全員で生き残る!

文字数 5,374文字

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 霧の中、火花が散る。
 ミスリルはジェノスを敷地の北へ、北へと追い詰めつつあった。その分、ウィングボウ家の別邸跡地からも、仲間からも引き離されていく。追い詰めているのではなく、誘導されているのかもしれなかった。
 ウィングボウ家の別邸跡地は、〈タターリス〉の敷地でも何でもない。ただそれを取り巻くように〈タターリス〉の主要な施設が展開され、それぞれの施設群を壁で守っているのだ。
 別邸跡地の東西南北に位置するそれぞれの壁は、鉄柵を用いて違法に連結され、誰も聖遺物に近寄れないようになっている。そして、神官組織の視察や手入れがある日のみ、白々しく鉄柵が撤去されるのだ。
 壁は、高い鉄柵の内側で途切れる。東西南北の各施設の全周を守っているわけではない。一度どこかの壁を突破してしまえば、別邸跡地にたどり着くまで、それ以上の障壁はない。
 コブレン自警団は西の壁の門扉を突破した。そして、ミスリルは今、敷地の北西部にいる。〈タターリス〉の霊廟と墓地がある区画だった。
 火花の青いきらめきが、霧の湿気の中に消えた。
 三角形に構えた三節棍の、両端の棍の交差地点にジェノスの両手剣の刃を捕らえている。
 鍔迫り合いは避けたかった。言語活性剤による復活を遂げた者は、肉体を強化できるとテスから聞いている。オーサー師からも同じ報告を受けており、また捕食者の存在を思えばおかしな話ではなかった。なによりラケルが言っていた。『体を修復し、強化すると――』
 だが退くことはできなかった。棍と剣の向こうにある、ジェノスの冷たい目を睨みつけた。
 ジェノスは余裕を見せつけるように、右の眉を片方吊り上げた。
「フーケ。お前の望みを聞いてやろう」
 ごく冷静な口ぶりで、先程一度死んだばかりとはとても思えぬほどだった。ミスリルは手の力を抜かず聞き返した。
「望みだって?」
「お前は何をしたいのだ? そういうことだ。滅びはすぐに来る。お前は何を目指している」
「簡単なことさ。滅びを避けて全員で生き残る!」ジェノスは表情を変えない。冷笑さえしないので、ミスリルはもう一度言った。「簡単だろ?」
「それは私も同じだ」ジェノスは馬鹿にしなかった。口調はミスリルと同じくらい真剣だった。「滅びを避ける。そりゃ、全員は助からん。だが言語生命体の絶滅を避ける方法は知っている。我々はその手段を持っているのだ! 何故邪魔をする、言語生命体の敵め!」
「化け物になって人を食う、そのためだけに人々を生かすのが方法か? 地球人にひれ伏して、神と崇めるのが手段か? そんなことを受け入れるのが、お前の言う『全員』なんだろ? 敵はどっちだ! どうして……どうしていつか滅びが来ることを、一部の人間が知りながら、その時まで何の対策もしなかったのか――」
 ジェノスが剣を引く。ミスリルは後ろに飛びのいた。
「それがどうしてだかわかるか? どういう考え方がこんな状況を招いたのか!」
 右端の棍を左へ振った。繰り出されてきた両手剣の突きを左に払う。そうしながらミスリルは言い続けた。
「全部! 全部! 神官どもやお前みたいな奴らが押しつけた、クソみたいな地球人信仰のせいなんだよ!!」
 二度、ジェノスの剣を払った。剣の切っ先で巧みに棍を誘導し、胸や腹に隙を作ろうとしかけてくる。ミスリルは右に身を躱した。すぐ横の空間を、ジェノスの剣が裂いた。
「生意気を言うな、小僧!」
 ジェノスが体の位置を入れ替える。両手剣の切っ先を爪先に向けて構え、二人はまた向き合った。
「いや、言うね」警戒し、左手に持つ左端の棍を右肩へと斜めにかざし、右端の棍の先をジェノスに突きつけながら、なお言い募る。「俺はな、何があったって、絶対に」ジェノスの剣の切っ先が上がる。「お前のやり方を認めることはできない! この街も、この世界も、未来も、お前一人の好きにはさせない!」
「捨て子」
 ミスリルの首目がけて正確に、両手剣が振るわれた。切っ先が、後ろに飛びのいたミスリルの喉を掠めた。ジェノスが踏みこんでくる。
「お前は私が育てたかった。いい天示天球派の信徒になっただろう」
 次の突きを、三節棍の鎖部分で横から絡め、止めようとした。
 偽攻だ。
 ジェノスが両肘を引く。
