略奪者を追って

文字数 8,573文字

 1.

 鉱山街コブレンに最も近い街道沿いの村は、恐らくかつてないほどに人があふれていた。宙梯行きを目指して西部方面の港町を目指す前総督派の民間人と、前総督によって主要都市から追い出され、コブレンに庇護を求める新総督派の民間人。両者が合流するのがこの村だった。
 南トレブレン、トリエスタ、シオネビュラという三つの大都市から延びる街道は、その合流地点まで、身動きもままならぬほどの渋滞だった。着の身着のままの難民たちと使役用の牛馬が押しあい、子供は泣き疲れて黙り、大人は絶えざる緊張から黙り、これほどの人がいながら喧嘩騒動が起きる様子は見られなかった。
 徒歩でコブレンを目指すシンクルスとアセルは、かなり遠回りとなる脇道をとらざるを得なかった。コブレンへの最後の通過地点となる村にたどり着くまでに、トリエスタ女子修道学院を出てから六日が過ぎていた。
 保護した女学生たちのことを思うと、シンクルスは胸が苦しくなる。
 学院長のキンメルによれば、ヴィン・コストナーと連れの略奪者たちによって連れ去られた女学生は三人。うち一人は、シンクルスたちが追いついた時には殺害されていた。南東部の温暖な気候では、すぐに遺体の腐敗が始まってしまう。嫌がる二人の女学生たちを説得し、路傍に埋葬せざるを得なかった。
 生き残った二人の女学生の内一人は、埋葬の後眠りこんだきり目を覚まさなくなった。精神的な理由によるものだろう。コストナーの取り巻きが遺した荷車にその女学生を乗せ、引いて歩いたのだが、怪我をおして気丈にも立って歩き続けた三人目の女学生と別れを告げるまで、彼女はついぞ目を覚まさなかった。起きて水を飲み、栄養をとらなければ、衰弱死は免れぬはずだ。
「ありがとう。ここまでで大丈夫よ」
 彼女たちを保護してから最初にたどり着いた村で、会話ができる最後の一人となった女学生は、凍り付いた目を向けて、平板な口調で言った。
 先を急ぐシンクルスも、ここで彼女たちと別れなければならないことはわかっていた。だが、学友を埋葬した際に僅かばかりの涙を流したきり感情が消えてしまい、無表情かつ無気力になった少女を残していくには大きな抵抗があった。
 幸いその村には小規模ながら修道院があり、女学生たちの保護を頼むことができた。
 シンクルスは何度も女学生を労り、慰める言葉をかけた。だが彼女は無感動に同じ言葉を繰り返すだけだった。
「大丈夫。ありがとう」
 彼女の傷が癒える日が、いつか来るだろうか。昇りくる太陽が言語生命体たちを焼き尽くしてしまう前に。壊れた心のままで、命と全てに別れを告げなければならないとしたら、それほど残酷な話はない。だが、こんなことはあくまでも、『戦時にはよくあること』でしかないのだ。
「クルス」
 アセルに呼びかけられ、シンクルスは我に返った。
「ヴェール付きのマントか新しい仮面を買ったらどうだ? 巡礼者のふりをして行くならいつまでも顔を出したままではまずいだろう」
 と、アセルが道の端を顎で指す。
 道端では、難民たちが座りこみ、物を売ったり、物乞いをしたり、別の者は病のためか横になって動かない。死んでいるのではと思われる者もいた。とにかく人が多いのに、活気や賑わいがまるでない。人々は希望を失い、生きる気力さえ消えてしまったように見える。
 そんな難民たちがあふれる通りの端に、小さな古着屋があった。シンクルスは頷いた。
「ああ……そうだな、中佐殿」
「すまんが、私の分も一枚買ってきてくれ。安いのでいい」アセルはニーデル貨を適当にシンクルスに渡した。「十分後に来る。それまで店先から動くな」
 シンクルスが浮かぬ顔で生返事をするので、あの女学生たちの件を引きずっているのだとアセルは察した。シンクルスは頭は良いのだが、一度に一つのことしか考えられないタイプだ。その分集中力があり、人より深く、鋭く、素早く答えを出すことができるのだが、答えが出ないようなことをいつまでも考えていてほしくなかった。
「ぼんやりしていると後ろから刺されるぞ」
 シンクルスは作り笑いを浮かべ、首を横に振った。
「大丈夫だ、中佐殿」
 とにかく、アセルはシンクルスと別れて古着屋の角を曲がっていった。
