目下の脅威

文字数 4,599文字

 2.

 その戦いから二日後、シルヴェリアは初めて天幕を張っての大休止を許した。死亡した兵士たちの葬儀が執り行われ、師団長、各連隊長、最後に各大隊で大隊長が弔辞を読み上げる。トレブレン―コブレン間道路に沿って延々連なる山脈の裏手を通って東進し、聖地〈南西領言語の塔〉を通過し、山脈南端の中立都市シオネビュラを目指すとの方針が公表される。日程的には、南下を進める第三軍団が、シオネビュラより北の都市フクシャに到達するのと同時期だ。また、シルヴェリアによって第一歩兵連隊第三大隊、及び第四大隊の戦果が華々しく讃えられ、師団の指揮を僅かに盛り立てた。
 追跡を受け、補給も断たれた状態では、小さな勝利が結束と士気に多大な影響を及ぼす。散発的に戦い続けなければならない。そして勝たなければいけない。
 大休止の間、兵士たちは交代で歩哨に立ち、休める者は風や夜気から守ってくれるテントの中で丸くなって寝た。
 ヨリスがミズルカと共に大隊内の事務を片付けていると、負傷したミルト中佐が副官に付き添われて訪ねてきた。
「ミルト中佐……。使いを出して下されば、私の方から伺ったものを」
「そうはいかない。礼を言いに来たのだからね。君が来てくれなければ今頃私は北トレブレンで晒し首になっていたよ」
 ミズルカは、松葉杖をついて大儀そうにテントに入ってきたミルト中佐に自分の椅子を譲った。そうして自分は第三大隊の副官と共に、テントの外に出た。
 二人きりになると、ミルトはげっそりした顔で溜め息をついた。顔色は悪く、額と左の頬と耳を包帯で覆っている。ヨリスはこの連隊副長に少なからず同情していた。二人の大隊指揮官による連隊への、師団への、軍団への、軍への裏切り、更には彼ら自身の兵に対する裏切り。そんな事で、ミルトはよく鍛えられた自分の兵達を失わなければならなかった。その胸中は察するに余りある。
「怪我の経過は思わしくないと聞いております。私に礼を言うよりも、ご自愛されては」
「いいや、私はこのまま第三大隊本部に戻るつもりで歩いて来た。本部と言っても、副官と私しかいないがね。他はみな討ち取られてしまった……。君の大隊本部も打撃を受けたようだが」
「ええ」
 強攻大隊は、作戦指導の参謀と、人事、会計担当の士官を北トレブレンで失っていた。ミルトは首を横に振った。
「君には感謝しているし……それに申し訳ない気持ちでいっぱいだ。そのような犠牲を強いてしまった」
「もしも立場が逆であれば、あなたも同じようにしていたはずです」
「それもそうだが……」
 ミルトが厚い掌で顔を撫で、話を繋ごうと思案するのを、ヨリスはじっと見つめた。激戦地の炎の中、第三大隊指揮所へと敵を斬り伏せながら突入した時、裏口から脱出しようとしていたミルトは、正にアレン中佐に斬りつけられ、とどめを刺されようとしている所だった。ヨリスはそれを止め、打ち破った。
『君は何回キャトリン少佐と戦った?』
 それが、アレン中佐と交わした最後のまともな会話だった。ヨリスはさすがに息を切らし始めていたが、アレン中佐が喋っている間に呼吸を整えた。
『ヨリス、私は何回でも戦える。だがその内一回でも私が勝てば君は終わりだ』
 ふん、とヨリスは鼻を鳴らした。一回でも勝てればな。後は北トレブレンでのキャトリンとの戦いと同じ光景が続いた。
 図らずも、ミルトは連隊指揮所でヨリスに語った生体兵器の実物を目の当たりにした。化け物を。彼は立て続けにさまざまな種類のショックを受けざるを得なかった。味方による挟撃、混乱の中斃れていく部下たち。負傷という肉体的苦痛。死体が起き上がって化け物になるという、常識や価値観に根底から危機を与える異常事態。
