突撃第二波

文字数 5,713文字

 1.

 零刻を前に連合側の第一波は粉砕され、累々と積み上げられた骸に天球儀の光と不気味な沈黙が降るのみとなった。
 攻撃休止の間に、各連隊、各大隊で点呼が行われた。指揮所の前で副官が中隊長たちの報告を取りまとめる様子を見守りながら、ヨリスは突然、第一大隊隊長ダリル・キャトリンのオウムにまつわる一件を思い出した。
 十五歳のキャトリン少年は、士官学校の入学祝いに両親から緑色の立派なオウムを贈られた。ダリルはそれを大事にした。ある日ヨリスは寮の前庭で、ダリルが鳥籠を洗っているのを見た。オウムは少し離れた所で、足環をつけられ木に繋がれていた。
 ヨリスは何となく気が向いて、「おい」、とオウムに話しかけた。
 するとオウムは何やら小声でもごもご口ごもった後、
「マグダリス君のバカ!」
 と喋った。
 なるほどダリルと同室の生徒たちは、毎日オウムが「マグダリス君のバカ!」と言うのを聞きながら眠りに就き、「マグダリス君のバカ!」と言うのを聞きながら自習をし、「マグダリス君のバカ!」と言うのを聞きながら起床しているのである。
 ヨリスは仕返しに「ダリル・キャトリンの出っ歯」と教えこんだ。そうしたらその日の寝入りばな、隣のダリルの居室から、怒り狂った怒鳴り声と、物を投げる音、同室の生徒たちと取っ組み合いを繰り広げる音が聞こえてきたので笑いが止まらなかった。しかもオウムは同日、もう一つ新しい言葉を覚えた。「全員、懲罰房行きだ!」
 懲罰房から出たダリルは真っ赤な目をしてヨリスに言った。
 絶対に仕返ししてやる。絶対に、絶対に。
 二十年も前の話である。何故そんな事を今更思い出したのかと、ヨリスは内心首を傾げた。それは予感だった。
「ヨリス少佐」
 指揮所の陰からリージェス・メリルクロウ少尉が出てきて呼んだ。後ろにはリリクレスト嬢を連れている。
 メリルクロウ少尉は不運な男だと、ヨリスは(いささ)か不憫に思っていた。彼は学生時代から要人付き武官のポストを希望していた。そのためには最低二年前線で経験を積まねばならず、強攻大隊弓射中隊で二年働いた後、都に異動になった。
 本人から聞く話によると、彼の最初の護衛対象は初めて会った時既に死体だったそうだ。のっぴきならぬ事情からベッドシーツで首を吊ったらしい。それからすぐ、リリクレスト嬢護衛のためにヨリスの所に戻って来た。
 ヨリスはリージェスと向かい合った。
「行くのか?」
「はい。先ほど伝令より移動の許可を受領しました。これよりリリクレスト嬢を連れて都に向かいます」
 ヨリスは頷いた。リージェスはもう自分の指揮下に無いのだが、ついつい命令してしまう。
「健闘を祈る。行け」
「あの、ヨリス少佐」
 敬礼するリージェスの後ろから、今度はリリクレスト嬢が、おずおずと声をかけてきた。ヨリスは意外な気持ちで人質の娘を見返した。娘は頭を下げ、並みならぬ感情を秘めて言った。
「ご武運をお祈りしますわ。どうか――今度こそご無事で――」
 それから身を翻し、大道路へ通じる道を一人で歩きだす。リージェスが慌ててその後を追って行った。