 道端で、難民たちが木材や煉瓦を組み合わせて屋台を作り、物を売っていた。いい加減にしてくれよ! と怒鳴りながら、太った男が屋台の一つを斧で壊していた。その足許にはベーグルが散乱し、難民の女が怯えて幼い少年を抱きしめ、無表情の少年は、光は宿っているが思考や知性は宿っていない目で男を見ていた。数え切れないほど、こうした表情や目を見てきた。
「値段を上げろって昨日言ったじゃねえか! お前がこんな値段で売るからこっちが商売あがったりなんだよ!」
 怒鳴り続けている男の後ろを通り過ぎ、通りの端の屋台で足を止めた。死んだ目をした男が蠅にたかられながらふかし芋を売っている。
 アセルと目が合うと、男の目に鋭い光が走り、顔に生気が漲った。男は一瞬でそれを消すと、呂律の回らぬ調子で喋った。
「旦那ぁ、お幾つでしょうかねぇ」
「幾つ出せるかね?」
「すぐ出せるのはぁ、一つですねぇ」
「では一つくれ」
「はぁい、十三デルでござぁい」
 アセルは小銭を渡しながら、男の唇の動きを読んだ。
『ご武運を、ロアング中佐』
 男が芋を紙に包み、手渡してくる時に、アセルも声を出さずに唇を動かした。
『幸運を祈る』
 アセルは村の公衆浴場まで歩き、その施設の裏で適当な木箱に座ると芋を食べ始めた。包み紙の中に隠されていた小さな紙を開く。そこに書き記された符丁に目を走らせた。
 符丁の一文字目で、北トレブレンからの連絡だとわかった。
 伝書鳩に託して放たれる文書だ。無駄なことや不確かなことを書く余裕はない。
 まず、北方領総督の末女リレーネ・リリクレストならび護衛武官リージェス・メリルクロウとの接触について書かれていた。
 その次に、有り得ぬとしか言いようのない情報が続いていた。
『リリクレスト嬢、自分を聖遺物への働きかけに必要な〈鍵〉であると主張し、シンクルス・ライトアローとの接触を希望する』
 鍵としての人間が存在することは、シンクルスによれば禁識だ。人質の娘や自分の部下が知っているべきことではない。更に、その娘がシンクルスを知っているなどあってはいけないことだ。彼は公式には死んだことになっているのに。
 アセルは最後の署名に目を通した。ブレイズ・アスナニ軍曹だ。彼の妻アズレラは神官で、妊娠のため休職中だがシンクルスの部下だった。
 芋を食べ終わると、腰に紐で結わえつけた火打ち石を取り出した。芋の油がよく染みこんだ紙に火をつけ、足許で完全に炭に変わるまで見届けた。そして、入手した情報を、心の中で握り潰した。
 シンクルスには言うまい。

 ※

 コブレンを取り巻く荒野は、街道沿いの村々よりもひどい有り様だった。
 前総督の『第十七計画』を拒んだ民間人は住んでいた都市を追われて一切の庇護を失い、逃げようにも東へ行くほど早く〈黎明〉に身をさらすこととなり、西方領へ逃げようにも、その道路や港湾は軍事目的で利用され閉ざされている。結果、彼らは新総督派の識者や政治家が多くいるコブレンへと押し寄せ、庇護を求めているのだ。
 難民たちの野営は、軍隊のそれより遙かに過酷だ。彼らを養う基盤はなく、当然食料もテントもない。精神的支柱となる指揮官のような存在もない。雨に震え、風に身を寄せあい、無言で、または眠りの世界に逃避して、コブレンへの入門許可だけを待っている。コブレン市内には三年分の食料の備蓄があるが、それが開放されることは無論ない。市外拠点の修道院による炊き出しは、難民の数が膨れ上がって養いきれなくなり、終了した。時折、反乱軍と成り下がった南西領陸軍西部・北部・中部方面軍の広報部員が紛れこみ、前総督を支持するなら、無条件で以前の暮らしに戻れると噂を流す。彼らの活動に効果があるようには見えない。コブレンを取り囲む難民の数は膨れ上がる一方だ。
 街道を、虚ろな目をした子供がさまよい歩いている。親とはぐれたのだろう。少年は目の前すら見えていないような呆然とした顔つきで、右に揺れ、左に揺れ、旅装の男にぶつかった。
「前見て歩け、クソガキ!」
 旅装の男はヴィン・コストナー。彼は子供を膝で蹴り上げ、転ばせた。街道の左右から一斉に、荒野を占領する難民たちの憎しみに満ちた目が刺さる。リアンセは居たたまれなくなった。丘の上に、コブレンを囲む市壁が見えてくる。難民たちの数が減ってくる。彼らは斜面と防衛用の林を避け、主に丘の下にいるのだ。
「弱い者いじめ」
 聞こえよがしに呟くリアンセを、ヴィンは血走った目で睨みつけた。リアンセは小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「有名よ、あなたが奥さんに暴力振るってたこと。バレてないと思ってた?」
