不和の食卓

文字数 6,014文字

 ※

 食事の時間となった。
 食堂の一つに、ミスリルとアエリエ、リアンセとカルナデル、客人の監視を請け負うテス、そして新しい客人で、めでたく両手の縄を解かれたシンクルスとレーンシーが集った。この食堂もまた徹底的に調べられたあとで、床の隠し通路を土嚢と瓦礫で埋めてしまい、入り口の跳ね上げ戸を、釘と砂利の山で封じている。そして、跳ね上げ戸の上に簡素な棚を設け、金盥を置いた。金盥には長い紐が括りつけられ、床に垂らされたその端は、跳ね上げ戸に打ち付けられていた。進入者があれば音がする仕組みだ。床が板張りのため、寒さは他の部屋より多少ましだった。
 そして、この食堂で食事をする七人の他に、三人の見習いたちが配膳をすべく動き回っていた。ミスリルとアエリエは、跳ね上げ戸の近くの壁にもたれて腕組みし、真剣な様子で何か話をしていた。声は聞こえず、唇はほとんど読めない。ロアング中佐だったら読めるはずだわ、と、リアンセは悔しく思った。目を逸らす。凝視をしては不審に思われる。
 シンクルスとレーンシーは、となりあって食卓についている。リアンセの向かいがシンクルスだった。レーンシーは、向かいに座るリアンセとカルナデルのほうを見ない。シンクルスも、レーンシーの様子に集中している。
 テスはカルナデルの左隣に席を設けられていたが、壁際に立っており、先ほどまで清潔なランチョンマットの上に食事の皿を並べていた少女が人懐こく話しかけてくるのに、微笑で応じていた。その会話は、リアンセが耳を傾けるまでもなく聞こえて来た。
「だからね、あのときもね、オーサー師が毒を作るのかなって思ったの」長い金髪をした、丸顔の、何とも愛らしい少女だった。ただ、ひどくバランスが悪い感じがする……どう見ても十歳以上なのに、話しかたが幼すぎる。「そしたらね、そろそろ自分一人でやってみろって。計算も準備も、レンヌ一人でやったんだよ。オーサー師も見てたけど、最後にね、ほとんど言うことなしだって言ってくれたんだ」
「計算もレンヌが一人でやったのか。すごいな」
 リアンセは妙に落ち着かない気分だった。
 テスが優しく続ける。
「レンヌが作った毒は、計画通りぴったり一時間後に効いたんだ。それで敵が取り除かれて、たくさんの市民を救出できたんだ。レンヌが助けた。偉かったな」
「うん」レンヌというらしい少女は、毒を作り、何人殺したか知らないが、とにかくその少女は誇らしげに胸を張った。「もっとお勉強頑張るね、テス兄さん」
「ああ」テスもレンヌの視線を愛情深く受け止めていた。「さあ、そろそろ時間だ、レンヌ」
 と、目を食堂の戸に向ける。レンヌは「うん」と頷いた。
「テス兄さん、大好き」
 テスは、食堂を出ていくレンヌに、戸口までついていってやった。
 カルナデルがいささか呆れた様子でテスの背を凝視しながら、隣のリアンセに囁いた。
「あいつ、物騒なことをよくまぁほのぼのと……」
 レンヌは出ていき、テスが戻ってくる。
「それが彼らの日常なのね。子供に毒を作らせて……でも何にしろ、そういうことができるのは、普通の人より真面目だったり、賢かったり、優しい人だったりするものよ」
 まさにミスリルとアエリエとテスではないか。
 喋っているリアンセに目を向けながら、テスがカルナデルの隣の席に座る。しっかり聞こえていたようだった。座りながら、カルナデル越しにリアンセの目を見たが、ひどく物言いたげな様子だった。
「何も悪口を言おうってわけじゃないのよ」腰掛けたテスに対し、つい言い訳がましい口調になってしまった。
「あの子は調毒が得意なんだ」と、テス。「彼女は必要な存在だ。リアンセは、レンヌが若すぎるのが気になるのか?」
「あなたがそのことで、そんなに優しくするのが気になるのよ」
 テスは目を伏せ、ぽつりと言った。
「俺はただ……俺には、もう死んでしまったけど、兄弟子が二人いた。優しくて、俺を必要としてくれた。俺もそうしたいだけだ」
「悪いとは言ってないぜ?」
 と、カルナデル。
「ただあの子、自分が作った毒で死んだ人を見たことがあるか?」
「ある」
 きっぱりと答えた。
「あの子は自分がしていることを知っている。そういう意味で、子供じゃない」
 カルナデルにとって、テスの言うことは、受け止めるには重かった。理解するには、自分には足りないものが多すぎるのだ。
 テスは不安になったのか、カルナデルとリアンセを順に見た。
「お前たちは、俺たちを、一緒に戦う仲間だと思ってくれるか?」
「それは当たり前でしょ? ただ、あなたたちの流儀は馴染みが薄くて面食らうことがあるのよ。それだけ」ここぞとばかりにリアンセが身を乗り出した。「仲間だと思えないなら、最初から頼ってこないわ」
