第百五段 やさぐれ

文字数 1,381文字

 業平くんが昔、ある女性に、
「こうしていつまでも冷たくされていたら、ぼくは死んでしまいます」
と迫ったら、
 その人からこんな歌が来た、そうな。

 白露は ()なば()ななむ 
 ()えずとて
 玉にぬくべき人もあらじを
  知らない。露さんは消えるなら消えて。
  消えなくても、
  いのちの緒につなぎとめて(数珠みたいに)大切にしてあげたりしないから。

「ひっど!」
と業平くん思ったけど、
「でも上手い!」
と感心して、ますます惚れちゃったのだそう。

 誰、それ。

 たしかにいい歌だし面白い話だけど、妻としては穏やかじゃありません。
 調べましたよ、当然。調べさせていただきました。この歌の作者。
 そしたら、なんと。
「それ、わしの歌や」

 和歌界のビッグ・ダディこと、大伴(おおともの)家持(やかもち)さんでした。

 こういうことありすぎる、業平くん。他の人の歌が業平くん作にされたり業平くん話に組みこまれたりして、尾ひれに胴体がついて出回っちゃうのだ。

 ということで業平くんの「死ぬ死ぬ詐欺」話は初めから終わりまで嘘っぱち。
 この歌も、家持さんが詠んだんだから、
「おれなんかもう死んじゃおっかなー。
 生きてても、誰もかまってくれる人いないしー」
というね、失恋男がひとりでやさぐれてるという意味になって、しかも家持さんも天才歌人だからもしかしたらフィクション?
 そのほうがだんぜんお洒落。

 だいたい、男に「死にそう」って言われて「死ねば」って答える女どうなの。超感じ悪くないですか?
 みんなたぶん
「これ高子さまかな恬子さまかな」
 二択で盛り上がるんだろうけど、お二人ともそういうキャラじゃないですよ?
「男の人ってそういう、女王さまタイプに燃えるものなんですか」
 リモートの画面でそう質問したら、家持さん、
「知らんわ」
 大笑いなさっている。

「そういう女が好きやという男、あんたどう思う」逆に訊かれた。
「私ですか? うーん」
「正直なお人やなぁ」にやりとする家持さん。「好かんと顔に書いたある」

「女に振り回されたい男いうんも、女振り回したい男も、どっちもどっちや。
 どっちも女をトロフィーみたいに思とる。戦利品や。『振り回されたい』ほうが『手ぇの届かん高価なトロフィー』ちゅうだけ、根が深いかもしれへんな。
 そんな無駄なエネルギー使(つこ)てるひまあったら、仲ええもんどうし仲ようしとったらええ。

な。そやろ?」またにやり。
 なんと家持さん、業平くんと同意見だった。さすがはモテ男の大先輩。愛妻家でありながら、何人もの女性との恋歌の贈答で知られる恋愛の達人だ。

 家持さんてあなた、『万葉集』編んだ人ですよ。全二十巻! あんまりていねいに選んでて、時間がかかりすぎて「まだ?」って朝廷から催促されて、あわてて
「いま出ました」
 蕎麦屋の出前みたいなこと言って、ご自分の歌をかき集めてがっさり入れて二十巻完結させちゃったっていう、めちゃくちゃ凄い人。面白い人。
 ご自分の歌が小説オール業平に勝手に使われてても、家持さん怒らない。笑ってる。器が大きい。
「ええ歌やろ?」そこしか気にしていない。歌詠みなのだ。
「はい! とっても」私も両手をグーにして答えた。

「あんた可愛(かい)らしなー井筒(いづ)っちゃん」家持さん、ご機嫌だ。歌ほめたからね。
「今度いっしょに飲も。旦さんも連れといで」

 家持さんじゃなくて業平くんのほうが怒りそうだから、この話はないしょ。
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登場人物紹介

井筒(いづつ)

この物語の語り手。恋人の業平くんと熱愛中だという以外は詳細不明。とある事情で彼との関係は公表できないらしい。その秘密がしだいに明らかに!(大した秘密ではない)

業平くん(なりひらくん)

フルネーム:在原業平(ありわらのなりひら)。この物語の主人公。井筒の恋人。

超ベストセラー小説『源氏物語』の主人公、光源氏のモデルとされるイケメンで、名だたる美女たちとのうわさが絶えないが、素顔は天然で井筒ひとすじ。

まったく出世・昇進できなくても気にしないマイペース男。和歌の天才。

有常くん(ありつねくん)