「それがどうした」ヴィンは街道に唾を吐く。もう路傍に難民たちの姿はない。林が近付いてきた。「殴って言い聞かすしかなかったんだ。あの女、子供も産めねえくせに生意気なんだよ」
「ララミディア・コストナーには離婚歴があるわ」リアンセは首を横に振る。「その男もやっぱりクズだったみたいね。流産を機に離婚しているわ。ついつい男をかわいそうだからって理由で選んじゃう女性だったみたい」
「てめぇ、何が言いたい?」
「わかんないの? せっかく直接言わないであげたのに」
 リアンセがせせら笑うのを聞き、先頭で黙っていたカルナデルは何となく嫌な気分になって、横目で様子を窺った。
「あんたが種なしだってことよ」
 ああ、こいつ、男嫌いなんだとカルナデルは気が付いた。
 ヴィンが右腕を上げてリアンセに殴りかかった。
 カルナデルは慌てて止めようとした。だがリアンセがヴィンの右肘と右手首を掴むほうが早かった。ヴィンの右腕を強引に曲げて、リアンセがヴィンの後ろに回りこむ。手を放したと思ったら、ヴィンの右肩を体重をかけて押し、もう片方の手で右足を吊り上げた。
 うつ伏せに倒れたヴィンを組み敷きながら、ヴィンの右手を彼自身の背中の上で捻り上げる。ヴィンは上擦った声で叫んだ。リアンセがケープの下からダガーを抜き、ヴィンの頬に当てる。叫び声はぴたりと止んだ。
「私、物好きで武器を手に取ったわけじゃないの」
 ヴィンの目の前にダガーをちらつかせながら、リアンセは弄ぶように言った。
「これまであんたが力で誰かに勝てると思っていたならね、大きな間違いよ。あんたが強いんじゃ、決してないわ。馬鹿すぎてとても相手にできないから諦められてただけ。誰だってあんたをまともな人間扱いしてやるくらいなら、多少痛いのを我慢した方がマシってわけよ」
 カルナデルは、かつて自分の中隊にも所属していた数名の女性兵士や下士官のことを思い出した。
 女性が徴兵されることはないから、彼女たちは皆志願した職業軍人だ。女性軍人は、男性軍人に比べてどうしても腕力や体力で劣る。それを補うために、特別な訓練メニューが組まれるという。カルナデルは密室で行われるその訓練を知らない。知っているのは、残忍になること、思い切ることを最初の一年間に徹底的に叩きこまれるという漠然とした内容だけだ。女性士官というのもそれと同じだ。
 リアンセは言葉を続ける。
「あんたはクズよ。ゴミクズ。生きてる価値なんてありゃしないんだから」
 ヴィンから身を守るという当初の目的は果たしたはずだ。だがリアンセは彼女の暴力を止めようとしない。言葉の暴力も。確かにそれは、ヴィンに今後暴力を振るわせるのを抑止する効果はあるだろう。
 だが、そのような行為を続けるリアンセを見ていると、カルナデルは痛ましくさえ感じられるのだ。そんなことを口に出せば、リアンセは侮辱と受け取るだろうが。
「もうよせよ」
 リアンセは口を挟んだカルナデルを鋭く睨みつけ、ヴィンを解放し立ち上がると、続けて立ち上がろうとするヴィンの後頭部を蹴った。
 ちょっと来な、と言って、カルナデルはリアンセを林に連れて行った。
「別行動をしよう」
 真剣な目で言うカルナデルに、リアンセは首を傾げた。
「お前は自分の上官がいたら見つけられるだろ? オレはヴィンを門の近くで遊ばせておく。お前はヴィンを探してるはずのお前の上官を探す。もしいなかったら、門前に留まる理由をオレが考えるさ。どうだ?」
「そうね。あなたは私の上官を知らないし」
 リアンセには納得しない理由はなかった。
「なあ、今更聞くのも遅い気がするけど、お前の上官はヴィンの顔を知ってるのか?」
「ララミディア・コストナーとは面識があるわ。どうしてもオレー一族の協力が必要となる極秘の作戦に協力してもらって、橋渡しをしてもらったの。その時、彼女の家で一度だけ会ったそうよ」
「頼りねぇな」
「ロアング中佐は一度でもかかわり合った人の顔と名前は絶対に忘れないわ。人混みで肩がぶつかっただけの相手でもね」
「ホントかあ?」
 リアンセはにこりともしない。
「情報士官を甘く見ないで」
 カルナデルは追求しなかった。
「あとさ」
「何?」
「オレが悪かった」
 何が、と訊く前に、カルナデルが言葉を続けた。
