あとがき

文字数 1,663文字

『伊勢物語』に私ミムラが夢中になったのは、高校の古文の授業がきっかけです。
 美男の恋の遍歴——は、じつはどうでもよかったです(笑)。とても短いエピソード、超ショートショートをただ重ねていくという形が、すごく面白いと思いました。
 軽やかです。
 形が軽いから、内容も軽やか。どの段も一瞬で過ぎていきます。風みたいに。

 そんなおはなしを自分も書いてみたいと、ずっと思っていました。

 だから今回いちばん大切にしたのは、その形です。関係なさそうな超ショートショートを重ねていって、全体として一つの物語にするという。
 次に大切にしたのは、歌です。だって、歌が先にあって、エピソードは後から付け足されたものです。
 伊勢物語を現代の小説にしたものを何本か読んでみて、どれもエピソードを最優先しているのが不思議でした。しかもパズルのように組み合わせてつじつまを合わせようとしていて。
 つじつまなんて、合うわけがありません。

 エピソードの何割かはウソくさいです。少なくともいくつかははっきりウソです。歌そのものが業平さんの作ではない段。それ行平さんのだよ、とかね。万葉集だよ、とかね。
 極端な話、エピソードは全部ウソかもしれません。
 業平さんは天才歌人です。紅葉の絶景を屏風見て詠んじゃう人です(笑)。
 恋の歌の何割かは、ただの「お題」でしょう。初めからそんな恋人はいない、フィクションだというね。

 だいたい。
 本当に帝の寵姫や斎宮とヤッちゃったんだとしたら。
 歴史上の業平さんが何の処罰も受けた形跡がないのは不思議すぎます。

 つくりばなし、じゃないのかな。
 
 そうなるとあとは、どれだけ魅力的なつくりばなしか、という話じゃないでしょうか。

 伊勢物語全編の中でダントツに可愛いと私が思ったのは、「筒井筒」の人でした。
 愛するダンナさまを他の女のところへ落ちついて送り出して、そのあと自分もきちんとお化粧して、外を眺めて、
「彼いまどのへんかな。心配」
 何をしてるんでしょうかこの人は(笑)。
 その姿を、自分ちの植え込みに隠れて見ていて
「かっ可愛ええ」(原文「限りなくかなし(愛し)と思ひて」)
 夢中になる夫くん。
 何をしてるんでしょうかこの二人は(笑)。
 
 同じ感想を世阿弥さんも持ってくれていたのが、とても心強かったです。
 謡曲『井筒』が世阿弥作の中で、そしてすべての謡曲の中でも、傑作中の傑作であることは、どんな能楽師さんも能楽ファンも賛成してくれると思います。

 それに。
 私には、最後から二つの段が、衝撃だったんです。第百二十四段と五段です。
 それまでの恋や桜や紅葉や白露の歌をみんなまとめてひっくり返してしまうような。

 思ふこと言はでぞただに止みぬべき
 われとひとしき人し無ければ

 つひに行く道とはかねて聞きしかど
 昨日今日とは思はざりしを

 凄い、と思いました。
 深くて、哀しくて、なのに、軽やかです。
 これが業平さんなんだと思いました。(この二首は業平作が確定しています。)
 心臓をつかまれるってこのことだと思いました。禁断の恋とかはっきり言ってどうでもよくなりました。週刊誌のネタレベルに思えてきました。

 この、あまりに透明であまりに孤独な二首を、人生の最後に男が詠むとき、
 そばで聞いてくれる女性が、どうしても、どうしても欲しいと思いました。
 それは高子姫にも恬子姫にもつとまらない役でした。
 誰か──
 ずっと、そばにいてくれた人。

 私は女で、『今日カレ』は井筒ちゃんの一人称で書きましたけど、
 これを書いているあいだじゅう、
 私はじつは業平くんになって、井筒ちゃんに安心して抱かれていたのだと思います。
 自分の歌をわかってくれる人。何があっても信じて味方になってくれる人。
 魂の伴侶(ソウルメイト)。
 理想の読者。

 だから、この小説『今日の彼、明日のあたし』は、
 いま、この文章を読んでくださっているあなたのために書いた物語です。

 最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
 業平くんと同じく、
 私も幸福です。


 ミムラアキラ

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登場人物紹介

井筒(いづつ)

この物語の語り手。恋人の業平くんと熱愛中だという以外は詳細不明。とある事情で彼との関係は公表できないらしい。その秘密がしだいに明らかに!(大した秘密ではない)

業平くん(なりひらくん)

