最終決戦前(1)

文字数 3,956文字

 1.

「つまりだな」ミスリルは膝を抱え、大柄な体を卵のように丸めてアエリエに真顔で囁いた。「火薬の使いどころなんだよ。それだよ。俺が今一番考えてるのは」
「突入時か……」アエリエは暗くごく狭い空間で、同じように膝を抱え、子供の内緒話のように、ひそひそ声で囁き返した。「別邸跡地を占拠する神官の排除にも必要となるかもしれません」
 二人は鼻と鼻がくっつきあいそうなほど身を寄せあっているが、二人の間に置かれた天籃石が、純潔の証のように白い光を放っている。その姿勢も表情も、双子のようにそっくりだ。
 ミスリルは身じろぎし、体のこりをほぐそうとした。右手と右肩を空間を囲む壁にぶつけてがたがた音をさせ、ついでに頭を、空間の上部を覆う板に打ち付けた。
 二人は、オーク材の大きな机の下にいた。足を入れるための空間は黒い布で遮光してある。
〈火線の一党〉による襲撃を撃退してから三日が経っていた。その後、二人の自警団員が行方不明となり、襲撃のさなかに拉致されたものと判明した。うち一人は、昨日運河で変わり果てた姿で見つかった。もう一人は尋問を受けているはずで、だとすれば、〈タターリス〉がコブレン自警団の真の目的を知るのは時間の問題だ。
 そうした事情もあり、ミスリルは、教典の原本入手にこだわるのをやめた。そんなのは〈タターリス〉本部を占拠すれば済む話で、むしろ逆に、今にも〈タターリス〉本部から襲撃を受けるかもしれないのだ。
 それだけではない。いつ、古い教典が説くところの第二の矢が放たれるか、つまり王国中部で〈青い光〉の災厄が起こるかわからない。東方領でその災厄が起きるのを防げなかったのは、防ぐ手段を彼らが持っていないからだろうか? そうでないなら、災厄を起こしたほうが、恐怖によって人々を支配しやすくなるからということになる。
 そんなことを、キシャ・ウィングボウ、預言者、地示天球派における天球の乙女、天示天球派における天球儀の乙女が望むはずがない。
 いずれにせよ、〈タターリス〉は彼らの聖地、ウィングボウ家の別邸跡地、その地下にある『聖遺物』の製薬所を、何が何でも守ろうとするはずだ。その地を標的としていると知れる前に、何としても襲撃を遂行しなければならない。
 敵からの布告や交渉などは今の時点ではない。だが、あったとしても応じるつもりはなかった。捕らえられた仲間のことを思うと胸が張り裂ける思いだ。だが、襲撃を決行して生きているうちに救け出す、それ以外の方法を取るつもりはなかった。
 加えてこの地区から姿を消してしまったコブレン市民たちのことも気がかりだ。新しい拠点を手に入れたとき、市民が状況を訴えるべく駆け込んでくることを予測していた。だがそのようなことは今のところ一度も起きていない。
 誰かが部屋の戸を叩いた。
「ミスリル」テスだ。「客じゃない」
 机の下で、膝を抱え直しながらミスリルは呟いた。
「客じゃないなら言うなよ……」
 例のごとく勝手に戸を開けて、テスが入ってきた。三人いると気配でわかる。
「いないじゃない」
 リアンセの声が言った。
 テスが机の前に来て、机を覆う黒い布を持ち上げ、腰を屈めて机の下にいるミスリルとアエリエを覗き込んだ。そのテスの後ろに姿を見せたのは、リアンセとシンクルスだった。
「何をしておられるのだ?」
 シンクルスには答えず、ミスリルは姿勢を変えずにテスを見上げた。
「テスー、俺狭くて暗いところじゃないと考えられない」
「知ってる」
 抑揚はないが、愛情は感じられる喋りかたでテスが答えた。ミスリルは体をぴったり机の内側の壁に押しつけ、場所を作った。
「お前も入れよ」
 テスは屈み、強引に机の下の空間に体をねじ込んだ。ほとんどアエリエにくっつきそうだ。双子は三つ子になった。
「シンクルスの代わりにもう一度訊くけど」リアンセは布の間から見える三人に尋ねた。「何してるの?」
「こうしてると考えごとに集中できるんだ。お前も入れよ。テス、もうちょっと詰めろ」
「だからってそんな、母胎回帰したみたいにならなくたっていいじゃない」
「母胎回帰ってなんだよ。せめて秘密基地って言えよ」ミスリルは本気で不満そうな顔をした。「マザコンみたいじゃないか」
「とにかく、私は結構よ。ここでいいわ」
 と、一つしかない椅子に座った。
「それで」シンクルスが膝を屈め、郷に入っては郷に従えとばかりに、机の下の僅かな空間に入り込もうとした。「どのようなお話し合いをしておられたのだ?」
「待て。お前はいい」ミスリルが刺々しい声で制した。「男は入ってくるな」
 シンクルスは傷ついたらしい。抗議の声を上げた。
「マリステス殿は――」
「こいつは真鴨のオスだ」
「えっ?」
 テスが聞き返す。
