古戦場

文字数 6,323文字

 2.

 聖地〈南西領言語の塔〉までの行程は、残り一日となっていた。零刻までに野営地が片付けられ、行軍再開となる。
 それまでに、ヨリスは負傷した兵士を見舞った。
 ダリル・キャトリンの弩兵だ
 いかにも教育担当者が嫌いそうな、ひねくれた目つきの若者だった。支援小隊のテントで手当を受け、顔にできた痣には軟膏が塗られており、口の周りには鼻血を拭いた跡がはっきり残っていた。
 兵士は自分への訪問者にじろりと目を向けた。それがヨリスであると見るや、途端に目の色を驚愕と恐怖で塗り変えた。
「ガラハ二等兵」名は聴取した軍曹から聞いて知っていた。「派手にやられたな」
 座りこんでいたベッドから立ち上がろうとするのを手で制する。
「率直に聞くが、君は自分の意志でキャトリン少佐の親衛隊に入ったそうだな」
 近くに診察用の椅子があったが、立ったまま尋ねた。見下ろす二等兵の顔は蒼白で、唇は紫だ。普段であれば緊張を解いてやろうとするのだが、今はこのままの方がいい。
 二等兵は今にも震えだしそうな様子で答えた。
「……はい」
「勧誘されたのか?」
「はい」
「何故だ?」
「私は」兵士は迷いながら口を開いた。「徴兵されてきたのですが、実家が弓術の道場を営んでおり、的当ての訓練成績だけは常に一位でした。キャトリン少佐に声をかけられたのはそのためでして……」
「その時点で謀反の計画は知っていたのか?」
「いいえ」
「いつ知った」
「第一師団の配置が北トレブレンに決定したと知らされた日です。キャトリン少佐に呼び出しを受け、徴兵されて早速死ぬのは嫌だろうと質問を受けました。宙梯にたどり着ける保証もないのに、と。私は、それが……徴兵されて戦うのが……市民の義務だと答えました」一度言葉を切り、口ごもる。「その私にキャトリン少佐は、必ず生き延びる方法があると……それが裏切りに荷担することでした」
 徴集兵たちにとって、生存は切なる願いだ。生存を保証するとあっては聞かずにいられなかったのだろう。そして聞いてしまった以上、拒否は死を意味する。
「あの」思い余った声を出し、兵士はヨリスの顔を見上げた。
「この後、私はどうなるのでしょうか?」
「上級部隊と合流でき次第、身柄を憲兵隊に引き渡す。そこで取り調べを受けろ」
「私は有罪になるのですか? 宙梯には行けないのですか?」
「無罪ということはあるまい」
 ヨリスは無表情で続けた。
「君がどうなるかはわからない。だがこの大隊にいる間、君がどのような様子だったかを報告するのは私だ」
 計らうことはできる。言葉にこめたその意味を、二等兵は受け取ったようだ。二等兵は緊張で表情を強ばらせた。
「よく働け。罪滅ぼしの方法はそれだけだ」
 そう話したのが、聖地に到着する十時間前の出来事だ。折角長らえた命だ、無駄にするな、とヨリスは話を結んだ。
 山々が開け、扇状の台地が現れる。森に縁取られた広大な台地は砂で覆われており、その砂地全域が聖地と定められている。
 シルヴェリアとフェンは、馬を引いて砂地に設営した野営地から出るところだった。簡素な柵の手前で、歩哨たちが所在なげに立っている。柵の向こうにはヨリスのために用意したもう一頭の馬がいた。
「ヨリス少佐、本当に来ますかね」
 柵の外に立ち、待ちながら、フェンは呟いた。すぐ近くでは、二人の歩哨が何も耳に入れるまいと努力している。シルヴェリアは答えた。
「あやつは約束を違える男ではないぞ。ほら、足音が聞こえるぞ。あれではないかえ?」
 フェンの耳にも、野営地の奥から近づいてくる足音が届いた。篝火の明かりが届く範囲に、足音の主が入った。果てなき闇夜の中で保護色となる、歩兵部隊の黒いマントに身を包んだヨリスだった。
「お待たせいたしました」