 明るい話題にはなるまい。
 が、ミルトは全く予想外の話題を口にした。
「外見からもしやと思っていたが、君は東方領の出身かい?」
 ヨリスは一瞬、眉を片方ぴくりと動かした。個人的な話をする事には慣れておらず、つい身構える。
「はい。幼少の頃に、事情で南西領に」
「そうか。実は私も東方領の人間でね。まあ、肌の色でわかるかも知れないが。君は東方領のどのあたりの出身だい?」
「東部の島嶼地方です。ミルト中佐はどちらから」
「私は大陸の方でね。だがもうどちらも住める状態じゃないだろう。いい思い出ばかりではないが、懐かしくもあるよ。私の父親は東方領の賭博師だった。借金取りに追われてね。気が付いたら母親と二人で南西領にいたよ」
「左様でございますか」
「どうも因縁を感じてしまってね。救世軍の母体の〈真理の教団〉も、東方領の発祥だと言うじゃないか」
 ヨリスは内心ますます身構えた。
「我が軍の中で初めて救世軍の……あの……生体兵器」言いにくそうに言った後、ミルトは顔をしかめた。「を最初に目の当たりにしたのが、連中と同じ東方領出身の我々だとはね」
「偶然でしょう」
「ヨリス少佐」ミルトの声が小さく低くなる。「私はパンネラ・ダーシェルナキ元夫人から〈真理の教団〉への誘いを受けた事がある」
 ヨリスは息をのんだ。
 ミルトは続ける。
「今はパンネラ・ラウプトラか。王の愛妾(あいしょう)だな。私は彼女から――」ためらいの沈黙を挟む。「――彼女から、かつてトレブレニカで君とご両親の身に起きた事を聞いた」
「何故」ヨリスは低い声で聞き返す。「誰がそのような事を総督夫人に? 何故」
「誰かが吹きこんだのか、彼女が調べたのかはわからない。とにかく彼女は失われた地球文明の復古と独占を目論む『真理の教団』に入れこんでいた。ダーシェルナキ夫人は陰険な女性だ。いや、元夫人、だな。国王に取り入り……まず手始めに前総督を政争によって南西領総督の地位から蹴り落とそうと目論んでいた。前総督は国王にとって御しきれぬ存在だった。それを没落させ得れば、彼女に対する国王の評価は確たるものになる。彼女に通じている人間は陸軍内部に幾らでもいた。彼女は自分に与する人間も危険な人間も把握していた」
「何故一介の陸軍佐官の身の上を――」
「階級は関係ない」ミルトは遮る。「関係ないんだ。彼女にとって最も危険な人物が、長女のシルヴェリア・ダーシェルナキ……我らが師団長だった。彼女が寵愛する部下の一人が君で、しかも、パンネラ夫人にはどうしても(くみ)する事のなさそうな人物で、しかも身許を洗えば……だ。夫人は〈真理の教団〉とのパイプを持っていた。過去の教団関係の事件を調べることは容易い」
「では、仲間を増やして将来の脅威を潰しておくために、そのような話を吹聴したと?」
「まあ、そうだろうね。彼女が私に君の話をしたのは、君の名を出せば私が動揺すると思ったからだろう。まあ、その通りだったがね。現在は縁が切れているのだろうと尋ねても含み笑いをするだけだった」
 ヨリスは鼓動が高鳴るのを無表情で抑える。
 教団との関与についてコーネルピン大佐に問い質された時、チェルナー中将が噂を流したのだと咄嗟に思った。
 だがそうとも限らぬようだ。
 パンネラに、自分にとって不穏な分子を潰しておく意図があったのなら。
 どうやら自分は、知らない内にかなり際どい立場にいたようだ。
「ヨリス少佐、気を悪くしないでほしい。内通者がいる可能性を連隊長から示唆された時、私は夫人の話を思い出さずにはいられなかった。申し訳ない……。だから私は、あの日の会議の後呼び止めて、君にカマをかけた。極秘の生体兵器の話が漏れていると知れば、何がしか反応を示すだろうと思ってね。本当にすまなかった……」
