軍議

文字数 3,910文字

 1.

「最後に、都の状況だが――」
 モリステン・コーネルピン大佐が口を開く。第一軍第三軍団第一軽装歩兵師団第一歩兵連隊隊長。連隊指揮所の作戦室には、第四大隊=強攻大隊の隊長、マグダリス・ヨリス少佐の姿もあった。同じテーブルに他の三人の大隊長がついていた。コーネルピン大佐の隣には連隊本部の参謀が座り、後ろの壁際に、連隊長付き副官が立っていた。副官の隣には、第一歩兵連隊の担当戦域の地図が貼り出されていた。
 コーネルピン大佐はまだ一戦も交えていない内から、疲れて覇気のない様子で話した。。戦いは彼の中で起きているのだ。対岸で布陣する敵の恐怖。開戦が近い恐怖。自分が殺される恐怖と、部下たちが殺される恐怖。惨敗するかもしれない恐怖。それより何より、敵兵という、ただ立場が違うだけの人間を殺さなければならぬ恐怖。コーネルピン大佐は恐怖との戦いで疲弊しきっていた。彼は全く戦時指揮官には向いていなかった。
「総指揮官シグレイ・ダーシェルナキ公が進める海軍との合流計画は、現在三日の遅れで進行している。これは我ら第三軍団が北トレブレン及びトレブレニカを固守しなければいけない日数が三日延びたという事だが――」一瞬いかにも悲壮な顔をした。「とにかく、都での民の南下は進んでいる。陸軍内では人事部及び広報部が今日、疎開に入るそうだ」
 ヨリスはコーネルピン大佐の後ろの地図を見やった。
 一般に『古道』と呼ばれる大道路の一つ、トレブレン-コブレン間道路が地図の東西を貫いていた。南、中、北の三つの大都市トレブレンは、大道路沿いに発展した数ある町村の典型例であり、第一軍第三軍団はその内の北トレブレン全域の守備を担当している。北トレブレンは大道路を背に、丘陵に向かって二重の城壁を巡らせながら発展していた。丘陵の下には雪解けの懸河(けんが)が横たわり、地球文明で造られた破壊不能の五つの橋が架けられている。第三軍団右翼の第三師団が一つ目の橋の前に、チェルナー中将の第二師団が二つ目から四つ目の橋の前に展開する。第十七計画実施に当たり、通常の一・五倍にまで不気味に膨れあがったシルヴェリアの第一師団は、左翼として五つ目の橋の前に展開していた。
 連合軍は五つの橋を占有し、渡河困難な懸河の向こうの盆地に展開している。第三軍団は高地から迎え撃つ布陣だった。渡河にあたり、敵は細長い縦隊を組むほかなく、渡河完了後に隊列を整える際必ずできる隙をついて攻撃を加える。第三軍団の状況のみ抜き出してみれば、このように地形は有利だが、総合的な物量と兵力の差は大きかった。司令部よりトレブレン全域からの撤退指示が出るまで、第一軍は十一万の兵力で、推定三十万の連合軍を相手取らなければならない。
 連隊の副官が、思い出したかのように四つの歩兵大隊の識別記号を地図に貼り付け始めた。
 北トレブレン最北端、すなわち第一軍の最左翼をコーネルピン大佐の歩兵連隊が担当する。城壁に囲まれた市街北部の三区画に第一から第三大隊が割り当てられ、城壁の外の農村トレブレニカをヨリスの強攻大隊が担当していた。ただ担当戦域を守るだけではない。撤退路の確保と、担当戦域内の民間人の退避も受け持たなければならなかった。
 強攻大隊の隣、城壁のすぐ内側に、第一大隊の記号がピンで貼られた。
「連隊長殿、民間人の避難着手指示はいつ頃出る見込みですかな? 前回の会議でも同じ質問をしましたが、納得のいく回答はまだいただけておりません」
 第一大隊隊長が、ねちっこい声で聞いた。ダリル・キャトリン少佐。前任者が食中毒で死んだため、指揮権が移り大隊長となった。ヨリスとは士官学校の同期で、互いに十五歳の少年の時からの知己であるが、だからといってヨリスは別に何とも思っていなかった。キャトリンは貴族の出で、ヨリスの嫌いな権威主義を彼は心から愛していた。三十歳を越えてから急に太り始め、軍服のサイズは既に二回変えている。もちろん大きくしたのだ。目はどんよりと曇り、威厳をつけるために生やし始めた髭はむしろ汚らしい。副官に靴磨きでもさせているのが似合いの男だった。
「我々が不用意に民を動かせば、『民間人の拉致』を口実に連中は一気に攻めて来る。極限まで疎開は行われぬ方針だ」
「我々は高地に位置しております」
 苦々しげな様子のコーネルピン大佐に、キャトリン少佐はテーブルから身を乗り出した。
「加えて二重の城壁が。民間人の疎開を始めたところで、敵に勘付かれるとは思えませんがね」
「見えなくとも、我々の内部から情報が敵に渡れば必ず開戦が早まる事になる」
 第一大隊の隣が第三大隊。
 その更に隣に第二大隊の識別記号が貼られた。
 第二大隊隊長は、連隊長のあまりにも不用意な発言に直ちに食いついた。