 歩哨たちの間を通り抜け、ヨリスが柵の外のシルヴェリアたちと合流する。
「誰にも言わなんだかえ?」
「はっ。副官のディン中尉と副長のユン上級大尉にのみ、極秘の作戦に同行すると話を通しておりますが、いよいよ私共が帰らぬという時まで口外せぬよう言いつけております」
「よし。さて!」
 最後の一言は二人の歩哨に向けられたものだった。
「おぬしら、万一口外したらどうなるかはわかっておるな」
 二人の兵士は緊張を漲らせ、背筋を伸ばした。
「はい、師団長殿! このことは決して口外いたしません」
 その返事に満足し、シルヴェリアは先頭に立って馬を引き歩き出した。
「ここはかつて、深い谷だったと伝えられております」
 野営地が十分に背後に遠ざかると、フェンが口を開いた。
「谷底に、南西領の古の都がございました。天球儀建造時代の話ですよ。ですが、災いがあって都は滅びた。その後どのような仕組みかは存じませぬが、都は地の底に封じられ、この地は砂地となりました」
「では、我々は今、古い都を踏んでいるということかの」
「そうでございますね」
 肩を揺すって短く笑うシルヴェリアに、フェンは語り続けた。
「この方角をずっと行けば、言語の塔に至る木道が始まります。ですが、木道の上で馬を走らせるのは控えましょう。音が響くと思いますので」
 フェンの言う通り、低い柱に支えられた木道が砂地に現れた。天球儀と満天の星々に照らされ輝く白い砂の海にあっては、木道は細い影のようであった。先頭にフェン、続いてシルヴェリア、最後にヨリスの順で、三人は木道沿いに馬を駆った。
 十分ほどして、三人は馬の速度を緩め、止めた。
 砂地は平らなように見えて、緩やかな上りの斜面になっていたのだ。遠くの山を見下ろせるようになった。山裾に、追跡部隊の野営地の篝火が見えた。追っ手が目と鼻の先にいることは把握していたはずだが、こうして本当に間近にあることを目の当たりにすると、恐ろしく感じられる。
「モーム大佐が主導した捕虜への取り調べによれば」
 シルヴェリアがどこか言い聞かせるように話す。
「連中は一日半の遅れで後を追っている新総督軍の部隊を待っている。その後、新総督軍の部隊を先頭に聖地を通過する予定だそうだ」
「一日半の遅れを許して待機する、ということは、連中の狙いはもはや我々ではないということでしょう」
 ずっと黙っていたヨリスが口を開いた。シルヴェリアが応じる。
「左様。連中は北部のトレブレン地方からの裏道となるこの山脈を確保することになる。出口の守備隊が突破されれば、どこにでも行けることになるぞ。中東部のシオネビュラ、その北のフクシャ、山中での進路を西に取れば西部の〈呪つ炉の都〉へ……」
 だが、それを止める手段など、補給を断たれた一個師団にはない。
「行くぞ」
 今度はシルヴェリアが先頭になり、言語の塔を目指した。
 馬を駆ること更に十分、波打つ風紋の果てに黒い線が現れた。線は近付くにつれ、砂地からせり出すように高く大きくなっていく。
 その線が、言語の塔を守る城壁だった。
 城壁は大きな円形になっていた。木道の真正面の部分は壁がなく、門を封じる扉もない。内部に向かって完全に開かれていた。
「着きましたよ、ここです。この一番狭い入り口が正門ですよ」
 フェンが、さも邪気のなさそうに見える笑顔を見せた。どうすれば自分が魅力的に見えるかをわかっている笑い方だ。三人は木道の脚の部分に馬を繋ぎ、木道の上によじ登った。
 下から見たとおり、言語の塔内部への進入を阻む物は何もなかった。ただ二本の門柱の間が極端に狭いだけだ。まずフェンが、右肩を前に出すようにして門柱の間をくぐり抜けた。続いてシルヴェリア、最後にヨリスが。罠の類もないようだ。
「随分あっさりと入りこめるものだな」
 シルヴェリアの言に、フェンは笑顔で答えた。
