盗み聴き

文字数 3,357文字

 2.

 強攻大隊の副官は、ミズルカ・ディンという名の若い中尉だった。痩せ形で、背もさほど高くなく、二十五歳になってもまだどこか少年じみていた。彼は自分が子供っぽく見える理由を、しばしば赤すぎる赤毛や、そばかすだらけの顔のせいにした。実際には子供っぽい内面が正しく顔に反映されているだけの話なのだが。
 ミズルカは指揮所の廊下を、紙を手に、できるだけ足音を立てぬよう歩いていた。そして目当ての部屋の前に来ると、紙を筒状に丸めて片膝をつき、筒の先端を鍵穴につけ、反対側に耳をつけた。
「――回答期限まで連合側が指をくわえて待っているなどとは私も思うておらぬ。それだけの準備期間をこちらに与える事になるのだからな」
 間もなくシルヴェリアの声が、鍵穴から聞こえてきた。
「その僅かな準備期間も、こちらが下手に兵を動かして奴らを刺激すれば、呆気なく消えるわけじゃ」
「そんな方法で刺激するまでもないぞ。連合側にとってはたった一人の犠牲でなし崩し的に開戦に持ちこめるのだからな」
 と、チェルナー中将の声。
「いいか? 一人の連合軍兵士が、橋の上で飲む、歌う、騒ぐ。その内一人がこちら側にふらふら彷徨い出る。我ら護民軍の弓射手が、その兵士に矢を射かける――」
「わかっておるわい。各連隊には剣を抜くなと重々命じておる。そなたの師団でも同じじゃろうが。司令部の都からの撤収が完了するまで、第一軍はその背後で、南、中、北のトレブレンと大道路を守らねばならぬ。一日でも半日でも貴重じゃ。そなたに今更説教されねばならぬ事ではないぞ」
 シルヴェリアが若すぎる事が、チェルナー中将には気に入らないのだろうとミズルカは思った。お目付け役のつもりでいるらしい。シルヴェリアにはそれが鬱陶しくてならないのだ。
 書類、恐らく地図を広げる音がした。
「いざ開戦となれば」
 再びチェルナー中将の声。
「動員五日目までに第一軍右翼に『救世軍』の主兵力がたどり着く」
「嫌な連中じゃ」うんざりしたシルヴェリアの声。「許されし民を自称し、地球兵器の復古を以って対抗勢力を駆逐しようとする……。何じゃ、ほら、奴らの前身は。長ったらしい名前の」
「『武器・火器の改良および発明管理組合』だ」
 太陽の王国に坐す神人たちは、言語生命体の独立を認める代わりに、自分たちに決して刃向わぬよう、文明退化と再発明の禁止を課した。独立のための条項の一つであり、その条項を守るために、農業・工業・商業・軍事の各分野で神官たちを中心とした徒弟制の組合が結成された。極めて閉鎖的な組織であり、アースフィアで発明や既製品・技術等の改良を行うには、全て組合の認可がいる。また、すべての組合が神事局による監査を受ける義務を負う。
 神官は夜の王国において地球人の神格を保護し、また言語生命体独立の条項を守るべく存在する。条項を破れば、地球人はたちまち圧倒的な文明力で夜の王国を焦土に変えると言われている。
「連中の過激化をどうして誰も止められなんだやら」
「止められたさ。初めの内はな。無力で狂った連中が『真理の教会』を名乗って世の中に彷徨い出た頃に、内部監査を徹底していればよかったんだ。それが今では西方領アーチャー家の後ろ盾を得てあれほどの大兵団に……」
「真理の教会と救世軍は別物ぞ」
「根は同じだ。狂信的な連中さ。あの出迎えの連中の(かしら)と同類だ。ここの大隊長とな」
「そなたは何も分かっておらぬな。ヨリスは狂信からは最も遠い男ぞ。あれは狂信に陥る事ができるほど幸せな男ではない。何かと容赦がないだけじゃ」
「救世軍の連中は混迷の東方領において、村や町を蹂躙し、教義を説き、拒む者を皆殺しにした。残虐の度合いにおいてはあの男がリセナラでやった事と何も変わらん」
 二年前、リセナラという小さな田舎町で起きた事件を、ミズルカも覚えていた。西方領と紛争状態だった当時、弱小組織だった救世軍の一部隊が宗教上の背景を理由に町の中心部を占有した。連中に占有状態を続ける力はなかったが、人質を救うべく、シルヴェリアはヨリスに対応を命じた。