フルネーム:紀有常(きのありつね)。業平くんの親友。業平くんを介して井筒とも友だち。
業平くんと同じかそれ以上にマイペースでぶれない男。
史実および『伊勢物語』の世界観においては「井筒」にあたる女性の父親で、業平より十歳年上なのだが、この『今日カレ』の中では同い年に設定されている。むろん井筒のパパではない。

至くん(いたるくん)

フルネーム:源至(みなもとのいたる)。業平くんの悪友で彼以上の、というか無類の女好き。

史実および『伊勢物語』の世界観においては業平より十歳年上なのだが、この『今日カレ』の中では同い年に設定されている。
第三十九段限定のスペシャルゲストだったはずなのに、みょうにキャラが立ってしまったため、その後もときどき登場している。

高子さま(たかいこさま)

女御。帝の寵姫。絶世の美女で「二条の后(きさき)」と呼ばれる。過去に業平くんとの熱愛を報道され一大スキャンダルとなった。その真相が本文中で明らかにされる。
性格は凛として知的。藤原家の期待を一身に背負って立つ。

恬子さま(やすらけいこさま)

内親王(皇女)。伊勢神宮の斎宮(巫女)。過去に業平くんとの熱愛を報道され高子さまに次ぐ大スキャンダルとなった。その真相が本文中で明らかにされる。
性格は純真可憐。兄君の惟喬さまと同じくおっとりはんなりしている。

惟喬さま(これたかさま)

親王(皇子)。恬子さまの兄宮。業平くん有常くんとは和歌友だちで大の仲良し。
第一皇子で、本来なら次の帝の第一候補のはずだったのに、陰謀によって帝位から遠ざけられた悲運の人。でもおっとりはんなりした性格のおかげで、出家後も皆の人気者。お酒は好きだが、わりと弱い。

融さま(とおるさま)

フルネーム:源融(みなもとのとおる)。富豪でセレブで風流人。光源氏の本命モデル。
凝った庭園のある大豪邸に住んでおり、人を集めては詩歌管弦の遊びをして楽しんでいる。
業平くんとは和歌友だちで大の仲良し。
第八十一段限定のスペシャルゲスト。

行平さん(ゆきひらさん)

フルネーム:在原行平(ありわらのゆきひら)。業平くんのお兄さん。在原家の実質上の大黒柱。
才能ある歌人でイケメンなのに、いつもやんちゃな弟にぜんぶ持っていかれ、それでも気にしない器の大きい人。
光源氏の部分モデルといううわさも。百十九段にその話が出てくる。

家持さん(やかもちさん)

フルネーム:大伴家持(おおとものやかもち)。「いえもち」ではないので要注意。

和歌界のビッグ・ダディ。『万葉集』全二十巻を編纂した大物で、業平くんと違って漢字も得意(万葉集はすべて漢字で書かれています)。愛妻家でありながら、何人もの女性との恋歌の贈答で知られる恋愛の達人。

史実では業平よりまるっと1世紀前の人。第百五段限定のスペシャルゲスト。

敏行くん(としゆきくん)

フルネーム:藤原敏行(ふじわらのとしゆき)。業平くん有常くんの高校時代のクラスメート。成績優秀で性格もいい素敵男子。
業平くんとは三十六歌仙友だちでもあり、百人一首にもなかよくいっしょに入っている。
史実および『伊勢物語』の世界観においては紀有常の娘、つまり「井筒」にあたる女性の姉妹を妻にしている。
第百七段限定のスペシャルゲストだが、素敵なのでまた出てくるかもしれない。

世阿弥さん(ぜあみさん)

世阿弥は芸名。本名:観世三郎元清(かんぜさぶろうもときよ)。
能楽を大成した天才で、自身も役者。その美貌と名演で一世を風靡。この世に心を残した美しい亡霊が出てくる「複式夢幻能」というスタイルを確立した。
ついでだけど「序破急」という作劇法を考えたのも彼。これは本来ダンスのテンポ感を表したものなので、小説を書くときなんかにむやみに応用しないほうがいい(本人談)。
業平くんの大ファン。
史実では業平よりまるっと五世紀半後の人。

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