 安堵を滲ませて、テスが微笑んだ。その純粋さが痛かった。頭が良くて優秀でも、視野が欠けているのだ。自分たちのやり方が外からどう見えるのか想像していない。ミスリルもそうだ。
 いずれ、コブレン自警団については情報部に報告書をあげる。だが、このぶんでは、彼らが公的機関になるなど夢のまた夢ではないか。
 残る二人の見習いも、食堂から出ていった。質素な食事が、それぞれのランチョンマットの上で湯気を立てている。岩塩のパンが一つ。水が一杯。いつもと同じ、キャベツの葉の酢漬け。チーズが一切れと、胡椒で味付けした少量の合鴨肉。
 副菜を三種類も食べられるのは、特別な日だけだ。今日は新しい客が来たからだ。
 ミスリルがシンクルスの隣に座った。アエリエはミスリルの向かい、リアンセの右隣に座る。
「食べよう」
 ミスリル、アエリエ、テスの三人が大地の恵みに感謝を捧げる。聞こえぬほど小さな声で祈りの句を捧げる光景を、シンクルスが興味深げに、だが失礼にならない程度に観察していた。リアンセは合鴨肉にナイフを入れた。やがてシンクルスもそうした。
「いつも、この量を食べておられるのか?」
「今日は多い。少ないと思うか? 大抵みんなそう言うけど、じきに慣れるさ」
「少ないとは思わぬ」シンクルスは静かに続けた。「ただ、皆立派な体格をしておられる……もっと食べておられるかと思っていたのだ」
「必要な分の栄養は取ってるさ。特に育ち盛りの見習いには、世間並みに食べさせてる。でも、いつ何があるかわからないだろ? 何かあったとき、満腹じゃ戦えないからな」
「ありがとうございます」レーンシーの口調はあくまで控えめだ。「私たちをもてなしてくださって」
 だがシンクルスとレーンシーは、ミスリルたちに警戒されているままのはずだ。
「警戒はしても、もてなしてはくれるのね」
 リアンセの言葉には、テスがぽつりと答えた。
「お前たちは、嫌な客じゃないから」
 温厚なテスが、嫌な客、と評する相手がいることに、リアンセは少しだけ興味を抱いた。
「今までにどんな嫌な客が来たの?」
「都の民間武装組織調査団。先代が民兵団の申請をしたとき、調査に来た」
「ああ、連中な」ミスリルが、さも嫌そうな顔をした。「やな奴だったよな。あいつら俺たちが出した茶を、何が入ってるかわからないから飲めないって堂堂と言いやがったんだ」
「握手にも応じていただけませんでしたね」
 と、アエリエ。
 またテスが口を開いた。
「それに、未成年の団員を泣かせた」
「何て言って?」
「親に育児放棄されて、それでここに拾われてきた子に、それをわかった上で、君がこんなところにいたらお母さんが悲しむんじゃないかって」
 さすがに、リアンセも嫌な気分になった。テスは言葉を締めくくる。
「俺が『やめてください』って言ってもやめなかった」
「お前、よく我慢できたな」
 テスは横目でカルナデルを見た。
「我慢するしかなかった。でも……」
「でも、認可は下りなかった」
 リアンセの言葉にテスは頷く。
「俺たちのことを、認めないなら認めないで、はっきりそう言えばいい。どうしてそういうことをするのか、俺にはわからない」
 沈黙が流れた。それが長引かないように、ミスリルが軽い口調でこう言った。
「ま、最初から真面目に審査する気なんてなかったんだろうさ」
「ミスリル殿」
 シンクルスの口調は慎重だった。
「このようなことを言っては不快に思われるかもしれぬが、如何にそなたらの信仰が真摯で、理に叶ったものであっても、この世界で揺るぎ難い権威を持っている神官たちが異端宗派という限り、それを信奉するならば誰しも公的機関と認めることはできぬのではあるまいか。それが理不尽であろうとも」
「それはごもっともさ」
 と言ったきり、何かを考えて黙ってしまう。
「オレは真面目に疑問なんだけど」今度はカルナデルだ。「あんたたちの信仰については色々聞いたけど、教典に書かれていることを、あんたたちは物語にすぎないってわかってるんだろ? どうしてそれを信仰できるんだ?」
 リアンセは内心ひやりとしたが、ミスリルは冷静なままだった。
「俺たちは、奇跡の物語を信仰しているわけじゃないさ」彼がチーズを口に入れ、飲み込むまでの間、全員が続きを待った。「明らかに歴史的事実や物理法則から外れるような……死んだ少女に天球の乙女が『起きろ』と言ったら蘇ったとか、飢えた人に無限にパンを与えたとか、盲人の目を見えるようにしたとか、そういう物語を信じてるんじゃない。いいか、それらは全部、メッセージなんだ。物語に託されたメッセージや考え方を信じるんだ。教典に書かれたことがどんなに現実からかけ離れてたって、そんなことは問題じゃない」
「それに、カルナデルさん」今度はアエリエだ。「神官たちが説く信仰は、地球人が起こした数々の奇跡の物語です。言語生命体の預言者が奇跡を起こすのは信じられないけれど、地球人が奇跡を起こすのは信じられる、というものでもないですよね」
