殺し屋ミスリルと聖職者

文字数 7,104文字

 2.

「俺が悪かった! 何でも話す! 正直に話すから! やめてくれ!」
 隣の建物から切れ切れに、男の哀願が聞こえてくる。一旦、数秒だけ声がやんだ。そして突然再開した。
「うわぁ! 針は嫌だ! 針は嫌だぁ!」
 絶叫。そして、口を塞がれたか口に何かを詰められたか、声がくぐもる。
 カルナデルが、シンクルスの隣で呆れたような、困ったような、何とも言えない顔をした。目が合うと呟いた。
「あの二人やべぇな」
 二人は石壁と石床の、寒い小部屋にいた。絨毯やタペストリーがあるものの、しみ出る冷気はそれだけでは止められない。部屋は台形で、庭に向かって張り出しており、大きな窓のすぐそばに、四人掛けのテーブルがあった。シンクルスとカルナデルはとなりあってテーブルについているのだが、庭を照らす照明は除かれ、気を引くものは、庭を挟んだ隣の建物から聞こえるヴィンの声だけだった。彼を尋問しているはずのアセルとリアンセの声は全く聞こえない。
 シンクルスの向かいには、一組の男女が座っていた。
 どちらも自分と同年代の、二十代半ばに見える。
 男のほうはミスリルと名乗った。背が高く、髪は赤と茶色の中間色。さほど整った造作の顔でもないが、目力があるために、人目を引く魅力があった。コブレン自警団を束ねているという。
 もう一人はアエリエ。長く豊かな黒髪を結い上げた細面の女性で、静かで控えめな、だが決して弱々しくはない光を両目に満たしている。痩せて見えるが首や肩幅ががっしりしており、日々体を鍛えている様子が窺える。そして、副団長としてミスリルの補佐についていると手短に自己紹介をした。
 シンクルスとカルナデルは、反乱軍の情報部員であると偽った。コブレン自警団の二人はとりあえずは信じることにしたようだが、それきり話が続かず、探るような沈黙が続いていた。
「十一人」
 ミスリルが刺々(とげとげ)しい声で言い放つ。
 シンクルスは壁に掲げられた旗を見ていた。コブレン自警団の旗だ。血の滴るナイフ、弩、そして毒薬の瓶が描かれている。絵の下には歴代の団長と思しきファーストネームが刺繍されている。だが、幾つかはフルネームになっていた。旗を見るのをやめ、ミスリルに視線を戻した。若い自警団長はシンクルスとカルナデルを交互に見てから、シンクルスに視点を定めた。
「俺たちがこれまでに撃退したり、暗殺した新総督派の数だ」
「随分と直截(ちょくせつ)的に仰るのだな」
 控えめに答えるシンクルスに、ミスリルは短い溜め息をついた。
「隠してどうする。コブレンがどれほど血なまぐさい町かなんて、誰もが知ってることだろう」
「左様であるな」
「先週、内部に送りこんだ団員がさる実業家を毒殺した」ミスリルは黙って先を促すシンクルスに補足する。「ヴィン・コストナーの雇い主だ」
 遙かな昔、言語生命体と地球人が平和に共存していた頃、コブレンには金の鉱脈があった。言語生命体の技術力で掘り出せる量はとうに掘り尽くされている。それでも残りの鉱脈の権利を巡って政治家、神官、財団、企業、商会、貴族の投資家が静かなる争いを繰り広げ、地球人撤退から百年もしない内に、コブレンは有力者たちが雇った暗殺者の派閥が水面下で対立を繰り広げる都市となった。
 件の鉱脈の権利の七割は、現在はトリエスタに本社を置くゴダール重工業が所有していると聞く。だが、もはや金を掘り出すどころか鉱脈の位置を確認する技術さえ、退化し失われてしまった。そのせいで、コブレンには地球人や神官に反発する気風があった。
「コストナーが妻を殺害した経緯や思惑については、我々の仲間が聞き出すであろう」シンクルスは頷いた。「それより、コブレン市内がどうなっているのかを教えてくださらぬか。何故、コブレンの自警団がコブレンから閉め出されてしまっているのだ?」
 ミスリルとアエリエが気まずそうに視線を交わす。ミスリルが頭を振る。
「説明してやってくれ」
「ひどいものですよ。救世軍天示天球派のやりたい放題です」
 アエリエはどこか投げやりな、しかし礼儀正しい口調で答えた。
「具体的には?」
「昨日は天球儀への礼拝中に泣いた赤子とその母親が処刑されました」
「待った」とカルナデル。「何で天球儀を礼拝するんだ? その天示天球派ってのは何だ?」
