シオネビュラへ

文字数 4,261文字

 1.

 長距離乗り合い馬車は、風のない盆地でもう一時間も止まっていた。その一時間、御者は少し離れた場所で、粘り強く新総督軍の兵士と交渉を続けていた。春が深まり、南西領東部は暖かい日が続いている。満席の馬車は暑かった。カルナデルは少しでも肌を空気の流れにさらそうと、胸までの高さしかない壁の外に左腕を出した。が、風が吹いていないので、何も変わらなかった。退屈し、壁の外側をこつこつ叩く。座席の上で長い脚を組んだ。より窮屈になった。
 隣のリアンセが肘で脇腹をつついてきた。落ち着けと言っているのだ。腕を客席に戻し、脚を解くと、ようやく御者が小走りで馬車に戻ってきた。三日間の馬車の旅を案内してきた御者は、慌ただしく移動階段を取り付けて、出入り口を塞ぐ板を外した。
「申し訳ございません、お客さん。ここまでになりますので、全員下りてください」
 途端に落胆と不満の声が上がり、客席内に渦巻いた。
「すみません、お客さん」
 初老の御者は本心から申し訳なく思っている様子だった。
「この先の街道は軍用で使われるとの事で、ご案内はここまでになります」
 乗客たちは木の椅子から続々立ち上がり、足音荒く馬車を下りていく。中には御者に嫌味たっぷりに道中の礼を言う者もいた。
 カルナデルとリアンセは、できるだけ後のほうに馬車を降りた。
 最前列のでっぷり太った紳士だけが、座席から立とうとせず残った。昨日宿泊した、街道沿いの村から乗ってきた男だ。
「遅刻するわけにはいかないんだよ!」実業家風の紳士は、杖で床を打ちながら訴えた。「散々待たせてこの仕打ちかね。私がシオネビュラに行けない事が、南西領の経済にとってどれほどの損失か君にわかるのかね?」
 カルナデルと入れ違いに、伍長の腕章をつけた軍人が移動階段を上った。
「ここで死んだ事にすれば遅刻の言い訳も成り立つな」
 伍長は客席に顔をつっこみ、すごむ。
「さっさと下りろ」
 さすがに四の五の言う気をなくしたらしく、当てつけがましく杖の音を立てながら最後の客も降りた。生真面目な御者は乗客をまとめ、街道と海の間の小さな村へと引率を始める。
 漁村リェズ。東部方面の漁師の家に育ったカルナデルには馴染みのある村だった。
「ちょっと、ちょっと」
 兵士の一人がカルナデルの肩を叩いた。カルナデルは不機嫌に振り向いた。
「あぁん?」
「腰の剣。許可証を見せてください」
「許可証?」
「武器の携行許可証ですよ、しらばっくれないでください」
 一応口調は丁寧だが、目つきは鋭い。頭は良さそうだが神経質そうでもあり、どこか学者肌だ。本業が学者であってもおかしくない。年齢的に、恐らく二次動員で徴兵されたのだろう。カルナデルは大げさに困った顔をして答えた。
「オレはトリエスタの民兵だよ。こちらのお嬢さんをシオネビュラまで護送中だ。シオネビュラまでならこの街道を許可証なしで歩ける身分だぜ?」
「では識別票を見せてください」
「持ってねぇって、そんなもん。何だと思ってんだ。あんたら正規軍とは違うんだよ」
「でしたら無許可でお通しするわけにはいきません。幾つかお聞きしたいことがございますので、あちらへ――」
「何の権限があってあんたがそんな事言うのよ!」
 女の金切り声が響き、カルナデルは思わず身体を震わせた。リアンセだった。顔を真っ赤にし、兵士相手にヒステリックに喚きたてる。
「ほら、これよ! ご覧なさい!」首から下げた小袋から、二つ折りの手帳を出した。金糸で縁取られた赤い革表紙で、ちょうど女の掌に収まる大きさだ。
 手帳を開くと、中はトリエスタの上級市民証になっていた。市長のサイン付きだ。
「私の父はゴダール工業代表取締役ですわ。何なら問い合わせてごらんなさい。回答があるまで三日でも四日でも待っててあげますわ。ただし、私にはシオネビュラでの関連子会社視察の業務がございます。万一支障がでた場合には損失を金銭で弁償いただけるんでしょうね?」
 兵士は困って近くの上級兵を見た。上級兵は渋面を作り、手をひらひら振った。それを見て、カルナデルとリアンセは勝手に他の乗客たちと合流した。
 百年ほど前に自然発生的に成立し、後追いで認可された民兵という制度は、それを養うための負担がしばしば市民の反感をかき立てるものの、概ねうまく都市生活に組みこまれて保安維持に役立っていた。南西領のように紛争の絶えない天領地では、志願して軍に入隊した兵士が紛争終了後には大量の失業者となる。それは紛争と同じくらいに絶えざる問題であり、民兵制を取り入れた都市が彼らを雇う事で、失業者が犯罪者となるリスクを軽減する。民兵たちを『金持ちの私兵』と呼び毛嫌いする議員や統治者、そして軍人もいるが、とにかく今はその存在に助けられた。
「やるじゃん」
 兵士たちから十分に離れてから、カルナデルは囁いた。リアンセは怒りをこめて睨みつけた。
「何のんきな事言ってるのよ。あなたがそんな物を堂々とぶら下げてるからいけないんじゃないの。よりによってそんな大きな剣」
 もしも騎兵大隊からくすねてきた支給品がこのバスタードソードではなく騎兵用サーベルであれば、丈の長いマントで隠してしまう事もできただろう。
