第三十二段(前半) しずのおだまき
文字数 977文字
みんな彼の歌を聞くと「あー」と言う。「そだねー」と言う。笑う。そして心の中で思う。
(こんなんだったらおれでも書ける)
だったら書いてごらんなさいと言うのだ。書けないから。
ばかでも書けそうな歌、というのは、書けそうで書けない。
いまは利口そうな歌ばかり流行っている。技巧を駆使したっぽく見えるタイプだ。
業平くんだって「
そうじゃなくて「こんな技巧を使える私」をアピールするドヤ顔歌(私が勝手に命名)ばかりが流行っている。評者たちにも絶賛される。絶賛すれば評者たち自身が「そんな技巧を見抜ける私」をみんなにアピールできるからだ。
めずらしく、紫式部さんが
「業平さんの歌はたしかにオールドファッションだけど、でもこういう歌のよさがわからなくなったら世も末」
って彼女の超ベストセラー小説『源氏物語』の中で微妙にディスりながらではあるけれども援護射撃してくれて、彼女はすごいインフルエンサーだから業平くんの人気がもち直した。
だけど『源氏物語』の主人公の光源氏さんがうちの業平くんに激似だ、といううわさが災いして、業平くんは
「スパダリ(スーパーダーリン)光源氏のモデルになった男」
という話題だけが独り歩きしてしまった。つまり彼の女関係ばかりが騒がれて、かんじんの歌のほうはどこかへ行ってしまった。
それでも業平くんは気にするふうでもない。ひょうひょうとしている。
「井筒がわかってくれてるからいいよ」と笑う。
こんなことを言われて有頂天にならない女が(以下略)
「こんな技巧を使える私」アピールのドヤ顔歌というのは、言いかえれば「それっぽい」ということだ。
ブンガクっぽい臭いがぷんぷんする。
業平くんの歌には、その臭みがない。あっさりしている。
「それな」と言いたくなる。「それっぽい」じゃなくて「それな」だ。この違いは決定的だ。
百年後や千年後には「それっぽい」歌はぜんぶ消えて、「それな」だけが残るのだ。いまに見ておれ、と私は両手をグーにして思うのだが、悲しいかな業平くんの来月の給料アップにはつながらない。
「ううー」とじだんだを踏む私を見て、また笑っている。「井筒はばかだなあ」と言う。
偉すぎる。