門は開くか開かぬか

文字数 5,708文字

 ※

「僕はレーニールです」と、男のほうが涼しい声で、改めて挨拶をした。「あなた方は?」
「リージェスだ」
 ぶっきらぼうに答える。
 優雅で、自信の強そうな人間がリージェスは苦手だった。劣等感があるのだ。かつては自分も良家の嫡男で、自分自身を誇っていた。だがそれは、父親の裏切りによって根こそぎ奪われた。父は北方領総督への忠誠を証すため、リージェスを物として売り渡そうとしたのだ。
「私はリルと申します」
 そしてリレーネは、その北方領総督の娘だ。だからといって別に何とも思わないが、もし父の企てが成功し、何か酷い目に遭わされでもしていたら、彼女を恨み憎むことになっていたかもしれない。
「どちらからいらしたの?」
 リレーネが尋ねる。
 レーンシーが、大きな丸い目でリレーネを見つめ、一度小首をかしげてから答えた。
「都よ。あなたは若いわね。おいくつ?」
「十七歳ですわ。あなたは?」
 レーンシーはにっこりした。
「二十一よ。だけど、同い年のお友達だと思ってください。楽しくお話しましょうね」
「都から来たって?」会話の途切れ目に、リージェスが口を開く。「都に行きたい、て人間はいくらでもいるが。都からどこに行くんだ?」
「タルジェン島へ」
「タルジェン島?」
 今度はレーニールが答えた。
「南西領の南の離島です。その……会わなければならない人がいて」
 二人とも嘘やごまかしが苦手な性質だ、と、その話しぶりを見てリージェスは判断した。
「親族か?」
「ええ……そんなようなものね」
 レーンシーが目を逸らす。
「この時勢でどうしても会わなければならない親族がいるなんて、よほど名家なんだな」
「そういう詮索はなしだ」
 と、ギゼル。
 リージェスは後ろに立つギゼルを振り向いた。幌のすぐ隣で腕組みしているギゼルへと、三人組の男の子たちが忍び寄ってきていた。三人とも、十になるかならないかという年だ。
 リーダー格の体の大きい少年が、太い枝でギゼルの膝の裏を一突きした。ギゼルが膝を曲げ、体を大きく沈めた。少年たちが歓声を上げた。
「こらっ! 食ったら寝ろって言っただろ! ガキども!」
 するとリーダー格の少年は、わざとらしく大きく目を剥いた。
「うーわ、ギゼル怖ぇ!」
 子供たちは歓声を上げ、逃げていく。レーンシーが微かな声を上げて笑うので、リージェスは目を彼女に戻した。
「いいですね、子供って」
「よくねぇよ! あいつらいっつもいっつも俺ばっか狙いやがって」
「なつかれているのですね」
「嬉しくねえっての。あいつらこっちが大人だから痛くねぇとか思って全力できやがるからな。それがじゃれてるつもりなんだよ」
 双子は再び目線を交わして笑いあう。
 レーンシーが立ち上がり、ズボンの土を払った。
「私たち、少し近くを歩いてきます。一緒に歩きませんか、リージェスさん、リルさん」
「ええ」と、リレーネが答えた。「ご一緒いたしますわ」
 四人はグループを離れ、林の縁をぶらぶらと歩いた。どこから来たのか、という質問に、南トレブレンから、とリージェスが答えた。都へ行くと。
「本当はシオネビュラに立ち寄るのは本意ではないんだ。できればシオネビュラで物資を補給したいが、明日になっても開門の見込みがなければ都を目指す。……で、シオネビュラが難民を受け入れる見込みはあるのか?」
「どうでしょう。そういえば、シオネビュラは一度、外部勢力を受け入れています」と、隣を歩くレーニールが答えた。「前総督の第二子エーリカを護衛する王領の部隊です。ただ、騒ぎを起こして追い出されました」
 王領軍は腐敗の著しいことで有名だ。特に貴族のお抱え部隊ともなると、目も覆う惨状だと聞く。
 レーニールは続けた。
「でも、追い出したとはいえ前例は前例ですから。連合軍を受け入れ、そのまま連合側につくなら、疎開希望の難民のためにシオネビュラの門が開かれる見込みはないでしょう。または連合軍も反乱軍もなく、金がある者だけ受け入れるというのなら尚更です」
 後ろではリレーネとレーンシーが話をしていた。
「今はニコシア・コールディー三位神官将が、一部の神官兵を連れて古農場の調査チームに参加しているんです」
 振り向いたリージェスは、たまたまちょうど前を向いたレーンシーと視線がぶつかった。
「……そういえばあったな。この近くに。古農場」
「ええ。山中の古農場から宙梯へと物資を運ぶ仕組みを解析しようと、前総督派の学者や神官による調査団が派遣されているんです。人の輸送に使えないかと。それが目的です」
 海上輸送だけでは、全ての疎開希望者を宙梯に送るのは不可能だ。随分詳しいんだな、と、リージェスは心の中で言った。
「シオネビュラ神官団の調査団への参加を認めたってことは、反乱軍はシオネビュラを仲間に引き入れる見込みがあると思ってるんだろうか」
「それはわかりません。シオネビュラはどの方面とも取り引きしますから。ただ、黎明が差し迫る今、いつまでも中立でいようなどと考えているはずはありませんから……」
「身の振り方はもう決めているはずです」と、レーニール。「でも、彼らの真意は誰にもわからない」
 四人はまた前を向いて歩いた。
 奇妙な一団に会った。
