符合

文字数 3,913文字

 2.

 女のほうは、その面影に覚えがあった。知っている人間のはずだ。すぐに、一つの名に行き当たった。リアンセはしばし何も考えられなくなる。そんなはずは……。
 ミスリルが、ソファから立ち上がった。
「テス、お前……」
「客って言った」
「ミスリル殿!」シンクルスは室内の様子に目もくれず、ミスリルに身を乗り出して訴えた。「すぐに縄を解いてくだされ! 重要な要件があって参ったのだ!」
「クルス……お前、何で縛られてるんだ?」
 シンクルスは機嫌が悪かった。
「こちらの団員にご確認されるがよかろう!」
 一方のテスは、自分より一回り以上も背が高いミスリルと、上目遣いに目を合わせる。そして、ゆっくり淡々と告げた。
「怪しいから縛った」
 シンクルスの隣の女、レーンシーは、ひたすら恥じて俯いている。その顔を、ミスリルは覗き込んだ。
「新顔だな」
「こちらの女性は」シンクルスが声の調子を落とした。ほとんど囁くようになる。「レーンシー・アーチャー、西方領アーチャー家の――」
 シンクルスが黙ったのは、リアンセがわざと大きな音を立ててケープを払ったからだった。石床に靴を叩きつけるように、戸口へ歩いていく。
「リアンセ!」今度は大声だ。「何故そなたがここに!」
「それはこっちの台詞よ!」すると、テスが自分の唇に人差し指を当てるので、続く言葉は随分小さな声になった。「あなたこそ何をしているのよ……クルス。ロアング中佐は? それに」意図的に、レーンシーを見ないようにした。「どうしてそんな女がここにいるの?」
 シンクルスの顔が、すっと白くなる。リアンセは視界の端で、アーチャー家の女……姉を殺し、妹を廃人にした男の親族……の、様子を確かめた。
 俯いたまま、身じろぎ一つしない。
「あなたは」レーンシーの唇が動いた。「リアンセさん――」
「あなたとは話してない」
 ぴしゃりと言い放つ。
 後ろから、アエリエとカルナデルが歩いてきた。
「とにかく、入っていただきましょう」
 そう取りなしたのはアエリエだ。シンクルスとレーンシーは、その一言で入室を許された。テスが戸を閉め、部屋の唯一の出入り口を守るように、戸に背を向けて立った。室内には椅子が四脚。ミスリルが座っていたソファと、アエリエ、リアンセ、カルナデルのために持ち込まれた肘掛け付きの椅子が三脚。
 だが、誰も腰をかけようとしなかった。ミスリルたちコブレン自警団の三人はリアンセがぴりぴりしだした理由を無言で探り、シンクルスはリアンセとカルナデルがここで何をしているか図りかね、カルナデルはシンクルスが連れてきたレーンシーとやらについて想像を巡らせていた。アーチャー家の人間なら、リアンセと浅からぬ因縁があってもおかしくない。そしてリアンセは、シンクルスが何をしにここに来たのかも、何故レーンシーを連れているのかもさっぱりわからない。
 レーンシーが、ある種の覚悟を決めた様子で顔を上げた。リアンセはいきなりレーンシーと視線があった。レーンシーがびくりと体を強ばらせる。覚悟をしていても竦むような目で、彼女を見ていたのだろうか? だとしても、リアンセは、申し訳ないとは思わなかった。
 シンクルスはただただ居たたまれなかった。リアンセの気持ちを思っても、レーンシーの気持ちを思っても痛々しかった。だが、自分自身がレーンシーと再会したときに、彼女とその弟にどんな態度をとったかを思えば、強くは言えないのだ。
 それでも、今この場でレーンシーを守れるのはシンクルスだけだった。
 だが、リアンセにレーンシーの存在を許容させるには、これまでの経緯をまず話さなければならない。
 必要なのはそのきっかけだった。
「よう、クルス」結局、カルナデルが空気の硬直を解いた。「もともとの仕事片付いたのか?」
 ほっとしたようにシンクルスが話し始めた。
「ああ。その件については、既に解決している。ロアング中佐にあとを任せてここに来たのだ」
「で、何しに?」と、ミスリル。
 シンクルスは事情を話し始めた。レーンシーが、聖遺物にアクセスできる『人間としての鍵』であること。パンネラのもとから逃げ出したため、命を狙われていたこと。禁足地の離島にて、キシャ・ウィングボウと地球人のやりとりを確認したこと。これにはミスリルはもちろん冷静沈着なアエリエも、少なからず驚いた。
 そしてまた、リアンセも、自分がここにいる理由をシンクルスに聞かせた。
「つまり、俺たちとあんた方二人の目的地も同じってことだな」
「ウィングボウ家の別邸へ。そこに何があるのか確かめなければならぬのだ」
「俺たちもちょうど、そこを攻め落とす算段を立ててたところさ」
 ミスリルは机に広げられたままの、旧版の教典に目をやった。たまたまこう記述されていた。

