南部ルナリア独立騎兵大隊

文字数 5,945文字

 1.

 カルナデル・ロックハートは草に覆われた斜面を上りながら、ついてねえよな、と、心の中で呟いた。
 全くついていない。
 漁師の(せがれ)が一念発起して士官の道に入ったはいいが、士官学校卒業から僅か五年で黎明現象が始まった。この予期せぬ天変地異を受け、独立軽騎兵大隊隊長ギルモア中佐は早々に新総督軍についた。つまり、シグレイ・ダーシェルナキの反乱軍を討伐する側に回ったのだ。
 カルナデルは両足首を草の海に沈め、斜面で立ち止まった。振り返り、先ほど立ち去ったばかりの村を見下ろした。運河が黒くのたうちながら村と原野を隔てている。河口には水門が聳え、そのてっぺんがぎざぎざした影になっているのは、カラスやカモメ、ハトの類が羽根を休めているからだ。カモやサギの類は運河の水に足を浸して立ち、あるいは浮き、その姿を天球儀の白色光が淡く照らしている。運河の手前側の岸には家々が点在している。幾つもの窓に明かりを点す、二階建てで、鋭く傾斜する屋根を持つ、石造りの小さな家々。海を見下ろす丘は葉を茂らせ始めたレモン畑が埋め尽くし、天球儀の彼方まで広がる海には、漁火(いさりび)と、砕かれた星屑の光が揺れている。
 この美しい村は見捨てられるのだ。
 黎明を生き延びるには、太陽から逃れるよりほかない事は明らかだ。少なくともカルナデルにはそう思える――東方領が東端から壊れていく中、最初の二か月が無為に過ぎた。それから『許されし民』を自称し、言語崩壊を恐れぬ過激な神官団〈救世軍〉が、西方領のアーチャー家の後ろ盾を得ると、王領の王はあっさり〈救世軍〉の存在と主義主張を認めた。
 曰く、黎明は神=地球人が罪深き被造物たる言語生命体に課した試練であり、神に許されし良き言語生命体は、太陽光を浴び続けても言語崩壊が起こらず、新しき世、次なる千年王国を生きられると。黎明から逃れようとする、連中の言葉を借りれば「不敬」な連中は、救世軍にとって粛清の対象だ。
 各地の神官団が救世軍を認め、地位を押し上げた。何せ、矢の家、弓の家、射手の家からなる盟約守護の御三家のひとつアーチャー家が認めたのだ。
 下らぬ茶番だと思う。〈救世軍〉に追従する連中は、その教えが偽りだろうと何だろうとどうだっていいのだ。不気味に急成長する勢力を利用して、反乱軍を蹴散らしてしまい、あとはどうにでも処分してから、シグレイが集めた船で自分たちが海に出ればいいのだから。その船に、一介の尉官に過ぎぬ自分が乗る余地などない事は明白だった。
 カルナデルはひと月前に、大隊長バレル・ギルモア中佐に辞表を提出した。将校として必要な事は、全てこの男から教わった。ある時期までは尊敬していた男だった。
 一度目は不受理で、大隊長は今すぐ殺してやると言わんばかりの目でカルナデルを睨みつけたのだった。
「君は領土と民を守る軍人だろう。そのために訓練を積み、そのために教育されてきた。有事になって『では、やめます』が通用すると思っているのか!」
 それは全くその通りで、しかしその通りでありながら、この時には知らなかったが、自分以外の三人の中隊長も別々に辞表を出していたのだ。
 カルナデルは前を向いて歩き出した。

 ※

 夜の王国の建物は、千年以上昔の物ほど大きく立派で、美しく強固だ。西へ向かう大隊の、今の宿営所は違う。二十年ばかり前に造られたという練兵場で、石造りで、小さく、暗く、中は寒い。