 ※

 伏兵を排除した後の森は今、一個偵察大隊が征圧している。第一歩兵連隊に持ち場の変更はなかった。これまで通り最左翼のトレブレニカにヨリスの強攻大隊。城壁に囲まれた北トレブレンの最北にダリル・キャトリンの第一大隊。隣がリャン・ミルトの第三大隊で、更に隣がネス・アレンの第二大隊だ。
 川沿いに移動してトレブレニカへの奇襲を図った救世軍の動きは、背後のトレブレン-コブレン間道路を狙ったものと軍団長は評価した。シルヴェリアも同様だった。
 物量で勝る連合側は、直ちに突撃の第二波をかけてくるはずだ。零刻を迎える前に、ヨリスは大隊本部の全員と、四人の中隊長を集めた。
 川の中洲がある地点の危険を大隊の参謀が指摘した。ロープを用いて強行渡河を図る可能性がある。かなり命がけだが、連中は既に命がけで山中の道なき道を越え、伏撃地点にたどり着いていたのだ。実行しない理由はない。
 中洲がある場所のこちら側の岸には、敵の集合に都合よく開けた場所がある。しかもこの場所は、林とぶどう畑に遮られ、村の大部分からは死角になっている。
 北トレブレンの町から零刻の鐘が聞こえてきた。
 突撃の第二波がかけられたのはそれから一時間後だった。

