門前払い

文字数 2,662文字

 3.

 フクシャ市をあげての入城パレードが行われる、と、会戦に勝利した反乱軍全部隊に通達があった。兵士たちはぼんやりとした感慨を抱いたが、何より疲れていた。戦争法によって、勝利した側の軍隊は、敵味方の別なく死者の埋葬を行わなければならない。疫病の蔓延を防ぐためであり、また倫理的責任によるものであった。だが、死者の数はあまりに多かった。
 ヨリスは大隊指揮所のテントに引きこもり、机に大隊構成員の名簿を広げ、それを見るともなし見ていた。ミズルカが戦闘終了後の点呼の結果を取りまとめているはずだが、まだ名簿には反映されていなかった。
 ヨリスは無表情だった。
 微動だにしない。
 そして、何も考えていなかった。
「大隊長殿、失礼します」テントの外から声をかけてくる者を、ユヴェンサだと思った。だから、「弓射中隊第一小隊アイオラ・コティー中尉です。少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか」そう聞いたとき、何故ユヴェンサが来ないのだろうと疑問にさえ思った。
「ああ」ヨリスは散らかった名簿をまとめた。「入れ」
 テントに入ってきたアイオラの姿を目にしたとき、ヨリスは中隊副長アウィン・アッシュナイト中尉のことを思い出した。彼を弓射中隊の次の中隊長に任ずるべく、申請書類をシルヴェリアに提出したばかりだった。承認されない理由はない。実績、実力、年齢、気質、どれをとってもユヴェンサの後継者として不足はないはずだ。
「用件を聞こう。座るがいい」
「いいえ、大隊長殿、すぐに終わりますので」
 アイオラは机の前に歩み寄り、彼女の掌に収まる大きさの、白布の包みを差し出した。
「こちらをお渡ししたく参りました」
「これは?」
「ユヴェンサ・チェルナー上級大尉の遺髪でございます」
 ヨリスは空っぽの頭のまま包みを受け取った。机に置き、天籃石のランプを引き寄せてから包みを開くと、銅色に輝く髪が一房、紐に括られて収められていた。
 ユヴェンサが倒れ、羽交い締めにされたアイオラが後方に移送されていく際、ユヴェンサの隣に屈み込んだ伍長がいたことを思い出した。
「これは……」遺髪から目を逸らさぬままヨリスは口を開いた。「……誰が?」
「マリオン伍長でございます」
 十代の頃、役者を志していたという下士官。アクの強い、だが魅力的な顔つきをした、兄貴肌の若者だ。兵卒からの叩き上げで、徴兵期間が終わる際にスカウトに応じ、職業軍人となった。ヨリスは自分の部隊の部下たちを知っている。士官も、下士官も、兵士も。何を背負い、何を経て、強攻大隊にいるかを知っている。
「私の代わりに……」遺髪に触れるのをためらい、アイオラを見ぬまま頷いた。「よく礼を言っておいてくれ」
「はっ」
 冷静さを失し、指揮不能に陥ったことで叱責を受けるのではないかとアイオラは思っていた。そのせいで、今エンレン湖岸のガレ地に冷たく横たわっているのが自分であってもおかしくはなかった。
 だがヨリスは何も言わなかった。何も。
「……それでは、失礼いたします」
 沈黙に背を押され、アイオラはテントを後にした。
 夜明けの薄明かりの中にヴァンとアウィンが控えていて、アイオラが指揮所のテントから離れると寄ってきた。三人は一緒に歩いた。
「よう。どうだった?」
 アウィンが尋ねる。
「受け取って――」アイオラは答えようとして、言葉を詰まらせた。「受け取――」言い直す。「受け――」
 だがもう言えなかった。アイオラは諦めて目も口も閉じ、深くうなだれた。両側にいる仲間の気配を頼りに、目を閉じたまま歩き続ける。その閉じた睫毛を涙が濡らした。アイオラは堪えきれず嗚咽を漏らした。アウィンは充血した目で空を見上げた。ヴァンは喉にじっと力を込めて、自分は泣くまいと堪えていた。
 険悪な調子で言い争う声が聞こえ、三人は足を止めた。アイオラも目を開けた。声は、強攻大隊の野営地の入り口から聞こえていた。
 副官のミズルカと第二師団長の副官ウルプ大佐がそこにいた。
「チェルナー中将のご用件はわかっております」二人の歩哨に挟まれて立つミズルカが、一歩も引かずにウルプ大佐を追い返そうとしていた。「だからこそ、そのような取り次ぎを通すわけには参りません。お帰りください」
「大隊副官が、師団長付き副官の私に門前払いを食らわそうと言うのかね?」
 と、ウルプ大佐。
 アイオラたちは野営地の入り口に近付いていった。
「少しは(わきま)えたらどうだね。中将のお考えもご用事も、君の知ったことではないだろう。君のすべきことは、今すぐ君の上官に、面談の設定をするよう伝えることだ」
「お受けできかねます。ヨリス少佐は第一師団の士官であり、ここは第一師団の野営地です。正式に師団長ダーシェルナキ少将を通してお申し付けください……」ミズルカはついぞ、堪え切れぬという様子で末尾に付け加えた。「……って言ってるんだよ! そっちこそ弁えろ、うすらデブ!」
 ウルプ大佐が目を剥き、息をのむのがアイオラたちにもわかった。大佐は絶句した。その間にミズルカはまくし立てた。
「お前にとって、階級が下の士官はなんだ? 伝えろと言われたことだけ伝える伝書鳩か? ふざけるなよ。強攻大隊は部隊としてお前のとこより格下なわけじゃない。俺がすべき仕事は、護民軍の一部として強攻大隊がうまく回るようにすることで、お前はその邪魔をしてるんだよ! 今は私情で物事をすべきときじゃないんだ。わかったなら帰れ!」
 ミズルカがそんなふうに怒りをぶちまけているところなど、見たことがなかった。彼は軍隊のしきたりに背く人間ではないと、士官仲間たちは思っていた。彼にとっては階級と上下関係が至上で、利益と効率が至上で、上官の命令が至上だと。
 だがそうではなかった。
 ヨリスが至上で、ヨリスが落ち着いていられることが至上で、ヨリスの命令が至上だったのだ。ただ彼にとっては。
「副官」ウルプ大佐は、今にも殴りかかりそうな気配を漂わせていた。「貴様の名前と階級を言え」
「ミズルカ・ディン中尉だ」ミズルカは背筋を正した。「ご質問は以上ですか? でしたらお引き取りください」
 ウルプ大佐は、また少しの間黙ってから、懲罰の予感を植え付けるようにゆっくりと告げた。
「……今日のことはよく覚えておくことにするよ、ディン中尉」
 だが、これでは終わらなかった。
 一時間後に、チェルナー中将自らが強攻大隊野営地に乗り込んできたのだ。

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