 生ぬるい春の風が練兵場に吹いていた。風はカルナデルの褐色の肌を撫で、黄土色の短い髪と、軽騎兵大隊の緑色のマントを弄びながら過ぎていく。長い長い柱廊を抜けて中隊長たちが集う士官室の戸を開けた。ひょいと頭を下げて入室する。カルナデルは大柄で、そうしなければ戸框(とがまち)で頭をぶつけてしまうのだ。
 片側の壁一面が様々なトロフィーで飾られたその部屋には、三人の男女が集い、鉤型に並ぶソファに掛けていた。三人の先客は一瞬緊張して会話をやめたものの、入室者がカルナデルであると見て、すぐに緊張を解いた。
 カルナデルはマントを脱いで腕に掛けた。ソファに座る、痩せた背の高い男が声をかけてきた。
「やあ。引継ぎの準備は終わったのかい?」
 第四中隊隊長、アリストリル・イーリー。通称トリル。カルナデルより一年後輩だった。
「おうよ。お前は?」
「四時までに終わったよ。ずっと前から準備してたからね」
「いろいろと呆気なかったよね。まあ、カルも五年間お疲れ様」
 小柄な女が言った。赤い、鳥の巣のような縮れ毛で、背の低さや生来の童顔と相まって子供のように見える。リン・チェルキー。第三中隊隊長。四人の中隊長の中で、真っ先に大隊長に辞表を突きつけたのが彼女だった。あれから結局辞表は受理されて、新しい将校が補充されることになったのだ。
「お前もな、リン。役職あがったばっかなのに、残念だったな」
 それにしても。中隊長全員から辞表を叩きつけられた大隊長。ギルモアはこの先どんな目で見られる事になるのかと、カルナデルは冷ややかに思った。
「カル、おめぇはこれからどうすんだ?」
 三人目の男が尋ねた。無精髭を生やしたこの筋肉質の男は、ギゼル・シラー、第二中隊隊長で大隊副長。三十歳の上級大尉の時から三年続けて佐官昇級試験に落ち、最低二年の受験停止と再勉強のペナルティを課され、やけ酒をあおったあげくカッとなって宿舎の備品と一部設備を破壊し止めに入ったよその大隊の将校に決闘を挑んだかどで大尉に降格されたという、どうしようもない男である。
 カルナデルは不機嫌に答えた?
「ああ? 決めてねぇよ。どうしたもんかね」
「よかったらお前も俺たちと一緒に来いよ」
「どこへ?」
「西へさ。西部にゃ前総督の第十七計画で接収された港町がいくつかあるんだが、その中でここから一番近いのがミナルタだ。ここの村人たちは航海を希望してる。村の警備隊と話をつけたのさ。ミナルタまでの道中、俺たちを傭兵として雇わねぇかって」
「へえ」
 カルナデルは興味を引かれた。このままおめおめと実家に戻るよりは、よほど良い話に思えた。
 すると、戸口から五人目の人物が口を挟んだ。
「やっぱりろくでもない相談してる」
 中隊長たちは黙った。
 いつの間にか女が入って来ていた。
 レナ・スノーフレーク少尉。独立軽騎兵大隊の大隊長付き副官。
 南西領では、副官は、大隊においては『隊』に対してつき、連隊・師団といったそれより上級の部隊においては『長』に対してつく。副官は大隊で基本的な仕事を学んだ後、より高度かつ専門的な仕事を連隊長、師団長のもとで行うようになる。
 したがって、大隊長付き副官という役職は南西領では有り得ないはずだが、レナは皮肉と揶揄をこめてそう呼ばれていた。
 この女がどうやって大隊長の愛人の座に収まったのかカルナデルは知らないし、知りたくもなかった。レナの絹のように流れる黒髪は、男の歓心を買うためにあった。白く透きとおるような肌は、人を欺いて近寄せ、より酷く傷つけるためにあった。二つの瞳がつぶらなのは、腐った性根を隠すためだった。
「あなたたち、下らない話なら外でしてくれない? あたし今から掃除をするの」