「天球儀そのものを神聖視し、神格を認めて崇める宗派ですよ。この土地の習俗です」
「何と惨い……正にカルトではないか」
 シンクルスは嘆き、少しの間だけ眉間に皺を寄せた。
「できる限りのことはしたんですよ、それでも。ですが、結局駆逐されたのは私たちのほうでした」
「何故、そなたらは独力で戦っておられるのだ?」
「民兵組織でもない私たちに協力してくれる物好きなんていません。ましてよその都市だって、自分のところだけで手いっぱいですから」
「話を聞く限り、やっていることは自警団の規模を越えているようだが……」
「民兵団としての申請は何度もしたさ」今度はミスリルが答えた。「だけど、歴史背景と思想性を理由に認可がおりなかった。だから俺は前総督が嫌いだね。第十七計画には賛同するし、できるだけ多くのコブレン市民を連れていってやりたいが、シグレイ・ダーシェルナキのすべてを支持するつもりはない」
「思想性というのは、どのようなものであろうか?」
「これさ」
 ミスリルは立ち上がり、壁際のガラス戸棚に歩いていった。酒瓶と四個のグラスを載せたトレイを手に戻ってくる。
 瓶のラベルには、赤い火が描かれていた。
「あんたの罪を問う」
 と、ミスリル。
「やめましょうよ、団長」
 アエリエが諫めた。
「この人はこの人なりの事情があって、ああしていたんでしょう。私たちももう少し柔軟性を持たないと」
「待たれよ」シンクルスは慌てて割りこんだ。「俺に何の罪があると?」
 ミスリルの赤茶色の目がシンクルスの目を真正面から見据える。彼は大真面目に答えた。
「巡礼者を偽った罪だ」
 シンクルスの呆気にとられた様子を、小馬鹿にされたと感じたのか、ミスリルは苛立ちも露わに言葉を継いだ。
「俺たち地示天球派の立場では、よほどの事情でない限り許される罪ではない。だがこの宗派は人が人を裁くことを良しとしない」と、瓶のコルクを外し、グラスに注いだ。「だから酒に問う。許されなければ死ぬだろう」
「異端宗派ではないか!」
 死ぬというのを真に受けたわけではないが、シンクルスはつい咎める口調になった。酒が満たされたグラスを持ち上げる手を止めて、ミスリルが更に目つきを鋭くする。
「……お前、神官か?」
「いいや」
 反射的に否定する。
「じゃあ細かいこと言うなよ。飲めばいいんだ、飲めば」
 ミスリルの手が動き、グラスがシンクルスの前に置かれた。アエリエは困ったような顔をしているだけだ。
 飲む人間に罪があれば死ぬなどということはあり得ないし、毒が仕込まれているのなら、アエリエは本気で止めるだろう。
 ミスリルはただ、少しばかり脅して来訪者を試しているだけだ。
 シンクルスはそう判断し、一息で酒杯を(あお)った。
 そして()せた。
 まずい。
 喉が熱くなり、顔が一瞬で真っ赤になったのが自分でもわかる。額と首筋と脇の下と掌と膝の裏と足の裏から、一気に汗が噴き出した。
「おいおい、一気飲みしろなんて言ってないだろう」ミスリルが少し慌てた様子で言った。「かなり強い酒だぞ、これ。一口舐めるだけでよかったんだ」
「儀式みたいなものですから」と、アエリエ。「団長も気が済んだでしょう。さあ、私たちも飲みましょう」
 残る三つのグラスにも、火のラベルの酒が注がれた。
「これはただのしきたりです。腹を割って話しましょう」
 カルナデルは右手でグラスを受け取りながら、左手で、テーブルの下にあるシンクルスの右手をつついた。その手の甲に文字を書く。
『まだ飲めるか?』
「ああ」シンクルスが声に出し、頷く。「お認めいただけたこと、素直に感謝しよう」
「よし」
『じゃあオレと同じペースで飲め。口を滑らせるんだよ』
「じゃ、飲もうぜ」
 口と手で別々のことを言ってから、カルナデルはグラスに口をつけた。確かに強い。一口なめて、「いけるじゃん」
 自警団長と副団長も、それぞれ酒を味わった。
「コブレンに代々伝わる鉱夫のための酒さ。昔はもっとまろやかだったらしいけど、技術退化に伴って労働が過酷になるにつれ強くなっていったんだ」
「ふぅん。で」カルナデルはもう一口酒を飲み、シンクルスを肘でつついた。シンクルスは自分でグラスに二杯目を注いだ。
 今度は自分が何か言わなければ。シンクルスは焦るが、頭は麻痺している。酔いが回るのが急すぎるのだ。
