴史によれば、そういう時代だった。
「それまでは、一人の有力な王が、圧政によってそれを押さえつけていた。抑えが利かなくなったのは、王の薨去(こうきょ)より僅か数年後のことだ。暴動が各地で手がつけられぬほど激化し、爵位を持つ者や地方総督でさえ、逃げ出したり、殺されたりした」
 いずれ現れるとされる救世主像については様々な解釈があったが、それが自分たちの真の国、自分たちの文明と文化の自由を約束するものだという点において同じであった。そして……ウィングボウ家の族滅へと行きついた」
 救世主でも神の代理人でもない、かつて存在した少女キシャが遺した短い一言に、シンクルスは目を移した。
〈どこへ?〉
 その時代に生きていた先祖は、何を思っていただろうか? シンクルスは思う。もし俺がその時代に生まれていたら、何を選んだだろう、と。
 退化した文明に人々が適応するためには、倫理観や生命観も退化させざるを得ず、そうしたことも、神官たちが率先して指導、実行した。
 赤子にいたるまで皆殺しにしたウィングボウ家の族滅もその一環にすぎなかった。
 地球人はかつて、言語生命体は未熟で野蛮だから、共生はできない、と言った。
 その偏見と押しつけを、自らの手で本当のことにしてしまったのだ。
「話を戻そう。キシャがコブレンでこのやりとりを行ったのは、処刑されるよりどれほど前になる?」
 アセルが尋ねた。
「キシャの処刑は退歴一九七年九月。七ヶ月だ」
「コブレンには、暗殺者のための抜け道がいくつもありますね」
 レーンシーが言い、レーニールと目を合わせる。レーニールが続けた。
「当時からあの地にいた暗殺者たちが、革命を支持してキシャを逃がしたのかもしれませんね。歴史の科目で習った内容によれば、キシャはコブレンの別邸では捕縛されませんでしたから」
「いずれにせよ、生誕の地である西方領スリロスに連れ戻され、そこで処刑された。レーンシー、他に情報はないだろうか?」
 レーンシーは緑の光の幕に触れ、キシャの名を撫でた。
 すると、二件のやりとりの他に、もう一件、閲覧可能なメッセージがあった。
 それは誰かと交わされた会話ではなかった。ただ一言。メモのようでもあった。
〈光あれ〉
 四人が四人、その言葉の意味を黙って考えた。
 やがてアセルが沈黙を破る。
「〈青い光〉とやらか?」
 レーンシーがそのメッセージを撫でる、文字の背景に、見慣れた地図が現れた。
 南西領西部の地図だ。鉱山街コブレンに旗印が立っている。
 旗の中に、メッセージが収まった。〈光あれ〉と。
「地球人の聖典の言葉だ」
「どういう意味で書いたと思う?」
「『創造主の前の平等』という御旗を掲げたキシャだ。その創造主にまつわる教典の言葉を、悪い意味で使うとは思えぬ。古の都を滅ぼした光や、東方領で人々を滅ぼした光ではないよう感じられるが……」
 シンクルスは目を細めたり、首をかしげたりしてメッセージを凝視し続けた。
「キシャは言語生命体を救おうとしたのではないか? ウィングボウ家の力と地球人の助力があれば、それこそ言語子の操作や体内からの排除を行う技術を作り得たと思う。まして現在流通している言語活性剤とやらは、今の文明力で、何の下地もなく作られ得るものではない。少なくとも……下地を作り、保存した」
「どうやらその薬剤も、欠陥品らしいがな。しかしコブレンに何かあるのか?」
「薬事組合」シンクルスの声が鋭くなる。「コブレンの邸宅と、それと続きになった聖遺物を接収したのは神官の薬事組合だ。薬事組合の統括神殿は――」
 すると、双子がぴたりと声を揃え、答えを言った。
「リジェク市〈地を這う銀河〉神殿」そして、「リジェク神官団」
「オレー大将の捕縛に関わったな。真っ先に連合側についた。救世軍への軍事指導も行ったとされる」
 シンクルスは身震いを堪えるべく、体に力を込めた。
「つながるな……全てつながる」
「で、東方領の異変の詳細については? ここに来た目的はそれだろう」
「それについては外れのようであるな。このX氏が糸口になるだろうが、四人では何日かかることか。調査団が必要だ。前総督公の支配領域内での調査団が。既にあるかも知れぬが……」
 シンクルスはなんとも心細い気分になった。なんと駆け足で旅をし、なんと長い間、情報から隔離されていたことだろう。
 レーニールとレーンシーが、何かを囁きあいながら緑の光の幕に触れ、操作を行った。シンクルスとアセルは待った。
 双子は同時に振り向き、レーニールが言った。
「僕の網膜情報からも、姉さんの閲覧記録を開けるように設定しました。この先何があるかわかりませんから」
 レーニールの言っていることを、実際にどれほど理解しているかはわからないが、シンクルスの前で、アセルは頷いた。
「ひとまず本土に戻ろう。ミナルタに情報部本部が疎開している。ミナルタまではどれほどかかる?」
「補給のためにタルジェン島とシオネビュラに寄港し、最短で五日といったところであるな。とにかく、早く航路図を情報部に届けなければ」
 光の幕が消えた。
 四人は診療所を後にした。


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