「掃除なんて頼んでねぇな。ここは中隊長クラスが使う部屋だぜ。出てけよ、少尉殿」
「あら、階級を(かさ)にきたって駄目よ、『上級大尉』殿」
 レナは微笑みながら言った。人に堂々と意地悪を言えるのが嬉しくて仕方がないのだ。
「この部屋を掃除しておけっていうのは大隊長からの指示ですもの。それに、明日辞める中隊長と明日からも居続ける副官じゃ、どっちが大事でしょうね? わかる? ま、わかるわけないか」
 ソファの前まで来て、テーブルの上の、ギゼルたちが使っていたコップを、まだ中身が入っているにもかかわらず盆に載せて下げていく。
「あなた馬鹿ですもんね。悪かったわ、わざとらしい事聞いて」
 中隊長たちは目配せしあい、ギゼルは肩を竦めた。レナは歌う様に続けた。
「まあいいわ。邪魔な馬鹿の相手をさせられるのは今日で最後だし、それに今度は間違いのない将校が補充されるって大隊長も仰ってたし。散々税金使って訓練されながら、いざとなったら逃げたがるような連中に居座られたってねえ」
「じゃ、俺たちは間違いのない将校サマが補充される前に、間違いのある副官を部屋からつまみ出す事にしようか?」
 テーブルを拭く手を止めて、レナがギゼルを睨んだ。
「あたしが間違いですって?」
「おお、そうよ。そんな事配属二日目にはあの大隊長以外、みーんな見抜いてたんだよ。とんだ腐れ」ギゼルは女性器の下品な表現をした。「が来たってな。ギルモア中佐もあんたが来るまで相当まともな男だったんだぜ? 何して垂らしこんだんだよ? えっ? それともあっちが相当の名器なのか?」
 流石に聞くに堪えぬと見え、リンがギゼルの脛を軍靴で思い切り蹴った。痛ぇ! と叫ぶギゼルに呆れたように目をやって、トリルが口を開いた。
「出て行ってくれないか、スノーフレーク少尉。明日の三時までは僕たちがここの中隊長だ。君の態度は許されない」
 レナも分が悪いと認めたのか、盆を両手に持って、不貞腐れた態度で背中を向けた。最後に振り向き、ギゼルを睨んだ。
「……後悔させてあげるわ」
 ギゼルは立ち上がり、レナが部屋を出て行くと、聞こえるようにわざと大きな音で内鍵をかけた。
 レナが来てから大隊長がおかしくなったというのは本当だ。仕事の評価に個人の感情を持ちこみ、覇気がなくなった。部下たちの反発を見抜いても、脅しによってしか抑えこむ事ができなかった。早い話、堕落した。その全てがレナのせいである、とまでは言うつもりはない。だがいずれにしろカルナデルはレナが嫌いだった。副官としても嫌いだし、仲間としても嫌いだった。後輩としても嫌いだし、女としても嫌いだった。とにかく嫌いだった。
「で、どうだ?」
 ギゼルは元通りソファに座ると、何事もなかったように話を戻した。
「うん、まあ」と、カルナデル。「悪かねぇな」
 すると今度は戸が外側からノックされた。
「誰だ?」
「第一中隊第一小隊所属のジョスリン・ミグ伍長であります。ロックハート大尉はいらっしゃいますか?」
 カルナデルはソファから立ち上がった。ドアの向こうには果たして見知った下士官の顔があった。
「よう、ジョスリン。どうした?」
「中隊長、少しお話が……」
 そのまま他に誰もいない廊下に連れ出された。この女性下士官はいつも困ったような自信のなさそうな顔をしているが、今はより一層困っているようだ。彼女も明日付けで退官する。その後どこへ行くのかは聞いていなかった。
 ジョスリンは素早く左右を窺って誰もいない事を確かめると、囁くような小声で言った。
「二時間ほど前に、河口まで流されてきた女性を班の兵士が保護しました」