 ミスリルは体を倒し、左横へと転がった。体の真上で両手剣が半円の軌跡を描いた。
 二人の距離がまた空いた。ミスリルは両膝をついて身を起こした。憎々しげに言い放つ。
「お前も捨て子だろっ」
「この世界の人間の数に対して――」ジェノスは肩の上まで柄を引き、顔の前で両手剣を構えていた。「神の子たるに相応しい、善き人間の数が少なすぎると考えたことはないか?」
「あるさ」ミスリルは立ち上がる。「善い人間ばかりであれば、捨て子も、浮浪児も、殺し屋も、そういう存在が必要とされる事情も、生まれやしなかった。そんなことは散々考え抜いて生きてきたさ」
 左手を自由にする。
「だから!」
 右手で右端の棍を持ってかざしながら、ミスリルから攻撃を仕掛けた。
「反吐が出るような甘ったるい理想論を言うつもりなら、やめときな!」
 腕を振り上げる。中央と左端の棍が高く跳ね上がったが、それはジェノスにも、ジェノスの剣にも掠りはしなかった。大きく空いたミスリルの腕へと、ジェノスが右足を踏みこみながら、渾身の突きを繰り出した。
 同時に、右端の棍がミスリルの右手から離れた。自由になった三節棍がジェノスの頭上高くへ飛び上がる。
 左足を軸に、剣をひらりと回避する。
 ジェノスとミスリルがすれ違う。その一瞬、二人は間近で視線を交わした。
 ミスリルがジェノスの背後に回り込む。
 右手を高く上げた。
 落ちてきた棍を掴んだ。それをまっすぐ、まだ後ろを向いているジェノスの頭頂を狙い振り下ろした。片膝をつき、そのしゃがみこむ勢いで棍が持つエネルギーを高める。
 だが間に合わなかった。ジェノスは前に出て回避し、くるりと振り向いた。棍の先端の錘は舗道にぶつかり、石畳を砕いた。
「ジェノス! あんたは狂ってる」
 ミスリルは片膝立ちのまま、三節棍を手繰り寄せた。両端の棍を両手で握る。
「狂気だろうと何だろうと、筋は通す」と、ジェノス。「筋を通すようにできているのが、人間の頭というものだろう」
 立ち上がり、突進に備えて後ずさる。
 同感だね、と言ってやろうと思ったが、やめた。このジェノスが――何人もの仲間を殺し、市民を殺したジェノスが――自分と似た感性を持っていることにふと気付き、嫌悪したのだ。
 初めてジェノスが冷ややかな笑みを浮かべた。嫌悪を感じ取ったのだろう。
「どうだ?」すぐには仕掛けてこなかった。「今からでも遅くはない。言語活性剤はまだまだある。お前の分も、恐らくは、お前が指名する人数分も」
「お断りだ」
 いつどのタイミングで仕掛けてくるか分からない。ミスリルは早口になって言いきった。
「俺は俺として死ぬ。化け物役なんて御免だね」
 建物と建物の間の通路で、ジェノスはじりじりと前に出てくる。ミスリルは慎重に後ずさり、間合いを保った。
「お前を殺さなければならないことが、私は残念だ」
「思ってもないことを」
 空気の重さが変わった。
「いいや、本心だ」
 左右の建物が途切れ、風が通る辻に出ようとしている。
「お前がここまでたどり着くほどの能力を持っているとは思っていなかったのだよ。実に惜しい。お前を拾ったのが私であれば。お前が物心ついて初めて出会った信仰が、我々の、天示天球派のものであればな」
 ジェノスは前進し、ミスリルは後退する。
 体の右側から風を受けた。辻に出たのだ。戦いの声は聞こえてこない。だが、火薬の炸裂音は聞こえた。
 辻の真ん中に出た。
 ミスリルは後退をやめた。剣を横構えにしたジェノスもぴたりと立ち止まる。
「……それで? もしそうであったら、あんたと仲良く生き延びろって?」
「同じ神を信仰する。同じ神を父とし、同じ神を母とする。それがどれほどの絆を生むか、お前は知っているはずだ!」
 ついぞジェノスが前に飛び出して、残る距離が詰まった。横構えの構えから、腕を下ろして下段の構えに変え、横薙ぎに振るう。突きが来ると予測していたミスリルは、直感と反射だけで横に飛びのき、避けた。
「違うね!」
 両手に両端の棍を持ち、左手を頭の上に、右手を右の脇腹の下にやる。剣の第二撃を中央の棍で受けた。
「あんたは信仰を信仰してるんだ。いいか。あんたは誰より醜悪だ」
 ジェノスが剣を引き、ミスリルの体の左側面へと回す。
「神も、真実も、自分自身のことさえも」
 ミスリルは左手をおろし、剣をからめ取れるよう、体の前でまっすぐに張った。
