口ほどにもない

文字数 3,867文字

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「この戦争は言語生命体の戦いではないの」エーリカは、ウィーゼルをなだめて右手側に座らせたシルヴェリアに言い聞かせた。「お姉さまにはまずそのように認識していただきたく存じますわ」
「では、どういう戦争だと思っている?」
「言語生命体と地球人との戦争です」
 シルヴェリアは鼻で笑った。
「それはまた大きく出たな。地球人と戦争しながら、地球人に取り入ろうと目論(もくろ)む救世軍と手を組むか」
「彼らは利用しているだけ。用が済んだら粛清しますわ」
「連中の一部は言語子を操作する薬を飲んでいるそうだな。その口振りでは、貴様は口にしておらぬようだが」
 今度はエーリカが、形のいい顎を上げて、軽く仰け反りながら笑った。
「ご冗談を。あのような欠陥品は、救世軍の狂信者やコブレンの馬鹿どもにのませておけばいいのです」
 シルヴェリアは無表情を保つよう努めた。何故コブレンの名が出たか、シルヴェリアにはわからなかった。だが、それについては尋ねなかった。
「欠陥品? 完成品が別にあるかのような言い種じゃな」
「そういうことをお知りになりたければ、お姉さまには私の要望をのんで頂かなければなりませんわ」
「却下だ」
「残念です」悲しげに目尻を垂らした。「ウィーゼル、シルヴェリアお姉さまから離れなさい。お帰りになるお時間です」
「お帰りになる? どちらへ?」
 さも信じられないとばかりに、ウィーゼルが首をよじってシルヴェリアを見上げた。
「シルヴェリアお姉さまは、この家に帰ってこられたのですよね? もうどこにも行かれたりはなさらないのですよね? お姉さま、お姉さま」
「ウィーゼルや、人にはありようというものがある」シルヴェリアは辛抱して言い聞かせた。「この家に留まるという選択は、私自身のありように背くものじゃ」
「お姉さま」と、エーリカ。「この家の衛兵は、私の意志のもとにあります。どうしてもと仰るのでしたら、どうぞお一人で、お気をつけてお帰りくださいませ」
「お一人でだと?」シルヴェリアは左手で指揮杖を掴んだ。掴みながら立ち上がる。「ウィーゼルは連れていくぞ」
 エーリカは顔を上げた。
 直後、両腕をかざして顔を守った。右手のティーカップが指揮杖に砕かれ、散った。
 シルヴェリアは左手に指揮杖を握ったまま、右手を象眼のあるテーブルについた。体をテーブルの上で滑らせ、長い足を突き出す。そのまままっすぐ滑っていってエーリカの肩を蹴った。
 エーリカの体ごと、彼女が腰掛けていたソファが後ろ向きに倒れた。ウィーゼルが鋭い悲鳴をあげた。
 姉妹は床に転がった。
「この卑怯者めが!」腕をついて立ち上がりながらシルヴェリアが怒鳴りつけた。「かように幼い妹を餌に使いよってからに!」
「卑怯者はどっちだクソ女!」気取り澄ました言葉をすてて、エーリカが憤怒と憎悪に顔を歪ませる。「貴様、アランドを毒殺したな!」開戦直前に北トレブレンで訃報を受け取った、弟の一人だ。「あの子は王領の母上のところに行く予定だった! 毒殺したのは貴様の手の者だろう!」
「よくわかったな!」立ち上がったシルヴェリアは、エーリカの鼻先に指揮杖を突きつけて高笑いをした。色とりどりの吹き流しが、倒れたままのエーリカの胸元で渦を巻く。
「アランドは私が一番かわいがっておった弟のカーラーンを墜死させよった! カーラーンは私と共に父につく手筈であったからな! カーラーンに何かあればアランドを殺すと、私は前もってパンネラに言うておったわ。だがあやつはアランドを王領へと急がせなんだ。恨むならパンネラの不手際を恨むがよい!」
「もうやめてください!」ウィーゼルが絶叫する。
「思い知らせてやる!」エーリカが金切り声を上げながら立ち上がり、掴みかかってきた。
「思い知るのは貴様のほうじゃ!」シルヴェリアが指揮杖でその手を叩き落とし、杖を右手に持ち変えた。力一杯エーリカの顔面をぶん殴る。「なめた真似をしよってからに! 二目と見られぬ顔にしてくれようぞ!」
 だが、二度目の殴打を加える前に客間の扉が外から開き、衛兵が飛びこんできた。
 シルヴェリアはテーブルの反対側に回りこみ、ソファで震えているウィーゼルの腕を掴んで立ち上がらせた。左腕を細く幼い体に回し、盾にする。
 叫んだ。
「どけ!」
 ウィーゼルの首根っこを掴んで走るシルヴェリアの背に、エーリカの叫びがぶつかった。その叫びは衛兵に向けられていた。
「待て! ウィーゼルを傷つけるな!」
 そんなラウプトラ邸、今まさにフェンが足を運ぶ邸宅、それより少し離れた区画では、ヨリスが捕食者サーリとの戦いに、ついに決着をつけようとしていた。