「あの旗は」取り敢えず思い浮かんだ疑問を口にする。「名前がいろいろと縫われているが、何故フルネームのものとファーストネームだけのものがあるのだ?」
「内緒だ」
 ミスリルはすげなく言い放つ。
 今度はカルナデルが尋ねた。
「地示天球派ってのは何だ?」
「この天球、アースフィアそのものを神として崇める宗派さ。大地からの贈り物で繁栄したコブレンらしい宗派だよ」ミスリルは手の甲で口を拭った。「さっきの話だけど、俺は異端宗派って言葉は大嫌いだ。土地で生まれた、生活に根ざした価値観や風習を悪だと決めつけるなんて、そのほうがずっと野蛮……って、お前、クルスって言ったよな。大丈夫か」
 大丈夫だ、と呟きながら、目を真っ赤にしてグラスを口に運ぶ。その機械的な動きを、ミスリルがテーブルの上から手を伸ばして止めた。
「うん。お前はもうそれ以上飲まなくていいからな?」
 そのミスリルの顔を無表情で凝視しながら、シンクルスは、急速に深まる酔いの中で渦巻く己の思考を掴み取ろうとした。
 文化の芽を摘むのが野蛮と申すが、次々と芽生える宗派を野放図にしておいては、王国中で宗教戦争が広まってしまったであろう――と思うが声にできない。
 または、戦争は文化の華であるとでも?
 いやいや。
 俺は酔っているのだ。酔っているから、このようなろくでもないことを思うのだ。
 というような内容の思考が、無表情の下で渦を巻く。
「気分悪いのか? 何だよ、薄気味悪いな……」
「まあまあ、あんまり気にするな。コイツちょっと変わってるんだよ」
 カルナデルはアエリエとミスリルのグラスに酒を注ぎ足した。
 地球人は言語生命体に独自の文化など持たせたくなかったのだ! シンクルスは叫んだ。心の中で。消えろと言った時、跡形もなく消える。言語生命体はそういう存在でなければならなかったのだ!
 突如、神のひとしずくの閃きがシンクルス・ライトアローの酒でとろけた脳髄に滴り落ちてきた。それは典型的な天啓、直感でわかる直観、世界の認識を塗り変える霊的世界の絵の具である。
 地球人は知っていたのだ。自転が再開することを。そうして東方から陽が昇り、言語生命体は消え去る。その時まで言語生命体の思想を取り締まり、地球人の怒りを買うことなく長らえさせるのがライトアロー家の役目だったのだ。黎明が数年後に迫り、役目を終える時が来たから、俺を残し滅んだのだ。俺がライトアロー家の最後の一人として生き残ったのは、何か果たしていない役目があるからだろう――。
「救世軍の奴ら、どうやってコブレンを乗っ取ったんだ?」
 カルナデルは新しい話題を振った。
「黎明が公表されてすぐ……まだ西方領アーチャー家が公に救世軍を認める前のことです。私は彼らが〈鏡の広場〉と呼ばれるコブレン市内の公園で演説をしているのを見ました」アエリエが、話しながら眉を寄せる。「といっても、ジョークやウィットに富んだもので、決して殺伐としたものじゃありませんでした。市民が飛ばす野次にもユーモアで返していたくらいですから。それから剣舞や馬術を披露したり、子供に優しく稽古をつけたりして地盤を固めて……」
「ほんの数ヶ月で固まるような地盤じゃねえだろう?」
「私たちの目に付くようになる前に、とうに有力企業や議員を味方に付けていたんですよ。とある議員が子供たちに、これからの時代はあの人たちの教えに耳を傾けなければ生き残れない……そう発言してから、有無を言わせぬ空気ができました。それに、彼らは自分の仲間になりそうな人間を見分けるのがうまいんです。手際(てぎわ)がいいんですよ」
「つまり?」
「自堕落な人間、働かなくても生活できる人間、退屈で、何かをひどく憎んでいる人間。そういう人間から率先して手を回したんです。自分たちのしていることが刺激的で、かっこいいことだと誤解をさせて」
「加えて、早めに仲間になれば高い地位の椅子が空いてるぞってな。そういう人間の親が金持ちや権力者だったりしたら、仲間に入れれば更なる金や情報も手に入るってわけだ。救世軍に入って幅利かせてる奴の中に、本当に天示天球派の奴なんていやしないさ」
「なるほど。我が子っていう弱みを握られちゃ、親も黙るしかねえもんな。偉い奴ならなおさら」
「そういうことですよ」
