奪還せよ

文字数 4,690文字

 ※

 ルナ・キンメルはシンクルスとアセルに携行保存食を持たせた。他に何のもてなしもできぬ事を幾度も詫びる内、本来の闊達さを次第に取り戻し、最後にはトリエスタまで使者を出して被害を報告すると告げた。彼女によれば、略奪を終えたヴィン・コストナー一味が女学院を去ったのは十一時間前。略奪品を抱え、しかも十五人もの所帯となると前進できる速度は限られてくる。しかも彼らは荷を曳く為の動物を所持していなかったという話だ。
 アセルとシンクルスはほとんど口を利かずに街道を急いだ。一度小休止を取った以外、歩き通しだった。
 異変に出くわしたのは七時間が経った頃だった。
 二人は同時に足を止めた。
 固い土の道がぬかるんでいる。
 そこは天球儀の光を遮る物のない広大な原野のただ中で、道の両脇の短い草も、ぬかるみの周囲で薙ぎ倒されていた。
 そして死臭が感じられた。
 死臭の源は(くさむら)の中に転がってた。アセルが血に濡れた草の中にしゃがんで男の死体を検分し、新しいな、と呟いた。
「見ろ、クルス。まだ死後硬直も始まってない」
「憐れな。追剥にやられたのであろうか」
 ララミディアの夫の一味にやられたのかもしれない、とシンクルスは胸を痛めたが、いいや、とアセルは否定した。
「いいからとにかく来てみろ」
 シンクルスも、折れた草を踏んで死体に近付いた。アセルが地面を指さす。屈みこみ、じっと目を凝らすと、トリエスタ女子修道学院の校章が落ちているのに気が付いた。制服につける小さなものだ。それも一個や二個ではない。
「連中、こんな物まで回収して売り払うつもりだったのか」
 と、アセル。
「仲間割れであろうか?」
「だろうな。だが散り散りになって鍵が所在不明になったんじゃないだろうな」
 不機嫌に唸りながら、アセルは周囲の検分を続ける。シンクルスは校章を踏んでしまわぬよう、慎重に後ずさった。
「鍵もそうだが、学生たちは――」
 アセルが動きを止めた。無言だが、そのがっしりした背中が動揺するのをシンクルスは見た。
「中佐殿?」
 アセルは屈んだまま振り向いた。
 左手を上げる。
 彼が掴んでいる物を見て、シンクルスは強い拒絶と吐き気を覚えた。
 切り落とされた長い三つ編みだった。
 天球儀の光しかないためさやかには分からぬが、恐らくとても美しい金髪だった。
 アセルは髪を草の上に置いた。
「追うぞ」
 顔を地面にこすりつけんばかりに、彼は草の折れ方を観察して略奪者たちの痕跡を辿り始める。シンクルスは無感動になるよう努めながら後をついて行った。
「ああ……中佐殿」
 二人は慎重に、だが素早く叢を進んでいった。やがて地面は緩やかな起伏を見せるようになった。黒い森が視界の果てから迫ってくる。
 くぐもった女の悲鳴が聞こえた。二人は足を止めた。近い。眼前の斜面を登った先だ。殴りつける音が響く。後は女の呻き声と、複数人の忍び笑いが続いた。何が行われているかは明らかだった。歴史の中で繰り返し行われてきた悲劇。数知れぬ略奪の被害者たちが引き受けてきた悲劇。アセルはダガーを抜き、シンクルスは折り畳み式の槍を右手に握りしめた。腰を落とし、じりじりと坂を上る。
 坂の上に焚火のあかりが見えた。地面の起伏と森の間の、狭いが平坦な場所で、その行為は展開されていた。焚火に照らされ、影のように蠢く影を数え、アセルが囁く。
「五対二か。厳しいな」
 シンクルスも囁き返した。
「どうにかして一人ずつおびき出せぬだろうか?」
 すると、笑いながら何事か言葉を交わしながら、一人が輪を離れていく。
 アセルが斜面の陰に身を隠したまま、その一人と並行に歩いて後を追い始めた。シンクルスは一人で、その言葉が冗談交じりで投げかけられるのを聞いた。
