作戦会議

文字数 2,561文字

 1.

 窓の向こうで一つの歌が終わった。次の歌は始まらなかった。ミスリルは目を開けた。椅子を引いて立ち上がった。窓のカーテンを開けた。藤色の世界に沈む、黒い林が見えた。窓を開けると冷涼な空気が流れ込んできた。リアンセとカルナデルは、高地に位置するコブレンの気候を寒いと言ったが、ミスリルにとっては身を引き締めるのにちょうどいい、心地よい空気だった。
 それはアエリエにとっても同じようだ。窓から身を乗り出すと、隣室の窓も開いていた。ミスリルの部屋の窓が開く音に気付いたらしく、アエリエが、隣室の窓から同じく身を乗り出してきた。
「どうして歌をやめるんだ?」
 アエリエは髪をほどいていた。濃い青色の髪を風に遊ばせながら、大きくつぶらな目を細め、ミスリルに微笑んだ。
「仕事に戻ろうと思いまして。皆、昨日行われた会議の通りに自分の仕事に取りかかっております」
 気分が高揚するのと落ち込むのを、ミスリルは同時に感じた。
 コブレン母市での活動拠点確保をかけた作戦については、昨日全ての戦闘員を集めて会議を開き、説明したばかりだった。生き残っているコブレン自警団の団員は現在百人余りで、戦闘員はその内五十六人。
「概要は単純だ」
 協力者であるリアンセとカルナデル、そして自分を除く五十五人の戦闘員の前で、ミスリルはそう口火を切った。
「俺たちの目標は、〈タターリス〉の協力組織の一つである〈火線の一党〉。四日後の二時、開門時刻にあわせて西方領の外交団がいよいよ撤収する。それに乗じて救世軍拠点を叩くと見せかけ、別部隊でもって〈火線の一党〉本部を占領する」ミスリルは一呼吸おいた。「……〈火線の一党〉構成員は、一人でも多く殺せ」
 会議の場に集まるコブレン自警団の戦闘員たちとミスリル、その脇に控えるアエリエの前には、手書きのコブレン市内の詳細な地図が貼られていた。
 リアンセとカルナデルが興味津々で地図を凝視するのをミスリルは感じていた。この二人については、前もって全員に、協力者として紹介していた。もちろん彼女たちを信用しない者も多くいる。ミスリルとて信用しきっているわけではない。だが、協力相手を慎重に吟味している余裕がないことは誰もがわかっていた。結局、二人にはテスを世話役兼監視役として張り付かせることで、全員が了承した。
 オーサー師はそのことについて何も言わなかった。自分が指名した団長のやり方に口出ししないと、固く決めているのだ。
 そしてもう一人、コブレン自警団には協力者がいた。
 西方領外交武官、イオルク・ハサ大尉だ。
 彼とは直接打ち合わせをし、外交団撤退の際にある工作をするよう依頼している。その工作にあわせて、囮部隊が救世軍拠点への攻撃を開始する。
〈タターリス〉の連中ならば、コブレン自警団の真の攻撃目標が救世軍拠点ではないことに気付くかもしれない。だが、彼らがコブレン自警団の真の目標に気付いたとしても、他の組織と協力して攻撃を阻止するほどの結束はない。
 そうしたことを、ミスリルは一気に説明した。
「細かい人員の割り当てはこれから詰めていくが、ここまでで何か質問は?」
 長い銀髪をツインテールにした少女が手をあげた。
 マジェスティア・ヘス。通称ジェスティ。これまではコブレン市内に潜伏し、情報収集に徹していた。年は十七歳。表情は快活で、目が覚めるほどの美少女だ。
「団長、真の攻撃目標に〈火線の一党〉を選んだ理由を教えてください。〈タターリス〉の協力組織の中には、他にも狙いやすい対象があるはずですが。拠点が立地的に孤立していたり、弱小だったり……」
「いい質問だな」
 ミスリルは表情を少しだけ和らげた。
「簡潔に言うと、雑魚をいちいち潰していてはキリがないってことだ。それに拠点が最終目的である〈タターリス〉本部からあまり離れすぎていては牽制にならない。こうしている間にも、市内では人々が捕らえられ、殺されている。俺たちは何よりそれを止めなきゃいけない。だろ?
 そういう点を踏まえて考えた結果、〈火線の一党〉を選んだ」
 そう。
 人々は殺されている。今こうしている間にも。
 忌々しい化け物の食糧にされているかもしれないのだ。
 その事実が、昨日のその会議の後になって、急に重くのしかかってきたのだ。ミスリルはそれを見た。忌々しい化け物を。ラケル……。
 そしてもう一つ。標的に選んだ〈火線の一党〉は、かつて〈タターリス〉から派生した組織だ。それだけ〈タターリス〉に近く、ミスリルやリアンセが求める物、天示天球派の教典の原本に近い。あわよくば、〈火線の一党〉拠点にてそれを手に入れられるかもしれない。
「団長」
 窓から身を乗り出したままのアエリエに呼びかけられ、ミスリルは彼女に注意を戻した。
「怖い顔をして、あまり考えすぎないでください。責任を負わなければならないのは、あなただけではないのですから。私がついております」
「怖い顔?」ミスリルはふと、自分の表情というものを意識した。「怖い顔してたか?」
 アエリエは微笑むばかり。ミスリルはその微笑を見つめ返した。
 このおっとりした清楚な女性が大鎌で人間の首を刈る様など、実際に見た人間でなければ想像もつかないだろう。よく、戦闘員になることを選びとったものだと思う。
 捨て子として拾われ、育てられた全員がコブレン自警団の暗殺者になれるわけではない。体や知能の障害を理由に捨てられた子だった者もいる。実戦で深い心身の傷を負い、武器を取れなくなった者、単に戦闘に不向きな者もいる。そうした人々は炊事や洗濯や掃除、武器や毒物の管理、見習いたちの座学の教師や保育などの仕事を任されている。
 だがアエリエは戦うことを選んだ。戦い続けていくために必要な、毎年実施される厳しい試験も通過している。
 それは、自分と対等の存在であり続けたいからだろうとミスリルは思っていた。
「アエリエ」
「何でしょう」
「二人で話するときぐらい、今まで通り名前で呼べよ」
 アエリエは微笑んだまま首を横に振った。
「副団長として、皆に示しがつきませんから」
 そして、失礼しますと言い残し、窓の向こうに引っ込んでしまう。窓が閉じられた。


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