「中佐は、パンネラ夫人と二人きりでお話を?」
「ああ。副官の同席も許されなかった」
「では、他に誰がトレブレニカの事件と私の関与を知っているかは……」
「わからない。済まない」
「生体兵器の話はその時に?」
「そうだ」
「他にどのような話を」
「おかしな事を言っていた。意味は分からないが、覚えている。印象的だったからね」
 二人の大隊指揮官は、テーブルを挟んで額を寄せ合った。
「我々〈言語生命体〉という生物種は、光を忌み嫌う生物ではない。ただ〈地の底の光〉によって夜の王国に留め置かれているのだと言っていた」
「地の底の光?」
「〈神の青い光〉、とも言っていたな。それにより、言語生命体はこの地で進化を遂げるのだと……。私は詳しく聞きたかったが、はぐらかされた。知りたければ夫人に与せよという事だ。私は態度を明確にせず、その後のアプローチも躱し続けた。今日まで誰にも言わずにね。言えば確実に命はなかった」
「連中が言う進化など、私には信用なりません」
「同感だ。アレン中佐に……それに、キャトリン少佐に……自分に味方する者に対してあのような……惨い……」
 ミルトは顔が真っ青で、辛そうだった。
「休まれますか、中佐」
「いいや、いや、大丈夫だ」
「ではもう一点、聞きたい事がございます」
「何だい?」
「地球人についてです。元夫人がそれに言及していたかどうか。太陽の王国で未だ沈黙を続けている地球人が、夜の王国に侵攻してくる恐れがあるかどうか。私はその脅威の度合いを知りたく存じます」
「わからないな。地球人が来るなんて話は聞いていない。だが可能性としてはあり得るだろう……いいや、可能性の話などに意味はないな」
 ミルトとヨリスは突き合わせていた顔を離し、テーブルに乗り出していた体を、それぞれの椅子の背もたれに戻した。声音も普通の調子に戻す。
「それより目下(もっか)の脅威は、西方領の神官連合兵団とサリナ・グレン連隊だな。その方が危急だ」
「同感でございます」
「ヨリス少佐、あまり無茶な戦い方はしないでくれ。君の戦いぶりを見ていると心底ぞっとする……。それに、年齢的にいつまでも今の戦い方は続けられないだろう」
「私の身体能力は、二十代の時から落ちておりません。十分に戦えます」
「君がまだ大丈夫だと思っているのが怖いんだ」
 ヨリスはミルトの目をじっと見つめ、彼の体から気遣いと優しさの波動が放たれるのを感じた。その穏やかな波は、疲労と、先の話で動揺する精神を癒やした。
 戦いの極致で発揮される、極度の集中と興奮。
 それが切れた後の疲労は凄まじい。決して他人に悟られぬようにしているが、未だに全身の筋肉が痛い。だがそれは、十年前だって同じだった。十分に戦える、というのは決して自信過剰ではない。
 だがミルトは険しい、しかしどこか嘆願するような口調で言葉を重ねた。
「ヨリス少佐。あまり強すぎると死ぬ事になるぞ」
「私は強さというものをさほど信用しておりません」
 ヨリスはかぶりを振った。
「自分の力を信じていないという意味ではありません。中佐、はっきり申し上げますと、私がこれまでに戦い打ち勝ってきた者の中には、私より強い者など幾らでもおります。ですが、命を賭けた勝負で生き残るには、ある種の運……あるいは運命……そうしたものが必要になります。生死を決める要素は強さだけではない。私は生きてここまで来るさだめでした」
 ミルトは険しい顔のままだ。
「さだめによって生くるなら、さだめによって死ぬるまでです。私は私の戦い方で戦います。体の動く限り」


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