「信じてる奴は幾らでもいるけどな」カルナデルは肉を切る手を止めた。「でも、オレは神も地球人も信じないね」
「そういう乾いた無神論が、文化の芽生えを奪ったんだ」ミスリルは、むきになりつつあるようだった。「信仰は強い精神性を育む。精神性がなければ、豊かで多様な文化はあり得ない。言語生命体にはそれがなかった。徹底的に奪われたんだ。だから地球人から精神的に自立できなかったんだ」
「じゃあ次の疑問だけどさ」カルナデルの追究は止まらない。「あんたたちの異端信仰は、言語生命体の文化のためにしてるのか? 地球人を信仰するよりはマシだからか?」
「違う」
 黙っているレーンシーは、話の流れと緊張していく空気にそわそわしていた。リアンセはミスリルの回答に興味があった。
「地球人よりも、地球人を創造した高次の存在のほうが尊いからだ。それくらい、考えるまでもなくわかるだろ?」
「あんたにしちゃ理屈に合わないことを言うな。創造主が高潔な存在だって保証がどこにある? 言語生命体を創造した地球人が、言語生命体に対してしたことを見てみろよ」
「俺たちに保証は必要ない」ミスリルは一歩も引かない。「理屈も必要ない。信仰が間違いで、報いがあるとしても、所詮それまでの話さ。人から間違っていると言われて『はいやめます』というような、そんなつもりでやってはいないぞ」
「ですが」
 アエリエが、静かに遮った。
「調査団の審査員を納得させるだけの理屈は、考えなければなりませんね」
 その声も、その微笑も、人の心を鎮める不思議な力を湛えていた。ミスリルが頷く。
「……まあ、そうだな」
 そこへ、誰かが戸を叩く。食事をある種の儀式と見做す地示天球派の信徒たちが、それを中断させることは珍しい。ミスリルが戸を見て声をかけた。
「どうした?」
「団長、マジェスティアです。少しお話が」
 返事を待たず、ジェスティが部屋に入ってきた。まっすぐミスリルだけを見て彼に歩み寄り、腰を屈め、ツインテールの銀髪がミスリルの顔にかかりそうなほどその顔を近付けると、口許を手で隠し、何事か囁いた。ミスリルの顔に、星のように緊張が流れ落ちた。
「すぐ行く」低い声で返事をし、立ち上がる。そして「アエリエ」
「はい」
 アエリエも立ち上がった。ジェスティと三人で、せかせかと食堂を出ていく。二人の食事はまだ半分ほど残されていた。
 食堂に残ったコブレン自警団の団員は、テスのみとなった。
「誤解しないでほしいの」リアンセは、そのテスを見て言った。「あなたたちの信仰を否定する気はこれっぽっちもないのよ。ただちょっと、もう少し器用になってもいいんじゃないかって思うだけ」
「俺たちは頭でっかちだったのかもしれない」テスの声は少し暗かった。「こんなことになる前に、もう少し柔軟になっていたら……民兵団に格上げされて、堂堂と戦うことができていたら……もっと多くの市民を守れたはずなんだ」
 思った以上に、テスは組織の現状を重く受け止めていたようだ。余計なことを言ってしまった。苦渋が口の中に満ちた。
「だけど、そのことの責任は、あなたちだけが負うべきものじゃないと思うんです」レーンシーが優しい声でとりなした。「それに今、あなたたちは誰よりコブレン市民を守ろうとしているのだし……私たち、うまくいくといいですね」そして、緊張を滲ませながらも、斜め向かいのリアンセを見やった。「そうですね、リアンセさん」
 リアンセは岩塩のパンをちぎり、口に入れた。咀嚼し、シンクルスを見やる。彼の皿はほとんど手つかずの状態だった。
「食が進まないようね。クルス、緊張しているの?」
「おい」隣のカルナデルの声音が低くなる。「レーンシーが話しかけてるだろ?」
 リアンセはまたパンをちぎり、口に入れた。レーンシーに返事をしようという気はおきなかった。
「……リアンセ、お前さすがにそれはないだろ」
 またパンを飲み込む。リアンセは不機嫌に呟いた。
「あなたに何がわかるの?」
「私は構いません」すかさずレーンシーが割り込んだ。「心を開いて頂けないとしても、私は構いません……。クルスさんに会いに行くときも、弟と二人で、そのつもりでいましたから」
 無視を続けるリアンセに、レーンシーは続ける。
「それに……リアンセさんは、私の命までは取らないですよね?」
 パンの最後の一かけを飲み込んだ。チーズも肉も、まだ残っていた。
 だがリアンセは席を立った。
「ごめんなさい。気分が悪いの。先に休ませてもらうわ」
 かつかつと靴音を立てて、食堂の戸口に向かっていく。カルナデルも音を立てて椅子を引き、テーブルの天板に手をついて立ち上がった。
「おい、リアンセ!」
 リアンセの姿は暗い廊下に吸い込まれた。


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