 ヨリスの姿は見えないが、見るもおぞましい捕食者の動きが格段に鈍っていることは、誰の目にも明らかだった。その体の表面に張り付く顔は、どれも血を流していた。
「頭がおかしい」まだ破壊されていない建物の上から遠巻きに観戦していた兵士が、寝言のように呟いた。「頭おかしい。絶対おかしいよ!」だがその声は、勝利への確信と憧れと恍惚に彩られていた。彼は連合軍の兵士で、周りにいる兵士もみなそうだった。
「うん、おかしいよなあ」近くにいる兵士が、何度も頷きながら目を輝かせて賛同した。「すっげえ! 頭がおかしいや!」
 捕食者が苦痛の咆哮を放つ度、連合軍の兵士たちは歓声をあげ、両手を振りあげた。
「俺たちは人間だ!」そう叫ぶのは、長い間捕食者が与える精神的苦痛に耐えてきた、南部ルナリア独立騎兵大隊の兵士だった。彼らの苦難は終わるのだ。「人間だ! 化け物なんかにならないし、化け物の餌でもねえ!」
「そうだ! そうだ!」続く声は、勇ましい叫びから、次第に哀願の調子を帯びていった。「俺たち人間の底力を見せてやれ! 見せつけろ! 見せてください!」絶叫に変わった。「俺たちは人間だ!」
「マグダリス・ヨリス!」拳が天に突き上げられる。「ヨリス! ヨリス!」
 もはや敵も味方もなかった。あるのは人間か、人間でないものかの違いだけだった。捕食者が巨体を支える脚を屈し、その巨体を沈めた。兵士たちはみな、歓声をあげた。
「チンチンびろびろチンびろりーん!」
 人間同士の戦闘が行われた区画では、大部分の強攻大隊兵士が剣を抜かずにいた。三、四人ずつに散り、腕を組み、満面の笑顔で歌いながら通りを闊歩していた。連合軍の兵士に会えば、歌いながら迫っていく。その姿は異様であり、剣を振り回して怯える兵士たちを、例えようのない狂気と熱気と毒気で追いつめていく。
「リッカード中尉!」
 通りの中央で歌い続ける中尉は、血が出てもおかしくないほど喉を痛めていた。
「あっ、ユン上級大尉」無事を喜ぼうとした中尉は、いきなり胸倉を掴まれた。
「あのふざけた歌を作ったのは貴様か?」
 間近に迫る上官の鬼気迫る表情に、リッカード中尉は怯えて首を振り、がらがら声で急いで答えた。
「いいえ、とんでもございません! 私はただ作詞を担当しただけでございます!」
 戦いの帰趨(きすう)を見届けて、ユヴェンサら弓射中隊の士官四人は立て籠もっていた建物を降りていた。一刻も早くヨリスと合流したかった。上官は、自分たちのためにこの危地に飛びこんだに違いなかった。
「待ってください! 少佐がいるのはあちらの方角ではありませんか?」ヴァンが三叉路で、一番右の道を指す。アイオラが首を振った。
「そっちは来るとき通った道よ。少佐はあっちじゃ――」
 ユヴェンサはもどかしく地図を開いた。握りしめられていたその地図は、掌にかいた汗で、インクが溶けるほど濡れていた。
 ヨリスのもとにはミズルカが先にたどり着いていた。こうして極めて危険で想像を絶する戦いに己の意志で飛びこむには、残り一生分と思われる勇気を自分の中からかき集めなければならなかった。だが一人ではなかった。支援小隊の下士官を連れていた。
「あそこです!」
 下士官が時計塔を指さした。大きな文字盤の下、割れた窓、恐らく十階あたりの高さの場所、窓際に誰かが佇んでいた。剣の刃がきらめいている。そんな所に立っていそうな人物はヨリス以外に考えられなかった。
 ヨリスがひらりと身を投げた。捕食者の背へと落下する。
「落ちた! 落ちた!」
「落ちたんじゃなくて下りたんですよ」
「でもかなり高いぞ! 五階分くらい落ちたぞ!」
「下りたんですってば! 大体、あの少佐が五階分くらい落ちたところで死ぬわけがないでしょう」
 捕食者は、無数の足を引きずりながら力なくもがき続けていた。また苦痛の叫びをあげ始めたので、ヨリスが生きて、戦っていることがわかった。ミズルカは下士官を見た。下士官もミズルカを見た。ほら言わんこっちゃないとばかりの小馬鹿にした目つきだった。
 捕食者は最後の叫びを放った。その体がゆっくり横倒しになっていく。ヨリスは捕食者の長い足の一つを蹴って、地面に飛び降りた。捕食者は倒れ、シオネビュラの街路を揺らした。その体が黒ずみ、ついで色褪せていき、砂となり、散った。ダリルの最期と同じであった。
 ヨリスの脳裏に、レナと名乗った女性士官の勝ち誇った顔が浮かんだ。こいつに勝ったら決闘に乗ってやる、だと?
「口ほどにもない」
 肩に掛かる長い三つ編みを、ナイフを持ったままの左手で背中に払った。
 そして、特に勝利を噛みしめることなくその場を立ち去った。


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