第百二十段(後半) 人生ゲーム(つづき)
文字数 1,834文字
「引き算?」
「ドラマティックな展開とか胸を引き裂くパッションとか、そんなテッパン要素いっさいなしで、どこまで行けるかっていう。
チャレンジなんです。
ぼく自身の最高傑作を、ぼくは越えたい」
どこまでも前のめり。ふふ。
「何と言うのかな」と世阿弥さん。
「ただ、一種の感じ。
美しい感じが——
お客さまの頭に残りさえすればいい、と思うんですよね」
「それ以外に、なんの特別な目的もないんです。
だから、プロットもないし、事件の発展もないんです。
ハッピーエンドかバッドエンドかとか、勝ち組か負け組かとか、それもない」
「ほら、最近の流行りって、ひたすら『世の中なんてこんなもの』みたいな?
『人間はこのくらい汚い、恐ろしい』ということをご親切に教えてくださる、的な?
そういうどぎついのを求める人には、ぼくの作品は面白くないでしょうね。
ま、しょうがないです。
だって思うんですよ。いま、生きてるだけで、こんなに苦しいじゃないですか。
わざわざ劇場に行ってまで、おんなじ苦しいものを観る必要ありますか?」
「ぼくが観客だったら、美しいものを観たいです。というか、美しいものしか観たくないです。
この世界には、まだ意味が残っている。まだ生きる価値がある——
そう思わせてほしくて劇場に行く」
「だから、たまには、あってもいいじゃないですか。
美しいだけ、楽しいだけ、優しいだけの物語。そっと寄りそってくれるだけの物語。
今日を生きのび、明日を迎えさせてくれる物語」
「なんてね」
黙って聴いていた業平くんが、ここで口を開いた。
「世阿弥くん。
それ、夏目漱石先生のエッセイ「余が『草枕』」、まんまパクリだよね?」
「ばれましたか」
世阿弥さん、にやりと笑う。
オーマイガッ。食えない男がここにも一人……。
お二人のプライバシーには百パーセント、二百パーセント配慮します。そう世阿弥さんは言ったのだった。
でも、どうでしょうか、井筒さん。
ぼくは、天下のプレイボーイとして名を馳せた在原業平が、じつは素敵な愛妻家だったという話を書いてみたいんです。
お二人の日々のなにげない暮らし、あっ、もちろん詳細は書きません、完全に抽象化します、お能ですから。ただ、その日々の暮らしにこそ、
幸福があり、意味がある──
そんな物語をぼくはどうしても書きたい。
帰り道、ふと業平くんがつぶやいた。
「そろそろ、いいのかもしれないな」
「何が?」と私。
「おれももう、年とってきたし。
いまさらアイドルでもないだろう。
じつは気の小さい、何の面白みもないやつで、一人の奥さんを大事にしてきただけの平凡な男だって知られても、もう誰も気にしないんじゃないかな」
見上げると、微笑んでいる。
なんだか胸がいっぱいになって、私はわざとふくれっつらをした。
「私は、私は、いやだよ。そんなこと言って、次の日私が業平くんのファンの皆さまにぼっこぼこにされて神田川に浮かんでたら、誰が責任とってくれるの?」
「神田川か」よかった、笑ってくれた。
「ウケないよ、世阿弥さんには悪いけど、そんながっかり話。業平くんは永遠のアイドルなんだから、やっぱり対になって祀られるのは高子さまか恬子さまじゃないと」
「おれはお稲荷さんか」
「業平大明神よ。愛の神さま」
「やめて」
ひさしぶりに手をつないだ。いままでもつないだことはあったけど、いつも人目を避けてびくびくしてた。
本当にそんな生活に終わりが来るのなら——
年とるのも悪くないね、業平くん。
でも。
「何」と彼。
「ふふ」
「何」
「あはは、何でもない」
やっぱりさ。アイドルすごろくに「あがり」はないって。業平くん。
気がついてたんでしょ、あなたも。世阿弥くん、私のこと「ぼくの女神」なんておだてて、ずーっと私の顔ばかり見て話してたけど。
あれは。
あなたがまぶしすぎて。
あなたのほうに目を向けられなかったから。
彼の神は、あなたよ。
私はふざけて
「大・明・神」
「えー?」
神は、照れている。
※ほんとに在原業平を神として祀っている神社って全国各地にあるんですね。
うちの近所にもあるとわかってびっくり。
縁結びはわかる。「家内安全、学力向上、趣味上達」もわかるとして、
「商売繁盛、金運」て何。
神になってもけっきょく「業平さんなら引き受けてくれそう」から逃れられないんだなー。
ご苦労さま、業平くん。