 強攻大隊が投入されたのは、奴らが銃砲その他の退化対象品を所持しているという真偽不明の情報が入ったからだった。何が起きるか分からなかった。結局、情報は偽りで、ヨリスは初動から一時間以内に全ての敵を武装解除させた。そうして、一人を残して殺し尽くし、その幸運な一人に敵指揮官の首を持って帰らせた。それ以来救世軍は南西領西部に手を出してこなくなった。黎明が始まるまでは。
「ヨリスはそれで、狂信者の連中を南西領西部から一掃したじゃろうが」
「それにしたって程がある。まともな人間ならあんな事、思いついたって実行できやしない。あの男は血統が悪いんだ。流れている血が悪いから、あんな事ができるのだ」
「二言目にはそれじゃな。チェルナー中将、血統主義の教義はそんなにも甘美かえ」
「シルヴェリア――」
 書類をたたむ音。
「君には、いいや、ダーシェルナキ家には、正しき〈覇者の血統〉が流れている。君を見ていれば良く分かる。多くの軍人武人を輩出した我がチェルナー家には〈勇者の血統〉が」
「それがどうした?」
「あのヨリスとか言う少佐は何も持っていない。いや、それ以上に悪い」
「らしくないぞ、中将。そなたは将来の娘婿憎さで目が曇っておる」
「最後まで聞くんだ」
「聞きとうないわ」
 シルヴェリアの溜め息。
「いや、聞くんだ。ユヴェンサとの事もあり、私は人を雇ってあの男の履歴を調べさせた。そうしたら驚くべき事が判明した。西部陸軍士官学校に入るまでは孤児院にいて、その前は――待て、聞くんだ。あの男は救世軍の前身、『真理の教会』に身を置いていたのだぞ!」
 ミズルカは思わず息をのんだ。シルヴェリアは扉の向こうで沈黙している。
「……それで?」
「布教のために東方領からわたってきた一団だ。布教が進まぬ事、そして弾圧の強化に思い余って団長が集団自殺を決行した。事件の唯一の生き残りが推定七歳のマグダリス・ヨリスだった」
「推定七歳か。では本人の意思でそこにいたのではないな。あやつの罪や落ち度ではない」
「本気で言っているのだとしたら君は実におめでたいな。連中は遥か彼方の東方領から来た……狂信に支えられた強固な意志だ。そんな人物に育てられた人間だぞ。あの男の母親を覚えている人間にも接触できた。売れっ子の売春婦だったんだと。教会内では団長の情婦だと自慢げに話していた。頭の弱い女だ」
「中将、他人の悪口を言いに来たのなら――」
「いいか? 神人は言語生命体の中に貴い血統を設け、人民を統率しうる優れた人間がその血筋の中で生まれるよう作った。それは遺伝によって科学的に証明されている。貴い人間と卑しい人間は生まれる前から決まってるんだ。あの男は生まれつき劣悪な、腐った血の人間だ。それがよりにもよって私の一人娘にちょっかいを出しよって」
 息を吸う音。
「あの男はいずれ君の師団を内側から腐らせるぞ! 信用すべき人間を少しは選んだらどうだ? 陸軍にそうした汚い血が混ざりこんでいるなど、忌々しくて虫唾が走るわ。人にはそれぞれ相応しい居場所というものがある。娼婦の息子は家業を継いで色街の男娼にでもなればよかったんだ」
 ミズルカは手の中の紙をぐしゃっと握り潰した。
 が、続くシルヴェリアの怒鳴り声は、紙筒などなくても十分すぎるほど聞こえた。
「黙らんか! この耄碌した差別主義者め! ボケるなら退役してからに好きなだけボケるがいい! 人の大事な部下の悪口をだらだら好き勝手並べ立てたと思いきや、言うに事欠いて『少しは信用する人間を選べ』、だと? 差し出がましいにも程があるわ! ええい、時間の無駄だったわ! 返せ! 私の時間を返せ!」
 銀器や調度品が飛び交う音。そして「おい何をするやめないかおい」と叫びながら逃げ惑うチェルナー中将の足音が、部屋を右往左往した。
 最後にシルヴェリアは椅子か何かを窓に投げつけた様子だった。
「帰れ! 今すぐ! 即刻帰れ! 我が第一師団の宿営地から全速力で走って出て行け! そして二度と来るな!!」


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