 見よ、弔われざる死者の都を。
 血を流したみ使いと、預言者、そして子羊たちが、
 白き衣をまとい、もはや苦痛も悲嘆もなく、
 主のみ胸の内にありて祈る。
「目覚めたる者幸いなり、堕ちたる者災いなり。
 光あれ。光あれ。あらゆる罪を打ち払い、
 代々(よよ)限りなく我らを照らしたまえ」
 人々の祈りに応え、第三の射手が最後の矢を放った。
 その矢は千万の星となりて王国の西に降り、
 残る人々と獣をことごとく押し潰した。
 かくて裁きは成就した。

「『光あれ』だって? あんた、そう言ったよな。キシャが遺したメッセージだって」今度はその目をカーテンにやる。薄い白いカーテンを、外の光が染めている。「地球人の聖典からの引用か?」
 すると、シンクルス。
「地球人の聖典は禁書のはずだが……」
「お前やっぱ神官だろ」
「もう一つ、心当たりがあるのですが」
 レーンシーが思い切った様子で口を開いた。
「キシャ・ウィングボウの最後の説法の末尾の一言ですよね。天示天球派の公式の教えではそうなっているはずです」
「詳しいな、あんた。さすがはアーチャー家の娘ってところか」
「いいえ。前総督夫人のもとにいた際、救世軍の人から聞きました」
 その言葉は奇妙な沈黙をもたらした。何故、レーンシーがパンネラの手先でないなどと言える? この場にいる、レーンシー以外の誰に? 焦り始めたレーンシーは、むしろ焦ることで自分を無防備に見せようとしているかのようだ。
「南西領言語の塔で、キシャと地球人の最後のやりとりを割り出したとき、前総督夫人はそのまま帰ることを選んだのです。その場でもう少し様々なことを調べることができたのに。これは、私と私の弟を信用していなかったからです」半ばミスリルに向かって身を乗り出す姿勢だ。「必要のない情報を与えないために。一度アクセスの記録さえ残せば、他の聖遺物からもアクセスできるのですから……」
「レーンシーさんの言うとおり、それはキシャ・ウィングボウの最後の言葉とされています。もう一つ……これは火刑の際の言葉ですが、もう一つの最後の言葉があることはご存じですか?」
 アエリエが微笑みながらとりなす。レーンシーは安堵して答えた。
「はい。白い花を集め、火刑跡地で焼くようにと。天示天球派の行事ですよね」
 キシャは紺碧の髪の乙女だったと伝えられる。その青に映える美しい白い花を捧げる風習が、天示天球派の信徒の間にある。もっとも、火刑の跡地である西方領スリロスは、その後百年にわたりライトアロー家が支配したためそのような行いは許されず、風習は各地へ散っていった。
 ミスリルとアエリエは、そっと視線を交わした。
 白い花。ラセルがそんなことを言っていた。白い花を探す乙女に、それを捧げなければいけないと。
 何故そんなことを言った? 救世軍の誰かが吹き込んだのか?
 とにかく、ミスリルは話を進めた。
「テス」
 戸を守りながら、相変わらず存在感を空気と同化させていたテスが、呼びかけに答えた。
「何だ?」
「この二人を連れ出せ。縄は解いてやれよ、世話するほうが面倒だからな。寝床を用意してやれ」
「話はまだ何も終わっておらぬではないか!」シンクルスが食ってかかる。「そなたら、情報提供だけ受けて、仲間うちのみで話を進めるおつもりだな?」
「嫌なら隠しごとをやめるんだな」
「隠しごと――」
「自分でわかってんだろ?」ミスリルは立ち上がり、すげなくあしらう。シンクルスの前に立つと、ミスリルのほうが背が高かった。「でなきゃ、テスは怪しいって言わない。テスが怪しいって言う奴は本当に怪しいんだ。俺はこいつとは長いからな」
 シンクルスは、落胆と逡巡が相半ばする表情を見せた。が、戸口のテスに目をやり、彼が待っていることに気がつくと、レーンシーを促して彼のもとに歩み寄った。
 二人がテスと共に出ていくと、アエリエがリアンセの横に立ちそっと顔を覗き込んだ。
「リアンセさん、どうかされましたか?」
「どうかって?」リアンセは不機嫌に言い放つ。「私は何も?」
「レーンシーさんという方への接しかた、あなたらしくないように見えましたから」
 リアンセは無言だ。
「前から気になってたんだけど、ホーリーバーチ家って、あのホーリーバーチ家か? 西方領の、神官の?」今度はミスリルだ。「確か……ザナリス神官団」
「そうよ」吐き捨てるように言い放つ。「でももう関係ないわ。関係あったら南西領の陸軍にいない。私は家を捨てたのよ。仕方ないから名乗ってるだけ」
 ミスリルとアエリエの凝視を受けるが、不信の凝視ではなかった。むしろそのほうが居心地悪かった。


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