 カルナデルは再び二人のグラスに酒を注ぐ。
 シンクルスのグラスの酒はほとんど減っていなかった。
「あの、そんなペースで飲み続けて大丈夫ですか? こちらの方が……」
 作戦失敗を認めざるを得ない。シンクルスと対照的に、ミスリルもアエリエも、ほとんど酔う気配を見せないのだ。
 ただ、口が軽くなってきている感じはする。カルナデルは自分自身も酒を呷り、アエリエの質問を(かわ)した。
「救世軍の奴らって結構、小利口なんだな。でもあんたたちが追い出される決定的な出来事ってのがあったはずだろ?」
「神官をかばったのさ。俺たちを異端宗派だと言って弾圧しない良い神官だった」
「その神官に、そいつらは何をやったんだ?」
「彼は派出神殿の神官だった。救世軍が最初の市民の粛清を手がけた時、現状を訴える文書を抱えてその神官が逃げこんできた。自警団本部で彼を警護してる間に、刺客が忍びこんできて、殺された。俺たちはそいつを殺したが、そいつは先代の団長を殺した」
「それがきっかけです。私たちが自分の意志で本部を手放した部分もありますけどね。そうしなければ、罪のない市民が抗争に巻きこまれる危険性が高まってしまう」
「いずれにしろ、俺たちが母市に居続けたところでできることは限られている」
 そう言いつつも、ミスリルの顔にはありありと悔しさが滲み出ていた。
「しちょ」シンクルスが口を開く。「しちょうはなになになにをしちょうはなに」いきなり笑い始めた。
「コブレンの市長は何をやってるんだ?」
 カルナデルが通訳する。
「あの腰抜けか? 後援会の会長が暗殺されるとあっさり新総督派に回ったさ。今じゃ救世軍の金庫だよ。あいつには市民を守る気概なんてない」
「救世軍は金を必要としているんです。あいつら、シオネビュラを取る気ですよ」
「まあ、そうだろうな」カルナデルは頷いた。「でも、シオネビュラもどう動くかわからないぜ?」
「……もしシオネビュラが新総督軍について、コブレンの救世軍と合流するなら、反乱軍に勝ち目はない。実行支配域の内側からめちゃくちゃにされるわけだからな。そうなるなら、俺たちは……」
「強敵だぞ、シオネビュラ神官団は」
「わかってる」
「わかってるなら何するつもりだよ。自殺的な覚悟はよしな」
「正面切って戦うつもりはない。それは代々の流儀じゃないからな。だがこちらにも刺客として使える人員はまだ十分にいる」
「シオ」何か言いかけながら、シンクルスがグラスを取る。その手にアエリエが自分の手を重ね、やめさせた。
「もうお酒はやめてください。お願いですから」
「シオネん団との交渉のパイプパイパイパイパパイパイ」
 カルナデルは平手で一発シンクルスの後頭部を叩いてから、再びボトルに手を伸ばした。それをアエリエが素早く回収して席を立ち、戸棚まで歩いていって片付けてしまった。
「それに、市内にはどう動くつもりかわからない人物がまだいる」
 ミスリルが話を続けた。
「どういう?」
「西方領の外交武官だ。イオルク・ハサ大尉。西方領で近年急激に力をつけたハサ家の長子だ。だが三十代も後半なのに昇進も遅く、独身」
「腑抜けか?」
「腑抜けというか、平凡だな。普通すぎる」
 アエリエが戻ってきて椅子に座る。
「父親と弟の努力で、一度は北方領総督の末女を将来お嫁にもらう約束を取り付けていたんです。ですが、二年前にその末女が人質交換で南西領にきて、話が流れてしまった」
「初めは救世軍のお目付け役として期待してたんだがな。あっという間に手に負えなくなっちまった」
「実際に見た印象としちゃあどういう男だった?」
 ミスリルはアエリエと顔を見合わせた。
「何かこう……。何ともいえないものがあるよな。独特な感じというか……」
「ですがまあ、ちょっとどうにかしておきたくはありますよね。今後どうなってくるのか、読み切れませんから」
 カルナデルの隣で、シンクルスががくっとうなだれた。シンクルスは一旦目を開け、顔を上げたが、またすぐ目を閉じた。
「おおい、寝るな。お前、今寝たら死ぬぞ」
 視界が……と言うシンクルスの呟きが辛うじて聞き取れた。視界が狭い……そして、気絶するように寝た。
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