「あの野郎をお前の隣につけとくべきじゃなかったな。オレの隣を歩かせりゃよかったんだ」
 その意味を、リアンセは正確に受け取った。頬がさっと赤くなる。
「私、自分の身は自分で守れるわ!」
 カルナデルはそれに対し、無言で頷くだけで、何も言わなかった。
 リアンセを難民たちのいるほうへ向かわせ、カルナデルはヴィンを林の前でうろつかせた。そうして自分は林の中に隠れ、ヴィンから目を離さぬようにした。腕組みし、溜め息をつく。リアンセがいつまでも秘密めいた態度でいるのが気に食わなかった。ヴィンは聖遺物を盗み、所持している。シンクルスがヴィンを追うだろうという見立ては、それに関係しているのだろうか? シンクルスの目的は? ヴィンがコブレンを目指す目的は? もしもヴィンをシンクルスに接触させずにコブレンに入れたらどうなるだろうか? それか、抜け目ないリアンセのことだ。ヴィンに気づかれぬよう聖遺物を盗み、今は彼女が所持している可能性もある。
 そう考えていると、ケープを被ったリアンセが林に駆けこんできた。
「ロアング中佐を見つけたわ。一人じゃない。多分シンクルスも一緒よ」
「多分?」
 リアンセを指さす方を見て、彼女が多分と付け加えた理由がカルナデルにもわかった。
 二人の人間が丘を上り、徐々にヴィンに近付いてくる。一人は顎髭を生やした金髪の中年男で、もう一人は巡礼の黒い衣装を身にまとっている。ヴェールつきのフードをかぶり、顔は見えない。背丈と姿勢の印象からは、確かにその黒づくめの男がシンクルスのようにも思える。
 ヴィンが二人に気が付いて、顔を上げた。
 カルナデルとリアンセは、林の中から様子を見守った。
「ちょっと済まないね」
 アセルはヴィンに十分に近づくと、警戒心を解くべく柔らかな声音で話しかけた。その声はカルナデルたちには聞こえず、アセルにも、カルナデルたちの姿は見ていなかった。
 ヴィン・コストナーが一人でいるのは不自然だ。警戒をするよう、アセルは予めシンクルスに言い聞かせていた。シンクルスの顔はヴェールに隠れて見えない。だが、彼の緊張が、肌で感じられる。
「コブレンの入門受付が始まるのは何時かわかるかね」
「二時だ」
 警戒心を丸出しに、ヴィンは早口に答えた。早くあっちに行ってくれと言わんばかりに。
 アセルはかつてララミディア・コストナーの自宅を訪れた時のことを覚えていた。たった一度顔を合わせただけの彼女の夫のことも覚えていた。
 だが、ヴィン・コストナーは自分を覚えていないと確信した。彼を解放せず、話し続ける。世間話好きの男を装って。
「ああ、どうも。じゃあそれまで少し間があるみたいですねぇ。お宅さん、このご時世に何のご用件でコブレンへ?」
 ヴィンは吐き捨てるように言った。
「そういうあんたらはどうなんだ」
「私はシオネビュラの民兵だ」
 すると、面白いくらいにヴィンの表情がこわばった。全身が萎縮し、小さくなったようにさえ見える。
「……シオネビュラの民兵が、こんな場所で何してやがる」
「いや、実はですねぇ。シオネビュラの議会議員を殺害した犯人がトリエスタで略奪を働いたらしいって情報が入りましてね。どうもコブレンに向かったようなんですが、その捜査でして。お宅さん、何かご存知では?」
「知るか。トリエスタには行ってねえ」
「じゃあシオネビュラは通ったってことになりますねぇ」アセルは慇懃に続けた。「そのおしゃれで高価そうな上着、南部ルナリア織りですな。南部ルナリアから来たとなると、シオネビュラかトリエスタ、どっちかを必ず通るはずですからな。シオネビュラを通ったなら、議員殺しの話題は耳にされたでしょう」
「俺が関係したとでも言うつもりか?」
「そんなことは一言も言ってないが?」
 ヴィンの目が宙を泳ぐ。アセルはここぞとばかりに柔和な雰囲気を拭い去り、真顔になった。ヴィンが逃げようとする気配を察知し、脇腹にダガーを突きつける。シンクルスが背後を取った。
 その時シンクルスは、これまで死角になっていた場所に、人の姿を見つけた。
 林から出てきた若い男が、アセルの後ろから近付いてくる。
 褐色の肌。黄土色の髪。かなりの大柄で、腰には片手でも両手でも扱えるバスタードソードと呼ばれる剣をぶら下げている。
 シンクルスはヴェール越しに、無表情で近付いてくる男を何度も何度も見直した。
 何故彼がここにいる?