「軍団内に敵に情報を回す者がいると仰せですか?」
 ネス・アレン中佐。無能で声ばかり大きく、戦闘においては攻撃意欲に欠け、従って最も戦果が乏しいばかりかしばしばお荷物になった。声ばかり大きいのも、無能ゆえのコンプレックスからくる行動で、そうする事で有能なところを見せつけようと頑張っているのだが、今の所失敗し続けている。
「聞き捨てなりませんな! その様な発言をなさる根拠をお聞かせいただきたい」
「内戦の常として、裏切りの悲劇は絶えず憂慮しておかねばならんのだ。万一内側や背後から――」
 アレンはきぃきぃした声で叫んだ。
「我々の中に裏切り者がいると仰るのですな?」
 コーネルピン大佐の代わりに、地図上で第一大隊と第二大隊に挟まれている、第三大隊の隊長が口を開いた。
「まあ落ち着かないか。連隊長のご心配は妥当だ。この件は憲兵隊に任せておくんだ」
 リャン・ミルト。四十代半ばの中佐で、連隊副長を務める。四人の大隊長の中では最年長だった。四角い顔で糸目。いつもにこにこ微笑んでおり、切迫した状況でも、困ったような顔をするだけだ。かといって、想像力が欠如しているのではない。大した度胸の持ち主で、ヨリスにとって安心して共闘できる相手だった。ミルトは続けた。
「連隊長、冷静に対処しましょう。軍団内の各師団、各連隊の連携と信頼をめちゃくちゃにする敵の術中に自ら嵌る必要はございません」
「三日前に――」
 その意見が聞こえているのかいないのか、苦々しい声と顔で、連隊長。
「第一師団右翼と第二師団左翼の間で布陣の変更を行った。すると二つの師団の間に予期せぬ間隙(かんげき)ができた。翌日までに敵は盆地で、その隙を衝くよう布陣を変えた。その間隙は早急に解消されたが、するとまた敵は陣を変えて――」
「つまりそれは、他の一切の心あたりを排し、何者かが故意に情報を漏洩したとご判断されたのですな?」
 第一大隊のキャトリン少佐。
 ヨリスは無視し、口を出した。
「して、我が連隊の対応は」
 キャトリンが憎悪をこめてテーブルの向こうから睨みつけてきた。それも無視した。
「今後、極秘裏に布陣を変える必要が生じるならば、我々の持ち場の変更もあり得るかお聞かせください」
「今の段階ではない」
 連隊長はあからさまに安堵して言った。
「ただ、変更があるとしたら、直前になって行われる。各自備えておくように」
「それも裏切りがある事が前提の対応ですな」
 またもキャトリン少佐。
 ヨリスは蔑みをこめて遮った。
「キャトリン少佐、少し黙ったらどうだ。先ほどから君のせいで話が進まない」
 空気が張り詰め、沈黙が満ちた。コーネルピン大佐は腹が痛くなってきた。キャトリンはいつだって、ヨリス相手に勝ち目のない戦いを挑みたがる。キャトリンは決して無能ではないが、およそ軍隊指揮の才覚はヨリスに及ぶものではない。プライドの高いキャトリンはそれが認められず、悔しいのだ。彼はどちらかと言えば平時向きの人物だ。政治や外交の方面に才がある。それこそヨリスにはないものなのに。キャトリンには、例えば大使館付き武官だの公邸付き武官だのが適任だった。……自分と同じように。
 キャトリンから、ヨリスについてこんな話を聞いた事がある。少年時代、育ちが悪く誰からもまともに躾けられなかったヨリスは、その振舞いからたちまち悪い上級生たちに目をつけられた。ある日キャトリンは、悪い上級生数人が、一年生のヨリスを捕まえて寮の談話室に連れこむのを見た。間もなく談話室から、身の毛もよだつような悲鳴と、激しく泣き叫ぶ声が聞こえてきた――上級生の。じきに教官が来て、リーダー格の上級生の肩を抱いて出てきた。上級生は右の耳を両手で押さえており、顔中血まみれだったという。
「あの男には気を付けた方がよろしいかと」キャトリンはにこりともせず付け加えた。「連隊長殿も耳たぶを食いちぎられてしまうやも知れませんぞ」
「裏切りと言えば、我々も輸送部隊に手ひどく裏切られましたな」
 そのキャトリンは正面からヨリスを相手にするのを避け、ねちねちと話を続けた。
「我々に支給された干しイチジクがネズミに齧られて腐っていた。全部だ。我々は腐ったイチジクが来るのをずっと待っていたんだ」
「イチジクの件は埋め合わせをすると言っているだろう」
「議題は以上ですか?」
 と、ヨリス。
 ヨリスの前で、連隊長はありありと失望の色を浮かべた。彼がこの一か月というもの、顔を合わせる度必ず見せる、まとまりがない部下たちと、まとめあげる能力がない自分への失望の表情であった。
「私は君たちを信じている」
 消え入りそうな声で締めくくった。
「議題は以上だ」


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