起爆する子午線

文字数 2,830文字

 ※

 カルナデルはシンクルスに肩を貸して歩かせ、職員宿舎の突き当たりの一室の前に立った。アセルとリアンセの声が、薄い戸の向こうでやんだ。
 カルナデルは戸を大きく奥へと押し開けた。
 アセルとリアンセは向かい合って椅子に座っていた。リアンセが慌てて立ち上がる。
「シンクルス!」
「おいおい。ここじゃこいつは『クルス』だぜ」
 リアンセは無視してシンクルスの顔を覗きこみ、それから思い出して戸を閉めた。
「あなた、シンクルス、ああ……真っ青じゃない!」そして、カルナデルを睨みつけた。
「あなた、何したのよ!」
「何もしてねぇよ! しょうがねえだろ、あんだけちょっぴりで酔い潰れやがって」
「酔い潰れてって……」
 カルナデルはリアンセを押し退け、半ば投げるようにシンクルスをベッドに横たわらせた。
 シンクルスはぼんやりと、テーブルに置かれた聖遺物を見た。支柱の先端に取りつけられた、白い、網目状の天球儀。その中に、天球アースフィアを表す球体が浮遊している。どのような原理で浮遊しているのか、シンクルスの酒で鈍った頭では思い出せない。ただ、あれがトリエスタの修道学院から奪われた聖遺物であることは理解できた。
 聖地〈南西領言語の塔〉に現存する二重天球儀のレプリカだ。
 リアンセがヴィンの手中から奪い、確保しておいてくれたのだろう。
 シンクルスは近付いてそれをよく見たかったが、視界が真っ暗になった。
「何ともない……何ともない……」
 呻いているシンクルスの靴をリアンセが脱がしてやる。
「何ともないわけないことくらい、見ればわかるわよ! ああ、大丈夫? シンクルス、あなたに怒ってるわけじゃないの。吐きそう? 頭痛くない? 水飲む?」
「起きる」と、シンクルス。「女性の前でこのような醜態を――」
「醜態だって自覚あるんだな」
 起きあがろうともがくシンクルスを両腕でベッドに押さえつけながら、リアンセは殺してやるとばかりにカルナデルを睨んだ。
「カルナデル? どうしてこういうことになったのか説明して頂戴」
「それよりあの情報部のおっさんをオレに紹介してくれよ」
「おっさんですって?」
 アセルが無言で椅子から立ち上がり、カルナデルの目の前に立った。カルナデルの巨体に比べれば背は低いが、眼光の鋭さによる迫力は、体格や年齢の開きによる体力の差を補ってあまりあるものだった。カルナデルはついたじろいだ。
「名乗れ」
 アセルが命じる。
「知ってるだろ?」
「名乗れ」
「カルナデル・ロックハート」
「最終階級と所属と役職は?」
「東部方面軍南部ルナリア独立騎兵大隊第一中隊隊長、大尉だった」
「そのツラで前線指揮官か」
 カルナデルは露骨にむっとした。
「君のことはホーリーバーチ中尉から聞いた。新総督軍への反発から軍籍を抜けたんだってな。私の部下の窮地を救ってくれたことには感謝する」
 アセルは目の力を少し抜いた。
「陸軍に戻る気はないかね?」
「どうかな」
「君にその気があるのなら、人事部に口利きしてもいい」
「随分とアテにならない約束だな。諜報員たるもの空手形と舌三寸はお手のものってか?」
「や、め、て」
 リアンセが不機嫌に割りこむ。シンクルスは諦めたのか、ベッドに突っ伏していた。
「それで、カルナデル。事情を説明してくれる? コブレン自警団の人とどういう話をしてきたの?」
 椅子は二つしかなく、リアンセはカルナデルに座らせ、自分は立って話を聞いた。カルナデルは聞いた話を二人に聞かせた。
「で、そっちは?」
 リアンセとアセルが目配せしあう。カルナデルは溜め息をついて嘆いた。
「おいおい、オレはいつまで部外者扱いを我慢しなきゃならないんだ?」
 アセルが頭を掻く。そして、全く予想もしなかったことを言った。
「シオネビュラには〈地の底の光〉と呼ばれる火があるだろう」
「はっ? ああ。珍しいな。その呼び名を地元民以外で知るのは少ないぜ?」
「奇遇にも、亡くなったコストナー議員から聞いたことがある。それでヴィン・コストナーの話だが、君は『地の底の光が目覚め、言語生命体たちに祝福と歓喜を与える』というような話を聞いたことはあるか?」
「……いいや?」
「もっと具体的なことが言えればいいんだがな。奴は本当に知らなかった。こんな出来の悪い一節しか口に出さなかったからな」
「異端宗派くせぇ。やっぱ救世軍がらみかよ」
「東方領、それから南東領東部、それから北方領東部。大量の難民が西進してきているだろう。それがどうも関係しているらしい。人口密度の大規模な変化で人民の大移動を察知し、光が目覚めると……。本当に、心当たりはないか? どんな些細なことでも良い。シオネビュラに伝わっている話はないか?」
 思い当たる節は、本当になかった。そう伝えると、アセルは「そうか」と言うだけで、落胆を顔には出さなかった。
「あのおっさん、どうして救世軍なんかに入ったんだろうな」
「妻の気を引きたかったかららしい」
「はあ? 何だそれ! 馬鹿じゃねえの!」
「馬鹿は扱いやすいのよ」壁際に立つリアンセが、軽蔑も露わに言い放った。「でも、あの男の話の内容が気がかりなことには変わりないわね。地の底の光が人口の大移動を感知して目覚める。どういうことかしら……」
「地域ごとに人口密度を測定する仕掛けがあるんだろうな。今起きている東から西への大移動を測定する基準地点が何かあって……」
 アセルの言葉が聞こえていたらしい。シンクルスが枕から顔を上げる。そして一言。
「子午線だ」
 三人が一斉にシンクルスに目を注いだ。シンクルスは立ち上がろうとしたが、力が入らず、床にみっともなく転げ落ちた。
「中佐殿」と、口を押さえる。「吐く」
「一分我慢しろ」
 アセルが立ち上がり、シンクルスに肩を貸す。部屋から出て行った。
 リアンセは、アセルの体温が残る椅子に腰をかけた。
 二人きりになると気まずい。
「ロアング中佐は話さなかったけど」
 ぎりぎり聞こえる程度の声で囁いた。
「何だ?」
「ヴィン・コストナーはエーリカ・ラウプトラと接触があった。誰だか覚えてる?」
「前総督の第二子な。あの有名なシルヴェリア・ダーシェルナキの妹の」
「そう」
「で?」
「言語生命体の中には、ごく少数だけど地球人にしか操作できない聖遺物を操作できる能力者がいる。体内の言語子の働きの関係ですって。一応言っておくけど、このことは禁識よ。どうして私が知っているかは聞かないで。処刑されたオレー前神官大将が、その能力者が発生しやすい血筋のリストを持っていた。エーリカはそのリストを欲しがっていた」
「エーリカは手に入れたのか?」
「わからない。だけど、もしそうなったら何が起きると思う?」
 意図が分からず黙るカルナデルに、リアンセは「人間狩りよ」と、正解を口にした。


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