「小便ついでにこのアマの死体捨てる場所も見つけてこいよ!」
 他の三人がどっと笑う。
 既に一人殺されているのだ。
 シンクルスはじっと待った。そのまま数分、斜面に身を隠していると、アセルの姿が消えた方から短い叫び声が聞こえた。
 声は一瞬で止んだ。
「どうした?」
 火の周囲から離れず、男の一人が声をかけた。
 返事はない。
「……おい、どうした?」
 声に警戒が混じる。四人の男たちは静まり返り、それから身を寄せ合って、小声で相談をしあった。
 まず一人が剣を手に火から離れて行き、少し間を置いてもう一人が続いた。火の周りには二人の男が残った。女のすすり泣きが聞こえる。地面に倒れており、姿は見えない。
 シンクルスは槍の鞘を外す。
 男が一人、女学生を蹴ってすすり泣くのをやめさせようとする。
 泣き声は止まない。
 シンクルスは斜面の陰から出て、ゆっくりと距離を詰めていく。
 もう一人の男は片膝を立てて座り、うなだれている。
 シンクルスはついぞ、焚火の明かりが届く範囲に踏みこんだ。
 女学生を泣き止ませようとする男は苛立ち、馬乗りになって殴りつけようとした。拳が高く上がる。
 シンクルスは一気に足を踏みこみ、男たちへと駆けだした。
 拳が止まり、うなだれていた男も顔を上げた。黒い巡礼衣裳も、そのフードも、もうシンクルスの姿を隠しはしなかった。
 シンクルスは堪えていた怒りをこめて、腹の底から鬨の声を上げた。走る勢いでフードが脱げ、瑠璃色の髪と、端正な、だが義憤に満ちた鬼気迫る顔が焚火に照らし出された。三つ折りの棒の中央部分を握って振り回す。棒が伸び、屈折点でかちり、かちりと連結され、細身の槍になった。
 槍の穂先のきらめきを前に、男たちは完全に硬直していた。
 女学生には目もくれず、拳を振り上げている方の男の脇腹に、シンクルスは全体重をかけて槍を押しこんだ。そのまま突き倒す。槍は男の体を斜めに貫通し、腹から飛び出した。
 座っていたほうの男は慌てふためきながら両手剣を見つけ、それを抜こうとした。腰が引け、動揺しきっており、剣を抜こうとするも、鞘の掛け金を外すという動作すら失念していた。無意味にがちゃがちゃ音を立てて鞘から剣を抜こうと試す。
 刺された方の男は即死できなかった。シンクルスがその体を片足で踏んで槍を引き抜くと、脇腹の穴から腸がこぼれてきた。シンクルスはとどめを刺してやるという親切心を起こさなかった。掛け金を外さずに両手剣を抜こうと虚しい努力を続けていた男は、シンクルスと目が合うと、もともと乏しい戦意を完全に喪失した。両手剣を投げ捨て、すぐそばの森へと駆けて行く。シンクルスは全力で走り、槍から滴る血もそのままに男の後を追いかけた。
 森の入り口では、アセルが二人の敵を相手に戦っていた。
 一人目の男は、叢に倒れた血まみれの仲間の死体を見て、咄嗟に大声で仲間に危急を告げようとした。だが、アセルがダガーを振りかざして木陰から飛び出すと、叫ぶのをやめてナイフを抜いた。度胸のある男だった。男がナイフを振りかざす。アセルはナイフを持つ敵の右手首に、ダガーを持つ自分の右手首を絡めて腕を下ろさせた。焚火の近くでシンクルスが鬨の声を上げるのが聞こえた。男は僅かに動揺した。その隙に、右手を上げてダガーの柄で男の顎を殴る。くるりとダガーを返し、喉を刃で刺した。
 決着がついた時には、もう一人の男がたどり着いていた。両手剣を構えて突進してくる。突きだされた刃に対して垂直に、切っ先を下に向けた状態で、アセルはダガーの刃を当てた。左足を踏みこみ、ダガーの刃を両手剣の刃に沿って走らせながら懐に飛びこむ。金属のこすれる音が響き、火花が散った。アセルは右手のダガーを敵の至近距離で振り上げ、同時に左手で、両手剣を握る敵の右手を掴んで封じた。