 ※

 弓射中隊は三列の横隊を組み、ぶどう畑の上に築かれた土塁の陰に身を潜めていた。全ての(いしゆみ)に矢がつがえられ、射撃の一瞬を待っていた。巻き上げ器を使って弦を引き絞る事で、長弓並みの威力を発揮する弩だ。連射はできないが、重騎兵の装甲を貫通するほどの威力を持つ。兵士たちは「構え」の号令のもと、息を殺して動かない。
 中隊長ユヴェンサ・チェルナーは、どこか人間の手に似たぶどうの葉が死の手招きをしている様子を凝視していた。その先は並木林で、ここから川の様子を見通す事はできない。背後の村では、敵の目を欺くために盛大に火が焚かれている。その火がぶどうの葉の手招きに不吉な陰影をつけた。
 手招きが激しくなる。
 ユヴェンサは第一小隊隊長アイオラ・コティー中尉の耳もとで囁いた。
「狙え」
 横隊を伝って命令が広がっていく。一列目を構成する第一小隊の射手たちが、ぶどうの葉の動きに全神経を集中し、射抜くべき敵の所在にあたりをつける。全員が少しずつ身じろぎした。
 静かだった。話し声はもとより、足音らしきものも聞こえてこない。ただ、ぶどうの葉のざわめきだけが、波のように迫ってくる。
 ユヴェンサは左手背後の民家を振り向く。大きな楓の木があるその真っ暗な家からなら、川を見下ろせるはずだ。闇に慣れた目は、楓の木の下に立つ信号旗を手にした男を難なく見つけだす。大隊長――上官――恋人。
 信号旗が大きく縦に振り下ろされた。
「放て!」
 その瞬間、ぶどう畑から黒塗りの軽鎧を纏った救世軍の兵士たちが飛び出し、剣を抜く間もなく一斉に矢を受け倒れた。
「射列交代! 第二小隊、前へ!」
 第一小隊の全員が一斉に、背後の第二、第三小隊の兵の間を通り、後方へ走り抜ける。
「第二小隊、構え」
 代わりに最前線に出た第二小隊の隊長・中隊副長のアウィン・アッシュナイトが、目を殺気でぎらつかせながらユヴェンサの隣で弩を構えた。三列目に下がった第一小隊が弩に手際よく次の矢をつがえている。巻き上げ機を回す機械的な音が、一撃で死に損なった敵兵の呻き声と重なる。ぶどう畑の中では恐れぞよめく敵兵たちの声が上がった。
 第一小隊による射撃の効果は絶大だった。集団戦闘の一体感、目的を果たした高揚感、仲間を守った満足感と、己の指揮による大量殺人への嫌悪。それら全てが綯い交ぜになり、間欠泉のように噴きあがって胸に満ちるのを感じた。ユヴェンサは見開いた目をぶどう畑に注ぎながら歯を食いしばる――指揮官が感情の昂りに支配されてはいけない。
 ぶどう畑の向こうから、敵指揮官の声が響く。
「突撃だ! 怯むな!」
 ぶどうの葉が揺れる。ユヴェンサはアウィンに囁く。
「狙え」
 第二小隊の横隊に伝播する命令。
 大隊長が信号旗を翻す。
「放て!」
 救世軍の第二波も、第一波と同じ運命をたどった。にもかかわらず、畑の向こうで激しく鬨の声が上がる。何が何でも退かぬ気だ。
「射列交代! 第三小隊、前へ!」
 死を覚悟した突破の前に、射撃の阻止力は低い。
「第二小隊は弩を置き、抜剣し白兵戦用意」
 再び囁き声で命じた。波のように広がる命令に合わせてサーベルが抜かれていく。敵はぶどう畑を駆け抜けてくる。三度目の射撃はごく至近距離でのものとなった。
 ユヴェンサは朗々たる声で次の命令を発した。常日頃の、果てしなき反復練習の通りに。
「第三小隊、抜剣! 突撃せよ! 一人たりとも大道路に向かわせるな!」
 第三小隊隊長ヴァンスベール・リンセルは、二か月前に士官学校を出たばかりだった。まだ頼りないながらも恐れずに立ち、剣の切っ先を敵に向け、凛々しい声で叫んだ。
「進めっ!」
 同時に、畑の北側を迂回して、敵の背後をつくべく第一・第三中隊が動き出した。残る第二中隊が、南側から機動して、ぶどう畑の中で敵を包囲する。
 もはや片が付いたも同然だった。重い信号旗を後ろに控えるミズルカに託したヨリスは、楓の大樹の下で、第一歩兵大隊の突撃の喇叭の音を聞いた。剣戟(けんげき)と、悲鳴と、怒号と、鬨の声と、ぶどうの蔓と葉と支柱が薙ぎ払われる音。それらを通じて確かにヨリスは聞いた。
「ディン中尉、聞こえたか」
 副官を振り向く。ミズルカは両腕で旗をしっかり支えながらヨリスを見返した。
「何がでございますか?」
 再び第一大隊の狂気じみた喇叭が鳴らされた。今度はミズルカにも聞こえた。
 弓射連隊と前線を交代するにはまだ早すぎるはずだ。ヨリスは訝しんだ。キャトリンは何をしている?
 ヨリスがマントに風を抱いて駆け出し、庭を囲う柵を飛び越えるので、ミズルカは慌てて信号旗を参謀に押しつけ後を追った。
「ヨリス少佐! お待ちください!」