フルネーム:在原業平(ありわらのなりひら)。この物語の主人公。井筒の恋人。

超ベストセラー小説『源氏物語』の主人公、光源氏のモデルとされるイケメンで、名だたる美女たちとのうわさが絶えないが、素顔は天然で井筒ひとすじ。

まったく出世・昇進できなくても気にしないマイペース男。和歌の天才。

有常くん(ありつねくん)

フルネーム:紀有常(きのありつね)。業平くんの親友。業平くんを介して井筒とも友だち。
業平くんと同じかそれ以上にマイペースでぶれない男。
史実および『伊勢物語』の世界観においては「井筒」にあたる女性の父親で、業平より十歳年上なのだが、この『今日カレ』の中では同い年に設定されている。むろん井筒のパパではない。

至くん(いたるくん)

フルネーム:源至(みなもとのいたる)。業平くんの悪友で彼以上の、というか無類の女好き。

史実および『伊勢物語』の世界観においては業平より十歳年上なのだが、この『今日カレ』の中では同い年に設定されている。
第三十九段限定のスペシャルゲストだったはずなのに、みょうにキャラが立ってしまったため、その後もときどき登場している。

高子さま(たかいこさま)

女御。帝の寵姫。絶世の美女で「二条の后(きさき)」と呼ばれる。過去に業平くんとの熱愛を報道され一大スキャンダルとなった。その真相が本文中で明らかにされる。
性格は凛として知的。藤原家の期待を一身に背負って立つ。

恬子さま(やすらけいこさま)

内親王(皇女)。伊勢神宮の斎宮(巫女)。過去に業平くんとの熱愛を報道され高子さまに次ぐ大スキャンダルとなった。その真相が本文中で明らかにされる。
性格は純真可憐。兄君の惟喬さまと同じくおっとりはんなりしている。

惟喬さま(これたかさま)

親王(皇子)。恬子さまの兄宮。業平くん有常くんとは和歌友だちで大の仲良し。
第一皇子で、本来なら次の帝の第一候補のはずだったのに、陰謀によって帝位から遠ざけられた悲運の人。でもおっとりはんなりした性格のおかげで、出家後も皆の人気者。お酒は好きだが、わりと弱い。

融さま(とおるさま)

フルネーム:源融(みなもとのとおる)。富豪でセレブで風流人。光源氏の本命モデル。
凝った庭園のある大豪邸に住んでおり、人を集めては詩歌管弦の遊びをして楽しんでいる。
業平くんとは和歌友だちで大の仲良し。
第八十一段限定のスペシャルゲスト。

行平さん(ゆきひらさん)

フルネーム:在原行平(ありわらのゆきひら)。業平くんのお兄さん。在原家の実質上の大黒柱。
才能ある歌人でイケメンなのに、いつもやんちゃな弟にぜんぶ持っていかれ、それでも気にしない器の大きい人。
光源氏の部分モデルといううわさも。百十九段にその話が出てくる。

家持さん(やかもちさん)

フルネーム:大伴家持(おおとものやかもち)。「いえもち」ではないので要注意。

和歌界のビッグ・ダディ。『万葉集』全二十巻を編纂した大物で、業平くんと違って漢字も得意(万葉集はすべて漢字で書かれています)。愛妻家でありながら、何人もの女性との恋歌の贈答で知られる恋愛の達人。

史実では業平よりまるっと1世紀前の人。第百五段限定のスペシャルゲスト。

敏行くん(としゆきくん)

フルネーム:藤原敏行(ふじわらのとしゆき)。業平くん有常くんの高校時代のクラスメート。成績優秀で性格もいい素敵男子。
業平くんとは三十六歌仙友だちでもあり、百人一首にもなかよくいっしょに入っている。
史実および『伊勢物語』の世界観においては紀有常の娘、つまり「井筒」にあたる女性の姉妹を妻にしている。
第百七段限定のスペシャルゲストだが、素敵なのでまた出てくるかもしれない。

世阿弥さん(ぜあみさん)

世阿弥は芸名。本名:観世三郎元清(かんぜさぶろうもときよ)。
能楽を大成した天才で、自身も役者。その美貌と名演で一世を風靡。この世に心を残した美しい亡霊が出てくる「複式夢幻能」というスタイルを確立した。
ついでだけど「序破急」という作劇法を考えたのも彼。これは本来ダンスのテンポ感を表したものなので、小説を書くときなんかにむやみに応用しないほうがいい(本人談)。
業平くんの大ファン。
史実では業平よりまるっと五世紀半後の人。

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