 東部の騎兵大隊で軍務についているはずなのに?
 頭が混乱する。その間にも、距離は縮まってくる。
 男がバスタードソードを抜いた。駆けてくる。シンクルスは叫んだ。
「中佐殿!」
 同時に、アセルも背後の気配に気がついた。
 ダガーを手にしたまま飛びのく。バスタードソードが水平に弧を描き、空を切った。ヴィン・コストナーが悲鳴を上げて林の中へ逃げていく。
 シンクルスはマントの下から折り畳み式の槍を抜き、鞘を外し、二カ所の屈折点を連結させた。そしてヴィンを追った。自分がヴィンを追えば、攻撃者はアセルを相手にするより自分を追うはずだと思った。
 友人同士が殺し合うなど、とても耐えられない。
 シンクルスがヴィンを追い始めたのは、カルナデルにとっても好都合だった。カルナデルの後をアセルが追おうと試みる。
「待ってください! ロアング中佐!」
 ニ、三歩走り出したところで若い女の声に引き留められる。林から飛び出してきたリアンセの姿を、間違いようのない己の部下であると見定めて、アセルは目を瞠った。
「殺してはいけません、彼は味方です!」
「ホーリーバーチ中尉」残念ながら、無事を喜んでやれる場合ではない。「では何故襲いかかってきた!」
「彼、ちょっと変わってるんです。何を考えてるかわからない――ああ! とにかくやめさせます!」
 林の中を駆け抜けながら、シンクルスは二つの思いに引き裂かれていた。
 追跡する相手はトリエスタで奪った聖遺物を所持している。それをコブレンに持ちこませてはいけない。だが、背後をつけてくる追跡者をどうにかしなければいけない。友人は、カルナデルは、自分の正体に気付いていないのだ、とシンクルスは思った。今すぐにでも彼に自分の正体を教えたかった。だが、それをした結果、彼との対立が避けられぬものとして決定付けられるなら?
「おらぁ!」と声がして、シンクルスは背後を確認した。カルナデルが、その身長と長い足を駆使して、飛び跳ねるように距離を詰める。彼がバスタードソードを振り上げるのが、いやに遅く見えた。
 回避するのでは間に合わないと、シンクルスは悟った。
 槍を縦に構えて防御の姿勢を取る。
 カルナデルは槍の柄を、両手で持ったバスタードソードの(ひら)で打ちつけた。その衝撃をもろに受け、顔を隠したままのシンクルスがよろめく。カルナデルはすかさずその肩を掴み、近くの木に押しつけた。木に背中を打ちつけて、ヴェールの向こうで短い呻き声をあげるのを、カルナデルは聞いた。バスタードソードを右手に持ち替えて、左手で相手がすっぽり被っているヴェール付きのフードを払いのけた。
 瑠璃色の髪が、フードの下からこぼれ出た。
 その顔が露わになる。色白で整った顔。一目見たら忘れられぬ顔。
 木々を透かして地上に降る天球儀の光を集め、瞳が強く輝いている。
 シンクルスはカルナデルを睨みつけたが、カルナデルは愉快な気持ちが顔に表れるのを止められなかった。真剣そのもののシンクルスの目に余裕をこめて笑いかける。
 そして、口を開いた。
「見つけたぜ、シンクルス・ライトアロー」


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