 そのダガーを相手の首が喉に突き立てるよりも早く、相手の封じられていない左手がアセルの右肘を掴んだ。強く押しのけられて姿勢を崩し、ダガーは標的から離れる。
 そこへ、悲鳴を上げながら、一人の男が飛びこんできた。
 すぐにシンクルスが追いついて、男の背に槍を突き立てた。男はうつ伏せに倒れた。相手の気が逸れた機会を逃さず、アセルは左手を振りほどき、今度こそダガーで首を切り裂いた。
 シンクルスは一声も上げずに、倒れた男に馬乗りになった。目を極限まで見開いて、両手で槍を振り上げる。再び背中に突き立てる。また振り上げる。また突き立てる。
 突くという動作は、斬るより遥かに運動量が大きい。シンクルスは息を切らしながら、憑りつかれたように同じ動作を繰り返し続けた。
「クルス」
 男はとうに死んでいる。服の上からでも、背中の肉が抉れて盛り上がっているのが見て取れた。
「クルス!」
 耳もとで怒鳴りつけ、柄を掴む。柄を通じて、なおめった刺しにせんとするシンクルスの意思を感じた。
「止め立てをなさるな!」シンクルスが叫んだ。「俺の許嫁(いいなずけ)はこのような輩に殺された! 生かしてはおけぬ!」
 アセルに柄を掴まれたまま、なお刺し貫いては抜くの動作を行う。だがつけられる刺し傷は、否応なく浅い傷となった。
「クルス」アセルは冷酷なほど冷静に囁いた。「もう死んでいる」
 途端に柄が止まった。柄からはまだ力が伝わってくるが、次第に弱くなる。アセルは柄から手を離した。
 シンクルスはゆっくりと、死体の上に槍を寝かせた。
「戻るぞ」呆然自失に陥りそうな気配を感じて、アセルは心を鬼にしてシンクルスの襟首を掴んだ。「ぼやぼやするな! 立て! しっかりしろ!」
 自分の行為に強いストレスを感じながらも、アセルは襟首を掴んだままシンクルスを死体から引きはがした。全力で叢に投げ倒し、槍を拾い、シンクルスに投げつける。それから自分のマントを男の死体に投げ、隠した。今その死体を再び目にすれば、シンクルスがひどく動揺し、行動不能になる事はわかり切っていた。
「中佐殿――」
 シンクルスが呻きながら、腕をついて身を起こす。
「来い」アセルはその横を通り過ぎた。「よそ見をするな、槍だけ拾って歩け!」
 シンクルスは黙って従い、ついて来た。アセルは前に立って歩きながらやるせなさを堪えた。必要な事をしたのだ。
 焚火は衰えることなく燃え盛っていた。少女が二人、裸体を薄手のローブ一枚で隠し、ぐったりして動かない少女に縋りついていた。一人は咽び泣き、もう一人は祈りの句を呟いている。泣いている方が嘆きの言葉を口にした。
「ああ――ローウェ――かわいそうなローウェ……」
 シンクルスとアセルは完全に彼女たちの意識の外で、焚火を挟んで間近に立っても見もしない。
 アセルはシンクルスを振り向き、厳しい目で言った。
「話は私がまとめる。君は休んでろ」
 シンクルスは呆然としていたが、理解し、頷いた。槍を畳む事もせず、ふらふらと焚火から離れて行く。
 アセルにはかける言葉もなかった。少女たちに対しても、シンクルスに対しても。
 シンクルスは焚火から十分に離れた所で座りこんだ。少女たちの泣き声が小さくなっていく。アセルが囁くような調子で話し始めるのが聞こえ始めた。耐えきれぬ思いを吐き出すように、星と天球儀の光の下で、シンクルスは震える唇を開いた。
「ロ――」
 何も言えない。喉を詰まらせ、言葉を振り絞る。
「――リア」
 途端に、長い睫毛に縁取られた両目から、涙が溢れ、流れ落ちた。
「ロザリア!」
 その叫び声はひどく掠れており、誰の耳にも届かなかった。
 生者にも死者にも。



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