「ええ、入るのは。出るのが難しいのです」
 城門を潜っても、まだ木道が続いた。木道と砂地との高低差が開いていくが、上りの斜面になっているのではない。地面が敷地の奥に向かってすり鉢状になっているのだ。
 木道には手すりがなく、歩幅分の広さしかない。下を向いてばかりもいられないが、すり鉢状だった砂地が平坦な地形に変わる場所に来ると、ヨリスは眼下の光景に見とれた。
 そこは白砂の迷路だった。どのような技術かはわからぬが、砂を固めて入り組んだ壁が造られている。風化の様相が見られぬのは、失われた地球技術によって造られたためだろうか。それとも補修する専門職の集団があるのだろうか? 迷路は上から見下ろすと、完璧な幾何学模様だった。あの狭い正門以外から入ると、この迷路をさまようことになるのだろう。
「シルヴェリア様、お足下にお気をつけくださいませ」
 フェンの声で、前の二人も木道の下の光景に気を取られているのだとわかった。
 噴水によく似た装置が、迷路のさなかにあった。白く光る天籃石に四隅を守られて、水ではなく砂を噴き上げている。三段の高低差がつけられており、規則正しく高さを変えていた。見つけた時は中央で噴き上がる砂の太い柱がもっとも高かった。次いでその外側の五つの砂の柱が高く、一番外側の八つの砂の柱が低かった。だが近付くにつれ、噴き上がる勢いが変わり、高低差が逆転した。
 ヨリスはもっとも見えづらくなった中央の砂の柱の下に、有り得ないものを見つけ足を止めた。
 目を凝らす。
「どうしたの、ヨリス少佐」
「人が見えた」
 だがもう、何も見えなかった。
「あら、そう」
 と、フェン。問いただしもしなければ、馬鹿にもしない。歩きながらこう尋ねた。
「若い女の姿ではなかった?」
「……ああ。そうだ」
「見えんのう」
 中央のシルヴェリアが不満気にこぼす。
「天球儀の乙女ですよ。見えるのは一瞬です。立体的に投影された、幻覚のようなものです」
「何じゃ、その天球儀の乙女とやらは」
「まあ、民話ですよ」と、フェン。「かつて言語生命体たちが神人とともに暮らしていた頃、ある神人の娘が、正しい信仰を説くべく言語生命体たちの中で暮らすことを選びました。ですが愚かな言語生命体たちは娘の美しさに心奪われ、求婚を申し込む者は後を絶たぬ一方で、誰もまともに彼女の話を聞かなかった。神人の娘が言語生命体を見限り都を去ると、地の底の光によって都は焼き尽くされたとのお話です」
 地の底の光。
 ヨリスはその言葉に聞き覚えがあった。
 どこで聞いたか思い出すのに時間はかからなかった。リャン・ミルトから聞いたのだ。パンネラ・ダーシェルナキが、『言語生命体は地の底の光によって生かされていると語った』と。
「言い寄る男は馬鹿ばかり、か」
 シルヴェリアが嘆息した。
「まるで私みたいじゃのう。それを世の連中はまるで私が悪いかのように触れ回りよってからに……」
 ヨリスは注意を足下に戻す。シルヴェリアの踵が見えた。師団長殿、それをご自分で仰るのか……。ヨリスは思ったが、もちろん口には出さなかった。前総督公の第一子は男嫌いと噂されるが、そのような事実はない。それどころか本人は、好色は女傑の必須条件であると放言しているほどだ。ただ、もたらされる縁談という縁談すべてが気に入らず、拒否しているだけである。
「それはもう、シルヴェリア様、上流貴族のご令嬢が浮いた話の一つもないまま二十歳を迎えられましたら致し方ないことでございますよ。世間の口に戸は立てられぬものです。そろそろお世継ぎ様のことをお考えくださいませ。私の方が不安になってまいります」