 村の小道に出たヨリスは、旗を背負った第一大隊の伝令が松明を掲げてトレブレニカに向かって来るのを見た。矢を受け、伝令は落馬した。
 ヨリスは身を翻し、同じく追って来た参謀に命じた。
「指揮権を一時的に副長に移す。君は大隊副長の所に行き補佐しろ」
 それからミズルカに、
「ディン中尉、馬を。本来の指揮所に戻る」
 五人の護衛と副官を連れて、ヨリスは指揮所の商館に戻った。そこのテラスからは、トレブレニカのみならず、戦地となっている北トレブレンの丘陵を見渡す事ができた。
 丘では、北トレブレンの東の城壁を背に、第一大隊の兵士たちが、味方の第一弓射連隊に背後から斬りかかっていた。弓射連隊は正面の敵と背後の第一大隊に挟まれながら第一大隊に応戦していた。壁の傍で、攻撃を躊躇う第一大隊の兵士が士官に斬り殺されるのが見えた。
 ヨリスは(きびす)を返した。
「少佐、どちらへ」
「視察に行く」
 ミズルカが慌てて追いすがり、両手で二の腕を掴んだ。
「おやめください、危険です」
「何のために副長に指揮権を移したと思っている。強攻大隊に余分に()ける兵力はない」
「ですが!」
 ヨリスはするりと副官の手を振りほどき、テラスから廊下に戻り、一階に駆け下りた。五人の兵士も、無論ミズルカも後を追った。止められるものではない。この大隊長は決心を覆したりしないと、ミズルカはわかっていた。ヨリスは先頭に立って北トレブレンへと馬を駆った。松明に照らされた二重城壁の北面がみるみる大きくなる。
 その城壁の真下でヨリスは馬を止めた。
 城壁の下では、殺された第一大隊の兵たちが血の海に伏していた。馬を下り、血の海に軍靴を沈める。砂地は血で泥のようにぬかるんでいた。城壁に沿って、五十か、六十、またはそれ以上……裕に一個小隊分以上の兵が物言わぬ骸と化していた。
 点々と転がる兵士たちの間を、ヨリスはゆっくりと歩いた。足許でうめき声が聞こえた。生きている兵士がいたのだ。兵士の指がヨリスの靴の爪先に触れた。
 その正体に気付き、ヨリスは息をのんだ。
 剣を握りしめたままの、強攻大隊の古参兵の伝令だった。彼の事ならよく知っている。話していた――妊娠した妻が都で待っていると――子供の名前をどうするかについて、妻と手紙を交わしていると――。
「大隊長殿――」
 ヨリスは血だまりの中に片膝をついた。伝令兵の後ろには、這いずった跡があった。深手を負おうとも、諦めずにトレブレニカに戻ろうとしていたのだ。ヨリスは兵士の手を握った。哀れにも弱弱しく握り返してきた。兵士……。ヨリスはしっかりと手を握ってやる。私の……俺の兵士。俺の部下。俺に身を寄せ、俺の決断を信じ、俺の命令で戦い傷つき死んでいく兵士。苦痛と恐怖と屈辱の中で、ただ目にしたものを指揮官に伝えるべく持ちこたえていた兵士。
「――謀反(むほん)です。第一大隊による――」
 ヨリスは頷いた。
「第一大隊が、弓射連隊を背後から襲撃した。間違いないな」
「はい」
 伝令は蒼白な顔で、息を切らしながら続けた。
「攻撃を拒んだ――第一大隊の――兵士は――皆殺され――」
「わかった」
 ミズルカが、事態を知らせるべく護衛の一人を大隊に戻らせた。
 兵士の呼吸が浅くなっていく。ヨリスは手を握ってやったまま兵士に囁いた。
「よくやった……よく戦った……。君の名誉は私が保証する。安心して散れ」
 辛うじて首をもたげていた兵士はそれを聞くと、顔を血だまりに伏せた。手が重くなる。命が抜ける。
 ヨリスは伝令が最後まで背負っていた強攻大隊の大隊旗を、片膝をついた姿勢のまま拾い上げた。スズメバチの顔を模した旗だ。五年前、兵士の一人が冗談で描いたものだが、気に入ったので採用した。
 スズメバチの大隊。
 敵は一度突っついたが最後、滅ぶまで反撃される。
 どうやら、裏切り者にはその事を身を以って教えてやらねばならぬようだ。
「やあ、マグダリス君!」
 ダリル・キャトリンのねっとりした声が頭上から降ってきた。
「気分はどうだい?」
 四人の護衛と副官が、素早くヨリスの前に出て広がり、剣を抜く。城壁の門が開き、数人の士官と兵が、城壁を背に展開した。ヨリスは一目見ただけで、距離と人数を把握した。二十五人。一人は小隊長の腕章をつけている。積極的に謀反に加担したと見て間違いあるまい。ダリル・キャトリンは城壁の上に立っていた。
「ダリル」
 ヨリスは大隊旗を手放し、立ち上がる。
「君だったのか、ダリル――」
 二人の大隊指揮官は、長すぎる夜と高低差を挟んで睨みあった。風が二人に等しく吹いた。
 夜と風。
 それは、友情の芽生えなかった二人でも共有できる数少ないものであった。


ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み