 林のそばの窪地で、五十人ほどの人間が地に伏し、額をつけていた。年齢も性別もばらばらで、小さな子供もいる。全員が口々に何かを呟いているが、何を言っているかまでは聞き取れなかった。
「あの方たちは?」
 リレーネがレーンシーに尋ねた。
「天球儀を礼拝する、天示天球派の人々です。天球儀の精霊である乙女に祈りを捧げているのです。天球儀の乙女についての伝承は、聞いたことがありますか?」
 レーンシーの質問に、いいえとリレーネが首を振る。
「敬虔な信徒の前に姿を現すとされる乙女です。神人たる地球人の女と言われているのですが、不思議なことに、史料に残る目撃者は皆、乙女は青い髪をしていた、と証言しています」
「それが何故、不思議なのですか?」
「あまり知られていないけど、青い髪、というのは言語生命体だけの特徴なんです。地球人に青い髪の人間はいないんです」
「そういう矛盾があるのは、嘘っぱちだってことだろ」と、リージェス。「所詮は異端宗派だしな」
 すると、レーンシーがどこか悲しそうな顔をするので意外に思った。彼女は微笑み、また口を開いた。
「黎明が始まって以来、特に故郷を喪失した人々の間では、地域性と呼ばれるもの、土地の独自の風習や伝承や気風といったものが重視されてきているんです。異端宗派と呼ばれるものもそうです。他に、よすがとなるものがありませんから」
 礼拝が終わった。
 盆地から、林を巻く歩道へと、人々が斜面を上がってくる。
「天球儀信仰は西方領で起き、南西領で広まったものです。確かに異端宗派と呼ばれるものには違いありません」斜面を上がってきた人々が、四人に目を注いだ。「ですが、どの宗派ないし思想であっても、その人にとって納得できる形で救いが与えられるべきではありませんか?」
「信仰は人を救わない。異端だろうと正当だろうと、教会や神官どもにこの人たちを救えるか?」
「それは違います」レーニールが控えめに異を唱えた。「信仰は人を救います。教会や神官たちが説いているのが信仰じゃないだけです」
「そうだ、そうだ!」
 不意に難民の男が声を上げた。人々はもう斜面を上り終え、すぐ近くにいた。
 中年の女性が歩み寄り、微笑みかけた。
「あなた方も、礼拝をご希望でしたか?」
「ごめんなさい。そうではないんです」レーンシーが女に答えた。「散歩をしていて、お見かけして。でもあなた方のことは存じております。天示天球派の方ですね。どちらから、いらしたのですか?」
「北部ルナリアから、徒歩で……」
 かなりの遠方だ。
 シオネビュラ神官団は、異端宗派に厳しい。そのことをリージェスは言わずにおくことにした。彼らのここまでの旅を思えば、それを告げるのは余りに残酷だった。
「新総督軍に追われてしまったのですね」
「そして西方領軍に」と、近くの若い女性が言う。
「新神官大将ウージェニー・アーチャーに!」その女性に寄り添う、伴侶と思しき男性が叫んだ。
 難民たちが次々に不満の声を上げた。
「西方領の神官どもめ! あいつらは俺たちの先祖を弾圧した」
 おお、と賛同の声が湧き起こる。
「新神官大将を許すな!」
「アーチャー家の連中なんて皆殺しにしてしまえ!」
 最初に声をかけてきた中年女性が居たたまれない表情になり、一礼し去って行った。だが彼女の仲間たちは続けた。
「アーチャー家はライトアロー家を滅ぼさなければよかったのにな! そうすりゃ憎しみを仲良く半分こできたのによ」
 嘲笑が起こる。
 レーンシーとレーニールが気まずそうに目配せしている。リージェスは見逃さなかった。また目配せだ。
 別の一団が後ろからきた。彼らは地示天球派という別の一派で、祈りの場所を天示天球派と共有している、とレーニールが説明した。彼らも盆地で礼拝を始めた。
「そろそろ戻ろう」
 リージェスは双子に提案したが、どちらも答えなかった。
「戻らないのか?」
「リージェスさん、リルさん」と、レーンシー。「私たちはこのまま旅立ちます」
 リージェスとリレーネは、棒立ちになって二人を見つめた。
「何もそんな……急ぐのか?」双子はまた目配せしあう。それだけで全てわかりあえるとばかりに。だけど、何をわかりあっているかは他人には言えないのだ。
 リージェスは確信した。
「追われているんだな」
「はい」
 レーニールが、覚悟をこめて頷いた。
「……そうか。じゃあ、引き留めるわけにはいかないな」
「お待ちになって。せめてギゼルさんがご用意されたお食事だけでも」
「いただくわけにはいきません。黙っていなくなるのは、ある種の裏切りですから」
「でも」
 リージェスは黙って首を振った。
「わかった」
「ありがとうございます」
 レーンシーは心底から辛そうに見えた。レーニールも。悲しげな目のまま微笑んだ。
「お元気で。ご無事で。それでは」
 と、レーニールが言い、レーンシーが続けた。
「お話できて楽しかったです」
 双子が後ずさるように距離をあけた。リージェスも答えた。
「ああ。あんた方も無事で」
「レーンシーさん、レーニールさん」
 リレーネは納得できず、別れの笑顔を作る余裕さえないようだった。
「お元気でいてくださいね。きっとまた、会いましょうね」
「ええ、ありがとう」
「私はリレーネです!」リレーネは二人に手を振った。「また会いましょう!」
 双子は笑い、手を振り返し、背を向けた。
 リージェスには、リレーネが名乗ったことについて責めることはできなかった。