「本題に入りましょ」リアンセが口を出した。「〈タターリス〉本部を攻め落とす算段をたてていたんでしょう?」
「そうさ」
 だが、事情はわかっている。コブレン自警団には戦力が少なすぎるのだ。
「あらかじめ敵の戦力を削っておくということはできないの? 井戸に毒を入れるとか。その報復が市民に対して行われるんじゃないかって危惧しているのなら――」
「机の上にコップがあるだろ?」
 ミスリルの言を受け、リアンセは彼の顔から机の上へと目を動かした。水差しと陶器のコップがあり、コップには水が注がれていた。
「ええ」
「飲んでみろ」
 リアンセはミスリルに目を戻した。
「嫌よ」
 ミスリルは膝を抱えたまま言葉を返した。
「心配するなよ。毒なら入ってない。俺が一度口をつけてる」
「だから嫌なのよ」
 ミスリルとリアンセは、しばし無言のうちに見つめあった。
「……お前友達いないだろ」
「さあ?」
「団長が言いたいのは」と、アエリエがとりなした。「私たちに防げることは、私たちの敵にも防げるということです」
「最低限、レーンシーを無事に通過させられるだけの道は作らなければならぬ」リアンセの隣で、シンクルスが割り込んだ。「そのために、一緒に考えさせて頂きたいのだ」
 東方領で観測された、言語崩壊を引き起こす青い光。それは地球人による制裁措置に違いない。子午線上に存在する人口管理システムの異常を感知して発動するのなら、青い光による災厄は、まだあと二回残されていることになり、古い版の教典の記述とも一致する。
 地球人が取り決めた制裁措置の発動は、御三家のうち二家の反対があれば阻止できる。もしかしたら、そのことが、地球人による報復攻撃を招くかもしれない。地球人がもう存在しないとしても、地球人が遺した様々な攻撃のシステムは遺っているのだ。だが、言っても仕方がないことだ。
 災厄を止められる人間は、ここに二人いる。ライトアロー家のシンクルス。アーチャー家のレーンシー。〈タターリス〉の連中の目的は、言語活性剤を用いて生き延びることだ。ならば青い光の発動を阻止したがっているはずなのだが、手を(こまね)いているのは、そのために必要な血が手に入らないからだろう。
 盟約御三家の子孫たちは、それぞれ特殊な遺伝子の鍵と、身体的な特徴を持っている。ライトアロー家の瑠璃色の髪や美しい相貌など、明らかに見てわかるものとそうでないものとがあるが、いずれにしろ聖遺物はそれを識別できる。
 レーンシーも、シンクルスも、聖遺物にたどり着き役目を果たすまでは、決して死ぬわけにはいかなかった。
「救世軍はどうするの?」
「あいつらは動かない。完全にびびってる」
「救世軍はタターリスと同盟を組んでいるわね。出動する義務があるはずよ」
「万が一にも連中が勇気を振り絞って〈タターリス〉のために動いたときには、俺たちはもう占拠を済ませている。それが理想さ。その方針で作戦を立ててる」
「実現できるの?」
「やるしかないさ。そりゃ、俺たちには軍隊みたいな機動はできない」
 ミスリルは間を置き、自分の言ったことに頷いてから続けた。
「そういう訓練はしていないし、今更訓練しても遅いし、軍隊式の教練の手法もないし、人数もない。軍隊がきて奴らを排除するのが一番確実だけど、あの硬直した組織じゃ、すぐに災厄を止めるなんてことはできないだろうな」
 今度はアエリエが頷いた。
「〈タターリス〉本部の敷地から聖遺物への道を強引に開くしかありません。〈火線の一党〉拠点を奪ったのは正解でした。十分な量の火薬と燃料を手に入れることができましたから」
「希望がないわけじゃないわね」リアンセは膝の上で両手を重ね合わせた。「正攻法でいくなら、はじめに全ての戦力をぶつけるべきだけど。問題はラケルよ。あの化生」
「どうにかしたいな」
 ミスリルが目を動かし、アエリエとテスの間の何もない空間を睨んだ。テスが呟く。
「あいつら相手に暴れるようにできればいいな」
 ミスリルは聞いてはいるが、頷いたり、返事を考えたりしなかった。十秒ほど黙り、結論を口にした。
「やっぱり、火薬は最初に使う。ラケルのためには残さない。道を開くのに全部使う」
「連中も化生を聖遺物の近くで暴れさせはしないでしょうね。私も賛成だわ」
 シンクルスは取り残された気分で、椅子に座るリアンセを見下ろした。シンクルスはまだ化生の実物を見ていない。
「じゃあ、次だ」ミスリルは話を続ける。「聖遺物の入り口を推測したい」
 そして、シャツの胸ポケットから折り畳んだ地図を出す。
 シンクルスを見上げ、白々しく机の下のわずかな空間を顎で指した。
「ああ、あんた、入って来いよ。神官の知恵を借りたいんだ」
 シンクルスは眉を垂らし、黙って机の下に入り込んだ。


ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み