 シルヴェリアに求婚した男たちが受けた仕打ちについては、ヨリスも噂を耳にしたことがある。もらったアクセサリーを遊覧船から湖に捨てて『愛しているなら拾ってこい』と言っただの、第二子エーリカの十三歳の誕生日を祝う壮麗なパーティーに『身内だけの気さくな集まりだから普段着で来い』と招待して大恥をかかせただの、口付けをせがんだ者が顔面に蹴りを入れられて鼻を折りもう一生治らないだの、ため息混じりに『世の果てに咲く幻の銀のバラを見たいのじゃ』と言うのを真に受けた若者が探しに行って未だに帰ってこないだの、あくまで噂である。だがいかにもやりそうな気もする。
 悲劇なのは、そして喜劇なのは、彼らが真にシルヴェリアに入れこみ愛そうとしたことだ。
「そんなことは私もわかっておるわ。だが父が紹介する男どもはろくな奴らではない。あれならそなたを娶った方がましじゃ」
「私は一向構いませんよ。ただ、お子が……」
「何を真に受けておる、この不倫女。女を紹介なぞしたら父はともかくジジイが卒倒するわ! そう、子のことでな」
「相変わらず口の悪いお方……。いけない子はお仕置きですよ」
「フェンや」シルヴェリアの声が尖る。「わかっておると思うが、そなたとは遊びじゃ」
「まあ……」一方で、フェンの声は甘美さを増す。「おやめくださいませ。本気で欲しくなってしまうではありませんか」
「よう言うわ。自分の物になった途端に飽きて捨てるじゃろうが」
「言語の塔というのはあれか? アルドロス少佐」
 ヨリスはうんざりして遮った。
 三人の行く先に、黒い円柱状の影が見え始めていた。このまま歩き続ければ五分とかかるまい。どのような色の塔なのかよくわからないが、夜の色に紛れていたため、これほど近付くまで見えなかったのだ。塔は想像ほど高くなかった。ヨリスは目を細め、距離を視野に入れつつ塔の高さを見定めた。千年前の技術で建てられた都の行政総合庁舎は、最も高い部分が二十五階建てだ。塔の高さはその半分か、それ以下だろう。
「小さいな」
 同じことを思ったのか、シルヴェリアが口にする。
「塔は地下に向かって伸びている、とお考えくださいませ。先ほど申し上げました通り、古の都は遥か地下、谷底深くに栄えておりました。当時、塔はまさに天を衝く偉容であったそうでございますよ」
「では、あの突き出ているのは塔の先端部分か」
「左様でございます。ただし、地下深くの〈砂の書記官〉と接触する機能は移植されておりますのでご安心を」
 塔の出入り口の前まで来た。フェンの話が本当なら、地表に突き出ている部分はかなりの高所だった場所であり、本来出入り口はないはずだ。正面にぽっかり開いた出入り口は、かつては窓であったか、新たに作られたのだろう。四角い出入り口の向こうに白色光が満ちている。内部には天籃石がふんだんに用いられているようだ。
 どのような仕組みになっているのか、扉も何の障害もないと思われた出入り口に、青い光の幕が下りた。三人の接近を察知したとしか思えぬタイミングだった。
「お待ちを」フェンが何ら慌てることなく光の幕に歩み寄る。「障壁の解除はお任せください。幼少期より何度も一族の者と訪れておりますゆえ」
 つまり、フェンは神官になると決まってもいない内から数々の禁識に触れていたことになる。言語の塔への侵入方法など、教えた側も教えられた側も即座に打ち首となるレベルの禁識であってもおかしくはない。
「そなたの一族、よくまあそなたが士官の道に進むのを許したな」
「あの人々は私が神官の道を進むと信じきっておりましたから。それはもう道を踏み外さずにはいられないではありませんか」
「よい心掛けじゃ」
 青い光の幕の中には、それより更に濃い光で、暗号のような見慣れぬ記号が書きこまれていた。フェンはその暗号が読めるのか、躊躇なく指で記号に触れ、指で動かし、組み合わせていく。音もなく幕が消えた。
「さあ、入りましょう」


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