「はっ? そんなのまず自分とこの小隊長に言えよ」
「いいえ」ジョスリンは首を横に振る。「それはできません。小隊長は明日の人事入れ替え以降も大隊に残りますから」
「……わけありの拾いものか?」
「はい」
 カルナデルは面倒くさく思いながらも頷いた。最後の最後まで面倒事だ。舌打ちしたいのを堪え、マントを羽織り、石造りの廊下を大股で歩きだす。
 ジョスリンに導かれ、馬に跨り宿営地を出た。穏やかに海へと注ぐ運河をたどる。水門の足許には松明が掲げられており、土の上に引き上げられた粗末な小舟を照らしていた。
「この小舟に乗って流されてきたんです。班の兵士たちには口止めしております」
 二人は馬を下りた。ジョスリンは、今にも運河に転げ落ちそうなあばらやにカルナデルを連れて行く。
 一目で廃屋とわかる家だった。埃の匂いに鼻をつまみ、重い空気の中、ジョスリンの後に続いて、一階の奥の一室へとついていった。
 拾い物の女は、ベッドと箪笥以外何もない部屋で、天球儀に照らされながら、布団もかけられずに寝かされていた。
 都会的な印象の町娘だった。細面で、端正な顔立ちで。華やかなピンクゴールドの髪を枕に広げて眠り続けている。なかなか可愛らしい顔の女だと思った。
 カルナデルは近付き、顔を近づけて女の耳元で囁く。
「おい」
 反応がない。今度はもう少し強く、
「おい」
 声を立てず、寝息を乱さず、瞼も動かない。肩を掴んで揺さぶってみた。やはり何ら反応しない。
「全然起きねぇな」
「疲憊の状態にあると思われます。この状態は戦闘後の兵士と同じ……」
 その物騒な物言いに眉を顰めると、ジョスリンは言い訳するように首を振り、言葉を続けた。
「この女性は服の下に武器を携行しておりました」
「若い女だ、護身用に持ち歩いてたっておかしくねぇだろ?」
「それだけではありません。服の右側の襟に触れてください」
 カルナデルは女が着ているブラウスの襟の先をつまんだ。
 襟の中に刺繍がある。
 判別できるまで、襟の上から何度も指でなぞった。
 鳩。
 陸軍情報部の士官の印だった。
「……よく気が付いたな」
「舟から下ろす時にたまたま、指が当たりまして……」
「ジョスリン」
「はい」
「明日の三時まではオレがお前の上官だ」
「えっ? はい」
「この事は誰にも言うなよ」
 カルナデルはむっつり黙りこみ、ベッドの女に背を向けた、不機嫌な、あるいは気難しげな雰囲気をまとって他者を寄せ付けまいとし、大股で部屋を出る。ジョスリンもついて来た。そのまま家を出た。
 無言で水門まで戻り、馬を道に連れ戻すと、それに跨りながらジョスリンに尋ねた。
「この事」
「はい!」
「お前の班の兵士はいつまで黙ってられる?」
「同じでございますよ」
「明日の三時、か」
「恐らくもっと……」ジョスリンは唾をのんだ。「彼らは聞かれない限り、他言しません」
「そりゃお前、聞かれても正直に答えやしねぇって事だろ? 少なくとも誤魔化せる内はな」
 カルナデルは少しだけ緊張を解き、話を変えた。
「お前、明日からどうすんだ?」
 ジョスリンはきまりが悪そうに答えた。
「何も考えておりません……」
「ギゼルたちと行けよ。他の中隊長連中だ。あいつら、この村の人たちに雇われてミナルタまで護送するらしいぜ」
 ジョスリンが首を傾げた。
「ロックハート大尉はどうなさるのですか?」
 カルナデルは肩を竦める。
「どうなる事やらな」
 ジョスリンに何も言わず、いきなり馬を走らせた。


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