「本当はどうでもいいって思ってるんだよ!」
 ジェノスが剣の切っ先を爪先まで下ろす。ミスリルは左手の棍を離し、振り回せるようにした。
 剣の切っ先が再び上がったのは、それと同時だった。
 目にも止まらぬ速さで肩の上まで跳ね上がり、気付いたときには振り下ろせる構えになっていた。
 ミスリルの胸はがら空きだった。
 避けきれない。
 息を止めた。
 致命傷だけは避けようとし、右足で前に出た。左腕で胸を庇いながらジェノスと入れ違いになる。
 左の二の腕に、火のような熱い感覚が走った。痛みも、血が迸るのも、すぐにはわからなかった。
 体を入れ替え、再びジェノスと向かい合う。右手を引き、跳ね上がってきた左端の棍を左手で掴む。
 ジェノスは次の攻撃を仕掛けてこない。衣服の左の袖が、血を吸って重くなっていく。ジェノスの満面の笑みに気付き、そして、左手の異変に気付いた。
 握りしめた左端の棍が、鉄の感触をなくしていく。ミスリルはジェノスとの間合いを詰めようとも、開こうともせず立ち尽くした。
 左手の異変の理由がわかったのだ。
「剣に」まだ、喋るには支障がなかった。「毒を塗ったな」
「安心しろ」
 ジェノスの声は長く伸び、余裕に満ち、そして、傲慢な確信に輝いていた。
「致死性の毒ではない。痺れ薬だ」
 二の腕から指先へと到達したそれは、今、血の巡りに乗って全身に広がっているはずだ。
「どうせなら……」
 喋り続けるジェノスの前で、ミスリルは後ずさった。足はまだ動いた。
「痛めつけながら殺すほうが面白いだろう?」
 それは賭けだった。ミスリルは(きびす)を返すと、辻の右手の道へと走り出した。真後ろで剣が空を切った。それはチュニックを裂いたが、肌には届かなかった。追うジェノスの足音が間近に聞こえる。駆け抜ける道は、別の道と合流して終わった。真正面に緑の鉄柵が現れ、少し先に柵の向こう側の下り階段への入り口がある。
 ミスリルは武器を帯に挟むと、柵に右手をかけ、右半身を下にして階段を飛び下りた。追いついたジェノスが柵から見下ろすと、霧の下で人影が動き、よろめきながら逃げていく様子がおぼろに見えた。ジェノスは階段の入り口に回りこみ、悠々と下り始めた。
 階段の下、ミスリルが着地した地点には、盛大な血の痕が残されていた。そこは草に覆われた墓地の入り口で、石を敷き詰めた道が一本まっすぐ伸びていた。その石の上に、点々と、赤黒い血が滴り落ちている。
 それをたどり始めた。
 いつまでもは動けまい。草や石を踏む足音は、どこからも聞こえなかった。墓石の群れを右手に見ながら進むと、前方左手に、墓地の管理小屋が見えてくる。土の上に直接柱を立てて床板を敷いた、粗末な小屋だ。ジェノスは足を速めた。血痕は、小屋の入口まで続いていた。
 実際には、ここは管理小屋などではない。血で汚れた戸を開ける。小屋の奥まで血痕は続いていた。そして、小屋の奥の床板は抜けており、血痕はそこで途切れていた。
 罠だ。ジェノスはほくそ笑み、小屋に入り込む。
 落とし穴の縁に立った。腰を曲げ、暗い底を覗きこむ。先端を尖らせた木の杭が束ねられ、上を向いて獲物を待っている。よく目を凝らしたが、それに貫かれた獲物の姿は見えなかった。
 背後で音がした。
 気配に気付くのと、左の膝裏に三節棍の一撃を受けるのが同時だった。ジェノスは声を上げて穴へと転落し、落ち切って声を途切れさせた。墓石の清掃道具をしまう棚の一番下の段、そこに収められた木箱の陰から飛び出したミスリルは、右手に三節棍を握りしめたまま、どさりと床に倒れ込んだ。
 意識は明瞭だ。だが体がついてこない。動け! 動け! ミスリルは己に命じ続けた。左の二の腕は、傷の上に布を巻いて止血している。左手はもう、全く動かなかった。右腕だけで上半身を起こす。そして、両足を引き寄せ、半ば這いずるように棚まで戻り、(もた)れかかる形で座り込んだ。動けたのは、それが最後だった。
 落とし穴の底から物音がすることに、ミスリルは気がついた。土壁を引っ掻く音だ。ジェノスは運よく木の杭に貫かれずに済んだか、または致命傷となり得る部位への貫通を避けたか……いずれにせよ、這い上がって来るはずだ。必ず来る。
 だがミスリルは、もうぴくりとも動けなかった。


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