「いいじゃねぇか、でかい方が強そうだぜ?」
「馬鹿じゃないの」
「見た目は大事だぜ。組織の後ろ盾がないなら尚更な」
 カルナデルはにやりとして思いつきを口にした。
「これからは傭兵って事で通そうぜ」
「好きにすれば? 私、危なくなったら他人のふりするから」
 カルナデルは肩を竦めた。
 他の小さな村々同様、リェズにも村の内外を区切る柵の類はない。砂の打たれた道を進み、御者は客たちを三階建ての旅籠(はたご)へと導いた。シオネビュラまで案内できない代わりに、幾らか値引きになると言う。
「やっぱり」杖の小金持ちが得意げに声を上げる。「この旅籠、馬車と同じ旅業組合だ。グルなんじゃないのかね」
「嫌なら道端で寝ろよ」
 カルナデルが聞こえよがしに呟くと、リアンセがまたわき腹をつついてきた。男は振り向いて睨みつけたが、カルナデルの体格を目にすると、慌てて前を向き、聞こえなかったふりをした。
 列の最後尾についたために、客室をとるまでに二十分ほどかかった。
「お部屋は空いているのですが」
 フロント係は眉を下げて申し訳なさそうに告げた。
「五時間後に別の乗り合い馬車がこの村を通過する予定でございます。やはり下ろされる事になるかと思いますので、お連れ様とは同室でお願いいたしたく……」
 リアンセはじろりとカルナデルを睨んだ。
「オレ変な事しねぇよ! わかった、じゃあ同室にしてくれ。しょうがねえよな」
「ありがとうございます」
湯浴(ゆあ)みはできるかしら?」
 ようやく仕事が片付いて、係の若い娘は安堵した口調で答えた。
「はい。盥とお湯の準備ができましたらご案内いたします」
 リアンセは、今度は憚るような目でカルナデルを見る。
「はいはい。出ていくっつーの」
 客室に荷物だけ置き、まるで視線の力だけでつまみ出されるようにカルナデルは旅籠を出た。カルナデルは心の中で呟く。オレってば信用されてねぇの。
 外は風も吹いていないのにやたらと埃っぽく、旅籠の二軒隣の茶店に行くだけで靴が黄色い砂まみれになった。
 開け放たれた茶店を覗くと、カウンター席に老人が、カウンターの奥には初老の女がいた。
「いらっしゃい、お一人さん?」
「おう……」
「何にします?」
 老人の二つ隣に座った。
「何でもいいや。鼻づまりが取れるやつある? 埃っぽいのなんの」
「じゃあ薄荷茶にしましょうかね。お客さん、馬車で来たの?」
 女店主はてきぱきと立ち働きながら口を動かした。
「そう。さっき下ろされてきたところ」
「まあ、災難だったねえ」
「あんた方が通ってきた街道も明日には使えなくなるとよ」老人が話に加わった。「さっきの手紙屋も営業所のある町まで別の道で帰るって言ってたじゃないか」
「そうねえ。不便だし、商売あがったりだわ。あっ、はいお客さん。五分おいて飲んでね」
 カップと薄荷茶を入れたポットがカウンターに並んだ。
「ねえ、北トレブレンが陥落したんですってね」
 女店主が声をひそめる。
「早かったなぁ」と、老人。「本当に大丈夫か、護民軍とやらは」
「大丈夫かしらねぇ。新総督軍はここからシオネビュラに向かうんでしょう? シオネビュラったら中東部……もうすぐそこじゃない。やだわあ」
「それにシオネビュラはほら、アレだろ? いくら中立ったって、武装した奴らは入れないってわけでもないし、ルールを守って金落として行くなら新総督軍だろうが護民軍だろうが受け入れるって話じゃないか」
「そういう土地柄ですもんね。あそこの神官団の思想が……」
 女店主は、神官団については何も言おうとしなかった。カルナデルは少し早いが、薄荷茶をカップに注いだ。すっと鼻に通る涼しげな香りが立ち上った。唇を潤し、開く。
「そこはシオネビュラでも揉めてる最中だってオレは聞いたけどな。新総督軍を通すべきじゃないって」
「知らんのか?」
 老人が、充血したヤニだらけの目をカルナデルに向けた。
「そう主張してた議員の先生方はあらかた殺されちまったよ」
 目をむくカルナデルをよそに、老人は指折り数え始める。「ロウェナ・コフ、ルード・ルー、ウィルグラム・サシャ、あとそれから……」
 女店主が口を挟む。
「ララミディア・コストナー」
「おお、そうそう。あの人はかわいそうだったなあ。まだ議員先生としちゃだいぶ若かっただろう」
 カルナデルは薄荷茶をすすった。
「シオネビュラも物騒になったな」
「物騒よぉ。何でもね、コブレンの新総督派が――」
「やめとけ、やめとけ」
 老人が遮り、女店主は言葉を切った。
 それから話を変えた。
「もしシオネビュラが占拠されたら、次はフクシャよねぇ」
「おお、フクシャな」
 中西部の都市だ。
「そしたらフクシャ守備隊がしんどい目にあうわな。北からも東からも……」
 カルナデルは居ても立ってもいられなくなり、ほとんど味わわずに薄荷茶を喉に流しこんだ。
「さっき言ってた郵便屋が通った別の道っていうの、シオネビュラまで通じてるか?」二杯目をすぐカップに注ぐ。「どうしてもシオネビュラに行きたいんでね」


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