 ※

 リージェスはリレーネと寄り添い合い眠った。
 零刻の鐘が響く前に、周囲が騒然となった。
「起きて」リンの声とともに体が揺さぶられる。「起きてってば」
 リージェスは目を開けた。人々が慌ただしく立ち動いている。
「どうしたんだ?」
「開門だよ。シオネビュラが難民の受け入れ準備が整ったって声明出したんだ」
 眠気が吹き飛び、リージェスは慌ててリレーネを揺り起こした。ギゼルが勝ち誇ったような目で見てくる。彼はあらかたグループの難民たちをまとめ終えていた。
「よう。双子知らないか? 昨日最後まで一緒にいたんだろう」
「知らないな。その内騒動を聞きつけて出てくるだろ」
 開門を告げる喇叭が鳴り響いた。門前で、爆発的な歓声が起きた。歓声の爆風は平野を渡り、リージェスのいる地点に達した。グループの難民たちがつられて歓声を上げた。そのまま安堵のあまり泣き出す人々もいた。リージェスとリレーネ、そしてギゼルだけが、声を上げなかった。ギゼルは双子が気がかりなのだ。
 一時間ほど待った。
 グループはじりじりと門の近くに移動していく。零刻の鐘が聞こえた。整理の神官たちがいる地点にたどり着いた。
「おかしい」ギゼルの顔が険しくなる。「絶対におかしい」
「双子のことか?」
「そうだ」
「こんだけ人がいるんだから、合流できる方がおかしいんだ。きっと後ろの方にいる」
 リージェスは罪悪感を堪え、告げた。二人は戻ってこないなどと言うつもりはなかった。ギゼルは続けた。
「あの二人、昨日のメシも食わなかったんだ」
 リージェスはもう答えなかった。
 横五列に並べられ、それを機にギゼルと離れた。彼はリン、そしてトリルという愛称のもう一人の仲間とともに、後方の幌馬車のところに向かった。シオネビュラの北門で簡単な手荷物検査を受け、リージェスとリレーネは揃って入門を果たした。
 門の内側の通りは、ちょっとした渋滞となっていた。シオネビュラ入りを果たしたことで気が抜けた人々が、一定の割合で立ち止まったり、座りこんだりして、動かなくなったからだ。それを民兵たちが、神官の指示のもと、必要があれば肩を貸したりしながら移動させていく。
「この絵の人を見ませんでしたか! 誰かこの人たちを見た人はいませんか!」
 何人かの民兵が紙を掲げて難民たちに呼びかけている。
 自分たちのことだ、と、リージェスは思った。やはりシオネビュラに入るべきではなかったのだ。心臓がぎゅっと縮まり、立ちくらみを起こす。掲げられた紙を見ないわけにいなかった。
 だが、描かれた似顔絵は、自分とリレーネのものではなかった。
 レーンシーとレーニールだった。
 立ち止まって見ていると、紙を掲げる民兵と目があった。
「この人たちを知ってますか」
「いいや」リージェスは答え、尋ねる。「誰なんだ?」
 民兵は返事にがっかりしながらも、丁寧に答えた。
「王領との境界で入管手続き中に姿を消した要人です。西方領のレーンシー・アーチャー、及びレーニール・アーチャーですよ」


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